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レイテ沖海戦の捷号作戦は、空母『瑞鶴』を中心とする機動部隊を囮とし、米艦隊をひきつけ、 その隙に戦艦『大和』『武蔵』『長門』が突撃をかけるものでした。
ハルゼイ率いる 米機動艦隊のつりあげに成功したが、栗田健夫男中将率いる主力艦隊は、レイテ湾突入を目前になぜか反転、戦線を離脱しました。
今も謎とされていますが、考えられる原因を教えてください。
昔読んだ本で、「数百キロ北に敵艦隊がいるから追えと電報が来たから」と部下を説得したらしいですが、そんな電報はなかったとのことです。
また追うにしても途中の戦闘で被弾し、速度が下がっていたので、追いつくことは不可能だったとのこと。
栗田艦隊を発見した日本航空機が、米艦隊と見誤り、その旨情報として捷号作戦部隊に流れた、という説もありますが、味方艦隊を見誤ることはありますか?
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

>「数百キロ北に敵艦隊がいるから追えと電報が来たから」と部下を説得したらしいですが、そんな電報はなかったとのことです。



>栗田艦隊を発見した日本航空機が、米艦隊と見誤り、その旨情報として捷号作戦部隊に流れた、という説もありますが‥‥
 
 これらの電報に関しては、すでに小島清文氏(当時『大和』の暗号士)が『文藝春秋』78年(昭和53)8月号「栗田艦隊反転は退却だった」のなかで存在をはっきりと否定しています。

 ということは、ありもしない電報を口実としてともかく戦場から脱出したかったのだと言わざるを得ません。

 栗田中将の戦線離脱癖に関しては同年8月の『歴史と人物』(中央公論社)所収の石渡幸二「栗田提督論」をおすすめします。石渡氏はレイテ沖に限らず緒戦のバタビア沖海戦、ミッドウェー海戦において栗田少将(当時)が実に奇怪な行動をとっていたことを詳細に記されています。

 レイテ沖反転の根源は、個人の資質もさることながら旧海軍が適材適所の能力主義を採らず、兵学校の成績だけに依存した年功序列体質の欠陥にあったとおもいます。あえてこの海戦でいうなら主力艦隊指揮官を栗田中将(海兵38期)でなくスリガオ海峡で討ち死にした西村祥治中将(海兵39期)をあてていたら、と思われます。

 
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>レイテ湾突入を目前になぜか反転、戦線を離脱しました。


あの状況で撤退っておかしいことなんでしょうか?
スプレイグ隊との戦闘後の第二艦隊はかなりヤバイ状態です。
重巡は全滅し、駆逐艦は多数落伍し、その他多数の艦が損傷しています。
単純にこのことだけ考えても、撤退は普通じゃないのでしょか?
それとも、とにかく全滅してでも突っ込んでくるべきという捷号作戦の作戦要領にはどこにも書いてない事をしろという事なのでしょうか?

また、当の日本軍が捷号作戦は航空決戦と言っているように、栗田艦隊は作戦の一番の期待の星と見られていないようです。
当時の人ですらそう思っているものを、戦後の我々大きな期待をかけるということは、何か的外れなような気がします。
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 現在ならなんとでも言えます。


 その現場の当事者になったとして考えてみてください。
 愛宕が轟沈し、塩水を飲んで、ほうほうの体で駆逐艦に救助され、それから軽巡へ移乗し、それから大和へ移乗したのです。
 そして、見方陸上基地による上空援護が全くなされない理由が不明で、小沢艦隊がハルゼー艦隊を引き付けている、なんてことも不明で、西村艦隊・志摩艦隊の動向も半分ほどしかわからない。つまり見方の動向がわからない上に…
 敵の動向などまるっきりわからない。
 サンベル海峡の武蔵を始めとする悲劇をくぐり抜けて、正常な判断ができると思いますか。
 また、日数から考えてレイテ湾の輸送船はすでに陸揚げを終わり、空船になっている可能性が高いのであれば、主敵を求める気持ちもわかります。
 更に、全員生身の人間です。ほとんど休憩や睡眠を取れていない状況も考慮すべきです。つまり、闘志が萎え、判断力が衰えてしまうのです。

 いろいろ書きましたが、他の方が書いておられるように栗田中将自身の能力にも大きな問題があったのは事実でしょう。戦後栗田はこの件について一切話さなかったのは、弁明のしようがない失敗だったと自ら認めているのではないかと私は思います。
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去年になると思いますがあの桜チャンネルに元大和の砲術長が出演されてあの大和の反転決定の時の模様を証言されていました。

艦橋へ通信兵
が電文を持ってきたそうだが、それには発信者不明であったそうだ。砲術長達はいまさらレイテ湾突入をあきらめて反転して敵機動部隊を追いかけるなどするべきでないとの意見は認められず反転してしまったそうだ。発信者不明の電文などを信用して作戦変更するなどは参謀も艦長も
腹には同じものがあり早く戦線を離脱したいとの願望があったと勘繰れます。海軍の司令官の中には初めから逃げ腰の司令官がいたようで、あの南雲司令官も真珠湾では二派攻撃だけで空母を無傷で放置したばかりに後のミッドウエイ海戦の敗戦に繋がっている。大本営発表が信用できたのはミッドウエイ海戦の前まであり、それ以後は嘘ばかりで海軍は何故あれほど秘密ばかりにして、零戦も大和も国民の知らないまま敗戦になっている。その点陸軍はPRすべきところは心得て戦闘機では隼戦闘機などは歌謡曲まで制作して宣伝していた、陸軍のパレンバン落下傘部隊
降下が最初の降下攻撃と思っていたらそれ以前に海軍のメナド攻撃があったと戦後に知りました。海軍には今の官僚機構のような国民には全て
を秘密にして自分たち仲間だけが知っていればよいとの認識であったのではないかと思っている。
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今もって本当のことは判っていないと思います。


電報もあったとも無かったとも言われてます。
栗田艦隊側では受信していたというし、なのに発信した部隊がいない。
栗田艦隊の中には、敵輸送船攻撃より、敵主力艦隊と戦いたいという思いも強かったから、発信者も不明の電報情報に従ったという説もある。
それに栗田と宇垣が同じ艦橋にいるようになったため、指揮系統が混乱していたとか(愛宕沈没により旗艦を宇垣座乗の大和に変更したため)。

また味方艦隊を敵艦隊と間違える可能性ですが、この当時はかなり錬度も下がってましたし、十分ありえたと思いますよ。
IFFなんてものがあったわけじゃないですしね。
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こんにちは。


味方を見誤ることはたまにあるようです。

マレー沖海戦の直前(前日だったかな?)、陸上から飛び立った一式陸攻の編隊が、やはり策敵行動中だった巡洋艦鳥海を間違えて攻撃しようとして、鳥海は探照灯で合図しても無線で連絡しても気づかず、やむを得ず基地に通信を入れてすんでの所で引き返したなんてのがありますし、ヨーロッパ方面では、ドイツ戦艦ビスマルクを追撃していた艦隊に英空母から飛び立ったソードフィッシュ雷撃機の編隊が実際に味方艦隊を攻撃してしまいました。
この時は、魚雷の磁気信管が誤作動して魚雷が全部自爆して被害なしでしたけど。
また、たびたび行われたソロモン海戦では船同士ですが、味方打ちはあっただろうといわれてるようです。

さて、レイテ湾の方ですが、ある説を聞いた事があります。
栗田艦隊の旗艦は、元々大和ではなく、重巡洋艦愛宕でした。
しかし愛宕は海峡通過中に米潜水艦により魚雷4本を受けてあっという間に沈没してしまい、旗艦を大和に移しています。
この時、司令部要員は全員助かったようですが、暗号書などの資材を持ち出す事が出来ずに、この後の暗号解読が出来ない状態になってしまい、味方からの暗号電文を訳せず、誤訳、あるいは通信不能の状態だったのではないか、という説です。
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