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訂正してくださいませんか。よろしくお願いいたします。fenxuan2002さん

私は日本語を勉強している学生です。次は私が書いたものです。中には 文法として、必ず 間違っているところがあります。
日本人の方に訂正していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

『金色夜叉』についての研究は、小説が誕生して以来、百年間続いている。日本では、これまでの研究は、ほとんど、その時の社会背景に、繋がっている。小説の物語、各人物の性格の分析も作者の性格と経歴を考えに入れて、行っている。本論は文学愛好家の立場から単なる人物の角度で「主人公•貫一は暗闇を離れることができるか」について、自分の感想を述べてみようと思う。
本論は、三部分から、なっている。第一部分では、作品と作者を簡単に、紹介する。第二部分では、主人公の性格、言動などの分析によって、自分の主張を論じる。第三部分では、結論を出す。


昔の貫一は良い道徳基礎があって、今の貫一は荒尾、直道など正直な人々に助けてもらって感銘を受け励まされて、自分の行為を十分認識し、潔く過ちを改めようとしている。
小説の終わりに貫一と静かの感情に関する対話の場面がある。二人は意気投合し、ビールを飲んだ貫一はときどきこれまでになく、朗かに笑い出した。
この笑い声と一緒に貫一の胸の恨みは散り去ってしまった。貫一はきっと暗闇を離れることができると信じている。

A 回答 (2件)

No.1です。

前回の解説では不十分なので補足に参りました。
前回、私は日本語として流れの良い文章を意識して書きました。
また、aifenさんの文章のままで充分意味が通る箇所も、あまり日本語では使わない表現や言い回しは手直し致しました。


読点「、」も入れた方が良いと思った箇所には、入れております。
特になくても気にならないものもありました。
aifenさんにとって、不要とお感じなら外して構わないと思います。

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◆《間違っている~について》

前回、私は、

《私は、日本語を勉強している学生です。次の文章(論文)は、私が書いたものです。その中に、文法として間違っている箇所があります。
日本人の方に、誤りを訂正していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。》

と文章を直しておりましたが、これも不十分です。
次のように直した方が自然です。

*1《私は、日本語を勉強している学生です。次の論文は、私が書いたものです。その中に、文法として間違っている箇所があると思われます。
日本の方に、誤りを訂正していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 》


「文法として間違っている箇所があります」を「文法として間違っている箇所があると思われます」と直したのは、原文にあったように「必ず 間違っている」としたり、訂正後の「間違っている」という言い方にすると、aifenさんには間違いの箇所が解っているかのような表現になってしまいます。すると、矛盾があるので、「間違っている箇所があると思われます」と表現するのが妥当です。

例えば今、aifenさんが日本語を習っている先生、または日本の友人から、「この文章の中には誤りがあるよ」と指摘されたのなら、「間違っている箇所があります」と言い切って良いと思います。この場合は、「間違っている箇所があるとの指摘を受けました」としても良いでしょう。



間違っていると言うことをaifenさんが ご自身で判断し、そのことを強調したいのなら、
《私は、日本語を勉強している学生です。次の論文は、私が書いたものです。また、これには文法として間違いがあることを自覚しております。》とするのが良いでしょう。

また、「日本人の方」と表現すると「日本人の人」という意味で、少し表現がくどくなるので、「日本の方」で良いと思います。すると、

*2《私は、日本語を勉強している学生です。次の論文は、私が書いたものです。また、これには文法として間違いがあることを自覚しております。
日本の方に、誤りを訂正していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。》
という表現でも良いということになります。
しかし、これも謙遜しすぎで堅い感じがしますので、「*1の表現で充分」だと思います。

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◆《その時の社会背景》

これについても前回、但し書きを書きましたが、「その時」は、

1.「その時々」
2.「作品(『金色夜叉』)の時代」
3. 「(『金色夜叉』)の発表当時」 

の三通り考えられます。
この中から、aifenさんの意図に沿った表現を選ぶと良いと思います。

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◆《暗闇を離れることができるか》

これについては、「暗闇から逃れることが出来るのか」と言う表現を取りましたが、「暗闇を捨て去ることが出来るのか」でも良いような気がします。

暗闇を「堕落」とか「憎しみ」や「しがらみ」と捉えたとき、貫一とお宮には、好むと好まざるとには関わらず、それらに執着があったと思われます。
そうすることが楽だったと思われるからです。

二人に、これを自ら捨てるという意識が働くことを期待するのであれば、
「暗闇を捨て去ることが出来るのか」としたほうが良いと思います。
「逃れる」とすると、「捨て去る」よりも受け身で積極性を欠きます。そして、「逃れる」としたときは翻弄されている感じが強いです。


また前回、「主人公、お宮と貫一は、それぞれ(=お宮と貫一)が抱え持つ」と言う表現を私は取りましたが、これも少々くどい気がします。なので、

「主人公、お宮と貫一は、それぞれが抱え持つ暗闇から逃れることが出来るのか」は、

 「主人公、お宮と貫一は、それぞれの暗闇から逃れることが出来るのか」
 「主人公、お宮と貫一は、それぞれの暗闇を捨て去ることが出来るのか」   
  
のどちらか、aifenさんの意図に沿った表現を選ぶのも良いと思います。

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◆《貫一と静かの感情に関する対話の場面がある》

私は、この箇所を、「貫一は平穏な面持ちでお宮と対話をする」と前回、解釈を書いています。aifenさんの意図とはそれているかもしれません。

しかし、この解釈で良いのであれば、ここは、「貫一は安堵してお宮と対話する」でも良いかと思います。

「安堵」とは、《気がかりなことが除かれ、安心すること》という意味です。
疑心暗鬼で荒んでいた貫一が、元の心を取り戻し、心の平静を取り戻したのであれば、その心を表す言葉として「安堵」は適切だと思ったからです。


お読みになって、何か疑問がございましたら補足してください。
解る範囲で回答 致します。では、失礼いたします。
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日本人なので、回答に参加させてください(しかし、恥ずかしながら原作は読んだことがありません。

なので、先ほど、あらすじだけ頭に入れました)。
aifenさんが、お書きになった、原文の主旨と外れている点があるかもしれませんが、出来る限り手直しさせていただきます。

出だしですが残念ながら、特定会員を指名して参加を促すことは、規約上禁止されています。誹謗・中傷行為ではないので、その辺は緩いと思いますが、なるべくなら避けた方が良いです。
でも、ご本人が見て下さっていると回答していただけるかもしれませんね。


出だしはこのように直すと良いと思います。

「~さん、私の文章の誤りを訂正してくださいませんか。よろしくお願いいたします。」
普段の手紙などであれば、いきなり名を呼びかけて、続きの文章を書くと良いと思います。

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では、続きから、

>私は日本語を勉強している学生です。次は私が書いたものです。中には 文法として、必ず 間違っているところがあります。
日本人の方に訂正していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

私は、日本語を勉強している学生です。次の文章(論文)は、私が書いたものです。その中に、文法として間違っている箇所があります。
日本人の方に、誤りを訂正していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。


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>『金色夜叉』についての研究は、小説が誕生して以来、百年間続いている。日本では、これまでの研究は、ほとんど、その時の社会背景に、繋がっている。小説の物語、各人物の性格の分析も作者の性格と経歴を考えに入れて、行っている。

日本において『金色夜叉』の研究は、原作小説が誕生して以来、百年間続いている。これまでの研究のほとんどが、その時の社会背景から為されて来た。また、物語、各人物の性格の分析も、作者の性格と経歴を考慮して行われてきたのである。


◆《その時の社会背景》

この、「その時」という表現があいまいです。

1.「その時々(その時代時代)」という意味にも取れるし、
2.『金色夜叉』が「発表された当時」とも取れるからです。

ですから、「その時」と言う表現は避けた方が良いと思います。
「その時」を、「その時々」か「発表された当時」と意味によって使い分けると良いと思います。

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>本論は文学愛好家の立場から単なる人物の角度で「主人公•貫一は暗闇を離れることができるか」について、自分の感想を述べてみようと思う。

本論は、文学愛好家の立場から、登場人物の視点に立ち、「主人公、お宮と貫一は、暗闇から逃れることが出来るのか」自分の見解を述べていくものである。


◆《単なる人物の角度で「主人公•貫一は暗闇を離れることができるか」について》

この部分の意味がよく分かりませんでした。
自分で言葉を補って、推測して書きましたが、aifenさんの意図するものと離れているようでしたら、補足して下さい。また、「暗闇」という表現だけでは漠然とし過ぎているようにも感じます。
「(貫一とお宮の)二人が抱える心の闇」とか「社会の闇」 言うことでしょうか? 私、個人としては、「心の闇」と言う意味なのかと思いました。


何を暗闇と言っているのか、具体的な表現を避けるのなら、
「主人公、お宮と貫一は、それぞれが抱え持つ暗闇から逃れることが出来るのか」
としても良いように思えます。

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>本論は、三部分から、なっている。第一部分では、作品と作者を簡単に、紹介する。第二部分では、主人公の性格、言動などの分析によって、自分の主張を論じる。第三部分では、結論を出す。

本論は三部構成から成る。第一部では、作品と作者を簡潔に紹介する。また、第二部では、主人公の性格・言動などの分析から持論を展開する。更に、第三部では結論を述べる。


◆《第三部分では、結論を出す》

と、あるのは、未完小説のラストをaifenさんが自分なりに創作するという意味でしょうか? そうすると、最初の方に書かれていた、
《本論は文学愛好家の立場から~自分の感想を述べてみようと思う》
の「感想」は「見解」とした方が良いと思います。
また、「第三部分では、結論を出す」とあるのは、「結末を予想する」とした方が良いと思います。

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>昔の貫一は良い道徳基礎があって、今の貫一は荒尾、直道など正直な人々に助けてもらって感銘を受け励まされて、自分の行為を十分認識し、潔く過ちを改めようとしている。


昔の貫一には、しっかりとした道徳基盤があった。その後、復讐に身をやつしていた貫一も、荒尾、直道など正直な人々の手助けに感銘を受け、励まされて、自分の行為を充分に振り返り、潔く過ちを改めようとしている。


>小説の終わりに貫一と静かの感情に関する対話の場面がある。二人は意気投合し、ビールを飲んだ貫一はときどきこれまでになく、朗かに笑い出した。

物語の終盤、貫一は平穏な面持ちで(お宮?)と対話をする。二人は意気投合し、ビールを飲んだ貫一は、ときどきこれまでになく、朗かに笑い出した。
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