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国は誰でも利用出来る安楽死施設を設立するべきだと思いませんか? 私は真面目にそう思っています。

自分の命は自分だけのもので、いつ死のうが自分の勝手です。ですが、電車などに飛び込んで死ぬのは非常に迷惑! そこで、安楽死の施設があればいつでも安心して死ねる。そして遺体は本人の希望などに応じて、臓器提供などに使われる。
自分では素晴らしい考えだと思うのですが、どうでしょうか?

A 回答 (7件)

とてもよいご提案だと思います。

国の金は国のみんなが幸せになるよう納めるものであるとの理解を持つのが順当に思えます。多数が少数を切り捨てることの悲劇は歴史の中で数多く繰り返され、愚かな結果を見せています。一人はみんなのために、みんなは一人のために喜んで全力を尽くすような社会の構築こそが目指すべき未来ではないかと思います。生きるための地獄の苦痛を家族全体が引きずりながら生きることは美徳にでも見えるでしょうが、それは神の摂理にはあっても、人間がそれを喜んでできるとは思えません。それぞれが少しでもより安らかで楽しい人生を求めることこそが自然で、そのためにはそれぞれの立場を理解して手助けをするのが当然で、納めた税金が自分へ直接的に還元されないから反対との近視的な見方をする人が最近多いようですが、もっと視野を大きく持って、人間のみならず、この地球上の命たちの営みへの理解を深めることが大切に思われます。私の父は誇り高い男でしたが、手足が思うように動かなくなり、トイレの面倒を人に見てもらうのが、死ぬほど恥ずかしかったのでしょうか、ある日口華から挿入されていたスパゲッチーをきちんと取り外して一人で真夜中に果てたそうです。私もいつかそんな状況になる前にみっずから果てたいと考えていますが、人に迷惑をかけない死はなかなか思いつきません。必ず税金を多大に使う死しかないのです。断崖から飛び込むなんて、もっとも迷惑な死に方です。人々の労力のみならず、地方自治体の経費もかかることでしょう。オランダに安楽死の様々なデラックスなコースがあると聞きおよび、日本での施設には期待できず、最後の旅行費をためたく頑張っている次第です。
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やはり権利として行政側から勝ち取るしかないでしょう。


(行政側にもメリットはあるとは思いますが。)
よろしければ以下のにも参加お願いいたします。

安楽死センターを導入すべき2
http://mobile2ch.net/mental/1290858389/
「権利としての安楽死」を求める運動
http://mobile2ch.net/offmatrix/1293336849/
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>国がその人の望む形の死に手を貸す事が、なぜとんでもないのでしょうか?



自殺は罪ではありませんが、自殺ほう助は、自殺関与及び同意殺人罪として刑法第202条により罰せられます。
http://www.houko.com/00/01/M40/045.HTM#s390

自殺が罪でなく成立するのは、誰の手も力も援助も(仰るような設備や施設の提供も含めて)借りずに自殺した場合のみであり、それ以外の場合、係わった者は皆刑法第202条により罰せられる可能性があります。従って、仰るような施設の設立を望むのであれば、まずこの刑法を変えない限り実現は不可能です。

>自分の命は自分だけのもので、いつ死のうが自分の勝手です。

考え方はいろいろあるでしょうが仮に仰る通りだとして、なぜその「自分の勝手」のために国費(=我々の税金)が使われなければならないのでしょうか。どのような施設にしろ、建設・運営・維持、設置地元への補償など膨大な費用がかかることは容易に想定できるわけで、それが一部の個人の「勝手」のために使われることに、多くの国民の同意が得られるとは考えにくいでしょう。仮に臓器提供へ転用するとしても元々臓器売買とは違いますので、それで採算が取れるとも思えません。また、高額な利用料を設定すれば「誰でも利用出来る」に反します。

それと、仮にその「勝手」を「権利」に置き換えて考えたとして、確かに電車への飛び込みなどは多くの人へ迷惑がかかりますが、他人へ迷惑をかけずに自殺する他の方法が現状ないわけでもありません(例えば電車へ飛び込むのでなく、岸壁から海へ飛び込めばよいだけのこと)。自殺が権利だとしてその権利を成就したいが、多くの人へ迷惑をかける方法しか存在しない、だから国費で何とかせねば、という理論であれば、刑法が改正された後においては耳を貸す人もいるかもしれません。しかし方法があるのに「国が手を貸す」必要があるとは考えにくいでしょう。逆に、国の援助がなければ自殺できないくらいの人なら、もともと本当は生きたい(自殺の意志は薄い)のではないでしょうか。

この回答への補足

設立するとなれば刑法あるいは憲法を変更しなければいけない事は承知です。
しかしそこまでしてでもこの施設を作る事の意義はあると、私は思っています。

>自殺が権利だとしてその権利を成就したいが、多くの人へ迷惑をかける方法しか存在しない、だから国費で何とかせねば

私がこの施設の設立を望む一番の理由は、↑では無いんですよ。
どう書けば良いのか文章力の無い私には非常に難しいのですが、一言で書けば「自殺の権利の確立」ですね。国が公認したとなれば「生きていればいい事がある」「その苦しさは誰かに相談すれば乗り越えられる」などと言って、自殺を阻止しようとする馬鹿は幾分か減ると思いますしね。
自殺を止めるのならば、その人のその後の人生について責任を持つべきです。その人の苦しみを理解せずに無責任に希望を持たせるべきではないです。

補足日時:2010/01/26 22:02
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この国で権力を持っている人々は、下層民が苦しみでのたうち回りながら生きているのを眺めるのが趣味です。


だからそれを救おうとは思わないでしょうね。

ネットの時代になって、簡単かつ確実に自殺できる方法が知れ渡ることも心よく思ってない位ですから。
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いいたいことはわかりますが、そういう設備を作ることには反対ですね。



安楽死といっても、安楽死をさせるために手を下す人が必要です。その人の対してはどう思いますか。現在の法律では、手を下した人(大概は医師になるでしょうね)は殺人罪になり極論死刑です。

安楽死したい人を施設の業務で介助して、その結果が殺人罪で死刑では、問題が残りますよ。

さらにの極論、法律で安楽死施設を設定し、その介助をしたものは殺人罪を適用しないと決めたとしても、人を死に追いやったという負い目というか、ストレスをその医師なりに残すことになります。

ということはそれが原因で自殺をする人を増やす(その介助した人が罪にさいなまれて自殺する)結果になりかねません。

こうした施設は、鉄道を止めるなどの迷惑防止になる可能性はありますが、自殺防止にはならず、場合によっては自殺者を増やしますので、意味がないと思います。

この回答への補足

最後に薬物などのスイッチを押すのは、自殺者本人とします。
また、装置の準備などをする職員は全て新たに外部から募集する事とし、もちろんどういった業務を行うのかについて事前に充分に説明します。


これならどうでしょうか? それと >自殺防止にはならず、場合によっては自殺者を増やしますので、意味がないと思います。
とありますが、私は自殺者が増えることとなっても問題ないと考えます。こんな異常な国で無理に生きて行く必要は全くないですし、最初に書いたとおり「自分の命は自分だけのもので、いつ死のうが自分の勝手」です。

補足日時:2010/01/22 23:27
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自殺幇助の概念ですね。


それはそれで一種の理想形であります。
私もできたらそんな物語ってほしいし、後々利用したいと思うかもしれません。
が、人間社会でなぜこういうものが、どこの国にもないのか(オランダだかスウェーデンにその類のものがあるのみ?)というのにも、ちゃんと理由があると思うのですね。

それは、その自殺幇助施設が悪用される可能性が極めて高い。
保管金絡み、あるいはその人物を消すことで利益を得るものが陰謀をめぐらす、など、そこから発生する悪というのが、殺人を合法化することにかこつけて、際限なく広がっていくのではないかと容易に想像できます。すでに臓器の売買のやみルート問題なんてよく知られた悪徳が現実問題になっています。こんどは、命の闇ルートがはびこります。

こういう施設はそういう悪徳に対して無防備なのです。
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安楽死というものはそもそもそういうものではないでしょう。


末期患者や不治の病に犯されている人間が、家族の迷惑や苦しみから解放されたいといった理由により、医者が積極的ないし消極的手段により当該患者を死なせることを言います。
あなたの言っていることは、国を挙げて自殺幇助したら良いというとんでもない考え方ですよ。

この回答への補足

国がその人の望む形の死に手を貸す事が、なぜとんでもないのでしょうか? また、なぜ自殺してはいけないのでしょうか?
答えられますか???

補足日時:2010/01/22 23:31
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