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大学1年生の者です。
脳死について、それはどのようなものか、人としての「生」の「脳死」の関係はどう考えられるかを中心に自分の考えを述べなさい。というレポートが出されました。

脳死の定義を序論に書いては見たのですが、そこからどう論じていけばいいか分からなくなってしまいました。
どう論じたらよいかアドバイスをください。

A 回答 (2件)

「自分の考えを述べなさい」ということだから, 最後に「あなた自身がどう考えているのか」を書くことになります. これをまず決めてください. そして, それにつながるように文章を考えていくことになります.


出口 (最後のまとめ) は 1つなんだから, そこを決めた上でそれに持ち込む論理構成を作った方が楽だと思います. そうしないと, 「散漫な上に何が書いてあるのかわからない」レポート (もどき) が出来上がる可能性が高いでしょう.
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この回答へのお礼

的確な回答どうもありがとうございます。
たしかにそうですね。結論考えなしではやはりレポートもどきの文章でしかなくなりますよね。
求められている「私自身がどう考えているのか」ということが最後に
論じ、もう一度論理構成を考えてみます。

お礼日時:2009/07/28 16:52

 例えば、次のような書き方です。

悪文ですので、それがレポートとは思わないでください。

 脳死とは何か
 作文 下手次郎
 脳死とは、脳の死であり、心臓が動いている状態を指す。つまり、人工呼吸器等の医療機械で一命を取り留めていることだ。しかし、脳死で生存率は極めて低い。つまり、奇跡で生き返る確率はないのだ。つまり、意識が戻らない事が脳死であり、それが回復する可能性は低い。そのため、臓器移植のドナーとして考えられてきた。
 臓器移植法は7月現在では衆議院で臓器提供者の低年齢化と脳死のみを人の死にすることにした。しかし、参議院では現行通りの大人の臓器移植を原則としている。このため、子供の臓器移植は海外で受けるしかないのである。脳死の子供を持つ人にとって、脳死という理由で我が子を臓器提供者にされることは無念にしか思えないのではないか。生き返るかもしれないという希望がなくなる日だからである。
 臓器提供は無償で行われる。しかし、実際には入院という家族負担がなくなる日であり、決して経済的には悪くはないのである。しかし、脳死を受け入れられない人も多く、この問題は非常に難しいのだ。つまり、脳死は48時間で認められ、臓器コーディネータが家族と相談し移植提供を決めるのである。しかし、一人の人の死が多数を救う幸福論ではいけないと思う。他人が脳死になり、臓器提供で完治すればよいことだ。臓器提供を待っている死は死という時間とのカウントダウンの中にいる。一歩や一瞬遅かったら志望し臓器移植の順番待ちから外れる。しかし、このような人工透析や人工心臓や胃や腸や肝臓を病気で失った人にとって、移植は待ち遠しい日である。腎臓を失ったり膀胱を失った人は健全な人と同じ利尿ができるようになるからだ。つまり、多くに人を助けるのが移植だ。しかし、臓器提供者の人権は失われる。さらに、臓器移植後は抗体を無効化しないと自壊をする。それは借り物の臓器で自分の臓器ではないからだ。
 脳死とは脳が死んだ状態である。つまり、生命維持はできるが意識は戻らない。生きていた人がある日に脳死になるかもしれない。今まで動いていた機械が、ある日制御装置の故障で止まり、モーターは動いているが全体として走行しない問題なのだ。私たちはある日に脳死にならないとは言い切れない。そのため、脳死は特別な事ではない。それは、脳の機能が停止し動かなくなる事である。
 脳死とは心臓は動いている。だから人としての皮膚の温もりもある。しかし、脳死は死として受け入れ、臓器提供を必要とする人のために提供すべきである。
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