出産前後の痔にはご注意!

雷電はなぜあんなにズングリしているのでしょうか?
(まああのズングリした機体を見ると親しみを感じてしまいますが・・・)
エンジンの関係でしょうか?

あの機体ですから、F6FやP51といった戦闘機相手ではなく、
B24、B29といった爆撃機の迎撃に活躍したのでしょうか?

同じ局地戦闘機 紫電改と比べると地味な感じを受けますね。
紫電改は対戦闘機用で、雷電は対爆撃機で用途が違ったからでしょうか?

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A 回答 (5件)

漫談です。



実は昭和14年ごろから、中国で爆撃機が戦闘機の迎撃でひどい目に遭った海軍は、迎撃機をデザインしたらいいんじゃないか、と、三菱ご指名で十四試局地戦闘機の要求書を交付しています。そして、零戦を終えた堀越氏が主査となってデザインがスタートしたわけですが、エンジンの選定と振動問題で手こずったのは、みなさんご指摘のとおりです。この振動問題、殉職者はでるわ、一年以上つぶれるわ。中島がおなじような元は爆撃機向けエンジンつけたキ44(鍾馗)が上手くいっているのと対照的です。なら、陸海軍とも同じ飛行機装備したらいい、というのがスジですが、そうはいかないのが恐ろしい現実でした。

あげく海軍はJ2(雷電)に過剰な期待をして「零戦をやめてJ2を主力にする。空母にものせる」と言い出すわ、しかしJ2の主査である堀越氏に零戦の改造もさせるわ、「零戦後継機」デザインしてと言って技術者として使いつぶしてしまい、いいことなしでした。さらに、「胴体太いからターボ・チャージャーつくんじゃないか?」と研究始める始末です。

しかもそのあいだに、海軍はN1水上戦闘機を川西に発注するというムダをしました。できたときには使う予定だった南方の島嶼地帯が危険になりすぎ、琵琶湖などを基地にして使っていたという。
結果として雷電が昭和十八年になってもパッとしない。で、この水上戦闘機を陸上戦闘気にしよう、と海軍はいいだし、結果、紫電、紫電改となります。結局、生産現場は零戦、雷電、紫電、紫電改つくるというわからんことになり、あげく昭和19年に三菱の主力工場がある名古屋を東南海地震が直撃して大惨事になります。
海軍だけでこれだけのサワギしていますが、貧乏な日本はこのうえ、陸軍の飛行機も作っていました。雷電が作られた背景が、いかにムチャクチャだったかを理解してください。

それで、乗員からは評判がよくありませんでした。これは操縦のしやすかった零戦あがりのパイロットが、操縦特性がまったくちがう雷電を嫌がったからです。また、実際離着陸が難しい飛行機で、特に着陸時に前が見えないという欠陥がありました。現場では、横の窓を見ながら着陸するという工夫をしています。また、操縦席がムダに広い、というヘンな悪評もありました(ガラスから顔が離れるので、見張りがしにくい。かつ、装備していた防弾ガラスの質も悪く透明度が低い。J2の操縦席は宴会ができる、と言われました)。

ただ、南方で油田地帯を防空した部隊は、油田地帯からえられる高品質な油脂を使っていたので、期待値に近い性能を発揮させることができてB17/24/29をよく撃墜しています。

戦後、アメリカがテストしたのですが、この時は好評でした。コクピット広いのはF4/F6/P40/P51も同じですし、振動もアメリカ人の感覚なら、許容範囲だったのです。多少のことは気にしないで、必要なときに戦場にいた飛行機のほうが、勝利に貢献したわけです。

日本の戦闘機は、基本的に繊細なデザインをされており、調子がいい機体に上手が乗って、タイマンだったら、同じ腕のパイロットが乗ったアメリカの戦闘機などこわくはないのです。ただアメリカ側はそれを知っていたので「みんなで殴ればこわくない」を実践し、万が一おとされてもすぐにレスキューがくる、という手際のよさでした。
また、高速の実験ができる風洞が日本には少なく、厳しく見ると、高速域性能を引き出すデザインは、全て失敗しています。
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大直径の火星(1340mm)を使わざるを得なかったのは、みなさんの


とおり。おまけに弾丸型(葉巻型かな)にすれば空気抵抗が減って
性能up!と考えてしまったせいであの格好です。
さらに葉巻型を強調するためにエンジンとプロペラの間に延長軸を
付けてカウル絞ったら、延長軸の振動で大問題。不幸な生い立ち
だったんですね。
でも大戦末期になったら、B29迎撃に使えるのはこれと紫電/紫電改、
疾風と五式戦くらい。で、最後のご奉公。

空冷の傑作戦闘機を色々みると、みんなエンジンカウルが一番太くて
そっから一気に幅絞ってんですよ(Fw190、F8F、シーフェリー、五式戦
など)。葉巻型が抵抗が少ない訳ではなかったんですね。
これがわかっていれば、雷電まったく別の形になり(鍾馗・疾風・五式
のあいのこみたいな)、もっと活躍できたような。

個人的には金星の54か62を積んだ戦闘機がもっとあれば、活躍できた
ような気がしますが。
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全ては、エンジンのせいです。

当時の日本は適当な大きさの大馬力エンジンを作ることができなかったのです。これは航空機用エンジンに限らず全てにおいてそうです。烈風がその典型ですね。胴体の真ん中が絞られるというかなり苦し紛れのスタイルをしています。
高高度を飛行する爆撃機に対して迎撃戦闘機は上昇能力が求められます。そのためにはトルクが太くて大馬力のエンジンが必要です。それで選ばれたのが金星エンジンでしたがこれが設計技師を眩暈させるほど無駄にデカかった。もっと小さいもの作ってくれと頼んだけどこれがちっとも上手くいかない。といって戦争している最中に待ってくれとはいえない。だからああいう形にならざるを得なかったんですね。
本来であれば、米軍機にあるように大馬力と大火力にモノをいわせて一撃離脱戦術を取りたかったのですが、米軍機に比べて相対的にさほど大馬力ともならなかったのと、当時の航空兵で一撃離脱戦法が好まれなかったせいもあって活躍といえるほどの活躍ができたのかはちょっと微妙です。

なお、雷電はムチロリ系だそうです。なんか納得。
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雷電も紫電は特に対爆撃機を意識して作られていますが、対戦闘機用としても期待されて開発されています。


局地戦闘機や乙戦は対爆撃機のウエイトこそ大きいものの決して対爆撃機専用機ではありません。
何かと制約の多い艦戦以上の高速重武装をもって敵機全般を撃墜することを目標としているのです。
それに、ズングリムックリな機体ですがあれは対爆撃機というならP47はどうなるという話になるでしょう。
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>雷電はなぜあんなにズングリしているのでしょうか?


 適当な大馬力エンジンがなく、直径の大きい爆撃機用のエンジン「火星」を使わざるを得なかったためです。また雷電は設計者の堀越氏がとにかく機体形状による抵抗軽減を狙うことにこだわったため、エンジンの最大幅が胴体の最大幅とならざるを得ませんでした。結果ずんぐりむっくりに。この傾向は烈風にも見られます。同じように大直径エンジンを使用したドイツのFW190や陸軍の五式戦なんかはエンジン径よりも胴体幅が小さく、ずんぐりどころかかなりシャープな印象を受けます。

>爆撃機の迎撃に活躍したのでしょうか?
 もともと速度と攻撃力を重視した乙戦として開発されていますので、対爆撃機戦闘が主に想定されていました。それなりに活躍したようですよ。

>紫電改は対戦闘機用で、雷電は対爆撃機で用途が違ったからでしょうか
 紫電改も乙戦ですので、厳密に言えば対戦闘機用という機体ではありません。紫電改の印象が強いのは、紫電改で編成された343航空隊がボロ負けの終戦間際にそれなりの戦果を挙げた(とされる)ため、またその発案者であり司令であった源田実氏が目立つ方であったためではないでしょうか。
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Q四式戦闘機、五式戦闘機、紫電改どれが最強だと思いますか?

四式戦闘機(疾風)、五式戦闘機、紫電改どれが最強だと思いますか?私は急降下速度と20ミリ機銃胴体装備の点で五式だと思うのですが・・・

Aベストアンサー

私の持っている本に、No.3の答えの記載とおなじで、「戦後の米軍の調査で日本の陸海軍戦闘機中で四式戦(疾風)が最優秀と評価された」と書かれています。
五式戦、紫電改の生産機数がそれぞれ約400機に対し、四式戦は約3300機と多く、実戦を経て改良が良くなされている為と思われます。
性能的にはたいした差はないでしょう。

QB29の迎撃に活躍した戦闘機

B29の迎撃に活躍して
最も多くのB29を撃墜破した戦闘機は何でしょうか?
月光ですか?
屠龍ですか?
それとも雷電でしょうか?
またどのような性能がB29の迎撃に適していたかも
教えて下さい

Aベストアンサー

普通に考えたら陸軍の三式戦飛燕だと思います。
 
 飛燕は稼働率も低く、不慣れな水冷エンジンのためもてる性能を発揮できず、速度では一式戦より速いですが格闘戦では一式戦の方が優れているため、米軍のパイロットから見ると一式戦の方が三式戦より手強い相手だったそうです。初の三式戦装備の68、78両戦隊はニューギニアでほぼ全滅で解隊するというかなり厳しい戦歴でした。
 B29が本土に飛来するようになると、日本機の中では高高度の性能が比較的良く、速度も日本機の中では速い飛燕が活躍するようになります。小林照彦戦隊長率いる244戦隊は部品の補給、整備も行き届いていたため他隊に比べ稼働率も高く、また攻撃精神旺盛なためB29の迎撃に活躍しました。震天制空隊による体当たりをはじめ、通常の攻撃でもB29を撃墜しています。小林戦隊長自らB29に体当たりで撃墜し、生還するなど244戦隊は敗戦までに撃墜84機(うちB29 73機)撃破94機(同92機)と言う戦果を上げました。
 
 水冷エンジンについては工業力が追いついていないのを無理して使ったというのが一般的ですが、ただ単に今までの日本機のほとんどが空冷エンジンであったため整備員が不慣れであったと言う話も聞きます。同じく水冷エンジンの彗星を装備した芙蓉部隊は整備員の努力により高い稼働率を維持していました。
 
 B29の迎撃に必要な性能は高高度での飛行性能、速度、高い上昇力、加速性、火力など格闘戦性能より一撃離脱に適した機体が良かったと思います。

普通に考えたら陸軍の三式戦飛燕だと思います。
 
 飛燕は稼働率も低く、不慣れな水冷エンジンのためもてる性能を発揮できず、速度では一式戦より速いですが格闘戦では一式戦の方が優れているため、米軍のパイロットから見ると一式戦の方が三式戦より手強い相手だったそうです。初の三式戦装備の68、78両戦隊はニューギニアでほぼ全滅で解隊するというかなり厳しい戦歴でした。
 B29が本土に飛来するようになると、日本機の中では高高度の性能が比較的良く、速度も日本機の中では速い飛燕が活躍するよう...続きを読む

Qゼロ戦とムスタング51が空中戦したら性能的にムスタングの圧勝になります

ゼロ戦とムスタング51が空中戦したら性能的にムスタングの圧勝になりますか?それともパイロットの技量や飛行機の位置取りにより違ってきますか?何かデザインを見るとムスタングはプロペラ機の集大成みたいに思えるのですが、どうでしょう??

Aベストアンサー

このように、現代ではありえない空中戦を推測するというのは楽しいですね。
私は元戦闘機設計技師の弟子で、ただの戦闘機マニア、格闘技マニアです。

まず、当時の記録では、機体の性能以前に、ゼロ戦のパイロットの技量、ガソリンの質、敵機の情報、戦闘機の数量というすべての面で日本軍側が圧倒的に劣っていたので、結果的にムスタングの圧勝だったので、その印象が強いようですが、
さて、それらが完全に同条件になった場合はどうでしょう?

空中戦の場合必要な要素というのはたくさんありますが主に「戦闘機の性能」「パイロットの技量」で考えると、
性能面では、設計がより新しいムスタングが、速度、上昇力、武装、防御力で多くの面で勝っていますが、
ゼロ戦の場合は、「旋回性」という非常に重要な要素が勝っています。

では、意外と検証が難しいのは「パイロットの技量」です。
単純に「双方同程度の熟練者」と言ってしまえば簡単なのですが、
熟練したパイロットというのは、
●自機の性能を限界まで使いこなせる、
●敵戦闘機のことを熟知している、
●敵パイロットの癖を熟知している、または最初のわずかな戦闘で、敵パイロットの癖を見極める能力が高い。
●戦闘の長時間の緊張に耐えられる精神力
●周辺の情報を察知する認知能力
などかなり多くの要素が必要となります。

同じ戦闘機とはいえ、そもそも機体の設計思想が全然違うので、格闘技でいえば剣道とフェンシングのような異種格闘技みたいなものですから
重視すべきは、敵戦闘機の性能の熟知度と敵パイロットの癖の熟知度が意外と大きく影響すると思います。

例えば、人間の格闘技では以下のようなことがよくあります。
AさんはBさんより強い、BさんはCさんより強い、CさんはAさんより強い。
じゃあ誰が一番強いの?ってなりますよね。
これは相手との愛称の良し悪しと「特定の敵をどれくらい知っているか」によるからなのです。

以上のことから総合的に推測しますと、「理想的熟練パイロット同士の1対1の戦闘」の場合、
主に有利な攻撃ポジションを得やすいムスタングが攻撃するのをゼロ戦はその旋回性を生かして守勢にまわりつつ反撃するチャンスを伺って攻撃するというパターンになりそうです。
結果、なかなか勝負は決まらないまま長時間の戦闘になり、最終的にはより強い緊張感を強いられるゼロ戦パイロットの集中力低下から敵に攻撃チャンスを与えてしまうという結果になりやすいのではないしょうか?

おそらく10回勝負すれば、6:4かせいぜい7:3位でやはりムスタングの勝率が高いかなという気がしますが、
ムスタングの圧勝ってことは絶対にないと思います。

ちなみに、趣味のコンバットフライトシュミレーターではゼロ戦のほうがムスタングに圧勝しました。
一応実機の性能を設定したプログラムをされているはずなので、あまりでたらめではないとは思いますが、
私の技量を考慮してもレシプロ機の格闘戦において旋回性がいかに重要であるかを実感させられました。

添付画像は1995年にムスタングとゼロ戦が同時離陸したときのものです。
ゼロ戦の軽さを感じました。
あ、私はゼロ戦はあまり好きではないので決してゼロ膳贔屓な意見ではありません。

このように、現代ではありえない空中戦を推測するというのは楽しいですね。
私は元戦闘機設計技師の弟子で、ただの戦闘機マニア、格闘技マニアです。

まず、当時の記録では、機体の性能以前に、ゼロ戦のパイロットの技量、ガソリンの質、敵機の情報、戦闘機の数量というすべての面で日本軍側が圧倒的に劣っていたので、結果的にムスタングの圧勝だったので、その印象が強いようですが、
さて、それらが完全に同条件になった場合はどうでしょう?

空中戦の場合必要な要素というのはたくさんありますが主に「戦闘...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Q特攻は通常攻撃より有利だったのですか?

「特攻-還らざる若者たちの鎮魂歌」(神坂次郎著)を読んで思ったのですが、
特攻は、通常の飛行攻撃に比べてどう有利だったのでしょうか?
この本に「われ特攻を拒絶せり」という章があり、特攻を拒絶した美濃部少佐率いる芙蓉部隊が奇襲攻撃を繰り返して成果をあげています。
飛行機のまま体当たりするのと、途中で爆弾を落とすのとで、命中精度がだいぶ違ってくるのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>飛行機のまま体当たりするのと、途中で爆弾を落とすのとで、命中精度がだいぶ違ってくるのでしょうか?

急降下爆撃(水平爆撃ではない)の命中率で言うと、日華事変当時の艦爆隊の命中率は60~70%、錬度が頂点に達していた昭和17年のインド洋海戦のころは急降下爆撃命中率は80~90%です。
これはインド洋海戦の九九式艦上爆撃機53機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機)の巡洋艦への爆弾命中率88%、九九式艦上爆撃機85機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機、瑞鶴14機、翔鶴18機)から航空母艦への爆弾命中率82%、また17年のコロンボ攻撃などでの江草隊の命中率85%などからも確かでしょう。
恐るべき命中率で、パイロットの高い錬度の賜物でしょう。

ただしその後は激戦を重ねる中で熟練パイロットが消耗し、命中率は低下していったと思われます。
元々戦闘機乗りでWW2では航空参謀、また剣部隊の司令となった源田実は、戦艦・航空母艦の議論の中で、「一方航空機の場合は水平爆撃の命中率が12%,急降下爆撃が50%,雷撃が75%である」と分析していますから、一般的及び充分な錬度での艦爆(急降下爆撃)の命中度は50%ほどと考えるのがいいかと思います。

特攻での命中率ですが、米軍の資料で56%と言う資料がでましたが、これは書類上で正確には命中効果率であり、命中率とは違います。米軍が視認した機数を分母に至近命中まで含んだものです。
下記データの中から
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kamikaze-statistic.html
日本海軍の特攻機(1944年10月から沖縄戦まで)
出撃数 2,314
帰還数 1,086
損失 1,228
の帰還数は戦闘に参加しなかった数なので、損失(未帰還)1228の中で
損害を与えた322を計算すると26%となります。
日本側の特攻初期の推定26~28%と重なりますね。

また安延多計夫大佐の調査での比島作戦~硫黄島作戦の数字、奏功率(奏功率とは命中機数と至近弾機数の合計)27.1%とも重なります。
命中率では19.5%です。
しかし米軍の特攻対策により、大戦末期の沖縄戦では特攻の命中率も極端に下がり、奏功率13.4%、命中率6.8%となっています。6.8%…もうボロボロですね。
http://d.hatena.ne.jp/fuldagap/20070220

ちなみに水平爆撃と急降下爆撃を混同されがちですが、攻撃目標に対してのベクトルをあわせて急降下し500メートルの高度から爆弾を投下すると3秒後には目標に激突しますので、ある程度の錬度の航空隊ならば急降下爆撃の命中度は非常に高いです。

また特攻を始めた時の急降下爆撃のほうが命中率は数%だったようですから、そうなれば特攻のほうが命中率は高いです。
つまりその当時では、錬度の低い兵士を各地に投入せねばならなかった悲しさですね。
その上で軍内部での対立(陸軍・海軍)などもあり、戦果があがらない上層部が「ウチはこんなにまでしているという」という言い訳、責任回避にさせられた面もあります。

戦略面で言うと、特攻は敵との戦闘までいけば死亡率100%ですから、米軍側からすれば、命中しようが海に落ちようが攻撃機はすべて落ちます。つまり敵機迎撃率100%と同じです。

日本側からすれば、攻撃をするごとに確実に機体とパイロットを失い兵力が減少していくわけで、ただでさえ苦しい戦況がその後どうなるかは自明の理です。正に負ける事を前提に、負けに向かって進んで行くだけの時間稼ぎの戦略になります。そんなものに使われた若者たちはたまった物じゃありません。

もちろん「君たちだけを死なせはしない。最後には私も君たちの後を追う」と言って若者を特攻に向かわせた上層部の多くが、戦後に国会議員や政治顧問になっていたりします。
逆に特攻に批判的だった、あるいは責任を感じていた上官が後を追ったり、腹を切ったりしているのは皮肉です。

という事で単純な比較はできませんが、ある程度の錬度の航空隊なら急降下爆撃のほうが命中率が高い。しかも艦船への爆弾の激突時の速度、ダメージも上です。
特攻を始めた当時のみでみれば、体当たり攻撃のほうが命中度が上です。

>飛行機のまま体当たりするのと、途中で爆弾を落とすのとで、命中精度がだいぶ違ってくるのでしょうか?

急降下爆撃(水平爆撃ではない)の命中率で言うと、日華事変当時の艦爆隊の命中率は60~70%、錬度が頂点に達していた昭和17年のインド洋海戦のころは急降下爆撃命中率は80~90%です。
これはインド洋海戦の九九式艦上爆撃機53機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機)の巡洋艦への爆弾命中率88%、九九式艦上爆撃機85機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機、瑞鶴14機、翔鶴18機)から航空母艦への爆弾命中率8...続きを読む

Q第二次世界大戦時で最も優秀な戦車は?

ドイツのタイガー戦車が強力で有名ですが、
ソ連軍のT-34という戦車がそれを打ち負かしたということを知りました。
さらにタイガー戦車より最新のパンター戦車というのもあるらしいです。
総合的に見て最優秀の戦車(一対一で勝てる)は何だったのでしょうか?

又日本は戦車の開発には関心が薄かったようですが、
それはどうしてでしょうか?
中国戦線では大活躍すると思うのですが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があれば戦争に勝つかというとそうでもないのです。例えば1940年のフランス電撃戦のとき、ドイツ軍の持つ戦車は3号戦車と4号戦車(前期型)が中心で、武器としては機関銃しか持っていない2号戦車の数もまだまだありました。
一方のフランス軍にはシャールB1という重戦車があり、イギリス軍にもマチルダ2という戦車がありました。カタログスペックだけ見たら、B1戦車もマチルダ2も3号戦車や4号戦車より優れているのです。しかも、その数はドイツ軍に比べると英仏連合軍のほうが多くの戦車を持っていたのです。
しかし、戦争にはドイツ軍が勝ちました。その勝因は、戦車を集中して運用したからです。

プロ野球でも、ものすごい4番バッターがいたら優勝するかというとそうではないですよね。チームとしての全体のバランスが重要です。サッカーもそう。軍隊(戦争)もそうなんです。
第二次大戦のときのアメリカ軍の主力戦車はM4シャーマンです。カタログスペックだけ見ると、ドイツ軍の4号戦車よりちょっと優れている程度です。だからドイツ軍のタイガーやらパンターやらには直接対決では勝てなかった。でも、アメリカ軍はそれでよかったのです。アメリカ軍にとってM4戦車は歩兵支援用です。だから、それ用のための性能を重視しました。そして、ドイツ軍の強力な戦車には、航空機などの戦車の苦手な手段で当たればいいと考えていたのです。これぞアメリカ人の超合理主義。「戦車の相手は戦車がしなきゃいけないと誰が決めたのだ」というわけです。

戦車というのはですね、基本的に消耗品なのです。いくら優れた戦車でも1両だけじゃどうしようもない。それなら平凡な性能の戦車が10両あったほうがいいのです。
これが基本的に理解できなかったのが日本軍。理解できなかったというか、受け入れられなかったというべきでしょうかね。基本的に貧乏な日本軍では、お金のかかる戦車を大量に用意して消費しながら戦うなんて贅沢な戦い方はやりたくてもできなかったのです。

日本軍悲劇の戦車チハタンこと九七式中戦車は、カタログスペックだけを見ると同時代の戦車、例えばドイツの3号戦車初期型とほぼ同等の性能を持っています。3号戦車初期型が37ミリ砲を搭載していたのに対して、チハタンは57ミリ砲を搭載していたので、カタログ上は上です。
しかしこの、「カタログ上は」ってのがネックで、実はチハタンの57ミリ砲、初速が遅くて徹甲弾の性能が低かったので対戦車砲としては使い物にならなかったのです。これは日本工業力の限界。
そしてなによりエンジンの性能が低かった。3号戦車が300馬力のエンジンを持っていたのに対してたった170馬力しかなかった。だから、改良を加えたくても性能に余裕がなかったのです。

日本軍は戦車の開発に関心がなかったわけではないです。ただ中国軍にはほとんど戦車はなかったし、アメリカ軍も第二次大戦前にはほとんど戦車を持っていませんでした。しかしソ連軍は戦車を大量に持っていたので、ソ連軍への対抗上戦車への関心は持っていました。
しかし、ソ連軍が戦車を「大量に動員する」という戦い方をしてきたノモンハン事変を目の当たりにして、「あんな戦い方は(貧乏で戦車を揃えられない日本には)とてもムリ」となったのです。
戦車は戦車単独で存在しているわけじゃなくて、修理をする整備兵や、補給をするトラックなども必要ですよね。ところが当時の日本人にはそもそも車の運転ができる人がいなかった。自動車運転は「特殊技能」扱いです。ましてやそれの整備ができる人となるともっといない。だから運用にも限界があるのです。国に車が行き渡っていて、当然自動車修理工がいっぱいいたアメリカとの違いです。

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があ...続きを読む

Q零戦の20mm機銃の弾について

零戦の20mm機銃の弾には、徹甲弾、炸裂弾、曳光弾とあるようですが、1つの弾に組み合わされていたのか、あるいは別々の弾だったのでしょうか。教えてください。

Aベストアンサー

別の弾です。構造が全く違うので、同じ弾で全ての役割は出来ません。
基本的には、徹甲弾、炸裂弾、曳光弾を順番に配列して給弾します。
ちょっとその配列の具合(たとえば「徹、徹、炸、曳、徹、徹、炸、曳、……」など)の資料がありませんので、それについては不明です。

弾薬については以下が参考になると思います。(一般的な話ですが、もちろん零式艦上戦闘機もこれからは大きく外れたものではありません)

弾薬について
http://www.warbirds.jp/crazy/jp/gun/ammo.htm

Q紫電と零戦のちがい

紫電は航続距離の短い局地型戦闘機で、零戦は航続距離の長い艦上戦闘機じゃないですか。この二つってどう違うんですか?発動機や装備が違うんですか?

Aベストアンサー

紫電は水上戦闘機「強風」を陸上機化した機体で1942年末に試作機が完成しています。発動機は誉二一型で、20ミリと7.7ミリの機銃が二つずつと60キログラム爆弾4個もしくは250キログラム爆弾2個を搭載しています。
零戦との違いですが、これは零戦と紫電の違いなのか、局地戦闘機と艦上戦闘機の違いなのかはわかりませんが、後者で行くと元々海軍には戦闘機は艦上戦闘機のみでした。しかし、艦上戦闘機は狭い空母の甲板で離着艦をするため、それが性能向上のネックとなっていました。中国戦線で国府軍の高速戦闘機に手を焼いた海軍は性能に制限がつかない陸上専用の戦闘機を開発することにしました。それが局地戦闘機です。局地戦闘機は基地上空の防衛が任務なので航続距離が短めとなっています。
対して、艦上戦闘機は広い洋上で敵空母部隊を発見して攻撃するため、ある程度の航続距離が必要となりますが、零戦の場合は陸上攻撃機の護衛という任務もあるため人一倍航続距離が求められたのです。両者に発動機や装備に差異はないと思います。
あと、零戦と紫電の違いは簡単にいうと、零戦は戦争を通しての主力戦闘機で、紫電は零戦にかわる主力戦闘機とされた雷電の実戦配備が遅れていたので問題があるにもかかわらず採用された機体です。その後、改良されて紫電改となってアメリカの戦闘機と互角に戦えるまでになりましたが、すぐに終戦となってしまったので零戦の後継の主力戦闘機にはなれませんでした。

紫電は水上戦闘機「強風」を陸上機化した機体で1942年末に試作機が完成しています。発動機は誉二一型で、20ミリと7.7ミリの機銃が二つずつと60キログラム爆弾4個もしくは250キログラム爆弾2個を搭載しています。
零戦との違いですが、これは零戦と紫電の違いなのか、局地戦闘機と艦上戦闘機の違いなのかはわかりませんが、後者で行くと元々海軍には戦闘機は艦上戦闘機のみでした。しかし、艦上戦闘機は狭い空母の甲板で離着艦をするため、それが性能向上のネックとなっていました。中国戦線で国...続きを読む

Qフィンランドは冬戦争でどうやって戦車を捕獲

冬戦争のとき、フィンランド軍はソ連軍と比べて質・量ともに遥かに劣っていたにもかかわらず連戦連勝して戦車を何台も捕獲したりしていますが、一体どうやって戦車を捕獲したのですか?

Aベストアンサー

真冬のフィンランドに行って、極北からスノーモービルでロシア国境が見えるところまで行ってきた経験がありますが、多分にもれず軍事にも興味ありました。

フィンランドの戦場は森が多く、その多くは道が一本でしかも舗装されていませんでした。冬戦争のとき、気温は零下40度になったそうですが、とにかくソ連軍は不確かな地図(作戦地図が完成したのが、冬戦争が終わったあとという体たらくです)しかないので、その一本道を進軍するしかありません。

フィンランド兵は地元出身者中心に勝手知ったる森で待ち構え、先頭のトラックと、最後尾のトラックを攻撃して、動けなくさせます。このときできれば野戦炊飯車に数発撃ち込むそうです。

ソ連兵は森に追跡に入っても、スキーで逃げたフィンランド兵を補足できるわけもありません。で、先頭と最後尾のトラックがやられた部隊は、道で立ち往生です。戦車も装甲車も。

夜になると、零下40度になります。もし野戦炊飯車がやられていたら、温かい物を口にすることすらできません。寒空の下で凍傷患者がでると、移動すらできなくなります。なので、装備を捨てて、歩いてソ連兵は退却せざるをえません。

残ったソ連製装備は、雪の作業になれたフィンランド軍が、こわれた車両はさっさと修理して、こわれていない車両はさっさとエンジンを起動させて、もっていってしまう、というオチです。
戦車も、装甲車も、マキシム機銃4丁つんだ対空トラックも、もっていき放題です。

ヘルシンキの軍事博物館に、ソ連軍のフィールド・キッチンがありました。200人分のスープが作れるそうです。ただし、釜の部分に穴があいていなければ、ですね。

フィンランド軍の作った陣地にやってくるように、デタラメな標識をたてたり、極めつけはロシア語ができるフィンランド兵がソ連軍の服を着て、ウソの道を教えたりしたそうです。

真冬のフィンランドに行って、極北からスノーモービルでロシア国境が見えるところまで行ってきた経験がありますが、多分にもれず軍事にも興味ありました。

フィンランドの戦場は森が多く、その多くは道が一本でしかも舗装されていませんでした。冬戦争のとき、気温は零下40度になったそうですが、とにかくソ連軍は不確かな地図(作戦地図が完成したのが、冬戦争が終わったあとという体たらくです)しかないので、その一本道を進軍するしかありません。

フィンランド兵は地元出身者中心に勝手知ったる森で待ち...続きを読む

Qプロペラ機はエンジンが全部止まっても飛べる?

 エンジンが止まった場合、ジェット機は水平飛行はできなくなるが、プロペラ機はある程度の水平飛行ができると何かで昔読んだことがあるのですが、実際のところどうなんでしょう。もしそうならなるべくプロペラ機に乗ろうと思います。(無理か^^;)テレビを見てて、ふと疑問におもったもので。お暇なときで結構です、ご存じの方いらっしゃいましたらよろしく。

Aベストアンサー

高度を維持した水平飛行というのはおそらくプロペラ機でも無理でしょう。
翼の滑空比にもよりますが、余程強力な向かい風でも吹いてなければ
機体を同高度に維持する水平飛行はできません。

蛇足ですが、

プロペラ機でエンジンが停止すると、
今度は回転しない(或いは風力で回転する)プロペラが有害な抗力となり、
それだけでも滑空の大きな障害となります。

今現在のプロペラ機は、
エンジンが停止した場合や着陸時にプロペラの抗力または推進力を
軽減するためにフルフェザー状態(プロペラ面を風に対して自由にする)
ことができます。

私はヘリコプターのライセンスを持っているのですが・・・
一番怖かったのはエンジンをアイドリング状態にして滑空して降りる
「オートローテーション」と呼ばれる訓練でした。
つまりエンジン停止状態をシミュレートするのですが・・

エンジンを最小出力にすると、ぶうん、
という音とともに機体が急速に沈み、降下速度は1500~2000フィート(500~700メートル前後)になります。
滑空速度は機体によって違いましたが、速すぎても遅すぎてもよろしくなく、またローターの回転計が常に通常範囲内にとどめておかなければいけませんでした。

しかも地上ギリギリでパワーを入れて機種上げにして速度を落とし
揚力を確保し、エンジンを元に戻すのですが、
概ねこのときの高度は地上から1メートルくらい。
そうしないと、実際にエンジンが切れたときに滑走できないからです。

オートローテーション訓練はエンジンは動いているとはいえ、
一歩間違えればメインローターは断裂して吹っ飛び、降下速度、降下率を
ミスすれば訓練といえども即死に直結するので、
それはもう真剣そのもので、やるときはいつも脂汗ダラダラでしたね。

前に訓練してて、パワー入れようとしたら教官がレバーを抑えたまま離さない!
「やめてえ!ギャー!」とかなんとか思いつつもざざざざーっと滑走着陸したのですが、
「なんで・・?」って聞いたら
「いやあんまりうまく滑空してたもんだから本当に滑走着陸してみたくなっちゃった。てへ。」
なんていわれて。てへ じゃねえよオイ!
そんなら最初からそうしろって言って下さいよ~!と心でツッコミを入れてました(^^;)

しかし私もまがりなりにもパイロットの端くれ、これだけは言えます。
「飛行機を安全に運行するのはハイテク技術ではなく人の知恵と技である」
どんなハイテク機だろうと、ローテク機だろうと、
それを操縦するのは人であって、危急存亡の事態を打開するのはやはり人の力です。

私はヘリですが、ハイテク機はあまり好きではありません。
コンピュータ制御の計器は好きじゃないんです。壊れると見えなくなるから。
やっぱり昔ながらの空気力や機械式の計器のほうが安心できます(^^)

そうそう、No.3の方のおっしゃってる離陸できない状態というのは実際ありますよ。
私も真夏の暑い日に教官と一緒に訓練に行こうとしたら、ヘリが30センチくらいしか浮かないときありましたから。
そういうときは教官が地面を見ながら私がそろりそろりと滑走路に行って、
滑走しながら離陸してました。帰りは燃料が少ないから余裕で浮いてられます。

長々と失礼いたしました。

高度を維持した水平飛行というのはおそらくプロペラ機でも無理でしょう。
翼の滑空比にもよりますが、余程強力な向かい風でも吹いてなければ
機体を同高度に維持する水平飛行はできません。

蛇足ですが、

プロペラ機でエンジンが停止すると、
今度は回転しない(或いは風力で回転する)プロペラが有害な抗力となり、
それだけでも滑空の大きな障害となります。

今現在のプロペラ機は、
エンジンが停止した場合や着陸時にプロペラの抗力または推進力を
軽減するためにフルフェザー状態(プロペラ面を風...続きを読む


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