プロが教えるわが家の防犯対策術!

町中にある江戸時代くらいの屋敷跡などでも、発掘すると現在の地面からかなり下にあったりして、いつも不思議に思います。たった数百年前のものなのに、どうして埋もれてしまっているのでしょうか???

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (6件)

遺跡はなぜ地面の下にあるかということですが、これは遺跡の内容によります。

つまり、遺跡には建物の基礎の礎石跡などが発掘される場合もあれば、遺物が出てくる場合もありますし、古墳など人工物の中に埋められている場合もあるわけです。

まず、建物の礎石や礎石跡の場合には、後から人が土を入れる場合が多いです。現在でもそうですが、何か建造物があったところに後から別に何かを作ろうとすればたいてい前にあったものを取り壊して整地してから(すでに上物が倒壊している場合もあるでしょう)建てます。ですから、建物の跡は地面の中に残ります。

同様のことは例えばメソポタミア地域のテル・××遺跡などにもあります。(テルとは丘のことですが)灌漑がなされず天水だけに頼っていた時代では耕作地(住居)は何年かごとに移動していきますが住居に適した土地は限られているので何十年かの周期でもとの場所あるいは近い所に戻ります。この時、以前の住居跡(日干し煉瓦製ですから風化して崩壊しています)の上に新しく住居を造ります。これが何回も重なるうちに遺跡は丘となってしまいます。

遺物の場合ですが、これは雨やミミズの仕業である場合が多いのです。冗談で書いているように思えるかもしれませんがそうではありません。もし90210さんがどこかの地面の(ご自宅に庭があればそこが一番です)上に茶碗のようなものを放置して動かさずにいると半年から一年たつとその茶碗は見事に土の中に潜ります。地面の表層はコンクリートなどで覆われていなければ、雨の力などで絶えず入れ替わっています。その中で比重の高い物や固い物は次第に沈んでいくのです。

また、古代ローマの遺跡のポンペイ(火山噴火)、草戸千軒遺跡(洪水)のように大きな天変地異によって町全体が埋もれてしまうこともあります。

古墳などを作る場合も、長年月がたつうちにそこが古墳であったことなど忘れ去られ単なる丘や地面の出っ張りになったりします。また古墳自体の崩壊もありえます。

とまあ、こうした事情によって遺跡は土の中に埋もれていき、同時に土によって保護されることで時代を超えて発掘されることになるわけです。

蛇足ですが、最近では海中考古学といって沈没船などに積まれたままの遺物を発見し、それを引き揚げて研究することも行われています。
    • good
    • 7

>遺跡は何故地面の下にある


ではなく、
「地面に埋もれたものだけが、遺跡になった」
のではないですか?

何百年、何千年と人は住み続けているわけですから、
遺跡なんて特別なものじゃありません。
壊れたもの、受け継がれたもの、埋もれたもの、色々です。
埋もれたものが遺跡になり、埋もれなかったものは、壊れたり、腐ったり、バラバラになったり、人が使ったり、
近所を歩いていても、縄文土器のかけらだって、ちょっと探せばすぐに出てきます。

でも、地震、火山の噴火、土砂崩れ、などで埋まったものは、その瞬間、時が止まった様に出てくるので、保存状態がよく、大騒ぎして「○○遺跡」となるのではないですか。

この回答への補足

"地面に埋もれないと遺跡にならない”っていうのはその通りでよね。ただ例えば京都の中心部で見たものなどは近くにも結構古い建物があるのに相当下にあるので(この辺は火山とか地震も多分ないですし、ずっと”町中”だったところなので)不思議でたまらないんですよね・・・基礎の構造がどうなっているのか調べれはわかるかも知れません

補足日時:2003/07/09 20:35
    • good
    • 1

大きく分けて



自然による物
人為的による物

の2つがあると思われます。
自然によるものとしては地震、火山灰、洪水などがあります。とくに江戸時代は何回か火山が噴火しており火山灰が江戸の町に降っています。この影響は大きいと思いますよ。

人為的なものは倒壊したものの上に土を入れてしまう事とかです。こちらは少ないと思いますが。
    • good
    • 1

こんにちは。


いくつかの原因があるようです。
まずは自然要因。
地震による陥没、土砂崩れ、火山噴火による埋没等。
地震などでは、時に水没して海や湖の底になったりすることもありますね。

あとは人為的要因。
大火、あるいは大地震等の広域災害では、そのまま埋めてしまうことも結構あったようです。
    • good
    • 2

基礎工事の跡なので地下から出てくるのだと思っていました。

    • good
    • 0

この疑問,わたしも持っていました。

不思議ですねえ。
わたしが自分なりに得た答えは,
「遺跡は空中には存在できないから」というものです。あるいは,「遺跡の下に現在の街や畑を作ることはできないから」といってもいいですね。
    • good
    • 1

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q遺跡はなぜ埋もれているのでしょうか

考古学については、学校で習ったくらいの知識しかなく、まったくの素人です。中学生くらいのとき(30年ほど前)に、社会科の時間にさまざまな遺跡の発掘の話を聞いてから、ずっとわからずにいることがあります。

遺跡の発掘というのがおこなわれていますが、なぜ、遺跡は埋もれているのでしょうか?

教科書のどこを読んでも載っていなかったように思うのです。

つまり、ある建物や集落があって、たとえば、(イタリアのポンペイのように)火山灰で埋もれてしまうとか、風で砂漠の砂が移動して埋もれるとか、あるいは、洪水で土砂が流れ込んで埋もれてしまう、ということであれば、よくわかります。

でも、そういった場合以外は、なぜ、埋もれてしまうのでしょうか? 新たに建物を立てる人が、土をかぶせるのでしょうか?

変な質問ですみませんが、教えていただければと思います。

Aベストアンサー

> なぜ、遺跡は埋もれているのでしょうか?
> ある建物や集落があって、たとえば、(略)火山灰で埋もれてしまうとか、風で砂漠の砂が移動して埋もれるとか、あるいは、洪水で土砂が流れ込んで埋もれてしまう
> そういった場合以外は、なぜ、埋もれてしまうのでしょうか? 新たに建物を立てる人が、土をかぶせるのでしょうか?

●自然作用の場合
雨・風・草木・噴火の作用で埋まっていきます。
完全に水平な地面ってほとんどないですよね。少しでも傾いていますよね。傾いていると降った雨水が流れて、その水が少しずつでも土を運んできて、少しずつ埋まっていく。1年2年では少しでも、100年200年だとかなり埋まっていく。大雨だったときは、運ばれてくる土は多いですよね。極端な場合は、土石流となって山土が流れ出たり、洪水で水があふれてその水が土を運んで、埋まります。
水平な地面でも風の方向で雨水に多少は流れる方向ができるでしょうかね。
風は、土ほこりを運びます。少しずつでも土粒子を運んで埋まっていきます。
草木も枯れたて地面で腐りますが、それが土壌化して地面を覆っていきますよね。それが少しずつたまっていきます。
噴火して火山灰が地面全体を覆って埋めてしまうことも。

ほとんどの場合、土も高いところから低いところへたまっていきます。ですから、雨風などで土が流れて山になっていたところは少しずつ低くなって、下にたまっていく。また、土のたまる場所は、竪穴住居などのように穴が掘られているところに土がたまりやすいですが、平地を覆うように全体にも堆積していきます。

●人為的な場合
生活するために不要な凹凸を削ったりして、ならす時にくぼ地を埋める。また、平らな土地が必要なときに大規模な造成作業を行って、地面を削り、また盛り上げる。古墳を作るときは、土を盛り上げたりします。

> なぜ、遺跡は埋もれているのでしょうか?
> ある建物や集落があって、たとえば、(略)火山灰で埋もれてしまうとか、風で砂漠の砂が移動して埋もれるとか、あるいは、洪水で土砂が流れ込んで埋もれてしまう
> そういった場合以外は、なぜ、埋もれてしまうのでしょうか? 新たに建物を立てる人が、土をかぶせるのでしょうか?

●自然作用の場合
雨・風・草木・噴火の作用で埋まっていきます。
完全に水平な地面ってほとんどないですよね。少しでも傾いていますよね。傾いていると降った雨水が流れて、...続きを読む

Q遺跡はどうして土の下に埋まっているのですか

遺跡はたいがい土の下に埋まっていますが、なぜでしょうか。

自然現象で土に埋まったのか、人為的に埋められたのでしょうか。

教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

 両方あります。

 アレクサンドロス大王は征服したペルセポリスを略奪して焼きました。
 以前の支配者の威光の象徴を破壊するためです。
 ですが遺跡自体は今も地表にあり、埋まっていません。

 家康公も秀吉の大坂城を埋め、その上に大阪城を建築していますが、これは人為的に埋めています。

 エジプトなどでは、文明の発展時期によって、ナイルの流れが変わり、砂漠の砂の流れが変わって、古王国時代の大半の建築物が砂に埋まりました。
 これは遺跡が戦争や遷都などで都市としては滅んだ後に、自然の力で埋められたものです。

 ポンペイの遺跡では、火山の噴火によって都市が焼かれ、火山灰が大量に積もって埋まりました。
 
 つまり遺跡が埋まるのは、
1 人為的に破壊され人為的に埋められる
2 人為的に破壊され自然に埋まる
3 自然に破壊され自然に埋まる
という3つの要因があることになります。

Q遺跡はなぜ土の中?

よく土を掘り返すと、古代の住居跡などが発掘されますが、なぜ時間がたつと住居が土の埋もれるのでしょうか?
ポンペイみたいに、火山灰を被ったとも、草がぼうぼうにはえ、それが枯れ、土となったようにも、また、土が隆起して住居を覆い込むこむとも考えられません。
100%といってよいほど、土を掘って遺跡を探しだしているように見受けられますので、不思議でなりません。

Aベストアンサー

以前に同様の質問がされていますので下記のURLをご参照ください。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2114237

Qローマの地下遺跡。

以前、何かの番組で、ローマの地下を掘っている番組がありました。ローマの下にはローマがあるという、何層にも積み上がった構造と言っていた気がします。古い街を埋め、その上に新たに建物を建ててあるような構造らしいのですが、これはわざと埋めたものなのでしょうか?それともやはり火山爆発で、下に埋まってしまったものでしょうか?トルコにも地下にイエレバタン遺跡と言うものもあるそうですが、トルコの場合、敵も多かったのだろうし、地下に作る理由も解らなくもない気がしますが、天下とも思うローマはどうなんでしょうか?

Aベストアンサー

テヴェレ川の氾濫が原因です。

CiNii 論文 - 825 オスティアにおける古代ローマ都市・住宅の構造にみるテヴェレ川の氾濫の影響に関する研究(歴史・意匠)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110008595365

エリア
http://roma-apiedi.com/ja/zona-per-zona

古代ローマ時代のローマの洪水 No.1134 - 「世界の高齢者」編集者のブログ
http://d.hatena.ne.jp/wanbi/touch/20110510/1304980387

古代ローマで土木工事の技術が発達したのもテヴェレ川の氾濫に関係するかも知れません。

Qなぜ古墳は地下に埋まっているのか?

よく建設現場で古墳が見つかりますが、ぼくの幼い頃からの素朴な疑問は、なぜ地下から出てくるのか?ということです。
ポンペイのように火山が大爆発したというのならわかりますが、火山がないのに地下から出てくる。おかしいなあ。
河口なんかにあって大洪水で埋まったというなら理解できるけど、それほどの大河も近くにない。火山も大河もないのにどうして地下から出てくるのか? どなたか教えてください。

Aベストアンサー

 よい質問だと思いました。私も同じ疑問を感じているうち、考古学の勉強をしてしまいました。
 土の中から出てくる物理的な原理は、皆さんが書き込まれたとおりだと思います。遺跡ですが、江戸時代の村落が火山灰に埋まった例は、群馬県などにあります。
 ところで、現代の私たちには「それほどの大河が近くにない」と見える地形が、大昔とはかなり異なる景色なのだと考えてみるのはどうでしょうか。
 世界で日本ほど、人里に近い川が徹底的に手を加えられ、大昔とは川筋も水量も異なっている国はあまりありません。そのために、古墳を土中に埋めた洪水の痕跡も、見えにくくなっているのです。
 古墳の実例がすぐに思い浮かばないのですが、東京都三鷹市に、多摩川の支流で野川という川が流れています。市街地を縫って流れる、別に目立ったところのない小川です。ところが、縄文時代、この川の沿岸に、川の水をうまく利用した集落がいくつもありました。
 その後、野川そのものの改修(川筋のつけかえ・川岸の護岸工事ほか)に加えて、周辺の湧き水が減ったために、野川はだいぶ細くおとなしくなりました。いまの野川を眺めると、洪水を起こす川には見えませんが、中流部では、洪水の土砂と関東圏の火山の灰とが積もった厚みは、じつは7mもあるそうです。
 野川の親の川、多摩川にどれほど人の手が加わってきたか、リンクの図の用水の数を数えただけでも、少しは想像できるかもしれません。

参考URL:http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/topics/h15/042/index.htm

 よい質問だと思いました。私も同じ疑問を感じているうち、考古学の勉強をしてしまいました。
 土の中から出てくる物理的な原理は、皆さんが書き込まれたとおりだと思います。遺跡ですが、江戸時代の村落が火山灰に埋まった例は、群馬県などにあります。
 ところで、現代の私たちには「それほどの大河が近くにない」と見える地形が、大昔とはかなり異なる景色なのだと考えてみるのはどうでしょうか。
 世界で日本ほど、人里に近い川が徹底的に手を加えられ、大昔とは川筋も水量も異なっている国はあまりあ...続きを読む

Qなぜ、遺跡は、土の中にあるのか?

土器、遺構、遺跡は、なぜ、土の中からでてくるのでしょうか?

時間の経過とともに、遺構の上に土が被らなければ
(埃が積もらなければ)、地中から発見されずに、地表に出たままで
発見されると思います。
局地的に土砂災害や、洪水等は、あったにせよ、
それだけではないような気がします。
太古の時代より地球は、大きくなったのかな?とも思います。

考え出すと、夜も眠れません。(^^;

Aベストアンサー

地表にある物もありますよ。例えば太宰府を中心に北部九州に点在する神籠石。岡山にも桃太郎の舞台になったのではないかと言われている鬼ノ城。これら石の砦は5‐6世紀くらいに作られたのではないかと思われてますが、はっきりとは解っていません。しかし、山の上にあるので、土に埋ることなく、しっかり存在しています。

地球はと言うより地表はどんどん小さくなっています。10万年くらい前までは、巨大なスンダランドが、東南アジアにはありましたし、日本も北のカムチャッカと繋がっていましたし、中国と陸続きのときもありました。氷河がどんどんとけていって、みんな海の中です。今後はガイアの復讐とやらで、人工的な温暖化でますます地球は海に飲み込まれて、ちいちゃくなってゆきます。

そういう意味では、眠れないですよね。

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q1週間は、なぜ7日なのか

素朴な疑問ですが、1週間が7日の理由ってあるのでしょうか、天地創造がなぜ7日なのか?7にはどんな根拠理由があったのでしょう?
仏教でも7×7 49日で法事があるし?って考えると何かの根拠がありそうでしょ。
身近な天体たとえば、月とか、太陽が7の倍数で動いていましたかね?疑問解決をお願いします。

Aベストアンサー

・当時知られていた惑星が水星・金星・火星・木星・土星、プラス、惑星ではありませんが太陽・月と、合計7つであったこと。
・#2さんのおっしゃるとおり、7という数字が月の満ち欠けとも関係があったこと
・7の倍数で月の満ち欠けの周期にも近い28という数字が数学でいう「完全数」であったこと

これらのことから、当時7という数字は天体と深い関係にあると信じられ、便利さと宗教的理由から一週間は7日単位となったそうです。

出典は下記。ついでにこの本には、なぜ月火水…という曜日の順番が実際の惑星の順番どおりになっていないのか、その理由も書いてあります。やはり数学に関係するようです。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478820082/qid=1107772928/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-3785938-7021051

Qお寺で住職に注意されたのですが

4年ほど前、京都の紅葉で有名なお寺に行った時の事。
お茶を飲みながら庭の紅葉を十分に堪能して帰ろうとした時、どういう流れかは忘れましたが真言の話を同行者とすることになりました。
(おそらく住職の話に出たか、寺の掛け軸にあったか)
で、軽い気持ちで「昔、猿飛佐助のアニメがあって、主人公のサスケが『オン キリキリバサラ ウンハッタ』と唱えて色々な術を使っていたよ」
という話をしました。
また「孔雀王という漫画で『アビラ ウンケン ソワカ』なんても言ってたな」とも。

すると遠くでそれを聞いていたご住職がとんできて
「そういう言葉をみだりに発してはいけない」
という話を15分ほどされました。

そのお寺は紅葉のライトアップなどをしていて、観光地のお金儲けという様相が強かったので、そういう寺の住職が説教するとはよほど重大なあやまちを犯したのかと怖くなってしまいました。

それらの言葉はどんな意味があるのでしょうか。

Aベストアンサー

真言は、正しい時に正しく発音すれば言葉が実体化すると信じられているものです。

で、発音した言葉は正しくは無いのですが、言葉の意味を知らないものがむやみにマントラの類の音を発音するのはよくないと言いたったんじゃないか と。
間違えて発音しちゃって、それが時が合致していたら、その間違えた発音のことが現実化すると信じられているからじゃないかと。


だから、天皇は公の場で、ゆっくり文字を読み上げるんです。
天皇が発する言葉は神が発する言葉とし、「国民の幸福を」のはずが、「国民の不幸を」なんて間違えてしまったら、その通りになってしまう という感じ?



表は観光地化していても、仕事上みんなの幸せを願う呪文を毎日お仕事として唱えてはいるんじゃないかと。



日本人は映画を観て「サノ〇ビッチとか」「アス〇ール」「ファ〇クユー」とかみだりに言いますが、それをもしアメリカ人に言ったら、ただじゃすまされない事態になってしまいます。
そういった禁句を、日本人がみだりに唱えているのを見て、アメリカ人は複雑な気持ちなんじゃないかと。
知らないからみだりに言えるわけで、時があっていたら、床に叩きのめされてしまうでしょう。

これが言葉の力の恐ろしいところ。


良い呪文であっても、厳かな言葉をみだりに使うってのは、価値を認めていないってことになり、、、、
例えば古代バビロニアあたりでは、神の名をみだりに唱えてはならなかったので、エルとかエールって神を代名詞で呼んでいたんですね。
意味は「我が主」。

ユダヤ人もそれにならって、エルと表記していたのですが、大贖罪をするときは大祭司は神を呼び出すために、神の真名を唱えていたらしいです。
7年に一度後継者に神の本当の名前を教えていたのだそうです。

一般人や他の聖職者にどうして教えなかったのかというと、その言葉をみだりに使われないためと、敵に名前を知られると、神が呪術で呪われてしまうから。



日本も昔<諱>というものがあったそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1

<これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためである。>

遠山の金さんは、遠山金四郎景元が本名で、景元が諱。つまり景元が本人の本質を表した文字なので、親とか上司しか知らなかったってわけです。
敵に知られると、呪術で支配されてしまうと信じられていた。


ってことで、この文化の人たちが信じていることを部外者の人がみだりに使うって、よくないんじゃないかと。
例えば、日本人は子供をみて「かわいいなぁ」と左手でなでたりしても問題ないですが、インドでそれやったら、親は烈火のごとく起こる。
文化の違いで、あっちではとんでもないことになるわけです。

真言は、正しい時に正しく発音すれば言葉が実体化すると信じられているものです。

で、発音した言葉は正しくは無いのですが、言葉の意味を知らないものがむやみにマントラの類の音を発音するのはよくないと言いたったんじゃないか と。
間違えて発音しちゃって、それが時が合致していたら、その間違えた発音のことが現実化すると信じられているからじゃないかと。


だから、天皇は公の場で、ゆっくり文字を読み上げるんです。
天皇が発する言葉は神が発する言葉とし、「国民の幸福を」のはずが、「国民...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む


人気Q&Aランキング