
No.35
- 回答日時:
1.あなたは、”消滅 を選ぶことは出来ないでしょう”といった
つまりあなたは継続を選択することになる
2.しかしあなたはその先に何があるか分かっていない
2.で、なぜ「しかし」になるのでしょうか?
「その先に何があるか分かっていない」とは、どの文章を読んで判断したのか?
また、仮に分かっていない としても、右に「生」と書いてあり、左に「死」と書いてある立て札があってどちらを選択するかを選ぶとき、右の生の世界がどのようなものか分かっていなくてもそちらを選ぶと言うことで良いのではないですか?
>シマウマは宇宙について考えるうちに、そのことがはっきり分かった
>シマウマは完全に満足したのです
>シマウマはそのことを完全に理解し、そして完全に満足するのです
「そのこと」とはどのことでしょうか?
「そのこと」が宇宙のこと を指しているのであるとすれば、人間よりもシマウマのほうが宇宙や世界に対する認識力が上 であると言いたいのでしょうか?
No.34
- 回答日時:
選択権 が与えられるものかどうか と言う問題がまずあると思いますが。
仮に与えられるものだとして、どちらを選ぶかと言うなら、それについては既に言及しています。
無限地獄 については 人によって違うとしか言えないでしょう。
人は生から どのような変化を得ようと、生きている時の気持ちをそのまま持ち越すでしょう。
今が地獄なら 死後 ――があると仮定するなら―― もそうでしょう。
これに対する答え方が、あなたの人間性を示すのです
>仮に与えられるものだとして、どちらを選ぶかと言うなら、それについては既に言及しています。
あなたは、”消滅 を選ぶことは出来ないでしょう”といった
つまりあなたは継続を選択することになる
しかしあなたはその先に何があるか分かっていない
シマウマは宇宙について考えるうちに、そのことがはっきり分かった
シマウマは完全に満足したのです
シマウマはそのことを完全に理解し、そして完全に満足するのです
No.33
- 回答日時:
消滅 を選ぶことは出来ないでしょう。
選択することが出来る者 となるか、そうでないかの 選択権 は今現在にあるのでしょう、今現在のあり方が既にそれに対しての選択をし続けている ということでしょう。
無間地獄などないでしょう。
「死」も選ばないでしょう。
これは”仮に選択権が与えられた”として問う2者選択の質問です。
消滅を選択すると無限地獄はないが、もし継続を選択したら途中で無限地獄を感じるかもしれない、もちろん感じないかもしれないが可能性はある。
無限地獄から引き返すことはできない、これは当初の約束なので。
結局、簡単にいうと自分でもわからない、判断がつかないということではないんですか。
No.32
- 回答日時:
>ほんとうにいつまで経っても終わりのない無限生命を望むのですか
人間の一日で例えれば、昼間働いて夜になったら寝ます。
このままずっと起きたままで、明日を迎えようとは思わないはずです。疲れてますから。
一旦寝て、明日から又エネルギーに満ちて一日をはじめようと思うはずです。
>自然循環サイクルは全てを宇宙の変化成長にゆだねる、そういう考えです
宇宙の変化生成は誰が行っているんでしょうか。
まあ、いずれにせよ、自分の預かり知らないところで物事が動いているのは、良くも悪くも でしょうか。
仮に選択権があったとして、自分が今ある「精神」を継続する永遠を得るか、または継続はなく単に消滅するかどちらでも選べる、
ただし決定後のやり直しはきかないとした場合、あなたはやはり継続を採るのですか。
無間地獄になるかもしれないが、無限の永続を希望するということで

No.31
- 回答日時:
.
>大抵の人間に通じる言葉が
#6で、「“宗教家”になるのは無理でしょう。」と書いていますよ。
>やはりあなたは少しオツムが足りない、というしかない
それでは、普通のオツムで、#25、26の方も回答下さい。
.
天国がアホラシイ、地獄がアホラシイ、神がアホラシイ、そしてこれらにのっかる宗教がこれまたアホラシイとなり、
これら諸々のアホラシイものどもをアホラシイものとして説くには同様にアホラシイもの、しかも半端でなく、とてつもなくアホラシイものをもってしてアホラシク物語る、これが一番よい
そのとき初めてアホラシイものがアホラシイものとして鮮明にアホラシク表れるのである

No.30
- 回答日時:
.
宗教家に付いている「家」なんですけど、
これは、人間の職業等を区別する時に用いる言葉なんですよ。
漫画家、作家、芸術家、音楽家・・・・政治家、宗教家 ってね。
シマウマも宗教家になるということは、シマウマが人間になるって意味も含んでいるですけど、そういうことも言いたいのですか?
.
シマウマが宗教すれば、宗教家でよろしいではないですか
別にその時点で職業だ、人間だともち出すことはしない、それが普通のセンスというもんです
大抵の人間に通じる言葉が、どうもあなたには通じないとなると、やはりあなたは少しオツムが足りない、というしかない
No.29
- 回答日時:
>「精神」や「魂」などと言ったものが 継続されて残るほうが良いのですが、それとも継続されて残るのは困るのですか、どちらですか
前者です。
>私は六道輪廻はまっぴら御免で、自然界循環サイクル輪廻の方がよいです。
自然循環サイクルとは、一度全体の一部となり、再編成(再組成)されて生まれ変わる。例えばコップの中の一滴として他の水と混ざり合い、また再編成されて違う個として生を始める、という意味でしょうか。
六道輪廻はどう考えられるでしょうか。個としての魂が残り、基本パーソナリティは保ったまま、転生するという事になるでしょうか。
そうですね、目や耳などを使って良く見、良く聞けばそう考えられます。
しかし、そうであったとしても自由度は低そうです。
あるいは自然循環サイクルと同じように全く別の存在として存在し直すことになるのか...そうであったとしても、変化成長が宇宙の常、変わらない真理であるとすれば、動物に生まれることは無いような気もします。
というわけで、安心してください、質問者さんは人間として継続して行くでしょう。(たぶん)
「精神」や「魂」が 継続されて残るほうが良いとなると永遠に死はなく、何か無限地獄を感じたりはしないのですか、ゾンビのような
ほんとうに永遠、不滅を望むのですか
ほんとうにいつまで経っても終わりのない無限生命を望むのですか
自然循環サイクルは全てを宇宙の変化成長にゆだねる、そういう考えです
No.28
- 回答日時:
No.5 & 19 & 24です
>>> No.24でのお礼欄
この場合、看取るものとはいったい誰ですか
<<<
シマウマであり、ライオンであり、貴方自身であり、私たち全員です。
ライオンがシマウマを襲い、殺して食するところを想像する者達全てです。
それぞれの立場で、それぞれの思いがあるということです。
それぞれの思いが否定されるものではないということは、ライオンとシマウマの関連性に対する全ての考え方が正しいということです。
ひとつの思いの投影のみが正しいという訳ではない。
完結しない物語を望む者達や、完結する物語を望む者達の両方とも正しいということです。
シマウマの場合、食された後のことを「思う」ことが可能ならば、No.19でリンクをした
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5264495.html
にて記述しているように、
>>>
1.対象となる生命体が、(部分でありながら全体を含む)自己参照系の思考、すなわち「ゲーデルの不完全性定理」(相当)にまで考えを巡らせることのできる知能を有するならば、そうして、宇宙全体に対して、「常に部分でしかない」存在であるならば、宗教は生まれいずることでしょう。
2.もし、上記前提条件の一つでも欠けるのなら、宗教は発生し得ないと考えます。
2-1.たとえば、(部分でありながら全体を含む)自己参照系の思考が不可能な場合、既存の人工知能(機能としての自己参照系を有するが、部分のみの処理に限定される)と同等レベルであり、意識が生じるかどうかすら定かではない。
2-2.たとえば、「常に部分でしかない」ではなく、宇宙全体と等価な存在(すなわち、宇宙全体を意のままに操る存在)であった場合、もう少し判りやすくいえば、宇宙全体が非常に小さく、自分自身しか存在せずに「外部がなかった」場合。「外部」と認識しうる世界が無く、自分自身で完結しているので、「宗教」は生まれ得ない。
3.したがって、「1」の条件を満たす生命体であれば、「宗教」は生じうると考えます。
<<<
となるでしょう。
シマウマ以外の者達であれば、それぞれの立場での見解が異なるのは当然のことです。
ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに(光厳院)
ところで、シマウマが宇宙について考え宗教家になると何か面白くないことでもありますかね
どうも世の中にはこれだと不満な人がいるようなのですが
わたしは、シマウマが宗教家になったほうが世界は豊かになり面白いとおもうのですがちがいますかね
No.27
- 回答日時:
>私も、老衰で死に行く人を見送ったことがありますが、そのときの印象としては「精神」や「魂」などと言ったものが 継続されて残る というような印象は持ちませんでした。
これは、確か小学校に上がる前のことだったから、今見たら また違った印象を受けるかもしれません。
>輪廻とは自然界の循環サイクル、このように考えて一向に不都合はないでしょう
単なる循環サイクルであれば、やはり六道輪廻という表現で表される、六道内での繰り返しとなるのではないでしょうか。
五感と、それらの好き嫌い・快不快 を判断する第六感としての意識のみで振舞えば「単なる循環サイクル」としての輪廻を繰り返すと考えてよいかもしれません。
人間は 考える だけで それらから抜け出し始めている とも言えます。
「精神」や「魂」
>「精神」や「魂」などと言ったものが 継続されて残る...
「精神」や「魂」などと言ったものが 継続されて残るほうが良いのですが、それとも継続されて残るのは困るのですか、どちらですか
輪廻
私は六道輪廻はまっぴら御免で、自然界循環サイクル輪廻の方がよいです。
どちらを取るかは私の世界観の問題であり、私が考えることです。
ENERGEARさんはどちらがよいですか
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