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昭和16年12月8日に備え、
真珠湾攻撃は密かに出向したと聞いています。
そして航空機による奇襲のようです。
それならば、航空母艦が必要に思えます。
航空母艦なら、その艦名を教えて下さい。
また、この時、撃沈された航空母艦か艦船はありますか ?
あるとすれば、それは、何時、何処で撃沈されたのですか ?
ミッドウェー海戦は6ヶ月以上先のことと思います。

A 回答 (9件)

真珠湾奇襲からミッドウェー海戦までの間、赤城を始めとする日本の空母艦隊はインド洋でイギリス艦隊との決戦を求めて作戦をしていました。

しかし、当時インド洋にはイギリスはほとんど艦隊を持っておらず、さらに残りの艦隊も有力な日本艦隊との決戦を避けていたのでほぼ空振りに終わりました。
この間、パプアニューギニアのポートモレスビー攻略のために日本の空母翔鶴、瑞鶴、軽空母祥鳳とアメリカの空母レキシントンとヨークタウンの間で史上初めての空母同士の海戦である珊瑚海海戦が行われました。このとき日本軍の祥鳳が沈没、翔鶴が損害を受け米軍はレキシントンが沈没、ヨークタウンが沈没寸前の大損害を受けました。

ミッドウェーまで何をしていたかとお思いのようですが、別に何もしていなかったわけではありません。というか、日本軍の作戦がどこでも怖いくらいに順調にいったので空母を必要としている戦場がさほどなかったのです。
ミッドウェーの敗北については本が何冊も書けるようなものですし、今回の質問の内容ではないので割愛します。またご縁がありましたら。
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この回答へのお礼

私の疑問は、真珠湾攻撃でアメリカ艦船は全部撃沈されたのに、結果的には、沖縄上陸まで許したことです。
私も父親から、ミッドウェーで敗北し、次々と、島々を取られ、それを、まるで飛び石のようにして、沖縄まで、いや、日本全国にやってきたと聞きました。
アメリカは、全部失った戦力を短期間でどのように取り戻したか、など、これから順に勉強するつもりです。
その時には、よろしくお願い致します。

お礼日時:2010/02/18 08:55

 No.3です。

なんか根本的な勘違いがあるみたいですよ。

>真珠湾攻撃でアメリカ艦船は全部撃沈されたのに
 →開戦時、アメリカは太平洋艦隊だけでも戦艦9、空母3、重巡12、軽巡8、駆逐艦65の戦力を保持(大西洋艦隊まで含めるとほぼ倍)していました。このうち真珠湾攻撃での沈没艦は戦艦5隻、駆逐艦2隻、その他損傷艦数隻。戦艦以外はほぼ無傷です。全部撃沈なんて話ではありません。

 真珠湾攻撃では旧式戦艦と基地航空隊には大きなダメージを与えたものの、戦力全体としては大きなダメージを与えることはできなかった。特に空母を撃ちもらしたことは非常にまずかった、というのが多くの評価だと思います。
 つまり、真珠湾攻撃では充分なダメージを与えられず、その後の生産体制の規模の違いもあって戦力差が加速度的に高まり、最終的にコテンパンに負けた、とうことです。

>それまで負けた戦争はなかったのでしよう。
 日露戦争では確かに負けてはいませんが、アメリカの仲介による講和が幸運にも成功したから負けなかっただけだと思います。少なくとも大手を振って「勝った」といえるような結果ではないでしょうね。
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この回答へのお礼

そうですか。
真珠湾で全滅したと思っていました。
また「大手を振って「勝った」といえるような結果ではないでしょうね。」と云うことも意外でした。
私は、日本は強い国と思っていました。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/02/20 14:36

#6です。



>アメリカは、全部失った戦力を短期間でどのように取り戻したか

かーんたんな話です。生産力がケタ違いに違う。日本は開戦以来空母の建造があまり進みませんでした。大鳳と天城と信濃くらいかな。もちょっとあったかもしれないけど。でも、これらの空母が完成したとき、実はもう載せる航空機がほとんど失われていました。フネがあっても飛行機がない。
一方、アメリカはじゃんじゃん空母を作った。エセックス級というのが20隻くらいかな。その他にジープ空母とも呼ばれた護衛空母をじゃんじゃん作り、軽空母も時々作った。その生産ペースにするとほぼ「隔月刊正規空母」「週間ジープ空母」「臨時増刊軽空母」となります。
それでこれでいてアメリカはちっとも本気じゃなかったんです。対日戦はあくまで対ドイツ戦の片手間。本来対ドイツ戦が終わるまでは対日戦は反撃しないで現状維持にしておくのがアメリカの戦略だったんです。海軍とマッカーサーが「ふざけんなーコラー!俺達も戦争するぞゴルァ!」とわめいたんで仕方なく予算を回したんですけど。

敵が違うの、敵が。子供とヒョードルが戦うようなものよ。
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この回答へのお礼

なくしても、次々と作った。
と云うわけですか。
それで、日本は、次々と作れなかった。
と云うわけですね。
でも、それまで負けた戦争はなかったのでしよう。

お礼日時:2010/02/19 09:26

>ミッドウェー海戦まで、何していたのでしようね。



http://www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/jiten/kidoubut …
こんなことしてます。
このように各地を空襲しており、日本の進撃の一端は機動部隊の力による所であることは間違いありません。
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この回答へのお礼

参考URL「お気に入り」に保存しました。
これを基に、次々と、私の疑問を解きたいと思います。
その時には、またよろしくお願い致します。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/02/18 08:58

 No.3です。

すみません、飛流→飛龍でした。お恥ずかしい。
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 赤城、加賀、蒼龍、飛流、翔鶴、瑞鶴の6隻。

この作戦時の被害艦はありません。事故もなし。
 また、真珠湾攻撃に参加したのは特殊潜航艇(甲標的)が5隻です。人間魚雷とは全く違うものですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
航空母艦も1隻や2隻ではなかったのですね。

お礼日時:2010/02/17 13:52

南雲忠一中将指揮下の旗艦「赤城」および「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」六席の空母を基幹とし、戦艦巡洋艦駆逐艦などの護衛哨戒艦艇を含む日本海軍空母機動部隊は11月22日に択捉島の単冠湾に集結、11月26日ハワイへ向けて出港した。


 12月8日午前7時ハワイ近海に接近した日本海軍機動部隊から、第一波空中攻撃隊として艦戦43機、艦爆51機、艦攻89機、計183機が発進。
真珠湾に向かう間に、並行し軍港潜入に向かった特殊潜航艇が、駆逐艦「ワード(ウォード)」に撃沈されたが、米軍は奇襲を察知しえず、空襲成功。
 二回の空襲の後に、速やかに機動部隊は、日本への帰路につき、
空襲部隊:未帰還機29機、損傷74機、戦死55
特別攻撃隊:甲標的 自爆3隻、撃沈1隻 捕獲1隻戦死9、捕虜1(酒巻和男少尉)
の損害は、あるも、空母は全部、帰還した
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この回答へのお礼

詳細にありがとうございました。
大船団だったわけですね。
それにしても、無傷で寄港して
ミッドウェー海戦まで、何していたのでしようね。
この海戦で、ほぼ、全滅したようですね。
大和も出撃したようですし。

お礼日時:2010/02/17 13:58

機動部隊(空母を中心とした航空戦隊)は北海道単冠湾に終結後、ハワイに向かいました。



主力空母は、赤城、加賀、飛竜、蒼竜、瑞鶴、翔鶴の六隻。

真珠湾攻撃での主力艦艇の撃沈はありません。帰りに友軍と事故った艦があったような気がしますが^^;

人間魚雷が8隻か9隻、真珠湾に突撃していますので、これが撃沈?といえばそれにあたるかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
その後、調べましたが、航空母艦は、古そうです。

お礼日時:2010/02/17 14:00

ここにすべて書いてあります。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0% …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
参考HP拝読しました。

お礼日時:2010/02/17 13:51

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