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純粋理性批判(Q3)

「(A)アプリオリ・アポステリオリ」「(B)分析的判断・総合的判断」
キーワードとして良く使われるこれらのの用語について、(A)と(B)の関連性などが今ひとつよくわかりません。

アプリオリな認識とは、経験の関与していない認識。
アポステリオリな認識とは、経験から導かれる認識。
と単純に区分できるわけではなさそうで、アプリオリな認識の中でも、
「全く経験という要素の関与していないアプリオリな認識(=純粋認識)」と、「経験的要素の含まれた(=純粋認識ではない)アプリオリな認識」がある、ということのようです(よね?)。
そこで、

【質問1】
『分析的判断とは、(当然アプリオリな)純粋判断(のみ)を指す。
総合的判断とは、純粋判断以外のアプリオリな判断、及びアポステリオリな判断全てを指す。』
と定義(分類)して差し支えないでしょうか。(なんかありそうですが・・・)

【質問2】
「経験的要素の含まれた(=純粋認識ではない)アプリオリな認識」と、「アポステリオリな認識」との違いは、どのように考えれば良いでしょうか。

極力わかりやすい表現で(中学生でもわかるかもしれない、ぐらいの表現で)教えていただけると助かります。
    

A 回答 (1件)

情報処理の問題として捉えると面白いかもしれませんね。


認識とか経験という事を、人間的な情報処理として見た場合です。

認識とは、感性と悟性によるものとカントは説いています。
感性による直感的把握と、悟性による分析的思唯とがあって、始めて認識が成立するとされています。
これらを情報処理の働きとして解する事ができるものと思います。
感性コンピューターなるものの概念が既にある現在、情報処理の立場から解釈する事が十分可能と思います。
問題は超感性とかいう、一般的ではない超の世界の捉え方にあります。
人間的であるという事の範囲をどう扱うのかによって、その情報処理の概念も決まってくるように思われます。
哲学が情報処理に優先するとするならば、超の世界に踏み込まなければならないでしょう。
また、より大きな情報処理の世界を示してこそ、哲学の意義があるようにも思われます。

前置きが長くなりました。
素人の私の勝手な解釈です、ご参考にしてください。

感覚という情報の窓口を通して入ってきた多くの情報は、次々に記憶されていきます。
後から入ってきた情報と、記憶の中の情報を最初に照合するのが感性の働きです。
既にある数多い情報の中から、どの情報を照合するのかが、感性的に選択されます。
次に選択された情報と、新しい情報との違いの分析が行われます。
情報の照合において、照合すべき既存の情報が選択された場合、その情報に伴った多くの情報もまた同時に選択された事になります。(総合的判断という分析に連なります・経験認識でしょうか)

照合すべき情報が選択されなかった場合(無かった場合)には
新しい情報が大きく特異なものとして、分析されずにそのまま記憶されます。(純粋認識でしょうか)
新鮮な?というものなのでしょう。

以上は通常の認識方法を情報処理に置き換えた解釈です。
最初の記憶の段階にあっても、感性よる選択の働きもあるように思います。
また、記憶された情報が感性化されている面もあるように思われます。
でなければ、速やかな選択や照合が成り立たないからです。
これらの事は情報処理に精通された方ならば、簡単な事かもしれません。
或いはもっと別な解釈もあるかもしれません。

ご質問2についての内容となりましたが、ご質問1については、以上の事柄からご考察を願います。
ご自分の言葉で噛み砕いてみる事が大切のように思います。

あまり、自信のない事を申し上げて失礼だったかもしれません。
ご参考になさって下さい。

この回答への補足

【質問1】
・アプリオリでもアポステリオリでも、分析的判断、総合的判断のどちらもあり得る。
・その中でも、アプリオリで且つ分析的判断を純粋判断と呼ぶ。
のように(取りあえず)捉えなおしました。

【質問2】
『経験的要素の含まれた(=純粋認識ではない)アプリオリな認識」と、「アポステリオリな認識」との違い』
普遍性・必然性の有無の違いというように(取り合えず)理解し先へ進みます。

情報処理という観点もカント理解の視点として覚えておきます。
大変参考になりました。
ありがとうございました。
  

補足日時:2010/06/06 21:02
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ちょっと質問の仕方を変更してみたいと思います。
  

お礼日時:2010/06/04 16:46

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