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江戸幕府の頃、「警官」を何と呼んでいたのでしょうか。

A 回答 (4件)

 与力と同心と中間です。

これらは、幕府・諸藩の職制に組み込まれていましたが、小者は中間の下位にあって、走り使いされており、職制に組み込まれていません。

 与力は現在で言えば、都道府県警の本部長にあたり、同心が部長~係長クラス、中間が巡査クラスにあたります。

 岡引・目明しについては、No.3の方が言われる通りです。
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江戸幕府の頃の「江戸」に絞って、知る限り。



江戸の警察権は、幕府が持っていました。
公安警察の責任者にあたるのが「目付」、
治安警察の責任者が「町奉行」になります。
一般的なイメージの「警官」はこちらですね。
(大岡越前とか遠山の金さんですね)
#警察権の他に裁判権も持っていたのはドラマのとおりです
現代で言えば「警視総監」兼「裁判官」ってところでしょうか。

で、町奉行の下で警察事務を担当していたのは、「与力」「同心」になります。
幕府から知行されている武士で、いってみれば公務員。
必殺仕事人の中村主水なんかはこれですね。
で、同心の下には「中間」「小者」という部下がついてます。
ここら辺までがいわゆる正規の「警官」でしょうか。

岡引、目明し、といった類の人々は、同心が個人的に雇っている、いわばインフォーマルな捜査機関です。
密告者、情報提供者としての性格が強く、正規の逮捕捕縛権限はなかったということらしいです。
もちろん、同心の監督下で捜査も行いますから、これも警官の中に含めてもよいかもしれませんね。

これとは別に、自治警察とでもいうべき「自身番」というのが町奉行の監督下に組織されており、
素性のはっきりしないものの通報や、逮捕捕縛の手伝い等を行っていたということです。
自身番が詰めていたのを木戸番屋といい、町内会兼交番兼区役所出張所、って感じでしょうか。

そんな感じです。ひとまず。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2003/05/02 18:47

江戸時代は奉行所があり,同心、岡引が番所につめて


治安を守っていました。
これが今の警察官ですね。
交番というのは,江戸時代の番所のことですね。
下記のサイトをお読みください。

http://www.ffortune.net/social/seso/nihon-mei/ko …

参考URL:http://www.ffortune.net/social/seso/nihon-mei/ko …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2003/05/02 18:47

おかっぴき


でしょう。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AA …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2003/05/02 18:46

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