推しミネラルウォーターはありますか?

来年の通常国会で選択的夫婦別姓が可能な民法改正案が民主党より提出されるようです。
その案では子供の氏(姓、名字)は兄弟間で異なってもよいことにする方針だと聞きます。
夫婦別姓に対する賛否、法案の中身は別として、また氏(姓、名字)の厳密は使い分けも置いておいて、素朴な疑問があります。
家族間で氏(姓、名字)がバラバラでいいのなら氏(姓、名字)自体不要なんじゃないですか?
すなわち現行の
 父:山田太郎 母:山田花子 長男:山田一郎 長女:山田菊子
ではなく、以下のような家族が認められるのなら
 父:山田太郎 母:田中花子 長男:田中一郎 長女:山田菊子
別に
 父:太郎 母:花子 長男:一郎 長女:菊子
で十分じゃないのかと。
名前だけじゃ識別困難になるなら長い名前をつければ済みます。

夫婦別姓制度下における氏(姓、名字)の意義って何なのでしょう?

A 回答 (21件中1~10件)

>氏(姓、名字)の意義って何なのでしょう?



2ケタより4ケタのほうが識別が容易というだけだと思います
つまり、おっしゃるとおり「名前だけじゃ識別困難だから長い名前をつける」方法の単なるイチ手段になるかと

今でいう、お母さんが「佐知子」だから娘は「佐和子」、
というような意義?というか使い方になるでしょうね
家族全員「佐」をつけたい人はつければいいし、つけたくない人はつけなければいいように、
苗字も統一したきゃすればいいし、
女の子はお母さんの、男の子はお父さんの、とかでもいいんじゃないですか?

ちなみに私は、夫婦別姓は、当事者夫婦より、夫婦の親たちへの牽制になると思ってます
夫婦が「私たちは平等」と思ってても、
姓を選んだほうの親が「自分たちが選ばれた」と思い込んで調子に乗ってしまう、
というのがほとんどのトラブルの原因だと思うので...
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その脈絡のない文章は論理展開に精神の濁りが見受けられるから



覚醒していない寝言の類
もしくは
センスのない
言葉通りの冗談なんでしょうな。
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もしかすると、明治政府以降の制度による日本国だけが日本のすべてではない、という伝統的国家像を掘り起こし、民族的な自尊心を取り戻す、という意義もあるのかもしれません。



なにしろ、夫婦同姓が日本の社会秩序そのものでありそれなくしては混沌しかあり得ない、といった、日本人の社会的能力を他国に比して極端に低く評価し、かつ江戸期以前の日本の歴史を真っ向から否定するような言説を生み出すような、自虐的史観の前提となっている制度を見直すわけですから。

まあ冗談ですが。
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wikiによれば


今の法務大臣は
安倍首相が「子供は国の宝」と述べたことについて、
子供は経済や年金のために生まれるのでない。子供は国のために生まれるという発想があるのではないか
と批判したとあります。

子宝という言葉があるように子供は一家庭でにおいて宝とされるのは昔から言われていることであって
その集合として地域があり、国家という共同体があるのであるから
子供は国の宝という表現にそのものに対して批判に値するするようなことは見当たらない。

しかし現法相の当時の安倍総理の発言に対するその批判の内容はそのまま今の民主党政治にこそ当てはまると言えます。
民主党による少子化対策としての子供手当は子育ての社会化という発想で
それこそ子供は少子高齢化に伴う経済や年金のために社会化しようとしていることそのものです。

批判に該当しないところで見当違いの発言をし
その批判に該当するところで批判をしないというのは法を順守させていく機関の責任者として問題がある。

そういう政治家の集合によって創造される明治維新以来の国家体制というのはどのようなものになっていくと考えられるでしょうか。
明治維新以来の改革を標榜するなら国家を創造することに根幹から整合性を持たせられない視野の偏狭した政治家に担当させるべきではない。
夫婦別姓法案に関しても一部の人間の都合で社会全体をカオス化させるだけで
基本的に保守すべきものと変えていくべきものの分別もつかない政治家集団ということができます。
国の根幹をカオス化に向かわせる政策をする思考が、論理的な整合性を保ち国の抱える様々な問題を解決させながら共有できる国の方向性を指し示すことなどできない。
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>夫婦別姓制度下における氏(姓、名字)の意義って何なのでしょう?



自分のルーツを示すものでしょう。
夫婦別姓は好きな姓を勝手に名乗るものではないし。
どこの国でも姓とはそういうものでしょ。

なお、田舎で同姓の家が多い場合は、その家の場所の特徴や先祖の名前などを屋号として区別することがあったようです。

夫婦同姓は国が管理が楽なようにするためとおっしゃってますが、
それ以上に、個人や仕事上で便利に利用しているケースがよほど多いと思いますが。
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連投すみません。

夫婦別姓にすると子供に母か父かどちらの姓を名乗らせるかですよね。そんなことしたらますますギクシャクしてしまうでしょう。そもそも一人っ子で自分の姓を名乗りたいってひとは今時許婚なんてものは無いんだから自分の姓を受け入れてくれる人を探せばいいんですよ。愚痴っぽくなりますが、だいたい、愛し合って結婚するってのに旦那あるいは妻どちらの姓にするかなんかで悩むような輩は人として未熟だと思いますよ。幼稚園児じゃあるまいし、自分を誇示したいのかと。
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なんかおかしなことを提案する輩がいるようですね。

そんなのはひとつの国に二つ名前があるようなもので、非常に混乱を招きます。授業参観では山田くんのお父さんの田中さん、何か質問はございますか。とでも教師が言うのでしょうか。やはり家族というのはひとつの団体、小さな国なのですから、名前はひとつでいいんじゃないかと思いますが。どうなんでしょうか。
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名字に意義なんてない。


あると思うのは古臭い家制度に縛られてるだけ。
いっそのこと別姓なんていわずに、みんな番号にしちゃえばいいんだ。
そうすれば年金などの管理も楽だ。
番号に反対する人の多くが別姓に賛成するけど、それじゃどうやって社会保険料や税金の管理をするのか具体案を出してほしいものだ。
ただでさえ同姓同名が多いんだから、できれば第2名字や第2名前でも作ればいいのに。
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現在の日本においても、同姓の他人もいれば離婚等の事情で家族でも別姓の場合もあり、姓による家族関係の推定はあくまでも「比較的」確からしい程度です。

また、片方(多くは女性)が結婚時に改姓することにより、実家との家族関係の推定は困難になっている面もあります。夫婦別姓が可能になっても子供の姓は両親の何れかから引き継ぐことになり、特に大きな混乱はないのではないでしょうか。
私の知る限り、いわゆる文明社会で姓を持たない社会はありません。ところが、日本のように原則的に家族が同一姓となっている社会ばかりではなく、北欧などでは結婚しても改姓しないのが一般的なので子供と母親の姓が違うのは普通ですし、アイスランドでは姓が「氏」とは完全に別物なので家族全員が違う姓ということもあります。(だから電話帳は姓ではなく名でリストされている)中華系の人は姓、名をセットで呼称することが多く、結婚しても旧姓は残したまま、新たに姓を付け加えたりします。
若い頃一時期北欧に住んだことがありますが、初めのうちこそ姓の扱いの違いに混乱することもありましたが慣れてしまえば別に不自然にも感じなくなりました。姓が異なる家族が全員同じ姓の家族に比べて家族意識が希薄になるなどということも、少なくとも私の実感としては全くありませんでした。
日常生活の中で「姓(氏)の意義」を意識することはあまりないと思いますが、親から引き継ぐもの、というところは一緒なので現状から特に変わることはないというのが私の感想です。「別姓なら無くても同じ」とは思いません。もっとも、江戸時代までは大多数の日本人は姓なしで普通に家族を営んでいましたが。

※ちなみに、アイスランドでは父親の名前+接尾語を姓とします。男性と女性で接尾語が異なるため、父親が同じでも兄と妹、姉と弟では「別姓」となります。
※もう一つついでに、日本ほど姓、名のバリエーションが多い文化は実はあまりありません。韓国の「キムさん」みたいに同姓の他人が多ければ、そもそも識別にはあまり役立ちません。
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なるほど姓自体を廃止してしまえば同姓も別姓もありませんね。



そもそも姓の意義ってなんでしょう。
それは、姓を同じにするもの同士の結束を高めるためのものだと思います。

現行のような、家族がみな同姓とする場合は、婚姻した夫婦とその子供が、
ひとつのくくりとして、わかりやすいということもありますが、
その結束にもつながるという点に意義がおかれており、
いわば現在の家族との関わりを重要視していると思います。
また多くの女性が婚姻後に姓を変え、「嫁」とされることで、「~家(け)」の一員として
考えられるのが通説なことからも、結束という観点があるように思います。

それに対して、別姓にした場合での姓は、代々に続くそれぞれの姓の存続としての意義、
あるいは子が実親との関わりを婚姻後も、そのまま継続させることに姓の重点をおいて考えるのではないでしょうか。

別姓・同姓、いずれも家族あるいは親子の結束のために姓はあるように思います。
つまり、どのつながりに重点をおいて姓を決めるかという点で異なっているだけだと考えます。


また、一人っ子同士の結婚でいずれかに姓が統一され、片方の姓がそこで、途絶えるという事は
代々の墓守りが途絶えてしまうことにもなります。

墓は、代々「○○家の墓」として、引き継がれて行きますよね。
しかし別姓ならそれぞれの墓を引き継ぐことが出来ます。
(その場合、夫婦別々の墓に入ることになると思われますが)
墓守りが必要とされるのは、死んだ後も、自分を忘れずに敬い供養してくれる人がいると思うことで
安らかな死を迎えることが出来ると、一般的に考えられているからではないでしょうか。
また、親と同じ墓に入ることで、「あの世」に迎え入れられる
あるいは後々に子供が同じ墓に入ることで「あの世」で待つことが出来るという幻想があるのも、
同様に「死」に対する恐怖を払拭させようとするものではないかと思います。

そういった宗教観?からも「先祖」や「代々」という概念が尊ばれてきて、それが姓につながっており、
姓の意義にも含まれているのかと思います。


質問の意図にあっているでしょうか。
あくまで素人考えなのですが…。
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