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学校で今、イギリスの産業革命について勉強しています。そこで質問があります。 なぜ産業革命中にたくさんの発明が生まれるのですか?
詳しく教えてください!

A 回答 (5件)

動力源として利用可能な蒸気機関が実用化されたから。

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丈夫な鉄と強力な動力源の二つによって以前からの夢が実現し始めたのではないでしょうか。

力だけでなく精度も木製の器械よりも格段に向上したと思います。
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産業革命はケイの飛び梭、ハーグリーヴズのジェニー紡績機、ワットの蒸気機関、アークライトの水力紡績機、


カートライトの力織機、フルトンの蒸気船、スティーヴンソンの蒸気機関車などの一連の発明によって起こったものですが、
実際、科学者が新しい理論を展開したり、発明や発見をする場合、インスピレーションに導かれる場合が多くあったと思います。(ケクレの猿の繋がった夢からベンゼン環の構造を発見した例などは有名ですね)
また、新しい発明が世に出るためには、二つの条件が必要です。
一つは、発明欲・創造力・知識といった科学者の主体的条件です。それと、対象的条件としての社会的・物質的条件、すなわち資本や資材などの経済的条件、自然環境的条件、安定した政治的条件などがそうです。
これは、発明もそうですが、全体的生産力発展のための対象的条件となっています。
北朝鮮に有能な科学者がいないわけではないでしょうが、発明ができない、生産力が発展しないのは、環境、社会、政治、経済などの二つ目の条件が満たされないからだと思われます。
産業革命に目を向ければ、例えば、ワットによる蒸気機関について考えてみましょう。
当時、英国では封建社会が崩壊し、富農層や商工業者が台頭しており、彼らは農業経営者やマニュファクチュアの経営者になっていました。
その時、多数の没落した農民達が都会地に流れ込んできたので、経営者は彼らを賃金労働者として雇い入れることによって労働力を多量に得られたのです。
また、英国は海上権を掌握していたから、綿花などの原料の供給地を確保することもできていました。
当時、ヨーロッパでは毛織物よりも綿製品に対する需要が高まり、綿織物工業における生産機械の発明が促されていたのです。
また、機械の動力として水力に代わる動力の開発が必要とされていた。
これらが、蒸気機関の発明時の経済的条件だったのです。
社会的ニードと言い換えてもいいかもしれません。
≪そして、ワットの発明により、水力に依存していた時代は、工場の立地条件も山間部などに制限されていたが、この動力源を利用すれば、平地や都市部など必ずしも川や急流の近くに工場を建設する必要がなくなったのです。≫
そのほか、海外からの原料を輸入するのに有利な地理的条件や、議会政治の確立による安定した政治的条件も満たされていたのです。
そういった条件が、ワットの蒸気機関発明に際しての社会的・物質的条件となったのです。
これらの条件(環境)の下で、ワットの発明欲が触発されたわけです。
発明欲とは、真理に対する欲望と衣食住に対する欲望などの基本的欲望が、変形、混合されたものとでもいったらいいのでしょうか。
そしてたとえ時代と場所によってその欲望の現実的内容は変わっても、発明欲そのものは不変なものといえましょう。
発明や生産力の発展のためには、以上述べてきたように、主体的条件(発明欲・創造力・知識)と対象的条件(社会的・物質的条件)の両方が必要であるが、そのうち決定的な役割を果たすのが科学者の持つ主体的条件であるのは言うまでもないことである。
これを比喩でいえば、画家(主体)と絵筆(対象)の関係、あるいは大工(主体)と工具や材料(対象)の関係と同じになりますね。
すなわち、対象的条件は主体(科学者)が創造力を発揮するのに必要な現実的手段なわけです。
さて、ですから今の現世界に次なる大きな発明が出現するためには、「ガソリンや原子力ではもう限界だ」と、そういう追い込まれた社会情勢になり、且つそれを社会全体が待ち望むなどの外的条件が揃った上で、その発明・発見をもたらしてくれるであろう科学者の出現次第ということになります。
余談も入れてしまいましたが、
下記のサイトもご参照下さい。
http://www.eureka.tu.chiba-u.ac.jp/windmill/summ …
http://www.uraken.net/rekishi/reki-eu43.html

参考URL:http://detsu.at.infoseek.co.jp/
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 産業革命は、1760年代から1830年ごろまで70年間にわたる産業化の時期を指していますが、その時代に生きていた人びとは革命の最中であるとは気づいていなかったと思われます。



 産業革命という言葉が最初に使われたのは1830年代で、学術用語として広く認められたのは、革命が始まってから100年後のことです。

 産業革命の進行中に、フランスで大革命が起きました。王朝が倒れ、王様の首が飛んだのですから、だれでも革命が起こっていることが分かります。

 しかし、産業革命は、あまり気づかれることなく緩慢に変化が生じました。基本的に、中世以来の親や親方のやっていた通りの仕事で満足していた態度から、工夫や競争を取り入れた仕事のやり方を受け入れる態度の違いです。

 だから、産業革命という言葉を使わず、近代化、産業化、都市化などの概念でこの時代を説明することも可能です。産業の広い分野で、発明がいっせいに実用化された時代を産業革命期と区分したと言い換えてもいいでしょう。

 古い制度や社会的な束縛がほぼ一掃された時期、つまり近世から近代に移行した時期に、発明はあまり目立たなくなりました。1830年代に産業革命が終わったといわれる理由です。
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ヨーロッパでの産業革命、その少し前の16・17世紀の「大航海時代」、いずれもかの地での「人口増加」がそれらを揺り動かす原動力となったものと思われます。

「人口増加」への対応=それが「必要は発明の母」として作用したといえるでしょう。 もう一方では、ギリシャの時代から積み重ねられ、発展してきた自然科学の知識が、「ルネッサンス」を経て、工学・実用科学として開花する時代とうまくマッチングした相乗効果によるものではないでしょうか。 つまり、産業革命は、必要性と実力が双方揃って、当然の結果として起こったのではないでしょうか。
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