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今本を読んでいて、4大文明は河から発展し、どうやって砂漠化が進んだかと言う点で、疑問がでてきました。たしか中学生の頃にナイル川の氾濫を利用して農業をやっていたという話をしていたような・・・?思い出せなくてきになってます。何でもいいので教えてください!

A 回答 (3件)

たしか、塩害だったと思います。



充分に灌漑をやっていれば大丈夫だったんですが、中途半端な灌漑では地中より塩が地表に出てきて作物が駄目になったらしいです。

いまも、作物が塩害によって出来ない地域は沢山あるそうです。
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ナイル川は、「青ナイル」と「白ナイル」と呼ばれている二つの川が合流してナイル川の本流となります。


上流にはエチオピア高原などがあり、その雪解け水が流れ込み定期的に氾濫を繰り返していました。(丁度シリウスが地平線に見える頃だったと記憶しています)
氾濫した川は、上流から肥沃な土を運び大地の塩を洗い流してくれたので、特別な肥料をまかなくても作物を収穫することができました
そして、氾濫の時期を予測するために暦が発達し、氾濫した後の土地の境界線を知るために測量技術も発達しました。
古代エジプトの古王国時代、ナイル川が氾濫をしている間は農業ができないので、その農民を使ってピラミッドを作ったと言われています。
氾濫した川を利用して上流から石を船で運んでくるので、一石二鳥だったようです。
現在は、電力を供給する為にアスワンダムを作ったのでナイル川が氾濫することはありませんが、大地の塩分が流されなくなってしまったので、塩害が起こっていると言われています。
重要な観光資源である遺跡にも塩害が報告されていました。
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世界の4大文明はエジプト、メソポタミア、インダス、黄河といわれ、新大陸のインカ、マヤ、アステカなど大河のないところで発達した文明は除外(無視)されています。



文明は穀物の大量生産が容易に出来るところに発達したので水と土壌の悪化を防ぐ何かが必要だったといえます。ナイルの定期的な洪水は有名ですね。あの洪水が土壌の酷使による疲弊を防いだと言われます。

農業が発達し文明が生まれると人口が急増します。人々は
生活上のあらゆるところで木材を必要とします。(建築、造船、橋梁、燃料、動物の飼料など)いわゆる乱伐が始り、大河の周辺に緑はあったものの日本のように温暖で多雨地帯でなければ伐採した後は荒地になります。これが第一の原因だと思われます。他の原因としては地域によって塩害、天候の急変(有史以来何回も天候異変があり、人々は居住地を捨てて移住した例があります)などが考えられます。しかし、文明の発達した地域が日本と同じように緑豊かな地域(森林地帯)だったかどうかには疑問があります。多分大河の周辺から遠くなれば今日の半砂漠(アメリカの南西部のような)地帯のような平原(或いは草原)が広がっていたのでしょう。
だからこそ灌漑技術も早くから発達したのだと考えられます。
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この回答へのお礼

かなりくわしいですね~。
参考にしたいとおもいます。ありがとうございました!!!!
また、なにかあたら、教えてくださいね!!(^-^)

お礼日時:2003/05/24 11:41

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それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
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Aベストアンサー

n進法というのは、n番目で位が変わるというものです。だから、10進法だと10番目の数、すなわち9の次でくらいが変わります。
本来、60進法というものは、1~59までを違う一桁の数とし、60番目の数で初めて位が上がるとしていました。60秒で1分、60分で1時間とするのと一緒です。1日を60時間とすると、1時間、1分、1秒がが今の五分の二となってしまいますね。だから、24にしたのだと思います。
時間のほかに60進法を使っているのは、図形の角度の世界があります。

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もし人間の指が12本ならば、数学の図形の分野、物理の時間の分野が、もっと発達したと思いますよ。


時間は60進法ですが、実際に使っている数字は、10進法です。そもそも、60進法と呼ぶこと自体、10進法に則ってるのですから。

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本来、60進法というものは、1~59までを違う一桁の数とし、60番目の数で初めて位が上がるとしていました。60秒で1分、60分で1時間とするのと一緒です。1日を60時間とすると、1時間、1分、1秒がが今の五分の二となってしまいますね。だから、24にしたのだと思います。
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月日の移り変わりを知るには月の満ち欠けが、判りやすくこれで一ヶ月を決めましたが、太陽との運行とはずれがあり、農耕にあうよう3年に一度閏月(当時は連大月という)を作り大体あわせました。
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真の太陰暦は閏月を置かず、そんままで大幅な狂いが生じますが、それを使った国もあるとか。  農業の必要がない国なので。
エジプトも始はメソポタミア同様太陰太陽暦に近い暦法でした。
ナイル川の洪水を予測するため、太陽の代わりにシリウス(ギリシャ語でソティス)星を使うので、太陰ソティス暦といいます。
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