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こんばんは。僕はもともと人づきあいが苦手なのですが、友達ができても、対等ではない気がします。対等な友達を作るアドバイスをください。

僕はいつからか、人になかなか心を開けなくなりました。そしてその中で一緒にいて気を使わない人ができると、僕はとても自分勝手で上から目線になってしまいます。なので相手はだんだん僕から離れていき・・。しかし自分と対等あるいは高圧的な態度の人とは仲良くできないです。要するに、自分勝手にふるまえる相手でないと一緒にいれないんです。最低な人間ですね。同じように高圧的な人が苦手なのは、同属嫌悪というのも関係してると思います。

しかし、こんな自分が嫌です。自分勝手だし、弱い自分が嫌です。対等な友達が欲しいです。沢山の人に心を開きたいです。壁を取り除きたいです。でも、(最低な言い方だけど)扱いやすい、反発しない人がいると自分勝手に振舞ってしまうし、それ以外の人には心が開けません。

どうすればいいのでしょうか、アドバイスお願いします。

A 回答 (6件)

いちばん手っ取り早くできる方法は、まずramo1988さんが高圧的に出ている相手に対して、対等な人間関係を築くことです。

つまり、高圧的に出てしまう癖を治すことです。

他人の高圧的な態度は治せませんが、自分の性格は治せるのです。
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 真実と誠実で御付き合いすることでよろしいかと存じますが。


 友情という気持ちで感謝と尊敬、付き合える喜びで。
 難しく考えてもしょうがないでしょう。
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この回答へのお礼

そうですね、難しく考えすぎないよう気をつけます!

お礼日時:2009/11/26 11:51

こんばんわ。


お気持ち、とてもよく分かります。
同じような現代人が増えていると思います。

対等な交友関係を築きたいと思ってはいるのだけど、
どうしても「上下」「優劣」などがつきまとってしまい、
そのことで「劣等感」や「優越感」を感じてしまい、
それゆえに交友関係の幅が狭くなってしまうのですね。


大変失礼ですが、ramoさんは1988年生まれの方ですか?
そうするとご両親は昭和中期の方ですか?
「高度経済成長期」に青年時代を過ごした方ですか?
その頃と言えば、「競争」に必死な時代ですね、
「勝つ」ことに価値があった時代ですね。

おそらくramoさんは、その時代の価値観を、
わりと強く受け継いだのではないかと思います。
心配ないですよ、特別なことではないですから、
むしろ、現代の青年にとっては当たり前のことですから。


ただ、「競争」「勝負」ではできない、
もっと大切なことがあるということを、
昭和の人間の多くが忘れてしまったようです。
「人間関係」「芸術」「思索」などは、「競争」ではできません。


ところでramoさんは、自分より劣位の人間としか
交友関係を持てないということですが、
逆に、自分より優位の人間に対して、
必要以上に頭を下げたり、媚びたり、
あるいは逃げたり、ということはしていませんか?

これはどういうことかというと、
他人と自分とを比較することによって
優越感を感じることによってしか、
自分の価値を見出せないでいる、ということです。
言葉を変えると、「他人の評価を基準にして」
しか生きられないでいる、ということです。
さらに言うなれば、ramoさんには自信がなく、
自己肯定感がなく、自尊心がない、ということです。



「対等」についてです。
少し遠回りになりますが、「個人主義」について。
これは、個人個人が好き勝手に行動してもよい、
という意味では決してなく、
「己を律し、他人の人権を精一杯尊重します」
という意味です。

さて。「対等」についてですが。
自分(ramoさん)は、尊重されるべき個人であり、
そして、「たかが個人」です。
ですからramoさんが他人を評価するべきではなく、
また他人がramoさんを評価するべきでもなく、
おそらく実際のところ、
ramoさんが思うほど他人はramoさんを
優とか劣とか評価していないと思います。
みんな、自分のことで必死ですから。
同じように、
他人は、尊重されるべき個人であり、
そして「たかが個人」です。



まずは、どんなramoさんであっても、
それだけで生きている価値があるのだ、
と自信を持つことです。
そうすれば不必要な「競争」をしなくて済みます。
「競争」というのは、それだけで疲れます。
無駄な「競争」なんかやめちまいませんか。

それでは幸運を。(^_-)-☆
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この回答へのお礼

>他人と自分とを比較することによって優越感を感じることによってしか、
自分の価値を見出せないでいる、ということです。言葉を変えると、「他人の評価を基準にして」しか生きられないでいる

ものすごくうなずいてしまいました。確かに僕は、彼に対してものすごく弱気で、しどろもどろしてしまいます。

自分の長年の考えや価値観を変えるのはものすごく大変なことですが、頑張ってみます!

お礼日時:2009/11/26 11:50

 あちらも自分を尊重してくれるし、自分も相手を尊重する。

それも『対等』な関係です。互いに遠慮なしで済むだけが対等じゃありません。『親しき仲にも礼儀あり』というでしょう。
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この回答へのお礼

なかなか難しいです・・・こっちが尊重していても、向こうはどうなんでしょうね。

お礼日時:2009/11/26 11:46

対等な友達が欲しい、という発想自体が「自分勝手」、さすがです。



心を開くには、やはり挨拶です。「おはようございます」「さようなら」「ごきげんいかがですか」「ごぶさたしています」など、きちんと言うことで、心が自然と開いていくでしょう。

あと、歌をうたったり、踊ったりすれば、「この人、心を開いて生きているなー」と思われること、うけあいです。

対等な友達、作ってください。
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この回答へのお礼

その高圧的な人には普通に挨拶しているのですが。。。ただ、仲良くない人に対しては挨拶しないで人間関係がうまくいかないときがあるんで、挨拶は忘れないようにします!

お礼日時:2009/11/26 11:45

「対等」


この言葉は非常に難しいですね・・・。
人には本来順位など無いのですから、どっちが上から目線か気にする必要は無いと思います。
ちょっと考え方を変えてみませんか。

互いに思いやれる、許しあえる関係が友人関係に他ならないと思います。
どちらが上か下かも、ありません。

「ありがとう」「ごめんね」
こう言い合える友人が現れるまで、とことん自分と向き合っていけば良いのです。

そして友人というのは多ければ良いという訳ではないと思います。
1人でもいい。時間を掛けて、一生付き合える友人を探してくださいね。


仲良くなってくれてありがとう
今日会話してくれてありがとう
時間を取ってごめんね
失礼があったとしたらごめんね

常にそういう気持ちで会話をすれば、きっと理解してもらえます。
これが、親しき仲にも礼儀ありという言葉の意義だと思います。
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この回答へのお礼

そうですね、感謝の気持ちは忘れないようにします!

お礼日時:2009/11/26 11:43

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