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私は、中学生2年の冬にいきなりクラスメイトからいじめを受けました最初は一人の女子生徒が私に対して文句を言ってきたのですが、それはどんどん広がり、クラスそして学年全体に広がりました。いじめは言葉による文句だったのですが、最初に文句を言った子が私のことを「臭くない?」と言い、それから鼻に手を当てられるようになりました。そして、私が近くを通るたびにみんな鼻に手をあてるようになり、私を避けるようになりました。とてもつらかったのですが、その当時の私はここで学校を休んだら負けだ、親には気づかれたくないという思いがあり、いじめられていることを隠して通学していました。中3からはいじめの程度は軽くなりましたが、変わらず続きました。
そして高校に入学して、もういじめられないと思っていたのですが、1年の後半にまたいきなりいじめが始まりました。中学のいじめが始まったのです。何日か学校を休んだのですが、親には心配をかけられないので、頑張って学校に通いました。毎日毎日怖かったのですが、頑張りました。
そして今、大学生となり隣の県の大学なので自宅から通学しています。今は、またいじめが始まらないか、噂が広がらないかという不安があります。またこのいじめられていたことを話すことでその人からも変な目で見られないかという不安、恐怖で相談できる相手がいません。いじめを受けたことは、忘れたいのですがなかなか忘れることができません。たまに夢にもでてきて、心が苦しい時が何度もあります。そして、いじめが原因なのか人前にでるのがこわいです。視線をあびるのがこわいです。生きていることがこわくなることがあります。
ながながとなりすみません。
私はこの出来事によって、気になる人がいても、私の過去を知られたくない思いがどこかにあって好きにならないようにしています。こわくて人を素直に愛することができません。私はこれから生きていくことができるのでしょうか。この心の傷は治すことができますか?今後どうやって生きていけばいいのでしょうか。

A 回答 (4件)

それでもhmd57998さんの人生ですよ。



こんにちは。

同じゼミにいたら、道ですれ違ったら、同じ会社になったら…不安数えだしたらきりがありません。
世の中いじめを受けた人だけが苦しい思いをしているわけではありません。さっき道ですれ違った人も、もっともっとつらい悩みを抱えているかもしれません。そんなものです。

過去のこと忘れようと思っても、そんな都合良く脳は動きません。忘れてはいけないことなんです、きっと。それを忘れないことで、人に優しくできるかもしれないし、自分もすばらしい人間になることが出来るかもしれない、脳はそう思っているんですきっと。

強くなりませんか?
精神的にも肉体的にも。

その強さで昔の自分を包み込んでしまうくらいに。

hmd57998さんは今その岐路に立っているんだと思います。他の方も書いていますけど、結局自分の人生です。やるかやらないかは自分次第。周りが何かをしてくれるわけではありませんからね。

どうやって生きる?
もう答え出ていますよね。
ふぁいと。
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最近苛められた事を話す風潮が強くなっていますが私は反対です。

そんな事は人気取りくらいにしか受け取られません。心の中では「そりゃそうだろうなぁ」と思われるのがオチです。

苛められた事を治すとか癒すとか隠すとか、それも無理。
地割れが落ち葉や雨で自然に埋っていく。それしかないです。
逆に無理に隠そうとしたり治そうとすると、春のアスファルト道路のように、つぎはぎだらけの凸凹道になってしまって、かえって目立つのです。

私は、親しき中にも距離を開ける癖をつけました。
親友といっても深入りはしないと決めたのです。相手の近寄るに任せました。

怖いというのは、心の奥底に認めてもらいたい自分がいるからです。
認めるか否かは相手のかって、自分は自分でしかないのだから、認めてくれない人の事など関与する気もないと考えれば怖いものなどありません。

でも、これは人間嫌いになってしまった私だから出来たことかもしれません。
私は必要最小限でしかヒトと接しない生活が出来るようにと、様々な勉強もしました。
人間嫌いになるにも人並み以上の努力が必要なんですよ。その中で本当に付き合うべき人とのめぐり合わせもあるかもしれないのです。むしろその方が有意義かもしれませんね。
人間はどこかさびしがり屋です。だから一人暮らししている人ほど、人との付き合いを大切にします。距離さえきちんと保てば、街中の輩より、いい関係になります。
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あなたの心の傷を誰かが治すことはできないでしょう


でも、あなたに伝えたい
今あなたは生きている、まだあきらめていませんよね?
それでいいじゃないですか
あなたは自分がいじめられたことを恥じているのですか
自分は間違っていないと言いきれますか
自分を信じて、それを強さにしてください
大学生のあなたは、まだ私から見れば若いです
これから、自分ではどうにもできないことは他にもたくさん間の当たりにすることと思います
信じられる自分、信じられるものを少しずつでいいので作っていってください
そして、また何か困難にぶつかったときに、自分を信じてあげてください
人間の生理的なことをあげたら誰だってひとつふたつ、人とは違う習慣や、理解されない癖など、持ち合わせています
あなた自身がまず、自分のことを好きになってあげてください
自分を愛せない人間は誰かを愛することもできないと思います
愛という言葉は簡単に使いたくありませんが、唯一人間に与えられた尊厳であり、とても複雑だけど、人間にだけ与えられた、とても尊い感情なのです
動物の愛情は生物学的なものですが、人間には説明のつかないいくつもの愛があります。
それから。、大学生のあなたはすごく恵まれていると思いますよ
そういう社会的安定さえも手にいられない人もいます
もちろん、あなたは努力したことでしょう
ただ、例えそうしたものが無くなって、自分の存在を考えてしまうことがあったとしても、生きていることが大事なのです、すべてです
そこから、どんなことでも努力次第で、あなたは何だって手に入れることができるのです
怖がらないで、一歩ずつ踏みしめて生きてください
私は病気で治ることは望めませんでしたが、生きている、そして自分のしたいことをさせてもらっているという幸福を感じて生きています
病気の人間は明らかにあらゆる制限の中で生きています
そして、この病気を悟られないように私は生きています
人並みという言葉は語弊があるかもしれませんが、そうした幸福というものは望めなかったので、諦めました
望めないこともあります、でも生きるんです
いつか、あなたが怖がっている毎日が、なんの代り映えもしない日常に感じる日が来ますよ
私はあなたを誇りに思いますよ、負けなかったあなたの強さを誇りにしてください人生は長いです、まだまだこれからですよ
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お早う御座います。



>私の過去を知られたくない思いがどこかにあって好きにならないようにしています。
>こわくて人を素直に愛することができません。
>私はこれから生きていくことができるのでしょうか。
>この心の傷は治すことができますか?
>今後どうやって生きていけばいいのでしょうか。

ご自分で書いた文章、読み直してみると宜しいです。
「漢字変換」の誤りは兎も角、過去に「囚われ過ぎ」だと感じました。

「体の傷」に例えた場合、足の骨を折るような大怪我をしたとします。
でも、骨折は綺麗に治りました。
歩く事には殆ど支障が無くなりました。
でも、本人が、
「歩くのが怖い。
また、骨を折るのが怖い。
歩くのが嫌だ・・・」
と考えて、歩き出さなかったら、どうなるでしょうね?。
歩ける体なのに、自ら歩けなくなって一生を終える事に成るかも知れない訳です。

私は、質問者様に、
「過去のイジメなんか気にせず、これからの人生を大事にしろ」
と、頭ごなしに書くつもりは有りません。

自分の人生は、質問者様自身が決めて進むこと。
>今後どうやって生きていけばいいのでしょうか?

はい。
自分の過去に拘って、人を好きにならないのは自由です。
怖くて人を素直に愛することが出来ないのも自由です。
これから生きて行く事が出来なくなっても、それは100パーセント他人のせいには出来ません。

心の傷を治せるかどうかは本人次第なのです。

自分で「もう歩けない」と判断を下せば、歩けない人間に成って終わるでしょう。
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