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平安京での庶民の死者の葬り方。
ある本で読んだだけの知識ですが、
平安京に遷都して3年後、延暦16(797)年に発せられた勅で、
凶穢を避けるために屋敷地近くへの埋葬を禁止しています。
さらに違反者は、外国=畿外に追放する、と述べています。
では平安時代、京の都では死者をどのように葬ったのでしょうか、
どこかに墓地をつくったのでしょうか、それとも川に流したりしたのでしょうか、教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

京近くの葬送の地と言えば、鳥辺野、化野、蓮台野が有名です。


字からも分かるでしょうが、野原に捨てていた=風葬ということです。
少し身分が高くなると火葬にすることもあったようですが(源氏物語等に葬儀の記述があります)、庶民は死体を野原に置いておくだけです。あとは鳥や犬に食われて骨になります。

ただ、飢饉や疫病が流行したときは、路上に死体が放置されていることも珍しくなく、鴨川の流れが死体の山で堰き止められたこともあったようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ご教示の鳥辺野について調べました。
よく解りました。

お礼日時:2010/05/02 10:35

山や河原に捨てるとそれを処理する人たちが山奥に埋葬したそうです


捨てる場所は主として鴨川や船岡山でした
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
船岡山西側の蓮台野も葬送の地だったのですね。

お礼日時:2010/05/02 10:33

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