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今回の選挙などを見ているとよくわかるのですが、
社会システムに依存する気持ちが逆に生活上での不安定さを呼ぶのではないでしょうか。
派遣労働者に対する法整備の不備はあるでしょうが、そもそも派遣労働とは不安定さを含んでいます。
法整備という安定願望が、派遣労働という不安定を呼び込む結果となっているように思います。
法によって自分は守られているという錯覚を与えてしまいます。

安定願望によってシステム依存となり、
システム依存とは結局のところ自己逃避ではないでしょうか。
自己逃避を続けている限り、安定はありえないと思いますがどうでしょう。

A 回答 (14件中1~10件)

こんにちわ


そうですね。私もそう思いますよ。
システムは所詮道具ですから、安定を本当に望むなら、
全体的な動きではなく、できるだけ最小単位に社会構造を変更し、
その中で不備があるものを交換すればいいのですが、そもそも依存がある場合には、他人に寄りかかっているだけなので、その上で安定を望むのは自己矛盾なんですが、誰しもがそれに気がつかない物なのでしょうね。
行き過ぎるとあれですが、今の社会の不健全さは他者依存が原因でしょう。今後は、そこを断ち切れ、克、実力があるものが幸せに生きれる世界になるでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

安定を望めば不安手になる。
なんと皮肉な世界でしょう。

お礼日時:2009/09/14 19:42

仰る主旨は、法整備を故意に行わず、派遣労働の自然減を促せということでしょうか。


それはいかがなものでしょう。
派遣労働者の増加は派遣労働者自身の自発的な現象ではなく、利益を追求する企業体が進めたものです。安定願望は強者である雇用者側(の利益保持のため)つまり大企業にも当然多くあるといえます。
今なお選択の余地なく派遣労働へゆかざるを得ない多数の弱者のための法整備は必要だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

法整備はどうでもいいのです。
神様が決めたわけではないのですから、人間の都合のいいように変えたらいいのです。
問題は安定願望が呼ぶ不安定さを自覚しているのかということです。

お礼日時:2009/09/14 19:46

安定願望の無い人間はいないでしょう。


ですから、
>安定願望によってシステム依存
:となるのであれば、依存できるようなシステムがそこにあるということ自体を検証する必要があります。
尤も、検証するまでもなく、派遣というシステムを国家が必要としているわけです。
そうすると、シフトさんがおっしゃっているのは、それ(国家が必要としていること)を選択することが自己逃避である、という論理になります。
>法によって自分は守られているという錯覚を与えてしまいます。
:とのことですが、おっしゃっているところの不安定さは、主に自由との引き換え、という論理で本人たちも十分認識しているはずです。
しかし、先に述べたように、そういった選択肢が国家的な必要性として用意されているということ自体についてこそ考える必要があるのではないでしょうか。
以上を踏まえて、
>自己逃避を続けている限り、安定はありえないと思いますがどうでしょう。
:に関して述べてみると、これは、社会的契約を否定するアナーキズムの論理であって、それなりに魅力的ではありますが、これが安定につながるか否かははなはだ疑問です。
個人的には、自己責任を重視し、しかし最低限の生命ラインだけは保証する(且つ強制的にその準備をさせる)社会契約システムが理想だろうとは思っていますが。
たとえば、今、オバマがやろうとしているような医療改革には、自己責任の弊害の部分が浮き彫りになっていると思います
いずれにせよ極端は好ましくありません。
人間は、そう強いものではありませんしね。
 
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

どのようなシステムもどこかに不完全さを持っていると思います。
派遣労働にしても法改正をしたところで完璧になるはずもないです。
主体はシステムではなく人間側ですので、働く側がどのような心づもりでいるのかが重要だと思います。
安定願望は依存を生み、本質的に依存は不安定であるということを自覚することはアナーキズムとは別のことと思うのですが。

お礼日時:2009/09/15 08:02

NO.2です。


>問題は安定願望が呼ぶ不安定さを自覚しているのかということです。
どのように巧みな正攻法を用いても、その網からこぼれる少数者は存在し続けます。そのために法は限りなく複雑になっていきますが、いわばいたちごっこという面もあることは確かです。
生活保護法というセフティ・ネットがあるために、それに依存して自力で貧困から抜け出さない(抜け出せない)種族Aが存在することは事実だと思います。
だからといって生活保護法を廃案にすることは出来ません。それをどうしても必要とする階層がAを無視できるほどの多数を占めているのが現実でしょう。
ミクロを知ることは知らないよりはましですが、マクロでものを可能な限り正しく見る事がより大切だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

衣食住を確保することは人間にとって重要なことですね。
人間の本質的なそれを否定することはできませんね。

お礼日時:2009/09/15 08:04

そもそも安定などありえない。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/15 16:45

>安定願望は依存を生み、本質的に依存は不安定であるということを自覚することはアナーキズムとは別のことと思うのですが。


:依存とは何を意味するのかということにもなりますが、
何らかの形での「持ちつ持たれつ」という相互依存が社会契約だと思います。
社会契約という以上、恒常的なものである必要があるはずです。
>働く側がどのような心づもりでいるのかが重要だと思います。
:ということですが、これはあくまである程度の選択肢が用意されている場合の話でしょう。
実際のところ、どんな心づもりでいれば安定的生活を目指すことが可能であると思いますか?
さらに、安定を可能にするその心づもりが明示された場合、その心づもりを満たすような社会的受け皿が用意されているか否かは必須の要素ではないでしょうか。
現在の雇用形態がそれを満たすような、それこそ心づもりで確立されているでしょうか。
>主体はシステムではなく人間側
:とは軽々に言えないような気がします。

>法整備という安定願望が、派遣労働という不安定を呼び込む結果となっているように思います。
:こうおっしゃる意図について少し考えてみましたが、これはおそらく考え方の順序が逆転しているのではないでしょうか。
派遣労働者の(おそらく)大半は、そのまさに不安定さこそに可能性を見出していたように思われます。
あくまで当初はですが。
おそらく自由という可能性でしょう。
まさか昨今のような状況になるとは予想できなかったわけで、拘束が少ないという自由、社会契約の面から言えばモラトリアム的自由に惹かれた部分も大きいはずです。
この手の自由は、「持たれつ」の部分に多くを期待しない代わりに「持ちつ」のほうにも腰を据えて協力する気はない、という前提の上に成立しています。
刹那的な時間の積み重ねによって何とかやっていくということで、そこに恒常性、つまり社会契約と呼べるようなものは存在しません。
こういった刹那性を利用した企業側有利の法整備がなされたわけで、労働者側の安定願望から出てきたものではないでしょう。
刹那的自由という側面があるために反対されることも少なく、結果的に浸透していったというのが実態ではないでしょうか。

>システム依存とは結局のところ自己逃避ではないでしょうか。
:システムに全く依存しない生き方は自己逃避ではない、という意味に捉えたので、そういった生き方はアナーキズムに通じるのではないだろうか、と思ったわけです。
しかし、先述しましたように、依存するところはして、依存されるところはされる、というのが最も合理的な思考ではないかと。
「>法整備という安定願望」があるとすれば、不安定を極力含まないシステムを導入するよう目指すのが本来であって、安定願望そのものを否定するのは無政府主義(別に否定しているわけではありませんが)に通底しませんかね。
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

依存を客観的に判定することは無理ですね。
哲学のカテなので衣食住での相互依存ではなく、心理的(精神的)な依存を指します。
だから、依存しているかどうかは自分の胸に聞け!!ということろですかね。
そこら辺の自覚がなければ自分の権利を主張するだけの存在であり、他人にしろ政府にしろ誰かに寄りかかってしか立てない存在ということでしょう。
これでは安定とは言えないと思います。
ゆえに安定的な生活とはいわゆる衣食住のことではありません。
心理的、精神的な安定を指しますので、システムとは切り離して考えたいのです。
ぼろは着てても心は錦ということですね(個人的には権利を主張するのはひどくプライドに触るのです)
社会的受け皿はもちろん必要でしょう。
最低限の衣食住を確保するのは必要だと思います。
しかし、人類はいまだそれさえも満足にみたせないのだから困ったものです。

派遣に関してはおっしゃるような側面はあるでしょうね。
リスクが表面化した途端に慌ててしまったのかもしれません。
だとすれば誰のための法整備なのでしょうね。

アナーキズム=無政府主義
と辞書で出たので主義?と思ったのです。
結果的には通底しているのかも知れませんね。

お礼日時:2009/09/15 18:48

最近こういう考え方を結構、主張される人いますよね。


足るを知れとか、自己責任とか
社会不安があまりない時代なら執拗にそういうことを言わなくてもいいわけです。
不安がある人を納得させるには良い思想だと思いますが
偏りすぎるのもどうかと、安定願望を無くせということは逆にどうかとつまるところ最近の人間は脆弱だと、そもそもそれが悪循環だと、

では自ら希望や、生き甲斐が見出せて、やる気がでる為のシステムを求めるのは

それもやはり依存でしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>つまるところ最近の人間は脆弱だと、

そう思います。

>自ら希望や、生き甲斐が見出せて、やる気がでる為のシステムを求めるのはそれもやはり依存でしょうか?

自らの希望なのか、システムによるものなのかはっきりしませんね。
システムを求めるならつまるところ、他力本願で依存という事のなるのではないでしょうか。
もちろんシステムは否定しません、便利ですから。
ちなみに、生き甲斐を与えてくれるシステムってどんなのですか?

お礼日時:2009/09/16 18:47

>ちなみに、生き甲斐を与えてくれるシステムってどんなのですか?



そうですねえ。やっぱり教育でしょうか?(大人も子供も)
生かされていることの感謝、
自然への畏怖、
そこからポジティブな発想への転換

実は、本当にこれは個人的な意見ですが
私たちの世代からは、極端なことをいってしまうと、
もう年金だの何だかんだの言わずに、自分たちは勝手に死ぬから
若い人には夢や希望を持って将来を担ってほしいと
それぐらいいってやりたいと思っているんですね
理想でしかありませんけどね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

学校ですか・・・・
今はいろいろ問題があるようなので現実はどうなんでしょう。

将来を担うという感覚が若い人にはないかもしれませんね。

お礼日時:2009/09/17 22:39

すみません。

例えば、累進課税って弱者が、強い者に、おんぶに抱っこしているシステムだと思いますが。

案外、今の若い人って、それさえも否定したい人がいるって、聞いたこともありますが、

やっぱり、過ぎたるは及ばざるがごとしというか、

例えば、日本という国が超豪邸が数件、その周りに掘立小屋が無数に広がるような風景、そんな超格差社会もちょっと嫌ですよね。
どうなんでしょう?
そこのところ今の若い人って、どういう考えなんでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

累進課税は税金を取る側にとって都合のいい理屈で、収入の少ない納税者がそうだそうだと言って同調するのは単なるやっかみではないでしょうか。私はそう思っていました。

こう言ったらなんですが、団塊の世代?の人たちは生活というものに対して異常なまでの執着があるように感じます。
公務員になりなさいとか、戸建の家とか、いつかはクラウンだとか・・・・
結果的に収入が人生のバロメーターになっているようなそんな人たちのように感じますね。
がむしゃらに働いたけど子供達から尊敬されることのない世代。

お父さん幸せって何?

古い世代の価値観は常に破壊対象とする、それが若さというものではないでしょうか。
だから、超豪邸が数件、その周りに掘立小屋が無数に広がるような風景もありだと思います。
どうせまたその価値観も次の世代によって破壊されるのですから。

お礼日時:2009/09/17 22:55

本当に、率直な意見が聞けてよかったと思っています。


ありがとうございます。

>累進課税は税金を取る側にとって都合のいい理屈で、収入の少ない納税者がそうだそうだと言って同調するのは単なるやっかみではないでしょうか。私はそう思っていました。

そうですかあ?いや、私は逆に最大多数の幸福を実現するという民主主義の基本だと思っていました。逆にいうと、底辺の部分は見捨てられて、頂点の人はとっても損する、真中ぐらいの人がまっいっかって感じるくらいがちょうどいいぐらいの

>こう言ったらなんですが、団塊の世代?の人たちは生活というものに対して異常なまでの執着があるように感じます。
公務員になりなさいとか、戸建の家とか、いつかはクラウンだとか・・・・
結果的に収入が人生のバロメーターになっているようなそんな人たちのように感じますね。
がむしゃらに働いたけど子供達から尊敬されることのない世代。

そういう一面確かにありますよね。ちなみに私は団塊ではないですけどね。

>古い世代の価値観は常に破壊対象とする、それが若さというものではないでしょうか。
だから、超豪邸が数件、その周りに掘立小屋が無数に広がるような風景もありだと思います。
どうせまたその価値観も次の世代によって破壊されるのですから。

この発言には正直いって驚きを隠せません。
本当ですか?本気でそう思ってますか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>本当ですか?本気でそう思ってますか?

そうですよ、だって事実わたしは同年齢と比べればとっても貧乏ですから。
今のフリーターは将来のホームレス予備軍ですよ。
かなり現実的な未来像だと思います。
でもそれも永遠に続くわけじゃないです、これでいいわけないと次の世代は思うはずですから。

お礼日時:2009/09/18 22:44

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