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人は何故、愛に感動するのでしょうか。

その心理的メカニズムがどうなっているのかを知りたいと思っています。
こうなっているのではないか、というご意見でも構いません。

抽象的な質問となってしまいましたが、問題全体の一部でも解き明かせればと思っています。
宜しくお願い致します。

A 回答 (3件)

おはようございます。



率直な意見です。
人は、「生まれながらにして心の成長を義務付けられている」ようです。
愛情や感動などの一連の感情は、「心のなせる業」としかいいようがないですね。
確かに、人は、「愛されている」と感じると、何故か嬉しくなります。何故か、やる気も出てきます。

人には、生まれながらにして、他の動物にはない「心」というものが備わっています。そして、心には、喜怒哀楽等の感情がくっついています。この切っても切り離せない「喜怒哀楽等の感情」が、愛情という意識を生んでいるのは間違いないようです。

それ以上のことを追求しようとすれば、自然科学的な見方か、もしくは、宗教的な見方しか残ってないように思います。手っ取り早く、「大宇宙(自然界)の法則」だから、「神様の分け御霊(遺伝子)」だからといえば、それですみますからね(笑)

この回答への補足

皆様、回答ありがとうございました。

大変申し訳ないのですが、期待する回答を得られなかった為、質問をきりなおさせて頂きます。

補足日時:2009/11/15 19:59
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。御礼遅れ、申し訳ございません。

>愛情や感動などの一連の感情は、「心のなせる業」としかいいようがないですね。
>確かに、人は、「愛されている」と感じると、何故か嬉しくなります。何故か、やる気も出てきます。

そうですね。おおいに同意です。
ただ、「なぜそうなるのか」という部分を知りたいのです。
DNAに刻み込まれたプログラムの単なる出力なのか、それとも動物が高等な社会を形成するに当たって愛というものが必要不可欠になり、愛の価値を人間個人の中に形成するというようなものなのか・・・。

他のQAを参照すると、「何故感動するのか」という問いに「価値観の更新」という回答がありましたが、これは「愛情への感動」に対する質問への回答の核心には遠いように思います。

>それ以上のことを追求しようとすれば、自然科学的な見方か
はい、それも少し期待しています。
利他遺伝子がその解の一端だと思います。

私は「人間の持っている性質でどうしてこうなるのか、どうしてそうするのか」と言った類の質問をよくするのですが、個人的に納得できる解として、動物行動学、生物学、社会学、倫理、歴史、哲学、脳科学などのジャンルからの回答が多いように思います。

お礼日時:2009/11/14 01:18

持って生まれた心理ではないでしょうか。

一般に、親は、我が子の喜ぶ顔を見て喜びます。同様に、子供も両親の喜ぶ顔を見て喜びます。親が、我が子の喜ぶ顔を見て喜んでいるのと、全く変わりありません。人間に備わった特性、生まれ持った本能とでもいうのでしょうか。少なからずとも、人間である以上、誰にでも、そのような感情が備わっているようです。

そして、親子の愛が、相方の愛が途切れたとき、不和になり、諍いが生じ、病気になったりもします。究極は、「愛に始まり(誕生)、愛に終わる(死)」のだろうと理解しています。愛情あっての人生だと思われるのです。
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この回答へのお礼

>愛情あっての人生だと思われるのです。
私もそう思います。
ただ、それが具体的に何なのかを知りたいのです。

もっと根源的なレベルで愛とは何かというのを探っていけばよいのかとも思います。
愛とは何なのか、どうして発生するのか、どうしてそれを求めるのか、どうしてそれを受けるとうれしいのか。

マズローの欲求段階説における所属と愛の欲求が少しだけ考える材料になるように思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1% …

または、生物的にみて、利他的行動がヒントになるかと現在探っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E4%BB%96% …
しかしここで疑問なのが、仮に利他的行動が愛だとするなら、それは生物的にDNAにプログラミングされた行動だという事です。これに感動するとという行動をどう解釈すれば良いのか分からなくなるので、良材料だとは思うのですが、扱いかねています。
(感動する、という我々の行動もDNAにプログラミングされているのでしょうか)

それよりも、後天的学習により愛に感動を覚える、と考えた方が自然のような気がします。

但し、これは「人間らしい感情を持つなどの行動は、動物としてのDNAにプログラミングされた結果としての行動ではなく、後天的学習により獲得された生物独自のロマンである」と思い込みたい人間の性(さが)も働いた上での罠に陥ってしまっているのかもしれません。

散文となってしまいましたが、質問が大雑把すぎましたので、デカルトの「困難は分割せよ」の言葉通り、私なりに質問を分割してまとめてみました。
何故愛に感動するのか、という事を考えるプロセスにおいて、
・愛とはそもそも何か
・どうやって発生するのか
・どうして発生するのか
・なぜ求めるのか
・どうして愛が得られると嬉しいのか
を考える必要があると思います。

また、上記以外でアプローチする方法なども何かありましたらご教授頂ければ幸いです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/02 23:10

愛って身近なものですよね?


誰でも好きな人の一人や二人いるでしょうから
でも無償の愛とか自己犠牲の愛とかだとなかなかできることじゃない
それに愛って壊れやすいものですよね
成田離婚なんて言葉があるくらいだし
その辺関係あるのでは?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

人間は心の奥底では愛を求めているが、
・本当の愛というものが少なく、それを受ける機会が少ない。
・達成が困難
など、諸条件によりそれに触れえる機会が貴重であり、渇望している時に与えられるから感動する、という事でしょうか。
愛に溢れた生活をしていると却って見えない部分が出てくる可能性もありますね。

これに私の考えを補足すると、量的な愛の需要と供給の関係で感動の量は増減するのは間違いないのですが(愛を渇望すれば得られた時の感動はこの上無いが、愛に満ちていればその重要性に気付かなくなって感動しなくなる)、「なぜ愛に感動するのか」という問題の本質を解くにはまだまだ遠いように感じます。ですが、足場の一つは固定されたかな、とも思っています(えらそう。すんません)。

心情としては単純な量の関係以外にも何か考える要素があるんじゃないか、それを明らかに言葉にすべきなのではないかと思っているのです。

しかしこれも一つの要素ですね。
私が知りたい真理の初手として、手堅いご意見を下さりありがとうございました。

お礼日時:2009/11/01 01:27

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