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家族とは何なのでしょうか。あるべき家族の姿、又は夫婦の理想像、そういう価値観をメディアが押しつけることによる歪みが現代の病なのではないだろうか。

いつかは、バラバラになる。そういう危ういもの、それが本当だと思うのです。ロバートレッドフォード監督の「普通の人々」という映画は、そういう価値観の押しつけの逆説だと思うわけです。

ステップファミリー、片親、親に捨てられて施設で育った子供、虐待、さまざまな複雑な事情を抱えて大人になった人たちの人権をややもすると反故にする危険があるのではないだろうか。

偶然にも血のつながっているという理由だけで、ひとつ屋根の下で家族ごっこをさせていただいているありがたき他人同士の共同体、本来はこうではないだろうか。そこで父親は父親を勉強し、母親は母親を勉強し、子供は子供を勉強する。

保守思想が押しつける家族像は家族の崩壊を招くだけだと言えないだろうか。

A 回答 (7件)

家庭と言うのも生活者の戦闘態勢ですから勝利を目標に変化します。


多人数を必要とする農業社会では大家族。生活費用の高い大都市では
少人数または一人暮らしが有利です。学生なら学生寮が有利でしょう。

政治家は選挙区での多数者となる戦闘態勢の家庭を良しとします
多数の投票を期待しての当然の言葉ですよね
農業地域では大家族。都市では小家族や個人を良しとします

保守の地方は大家族。革新都市は小家族や個人。と成るに過ぎません
スタンフォード監獄実験のように役柄に埋没しているのかも?
以前に男一人と女7人でしたかが同居生活しているのを警察が男を逮捕

して生活体制を強制的に破壊した事が在りますが都市だからでしょうね
地方の暮らしなら問題には成らなかったと思えるのです。この事例は
権力による横暴と考えています。都会で同性愛が許されるのにハレムが。

ハレムを作るなら農業地方と決めていますが実現は遠すぎる・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。正直言ってこの回答にかんがえさせられていました。
おそらく家庭という最小単位の共同体に倫理観の基礎があるのではという意見と推察しました。
確かに、何らかの礎があって、はみ出すという考えがあると思います。絶対的な相対はないということだと思います。
ある人に人間関係はゴムバンドのようなものだと言われました。ある意味、礎はあっても伸縮性という遊びが必要だという解釈が必要なのかも知れません。

お礼日時:2010/01/20 10:46

今の世の中は個人の生き方を強い力で束縛など出来ません 好きなようにやってください ただし親子三代近くに楽しく生活していることをうら

やむ年寄りになる自分も想像しなければダメです 考え方は理論ばかりで目は節穴かもしれません 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
正に仰るとおりです。私もだいぶ考えさせられました。

お礼日時:2010/01/20 10:47

共産主義社会では親を密告して死刑に追い込む子供を奨励して


ほめていました。親の命よりも共産主義社会での出世が正義と
されていたのです。家庭内の身内が密告者なのです

革新思想による家庭とは個人主義に通じて身勝手が奨励されます
宗教に染まった子供が親を従わせようとしたりしますよね
どんな家庭を作るかは自由ですが他人の家庭を悪く言う権利と資格

は誰にも在りません。長い社会習慣に基づく家庭に対しての悪口は
なおさら言うべきでは在りません。それはゴロツキのいう事です。
家族の崩壊原因は思想などという物ではなくて人殺しをしたとか

浮気とか貧乏とか酒狂いとか対処能力を超えた不都合によるものです
保守思想を攻撃する気持ちが他人の家庭形態に対して口出しをしたく
なるのではないでしょうか? 家庭形態を他人に決められるのは嫌です
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>どんな家庭を作るかは自由ですが他人の家庭を悪く言う権利と資格は誰にも在りません。

正に仰る通りです。極端な保守思想は家庭のべき論を言ってやまないわけです。

>長い社会習慣に基づく家庭に対しての悪口はなおさら言うべきでは在りません。それはゴロツキのいう事です。

社会習慣は歴史のながれによって少しづつ変化しています。
「ゴロツキ」という言葉で超保守思想はリベラルを弾圧してきました。
本当の純粋な保守とは変化を受け入れて人類を愛してやまないことではないのでしょうか。

>浮気とか貧乏とか酒狂いとか対処能力を超えた不都合によるものです
保守思想を攻撃する気持ちが他人の家庭形態に対して口出しをしたく
なるのではないでしょうか? 

リベラルがルサマンチンだと決めつけることで超保守は安心する様ですね。

>家庭形態を他人に決められるのは嫌です

仰る通りなのです。私もそれを言いたいわけなのです。
私は、保守とリベラルがもっと柔軟に中道によってくることを理想としています。決して保守の全てを批判しようとはしません。

保守が保守を本当に愛しているのなら、自らを懐疑することも必要なのではないでしょうか。

スタンフォード監獄実験はご存知ですか。

お礼日時:2009/12/31 14:10

再度投稿します。



少し私の生い立ちや今の状況も交えながら。

私はけして幸せな家庭に育っていません。
浮気の子供で生まれて虐待されて育ちました。
そのため自分自身に少し言語障害もあります。
かなりコンプレックスもありますが、今は自分自身で受け入れています。

また今の状況は身内に養子で育てている子供もいるし、障害を持っているため児童支援学級に通わせている実子もいますし、健常の実子もいます。

本音で言えば私は家族というものを良く判りませんが、家族を作っていくことはできると思っています。

人はいろいろな環境で育ち、また受け入れられる部分、受け入れられない部分がありこれが家庭崩壊の原因の一つだと考えています。

私がこれを受け入れることができたのは父の死を迎えてからです。
それまでは受け入れることはできませんでした。

言いたいことを言ってばかりですが、親が家庭を守ろうとしなければ家庭は崩壊するでしょう。
ただ残念ながら子供を守れない親が増えていることも事実だと思います。
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この回答へのお礼

貴重なご意見ありがとうございます。

そうなのですね。危ういものなのですよね。
お互いの努力が必要なのは言うまでもないことなのですよね。
家族なら全て分かりあえるなどというのは妄想にしか過ぎない。

偶然にも一つ屋根の下に暮らすありがたき他人同士という感覚が必要なのだと思います。

家族の愛を神聖視しすぎては、逆効果なのです。

人は生まれ落ちた時から誰でも孤独なのですものね。

だから、ありがたい。

家族というものに対して少し自由な発想が必要になりそうですね。
テレビドラマの家族が本当の家族などという妄想は、家族という名のもとに個人の人権を追い詰めてしまうだけなのです。

お礼日時:2009/12/31 10:23

押しつけるという言葉は安易に使わないように。

一応日本ほど、この手の「押しつけ」の弱い国もめったにないと思われますので。

家庭の在り方は、なんだかんだ言っても親子中心で一つ屋根の下という形が最も多いことは間違いないと思われます。血がつながっているという理由、というよりは、それがもたらす家族。これは、動物レベルからの自然の流れです。

で、その家族がいつも平和で笑いが絶えなくて。なんてお花畑みたいなことは決してないわけで、争い、すれ違い、場合によっては憎しみも生みます。病的になってしまうと、家族隔離もあり得る話です。
しかし、たいがいの場合は、それを乗り越えます。
家族は、一番小さい社会団体。
お互いが、この小さい社会団体を保てなくて、大きな社会に出たとき、どうやって関係を築いていくのか。人は一人では生きていけないということを、いつも考えさせられるのが、家族の存在です。

もちろん、例外など数限りなくあります。
しかし、根本的に言おうとしていることは同じ。
家族を大切にする、ということは、私たち一人一人が、人とのかかわり方をどのようにすればよいか、一生かかって考えていきましょう、ということ、と解釈するとよいと思います。

ちなみに、海外では一夫多妻制もあるし、日本でもちょっと前まではサザエさんの家みたいに複合家族がスタンダードでした。理想の家族の構成像は時代とともに変わるでしょう。でもそれも、ほとんどは人為的。「家族の構成はこうあるべきだ」は、積極的に私たちが考え、仮説を出し、過去にも学び、次に向けて検証を続けていくことなのです。

人権問題ですか。あるかもしれません。しかしそれは必ずしも、メディアによる価値観の押しつけによるものとは言い切れません。一番大事なのは、受け取る私たちの持つ人権感覚ですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。確かに押しつけと断言してはいけませんね。しかし何かしらの目に見えない力が働いているようにも思えるわけです。

>しかし、たいがいの場合は、それを乗り越えます。

この辺りがすこし神話性を帯びているような気がしてならないわけです。乗り越えられなかった人、家族に捨てられた人は人として失格なのか。施設で育った人、片親で育った人は何か足りないのか。
テレビドラマの様なべき論的理想の家族像を追いすぎて、本来ある人間の良さを失ってはそれこそ本末転倒というもの。

>。「家族の構成はこうあるべきだ」は、積極的に私たちが考え、仮説を出し、過去にも学び、次に向けて検証を続けていくことなのです。
>一番大事なのは、受け取る私たちの持つ人権感覚ですから。

この意見には賛成です。

お礼日時:2009/12/30 16:02

●家族とは何か?


これは目の前にいくらでもあります。
動物を見れば理想の家族がわかります。
人間と動物は違うと思うかもしれませんが、血のつながりとはそういうことです。

我が家はテレビの故障をきっかけにテレビを見るのをやめました。
しばらくテレビを見ていませんが、テレビを見なくなったことにより家族の会話が増え、コミニュケーションを以前より多く取るようになりました。
意外な発見でしたが、コミニュケーションこそが家族には必要と感じました。

●保守思想が押しつける家族像は家族の崩壊を招くだけだと言えないだろうか。
言ってることがわかりません。
人は一人では生きていけません。
どんどんさめた世の中になっていく中、誰が他人を思いやるでしょうか?
やはり血のつながった家族、または夫婦という家族が必要だと思います。

この回答への補足

>人は一人では生きていけません。

人は一人では生きていけないも然り。
しかし、ひとりで生きていかなければならないも然りなのです。
誰が自分の替わりに生きてくれるのでしょうか。
子供にとっては、依怙贔屓を体感させてくれる小さな社会。

>どんどんさめた世の中になっていく中、誰が他人を思いやるでしょうか?

他人を思いやれなければ、家族も思いやれないのではないでしょうか。
家族は誰の所有するところのものでもないのです。

補足日時:2009/12/30 15:40
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ステップファミリーや、養子縁組などの血の繋がっていない家族は異端なのでしょうか。それよりも同じ屋根の下で小さな社会を構成していることに意味があるのではないでしょうか。

思いやりや敬意は押しつけられるべき価値観なのでしょうか。
動物は自然にできて、人間は押しつけられなければできないのでしょうか。

お礼日時:2009/12/30 15:32

一応、真夜中に、だいたい成人で、およそ、40代以上の男女がなさっている、収拾不能な激論は、あまりこちらでは、求められてはおらないようでは、ありますが(笑)



まあ、例えば、学校に通う時分におきましても、オープンで開放的な先生が、家族像を話すことはあるんでは、ありませんかね。

また、不幸にして、家族と離れた幼少時代を過ごしたからこそ、家族に思いを寄せる場合もあるとは、思います。

もちろん、サンプル数の問題ではなく、反証としては、一件でも事例が存在すれば成り立ちます。


「押しつけられた」というのは、ケースバイケースでしょうか。

どういった形であれ、外的刺激なしに、言語の習得は不可能ではあります。

そもそもは、現実的にどのように折り合いをつけるかを、実地で学ばないとなかなかムツカシイもんです。
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この回答へのお礼

>「押しつけられた」というのは、ケースバイケースでしょうか。
>どういった形であれ、外的刺激なしに、言語の習得は不可能ではあります。
>そもそもは、現実的にどのように折り合いをつけるかを、実地で学ばないとなかなかムツカシイもんです。

ありがとうございます。おっしゃるとおりです。
ただ、保守思想が家族にべき論を押しつけている感が疑わしくもありましたのでこのような問題を上げさせてもらったという訳です。

お礼日時:2009/12/30 15:28

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