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今日、浄土真宗の葬儀に参列しましたが、次の素朴な疑問に答えてください。
1)今回のお坊さんは、頭髪を剃っておらず、常人と全く同じヘアスタイルでした。浄土真宗では頭髪を剃る習慣がないのでしょうか? そもそも仏教の坊さんが頭髪を剃るのは、規則ではないのでしょうか?

2)通夜では阿弥陀経(?)が読まれましたが、鼻にかかったあまりカツゼツのはっきりしない読み方をされました。なんで、あんな発音をするのでしょうか? それともたまたまあのお坊さんのくせだったのでしょうか?

3)キリスト教の葬儀なら、参列者に式次第(文章・賛美歌)が配られ、参列者一同で読みあげたり、歌ったりするのに、なぜ仏教では、意味不明の(現代日本語でない)お経がお坊さんだけに読まれ、我々はしびれ足をこらえて、聞いているしかないのでしょうか?
(私は、般若心経などを声を挙げて読むのが大好きなのですが・・・)

A 回答 (6件)

坊さん@浄土真宗です。


1)剃髪は得度のときのみで、以後は宗祖に習い有髪が習慣です。はげでもあれば隠すために剃る方はいますが、基本、浄土真宗は僧にあって僧にあらず俗にあって俗にあらず(非僧非俗)が宗風ですので、日常も常人と同じ生活をするため、日常の職業により(アーティストやミュージシャンの方は)茶髪もパーマもありです。そういう住職もいます。
http://fukashihojo.com/
2)聞いていないので何とも言えませんが、読経時には鼻音で読むため、文章を読むような活舌ではないので、そう聞こえた部分があるのではないでしょうか?「ツ」と発音しませんしね。その方の読み癖もあるかもしれません。
3)しびれ足ということは正座ですね。正座は文化なので致し方ないです。ということは葬儀会場はお寺ででしょうかね。
現代日本語に翻訳したお経もあります。ただ、儀式としての通夜や葬儀で用いることはまずありません。ただ、寺で門信徒さん集まっているときには一同でお勤めしたり歌を歌うこともあります。浄土真宗では読経よりも法話に重きを置くので通常は通夜式後は法話があります。
なお、葬儀社会館の葬儀の場合で葬儀社手配の派遣僧侶等の場合には、ホテルのキリスト教式結婚式場(カトリックでホテルはありえないので、プロテスタントのはずなのに聖母マリア像があったりというめちゃくちゃな形式の式場)での宗教者としてはありえないへんな派遣牧師と同様にタダのセレモニーと化しているケースも都会では見受けられます。
本来は、仏の教えの伝言係として取次ぎを行い、漢文の部分の少しでも翻訳して法話として皆さんに伝え、また葬儀など悲しみを縁とする仏事の場合には宗教的側面から遺族の心のケアに努めるのを主眼にします。
日曜学校や毎月の定例法座などでは今生きる方たちへ仏の智恵と慈悲を説いて毎日を生きる元気と喜びを伝えますが、通夜・葬儀では会葬者のいる場面では旧来の定型の宗教儀式として側面が強いことは事実です。しかし、相手に合わせて行う(教えを説く)という一面もあるので、毎回誰にでも同じということも無いはずです。
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この回答へのお礼

僧職にある方からのご回答をお待ちしていました。
丁寧なご解説有難うございます。

1)浄土真宗は僧にあって僧にあらず俗にあって俗にあらず(非僧非俗)が宗風だからなのですね。

2)確かに鼻濁音交じりの方が、読みこなし易いのかもしれませんね。ただそうなると、音声しか聞こえて来ないので、全く意味不明で、有難味が半減します。

3)通夜では、席に着いた途端、挨拶もなしに、いきなり「赤本」(?)を開かれ、鼻濁音で読み進まれ、法話も挨拶もなく、親しみや有難味がわきませんでした。翌日の葬儀の時は、上位のお坊さんが出てこられ、美声で朗々とお経を読まれたので、聞きほれました。最後に「ナムマイダブ、ナムマイダブ・・・」と何回も繰り返されたので、そのぶ部分は一緒に唱和することが出来ました。
出来れば、この時とばかり、故人を偲ぶ言葉や、参列者への堅苦しくない法話を聞ければよかったのに、と思いました。

お礼日時:2009/09/18 00:03

1)


キリスト教も宗派で違うのと同じです。
今は廃止されましたが、カトリックの神父は頭頂部を剃るトンスラ、
東方教会は丸坊主、プロテスタントは剃らない。

2)
個人差はあると思いますが、滑舌が良すぎるのもお経らしくないので、
もともとお経自体そういう読み方なのだと思います。

3)
フリガナ命みたいなところがあり、楽に読める大きさの字で印刷となると、
紙1枚2枚では収まらず小冊子になってしまいます。
浄土真宗本願寺派は、自宅に赤い表紙の勤行集という経本(通称「赤本」)
があり、信者は葬儀・法事等へは赤本を持って行って唱和します。
勿論、経典を持って行かずにお経を聞くだけでも良いです。
自宅での法事でも、お坊様が赤本を持ってきていない人の為に何冊か
持ってきて下さる事もありますが、重い荷物になるので稀です。
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この回答へのお礼

カトリックの神父も頭を剃っていたというのは初耳です。
お経自体そういう読み方という面はあると思いますが、何を言ってるのかさっぱりわかりません。
確かに「赤本」のようですが、よそ者は参加を拒否されているみたいです。

お礼日時:2009/09/18 20:33

「坊さんのヘアスタイル云々」ではなく、葬儀の在り方を現代人は考えたほうがよいのではないでしょうか。



そもそも「葬儀には僧侶を呼び、経を唱えてもらわねば成仏できない」という考えは、釈迦の時代にはなかったのです。それどころか釈迦は「葬儀は在家に任せ、出家は修行に専念せよ」と戒め、自身の葬儀ですら、出家の者が関わることを許さなかったのです。私は仏教系(創価学会)の関係者ですが、日蓮大聖人も信徒の葬儀に出たという記録はいっさいありません。

「葬儀には僧侶が不可欠」というのは、後世になってから出来上がった論理で、仏教本来の要素ではないのです。とりわけ日本では、江戸時代の「檀家制度」で、そういう論理が確たるものとなってしまったのです。我々は、葬儀には僧侶を呼ばず、すべて信徒のみで行う「友人葬」を行っています。創価学会以外でも、僧侶を呼ばない葬儀が行われているようです。

故人が成仏できるか否かは、あくまでも故人の生前の行いによるのです。また、家族など故人と関係ある人が正しい法(南無妙法蓮華経)によって修行し、その善根を故人に回し向ける(追善回向)ことにより、故人は成仏できるのです。我々は、毎日の勤行・唱題時に、その追善回向を行っております。

以上のことはともかく、仏教においても、葬儀の形式に「こうでなくてはならない」といった特別な形式は必要ないと思います。正座をしてしびれ足をこらえなければならないわけではなく、会場に椅子を用意している葬儀でもよいわけで、実際そういう葬儀もあります。要は、すがすがしく故人を送れる葬儀ができればよいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

創価学会の方ですか?
釈迦は「葬儀は在家に任せ、出家は修行に専念せよ」と戒め、自身の葬儀ですら、出家の者が関わることを許さなかった・・・などという話は初めて聞きました。「葬儀には僧侶が不可欠」というのは、後世になってから出来上がった論理で、仏教本来の要素ではないのですね。「檀家制度」は仏教の都合で出来たものなのですね。

実は、創価学会の葬儀のやり方にも興味があります。在家信者だけで葬儀を営んでも故人への回向は可能なのですね。少なくてもお経の意味位は、参列者とシェアしてほしいです。

お礼日時:2009/09/18 20:29

キリスト教の方ですか。


私は仏教徒というよりは仏教の家庭で育ってきた人間です。
私も同じ疑問を持っています。
何故みんなが理解できない漢語のお経なのか。
お経はサンスクリットから漢語に翻訳されています。
サンスクリットか日本語ならまだしも と思ってしまいます。

なお「般若心経」は真言宗でも唱和しますよ。
大きな行事で全宗派の坊さんが集まったとき唱えるお経が般若心経だと言う話も有ります。
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この回答へのお礼

有難うございます。
皆が素朴に疑問に思うテーマだと思います。
少なくても、お経のおおざっぱな意味や、噛み砕いた講話があれば有難いです。

お礼日時:2009/09/17 23:51

>1


少なくとも、浄土真宗では規則ではないですね。

>2
実際どれくらいかわかりませんが、癖の可能性が高いでしょう。

>3
よほど広い会場でなければ、浄土真宗でも経典を配って、皆で合掌します。足りなかったか、配慮がなかっただけでしょう。
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この回答へのお礼

有難うございます。
どうも、ひとつひとつのちょっとしたことが、益々仏教と私どもの間の溝を深め、「葬式仏教」という有り難くない言われ方をされる原因のようなきがします。

お礼日時:2009/09/16 23:14

1)宗派によっては剃髪(ていはつ)が無いのもあります。


浄土真宗などはそうでしょう。

2)僧侶によってハッキリ聞こえる場合と、聞こえにくい場合がありますね。

3)般若心経ですか?曹洞宗ですね。
曹洞宗の葬儀・法要でも式次第みたいなものは無かったと思いますが?
浄土真宗でも焼香のタイミングは促してくれますよ。
葬儀会社のホールなどでは葬儀会社の方が判り易くしてくれますね
(あくまでもサービスでしょうが)

質問者サマはお若いのでしょうか?
私などは(残念ながら)葬儀・法要が多い年代なので
式の流れが掴めたりしちゃってます。
般若心経が好きと言うことは仏教界に少々なりとも興味が有られるのかなと思います。
お寺に行く機会はありますか?
疑問に思うことはお坊さんが答えてくれますよ。
それが他宗派のことでも解かる限りは・・・
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この回答へのお礼

スピーディな回答有難うございます。
1)浄土真宗には剃髪の習慣がないのですね。他の宗派はどうでしょうか?
2)やはりその方の個性(?)ですか?
しかし、どうもあの聞き取りにくさは、厭味としか聞こえない!(笑)
鼻にかかった読み方をするお坊さんはかなり多いようにも見受けられますが・・・。
3)般若心経が浄土真宗では読まれないことは存じています。そうすると、浄土真宗や真言密教ではほとんど知ったお経がないことになり、手持ちぶさたです。
確かに、お坊さんによっては、経典を参列者に配って、一緒にどうぞという方もおられるようですが、少ないですね。又、お経の後、講話をされたり、少なくても親しく語りかけて下さればいいのに、何か事務的で残念です。

今回は、素朴な質問文ですが、実は50台のカトリック信者です。しかし、仏教や神道などの日本の伝統的宗教にも強い親近感を持っており、坐禅経験も多いです。
このサイトでも何度か、仏教関係の質問をしています。
今度お坊さんに会ったら、質問してみたいと思います。

日本における仏教の将来は?http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3504585.html

仏教は若者にアピールしようとしているのか?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3541156.html

仏教や神道の皆さん、クリスマスはどのようにお過ごしですか?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3620123.html

お寺さん同士の交流や協力関係はどの程度あるのでしょうか?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3692062.html

お礼日時:2009/09/16 23:11

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