痔になりやすい生活習慣とは?

戦争についての宿題が出ました。
自分で、テーマを決めて調べないといけないのですが、テーマが思いつきません。
少し思いついたのは、≪戦争に遭った人の思い≫というテーマで、ひいおばあちゃんに、話を聞くという内容です。でも、それだけでは、内容が少し薄いので・・・
新しくテーマを、考えていただくか、≪戦争に遭った人の思い≫というテーマの、内容を詳しく考えてください。できれば、≪戦争に遭った人の思い≫の内容を考えていただきたいのですが・・・
どうぞよろしくお願いいたします

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A 回答 (5件)

実体験を語ってくれる方が身近にいるのは得がたいですね。


 たとえば、いろんなことがネットに出ていますが、それとこれとは別だと思います。
ひいおばあちゃんの当時の年齢、住んでた場所、空襲にあったかどうか、食べ物はどうだったか、身近に出兵された方はいたかどうか・・・ごくごく普通の小学生が思う疑問をいろいろ箇条書きにしてインタビューされてはいかがですか?

 この質問は保護者の方が書かれてると思うので、一緒にお話を聞いて、まとめてくださいませ。
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意外に扱われていないのは、


「みんな戦争は嫌いなのに、人はなぜ戦争を起こそうとするか」
というテーマです。

これを考えていくと、視線が「上から目線」になりがちというデメリットがありますが、
私は、これからの世代は、そういう視線もしっかり持たなくてはいけないと考えております。

6年生ならば、いわゆる「いくさ」というものが、日本史上では、弥生時代にはじめて起こったということを学習されたと思います。なぜ、何百万年もの間人類が行わなかった「いくさ」を、たった数千年前、日本人の先祖はやろうとしたのでしょう。(専門の方からは、「いや、その仮説は違う」と言われるかもしれませんが)

その後の人類の歴史は、いわば、戦の歴史です。

いろんな人にインタビューしてごらんなさい。実にいろんな答えが返ってきますよ。
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 ひいばあちゃんに聞くだけでも薄くないと思いますが。

私の父も戦争体験あります。子供だったので集団疎開とか空襲とかまぁ色々あります。もっとと思うのならおばあちゃんが当時住んでいた地域の郷土資料館などに戦争のことの本なりがあると思うので行ってきてください。
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曾祖母さまには、もう話を聞かれたのですか?


まだ聞いていたいのであれば、内容が薄いと判断するのは早計ではありませんか?


戦争体験を話したがらない方もおられます。
また、65年経ってようやく体験を語り始めた人もいます。

曾祖母さまが、もし、あまりお話くださらないのであれば、「何故話したがらないのか」を考える事も、重要なテーマだと思いますよ。
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………それを自分で考えるのが、宿題 の意図ですが………


貴方の宿題です頑張ってください
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Q戦争が起きた原因

1・一番始めに戦争が起こった原因は何なのでしょうか

2・なぜ日本が戦争をしなければならなくなったのか
  またその引きがねとなった理由は

3・日本はどこと戦争していたのか

4・戦争中の日本を誰が指揮していたのか

5・なぜ周辺アジアと未だに仲が悪いのか

いまだに全く知らない自分が恥ずかしいです・・・。
よかったら教えて下さい。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北部中国へと、軍をすすめてゆきます。

当時の中国は、欧米列強による半植民地状態で、中国で、欧米との利害関係での対立を引き起こした事に起因します。

2.日本軍が、中国に深入りしすぎて、撤退も妥協もできなくなったため、国際間での調整がつかなくなったためです。

3.同盟関係は、とても複雑で、基本的には世界の2/3の国を相手に戦いました。
同盟国は、ドイツ、イタリア、ハンガリー、フィンランド、ブルガリア、ルーマニアです。

中立国は、スエーデン、スイス、スペイン、トルコ、タイなどです。

主な敵国は、アメリカ、イギリス、ソ連、オランダ、中華民国、中国共産党、自由フランス、などと、その植民地のオーストラリア、ニュージーランド、インド、カナダ、などです。

4.一応大本営は有りますが、各組織が勝手に作戦をたてて動いていました。

5.アジア周辺と仲が悪いと言っても、問題になるのは、中国および華僑圏と、韓国・北朝鮮です。

東南アジアの華僑は、大戦前は、シギリス・オランダ・フランスなどの植民地支配の手先として、現地人を支配する立場にいましたが、日本軍の進撃により、植民地軍が撤退すると、その利権を奪われてしまいました。
その後、日本の支援で独立国となったため、当時の利権を永久に失ってしまった事によります。

中国(中華人民共和国)は、戦勝国といっても、自分達では、全く無力で、何もできませんでした。
実際、中共軍と日本軍は、ほとんど戦っていません。
戦勝国といってみても、実質が全く伴っていませんでした。
そのため、日本に対し、強いコンプレックスを持ってしまい、やたらに正当性を主張するようになりました。
最近では、中国の国力がアップしてきましたので、コンプレックスは、より大きくなっているようです。

韓国ですが、本来韓国は、敗戦国なのですが、戦勝国としての地位を求め、他国からソデにされています。
ここでも日本に対して強いコンプレックスから、反日になっています。

ただ、韓国の場合でも中国の場合でも、日本に対して、真に反日の人は、それほど多くなく、パホーマンスの域を出ていないようです。

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北...続きを読む

Q小学生でもわかる第二次世界大戦の流れ

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
説明してほしいと頼まれましたが、しゃべった内容が難しかったのか
ぽかーんとされてしまいました。自分が完ぺきに理解しているというわけでもないので
説明しながら自分でもわからなくなってしまいました。

そこで、子どもにも簡単に説明できるような第二次世界大戦の
開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

Aベストアンサー

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
  命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より
  国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人
  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
  となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。

 ごめんなさい。やはり難しいですね。でもこれを下敷きに

もっとお話し的に変えたらどうでしょう?

 

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメ...続きを読む

Q戦争・原爆について書かれた子供向けの本

小学2年の娘に読ませたいのですが、
いきなり戦争場面の話でなく、
だんだん食料が少なくなり、疎開したり、という
時代背景からちゃんと書かれた子供向けの本を探しています。
何かおすすめの本はありますか?

Aベストアンサー

「ちいちゃんのかげおくり」これは私も知ってますよ。
本単体でも売ってるようですし・・・

あとは「後ろの正面だあれ」って映画(アニメ)がありました。これの本が、かなりお勧めでしょう。
ただ、原作は読んでないのでそのままかどうかは知りませんけど・・・
(原作は後ろの正面だあれで原作者、海老名香葉子さんの体験記です)
映画では戦争の始まりから、終わりまでを描いていて東京大空襲とか疎開なども描かれています。(映画では)
疎開のシーンもありますし、結構悲しい結末ですよ。
(子供向けですが、人によっては泣けるかも)
http://www.nowhere-records.com/sy/anime.html
(上はビデオ、本の購入は参考、下は映画のストーリーの一部)
http://www1.ttcn.ne.jp/~satsumaimo/satuma2.html
子供には絶対?に将来のためになるかも・・・これは大人でも結構忘れられないですから・・・

参考URL:http://shopping.yahoo.co.jp/books/juvenile_and_picture_books/juvenile_book_collection/202805/title_list2.html

「ちいちゃんのかげおくり」これは私も知ってますよ。
本単体でも売ってるようですし・・・

あとは「後ろの正面だあれ」って映画(アニメ)がありました。これの本が、かなりお勧めでしょう。
ただ、原作は読んでないのでそのままかどうかは知りませんけど・・・
(原作は後ろの正面だあれで原作者、海老名香葉子さんの体験記です)
映画では戦争の始まりから、終わりまでを描いていて東京大空襲とか疎開なども描かれています。(映画では)
疎開のシーンもありますし、結構悲しい結末ですよ。
(子供向...続きを読む

Q戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍人、民間人合わせて310万人の人が死亡し、都市面積の30%が消失したと言われています。
しかし、310万人の死者は一見多いように見えますが、1億人の人口から見たら3%で、97%の国民は生き残っているわけです。
また、国土が焼け野原になったと言われますが、都市面積の70%は無傷だったわけです。

これらのことから見ても、当時の国民で、肉親や親戚に死亡した人がおらず、空襲も受けなかった人はかなりの数がいるはずです。
その中でも、農村部に住んでいる人であれば、食料にも不自由せず、普段通りの生活をしていた人も多くいたと推測されます。
もちろん時代が時代ですから、派手なパーティーをやったり、観光旅行にでかけたりということはできなかったでしょう。
しかし、戦後世代の人が教わったような、日本中が地獄絵と化したというのはちょっと大げさなのではないでしょうか。

当時は情報も統制され、日本がどんどんやられているというような情報は入って来なかったでしょうから、いずれ自分たちも攻撃を受けるというような危機感もなかったと思われます。
当時の国民の、少なくない数の人たちが、実は普段通りの平和な生活を送っていたと推測されます。
戦時中、実際にこのような普段通りの平和な生活を送っていた方の体験談を聞かせていただけませんか。
また、そのようなことを紹介したサイトなどがあれば教えて下さい。

なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。
質問の趣旨を理解した上で回答をお願いします。

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍...続きを読む

Aベストアンサー

 母は田舎にすんでいたので、まったく戦争の影響はなかったそうです。
確かに統制品は手に入りにくかったらしいですが、食べるのにはまったく困らなかったそうですよ。
 よく、都会から食べ物を分けてくれって人が来たらしいです。

 父は逆で都会で生活していたので疎開をしました。
疎開には、集団疎開と縁故疎開ってのがあるんです。
中でも悲惨なのが集団疎開です。学校の力関係が24時間中です。いじめっ子はずっといじめ、いじめられっこはそれこそ現代で言うイジメなんかと比較できないほど酷かったらしいです。

 また、縁故疎開っていうのも、ようするに都会のこじゃれたガキが、自分の親戚をたよって田舎に疎開するんです。すると、もちろんその子のキャラにもよりますが、めちゃ人気者になった人もいたみたいです。

Q太平洋戦争中の子供達の遊び

戦時中の子供達の遊びを、詳しく教えてください。

Aベストアンサー

戦時中、空から落下してきたものには、B29やグラマンという戦闘機などから爆弾、焼夷弾(しょういだん)、銃弾(大人の親指大、何割かは爆発して火災の原因になる)とその薬莢(やっきょう)、アルミ箔のテープ(レーダ攪拌用、この時はラジオにザーザーという雑音が入っていました、日本にはそのようなレーダはなかったと思いますが?、何しろ八木アンテナの発明国ですから、、、。この八木アンテナは、東南アジアへ進軍したときに、英軍が使用していて、初めて日本の八木博士の発明と分かったようです)。

 これ以外にも、敵機B27が高射砲で命中して、落下してくるのを見ました。そのあとはグラマン戦闘機による低空飛行による機銃掃射です。日本の飛行機は一機の見かけません。日本には殆ど飛行機が無かったようです。

それよりも、日本の飛行機の落下が多かったですが、小生の近所にも、赤とんぼという練習機、爆撃機、戦闘機がそれぞれ落下してきました。それは殆どがガソリンが粗悪だったからです。何しろ、飛行機用に、松ノ木から、ゴムの樹液を取るように、松脂を取っていましたから、エンジン不調になるのは当り前。

ogatanaさんが仰るように、これら落下物すべて、玩具にしていました。

一番大きな落し物は、原子爆弾でした。その落下して爆発する瞬間まで、遠くから、目撃してしまいました。当時は新型爆弾と言っていました。話がそれてしまいました。周りに経験者が居られないと言う補足がありましたので2度も書き込んでしまいました。

戦時中、空から落下してきたものには、B29やグラマンという戦闘機などから爆弾、焼夷弾(しょういだん)、銃弾(大人の親指大、何割かは爆発して火災の原因になる)とその薬莢(やっきょう)、アルミ箔のテープ(レーダ攪拌用、この時はラジオにザーザーという雑音が入っていました、日本にはそのようなレーダはなかったと思いますが?、何しろ八木アンテナの発明国ですから、、、。この八木アンテナは、東南アジアへ進軍したときに、英軍が使用していて、初めて日本の八木博士の発明と分かったようです)。

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Q小学校一年生に なぜ日本とアメリカは戦争を始めたか

小学校一年生の子供と「ほたるの墓」をテレビでみました。
戦争についてなるべく判りやすく説明したつもりです。
空襲の場面で私はこのように説明しました。

私「あの飛行機はアメリカの飛行機だ、アメリカが日本を空襲したんだよ」
子供「なぜそんなことをするの」
私「1925年頃はアメリカと日本とは仲が悪かったんだ、日本もアメリカに爆弾を落としたことがあったんだ」 
・・・中略・・・・

子供「なぜ日本とアメリカは戦争を始めたの ?」
ここでつまってしまいました。
小学校一年生に判りやすく説明ができなくなってしまいました。
ただ仲が悪くなったからといって人殺しをする理由は私には
説明ができないのです

この後、小学校一年生の子供にどのように説明したらよいのでしょうか
また、そのあと原爆についても説明する必要があると思います。

・男のこです
・アメリカと日本の地図上の位置関係や日本国内の沖縄、広島、長崎などと自分のいる位置関係は理解しています。

Aベストアンサー

あくまでも個人的な考えですが、太平洋戦争開戦の理由を小学校一年生に口頭で説明しても、果たして理解できるかどうか。私にも自信はありません。というか、小学校一年生という時期に理解させる必要性を感じません。もう少し大きくなってからでも十分ではないかと思うからです。

例えば、小学校三、四年生くらいになってから、松谷みよ子さんの『ふたりのイーダ』を読ませてから、とか、『はだしのゲン』を読ませてから原爆の悲惨さについて説明する、というかその年齢で読めば自ずと分かると思います。私もこの2作品は小学校三、四年生で読んだ記憶があるからです。

『火垂の墓』もいい作品だと思いますが、同じ作品でも小学校一年生で見るのと三、四年生で見るのとでは、理解の仕方が全く異なると思います。子供の成長は早いですから。

私事で恐縮ですが、小学校3,4年の頃はまだ宅地開発が進んでおらず、家の近くに広い空き地があって、古い資材などが置かれたままでした。また、当時、毎週土曜の夕方5時になると、テレビで『コンバット』を放映していて、古い廃材を基地にみたてたり、隊長や軍曹や兵隊役に分かれてよく戦争ごっこをして遊んだものでした。男の子でしたので戦争映画も大好きでした。もっとも父親も好きで、『トラ、トラ、トラ』を楽しく観たりしていました。

小学校4年生の夏休み、東京の親戚の所へ遊びに行きました。戦争映画が楽しみだと言ったら、伯母(母の姉)に「戦争の悲惨さを知らないからそんなものが平気で見れるのね。」と怒られてしまいました(もちろん伯母は戦争体験者です)。そのことを家に帰って言うと、父親は困ったような顔をしていました。

長くなりましたが、私の場合、最初は「戦争好き」から入って戦争そのものに興味を持ち、伯母の言葉や『ふたりのイーダ』や『はだしのゲン』から戦争の悲惨さを学んでいったという道をたどってきました。女の子の場合はよく分かりませんが、男の子なら入り口は戦争に興味を持つことから入り、その後戦争の悲惨さを学ぶことは可能だと思われます。これは自分の体験に基づいて言っています。

確かに戦争の悲惨さを理解させるのはとても大切なことですし、また、最終目標はそこにあると思いますが、まずは興味を持たせることから入っていってもいいのではないかと思います。人間、特に男の子の場合、攻撃本能のようなものがありますし(私はウルトラマンとか仮面ライダーはそうした幼児期における攻撃本能をいい意味で養うためにあるのではないかと思っています)、それををいい意味で養い、そしてそれを自分でコントロールしていくということを順を経て学んでいけば、普通の、自分の感情をコントロールできる人間になれると思っています。

あくまでも個人的な考えですが、太平洋戦争開戦の理由を小学校一年生に口頭で説明しても、果たして理解できるかどうか。私にも自信はありません。というか、小学校一年生という時期に理解させる必要性を感じません。もう少し大きくなってからでも十分ではないかと思うからです。

例えば、小学校三、四年生くらいになってから、松谷みよ子さんの『ふたりのイーダ』を読ませてから、とか、『はだしのゲン』を読ませてから原爆の悲惨さについて説明する、というかその年齢で読めば自ずと分かると思います。私もこ...続きを読む

Q戦争中の子供達、どうしているんですか?

小6の女子です。
今、国語の授業で調べているんですけど、
戦争中の子供はどうやって生活をしているんですか?
学校は、どうしているのか。食料は? 日本と同じような生活だったのか。・・・・・など。
戦争中の子供達に関することなら、大歓迎です!
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「子供」をどの階層にするかで答えは代わりますが。、
2字対戦中の農村地主-比較的裕福な小作層小学生ですと、
学校に出かけて、学校帰りに近所の農地を襲って適当に食料を調達。
うちの畑が教われました。ちょっと前までPAT会長等の役職についていました。

埼玉県某村の子供ですと、その村で「食量の補給を受けろ」と命令された日本兵がとさつして食べてしまいました。

戊辰戦争の頃かな。
官軍に逆らったとして、殺されました。

学校はありません。学校では、「何とかを集めろ」という話しがあるたびに児童生徒が該当業に従事して、「しょうこんゆをとるから松の根を掘って来い」なんてやっていました。
疎開者には食い物はまずありません。その地区の餓鬼大将が配給食をほとんど略奪して、自分のつかいっぱしりに配ります。疎開者は略奪されるだけです。
疎開者が戦後学校の試験で一番を取ったことがあります。餓鬼大将がその児童を殴りました。半年後死亡しました。
都内からの疎開者は、略奪の対象に過ぎませんでした。

だから、「川魚」は食べられません(取ったらば食べる前に略奪され、半殺し。多くの場合には1-3週間食料を与えられず死亡)。カエルとか蛇とか地区の人間が食べない物が疎開者の食料でした。

「子供」をどの階層にするかで答えは代わりますが。、
2字対戦中の農村地主-比較的裕福な小作層小学生ですと、
学校に出かけて、学校帰りに近所の農地を襲って適当に食料を調達。
うちの畑が教われました。ちょっと前までPAT会長等の役職についていました。

埼玉県某村の子供ですと、その村で「食量の補給を受けろ」と命令された日本兵がとさつして食べてしまいました。

戊辰戦争の頃かな。
官軍に逆らったとして、殺されました。

学校はありません。学校では、「何とかを集めろ」という話しがある...続きを読む

Q太平洋戦争時の衣食住について

小学校6年生の息子の夏休みの課題で太平洋戦争についての課題が出ました。それぞれ「衣」・「食」・「住」で振り分けられており、いろいろネット検索しましたが子供には難しすぎてなかなかよい答えが出ません。「衣」に関しては服装や・戦時中どのような配給をされていたのか、「食」に関しては食べていたものや料理など、「住」疎開や住居に関してどのようにすごされていたか。どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

お子さんの宿題ですし本人にさせるのが一番かと。お身内や身近な方に戦争を体験されてる方がいらっしゃらないなら、他の方もおっしゃってるようにネットより図書館に行かれるのは良いと思います。うちの両親は戦争体験者で当時の知人との手紙などから生活の様子も多少判りますが、まだお子さんなんですからすぐネットと言うのではなく、何から情報を得るか考える事も勉強なのでは?
とは言え、もう夏休みも終わりなんですね。間に合わないようなら諦めるしかないでしょう。恥をかいて人間は成長します。

Q5年生 割合の問題を教えてください

小学5年生の子どもに割合をうまく教えられず困っています。

例)あゆみさんのクラスでは風邪で9人休みました。
これはクラスの30パーセントにあたります。
クラスの人数は何人でしょう?

あとで算数の教科書を見たら、
(もとにする量)=(くらべる量)÷(割合)を使って解くことになるようです。
しかし、この式でなぜ解けるのかが教えられません。
中学生だと、(割合)=(くらべる量)÷(もとにする量)から、式を変形させればいいと教えられるのですが…
本人は、(割合)=(くらべる量)÷(もとにする量)については理解できています。

ちなみに私は、(もとにする量)=(くらべる量)÷(割合)なんて覚えていないので、いきなり質問されて頭の中でX×0.3=9という式をつくり、X=9÷0.3と変形させてからでないと解けませんでした。

Aベストアンサー

割合の公式は3つ
(1)比べる量=もとにする量×割合
(2)割合=比べる量÷もとにする量
(3)もとにする量=比べる量÷割合
一方、小2、小3で出てくる計算式では
(1)全体の量=1あたり量×○つ分
(2)○つ分=全体の量÷1あたり量
(3)1あたり量=全体の量÷○つ分
(例)1人に飴を3個ずつ5人に配ると、全部で15個必要です。
前者の割合の式3つと、後者の計算式3つは実は原則は同じです。
割合では、もとにする量を1と見ます。比べる量は、後者では全体の量。割合は、倍と同じ仲間ですから易しく言えば○つ分ということです。したがって、
 もとにする量(1あたり量)を○、比べる量(全体の量)を□、割合(○つ分)を△とおけば、いかなる場合も、3つの数量の関係は、以下のようになります。
(1)□=○×△
(2)△=□÷○
(3)○=□÷△
これは、割合だけでなく、速さの問題などいろんな場面で使えます。つまり、掛け算割り算を習った段階で、この原理原則は、すでに小3で完成されているわけです。あとは数値が、大きくなったり、小数になったり、分数になったり、倍や%が出てきたりするだけのことです。ですから、算数における飛び級などもありうるわけです。

割合の公式は3つ
(1)比べる量=もとにする量×割合
(2)割合=比べる量÷もとにする量
(3)もとにする量=比べる量÷割合
一方、小2、小3で出てくる計算式では
(1)全体の量=1あたり量×○つ分
(2)○つ分=全体の量÷1あたり量
(3)1あたり量=全体の量÷○つ分
(例)1人に飴を3個ずつ5人に配ると、全部で15個必要です。
前者の割合の式3つと、後者の計算式3つは実は原則は同じです。
割合では、もとにする量を1と見ます。比べる量は、後者では全体の量。割合は、倍と同じ仲間ですから易しく言えば○つ...続きを読む

Q戦時中の子供たちの生活

戦時中の子供たちの私生活はどんな感じだったんですか。

Aベストアンサー

地方と都会で全く違いますね。
私の父は大阪市内の小学校で、学童集団疎開を経験しました。
都市以外の小学生はそういうことはありませんでしたし、そんなに食べ物に困ることはなかったみたいです。

 疎開も、先ほど上げた集団疎開と、田舎の親戚を頼る縁故疎開がありました。
集団疎開は文字通り一日中一緒に過ごすために、それこそめちゃきついいじめも多かったと聞きます。
それが何ヶ月も続くんです。大変だったと思います。

 縁故疎開は食べ物こそ困りませんが、都会の人間が田舎の小学校に通うことで、これもいろいろな差別があったみたいです。もちろん都会のこどもに対するあこがれも多かったとも聞きます。

 また本当に厳しかったのは1944年~45年の時期なので、ほんの数歳の違いで、集団疎開を味わった世代(尋常小学校)と、学徒動員された世代(高等小学校以上)があるみたいですね


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