ミグ19とf-100はどちらが強いですか?

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A 回答 (2件)

うーん、1番さん、マチガイが(;^_^A



>ベトナム戦争ではアメリカの主力がF86(セイバー)、ソビエトの主力が
M17でした。F86とM17では撃墜数が1:4くらいで、F86が優勢だった
ようです。

これは朝鮮戦争、そしてMiG17ではなく15ではないですかね。

そして、強い弱いですが、上手なその機体になれているパイロットが乗っている方が、強いです、とか、整備がちゃんとされている方が強いです、とか、早期警戒機や地上レーダーの支援がある方が強いです、とか、新型のミサイル積んでいる方が強いです、とかいくらでも条件次第で変わります。

アメリカ空軍でも上記のF86とMiG15はどちらが強いですかね、という質問をしたパイロットがいました。その質問を受けたミグ15をテストしていたテスト・パイロットのチャック・イェーガーは、1回はF86で、1回はミグ15でその質問したパイロットと模擬空中戦を行って、二回とも勝ちました。

ミグ19とF100は、どちらも実績をあまり残していないので、どちらが強いかは、やってみなければわからないでしょう。また、ミグ19は迎撃戦闘機(爆撃機を撃ち落とすことが主任務)として、F100は制空戦闘機(ある空域の敵戦闘機を排除して制空権を得ることが主任務)として開発されたので、もともとの考えがちがう飛行機です。

強いて言うなら、戦争の道具として、ミグ19は安くてそこそこの性能なので、いいのかもしれません。
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F100は後継機のF4(ファントム)の性能が良かったので、実践でのデータは


少ないです。
Wikipedeaによると単純な戦闘能力はM19の方が高いようです。

ベトナム戦争ではアメリカの主力がF86(セイバー)、ソビエトの主力が
M17でした。F86とM17では撃墜数が1:4くらいで、F86が優勢だった
ようです。

Wikiより、
MiG-19は世界初の超音速戦闘機であるアメリカ合衆国のF-100にわずかに遅れて1954年1月5日に
初飛行を果たした。両者を比較すると、MiG-19は空中格闘戦力では遙かに優れ、その長所により
非常に多くの機数が生産・配備されたが、致命的なほどのエンジン寿命の短さとそれに伴う
整備性・運用効率の悪さ、小さい兵装搭載力、短い航続力などの欠点があった。両者は音速を超える
戦闘機という共通の目標をもって開発されたものの、低機動性・安定性と大きな兵器搭載量を生かした
戦闘爆撃機に発展したF-100と、高機動力と少ない兵器搭載量から格闘戦闘機として発展したMiG-19と
では、その性格は対照的であった(ただしF-100は本来はF-86戦闘機の後継となる制空戦闘機として
開発されたのであり、MiG-19よりも運動性が劣った事と、その後戦闘爆撃機として運用されたのは、
当初の開発意図ではない)。もっとも、中国ではMiG-19の発展型として地上攻撃機のQ-5/A-5が開発
されていることを考えると、MiG-19も万能機としての能力を発揮する素地はあった。
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Q第二次世界大戦前のソ連とドイツはどちらが強かったのですか?

第二次世界大戦時、ナチスドイツはソ連に戦いを挑み、首都であるモスクワまで攻めのぼりましたが、最後は猛烈な反撃を受けて大惨敗を喫しました。

でも、ナチスドイツはソ連と戦う一方で西部戦線でアメリカやイギリスとも戦っており、ソ連はレンドリース法によりアメリカ合衆国から膨大な軍需物資の提供を受けていたといわれます。
このように考えると、ソ連とドイツが1対1で戦ったと仮定すればドイツはもう少し強かったと考えられますし、ソ連はもう少し弱かったと考えられます。

歴史に「もしも」がないことは確かですが、国としての純粋な軍事力でみればどちらが強かったと考えられるでしょうか。

Aベストアンサー

リデルハートの「第二次世界大戦」に面白い記述があります。ドイツは「道」にやられた、と。道がグチャグチャで
独軍の車両が進むのに難儀したらしいです。それを理解してソ連は中型(ここが大きなポイントです)・無限車両の
T-34を開発しました。ソ連は独軍の車両が苦しむのを逆手に取ったんです。独軍はまさか首都につながる道が
未整備とは思わなかったんでしょうね。独軍はヒトラーのキエフ攻略指令に将校が逆らい、強硬にモスクワ攻略を
主張しましたがこの疑問氷解です。T-34の特徴は中型なのに大型砲を備えてたことです。中型戦車が大型砲を
撃つと車両が吹っ飛びます。なぜ可能だったのでしょうか? それはソ連の大地が湿地だったからです。湿地だと
車体が沈み込むので中型で足ります。むろんタイガー戦車よりも小型の分機動性に優ります。こう考えると朝鮮
戦争の際、なぜT-34が市街戦で及び腰だったのかもわかります。ソ連はこの戦車が悪路専用なのを理解してた
からです。そうですね、アメリカの支援がなければ独軍が勝ったと思います。もし独軍が再度ソ連の大地に攻め込む
とすれば今度は独軍が教訓を生かしたはずです。戦後ドイツ陸軍の司令長官が助命されました。むろんソ連と
直接対決した経験を西側が欲したからです。ソ連のほうがラッキーでした。軍事力自体はドイツが上です。

リデルハートの「第二次世界大戦」に面白い記述があります。ドイツは「道」にやられた、と。道がグチャグチャで
独軍の車両が進むのに難儀したらしいです。それを理解してソ連は中型(ここが大きなポイントです)・無限車両の
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Q19世紀中盤の日本とアメリカの国力はどちらが上だったでしょうか?

日本は幕末にペリーによる黒船来航があったため、大国アメリカから恫喝されて開国したというイメージが強いですが、当時の大国といえばイギリスやフランス、ロシアが圧倒的であり、アメリカはウィーン体制化の5大国にも入っていない、辺境の小国であったようです。

19世紀中盤といえば、アメリカは独立後に成長を続けていたものの、米墨戦争や南北戦争といった戦争が多発した混乱期であり、国力の面ではイギリスやフランス、ロシアには到底及ばないものでした。
一方、日本については17世紀前半までは西欧諸国と大差ない軍事力・経済力を持っていたものの、18世紀になると差をつけられ、19世紀にはイギリスやフランス、ロシアには到底及ばないほどの国力にまで転落します。

19世紀中盤、イギリスやフランス、ロシアなどの大国に到底及ばななかった小国であった日本とアメリカの両国は、国力についてはどちらがが上だったと考えられるでしょうか。
なお、日本については天保の改革終了後、アメリカについては米墨戦争終了後、南北戦争開始前を想定しています。

Aベストアンサー

国力を比較する指標はいろいろあるが、その中にGDPがある。
経済史家Angus Maddisonが試算した時代別国別GDPではこうなっている。

1700年
米国:527
日本:15,390

1820年
米国:12,548
日本:20,739

1850年
米国:42,583
日本:21,732

1870年
米国:98,374
日本:25,393

出典:http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_02-2010.xls [excelファイル]
ここからダウンロードした→http://www.ggdc.net/maddison/oriindex.htm

1820年頃はまだ日本の方が上だったけど、1850年には米国に追い抜かれてしまった感じ。
他の指標や他の人の試算を使えば別の結論になるかもしれないけど、参考まで。

Q19世紀の医学の歴史上、最も医療上貢献したと思える人物と貢献内容はなんですか?

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Aベストアンサー

個人的には、パスツールのほうが、コッホより、、、
ワクチンの予防接種の開発に大きく貢献した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%AB

Q老獪な策士という点で、徳川家康と司馬懿仲達はどちらが上だと思いますか?

計略に長け、悪巧みを駆使しながら乱世を生き抜いて最後に勝者となった人物という意味で、徳川家康と司馬懿仲達に勝る人間はなかなかいないと思いますが、徳川家康と司馬懿仲達の政治力はどちらが勝っていると思いますか?

・徳川家康の勝っている点
〇最後は征夷大将軍となり、200年以上に及ぶ太平の世をつくり上げた
〇ある時は大名となり、ある時は天下人の臣下となり、立場をころころ変えつつも権力を強めていった

・徳川家康の劣っている点
●日本の統一と中国の統一では、中国の統一の方が格段に困難である
●三方が原の戦いや本能寺の変など、死の一歩手前の危ない経験を結構している(よく言えば悪運が強いとも言える)

・司馬懿仲達の勝っている点
〇遥かに権力闘争の激しい大中国を統一に導いた(ただし時代がかなり違うため、日本の戦国時代に比べて人口が多かったのかは疑問。面積が広いのは確かだが。)
〇あの知将である諸葛亮孔明との戦いをはじめ、戦いにほとんど負けたことがない

・司馬懿仲達の劣っている点
〇中国統一を果たしたのは孫の司馬炎であり、本人ではない。また、中国統一も短期間だった。
〇魏の武将として一生を終えている(ただし最後は魏において全権を握っており、皇帝よりも権力が強かった)

計略に長け、悪巧みを駆使しながら乱世を生き抜いて最後に勝者となった人物という意味で、徳川家康と司馬懿仲達に勝る人間はなかなかいないと思いますが、徳川家康と司馬懿仲達の政治力はどちらが勝っていると思いますか?

・徳川家康の勝っている点
〇最後は征夷大将軍となり、200年以上に及ぶ太平の世をつくり上げた
〇ある時は大名となり、ある時は天下人の臣下となり、立場をころころ変えつつも権力を強めていった

・徳川家康の劣っている点
●日本の統一と中国の統一では、中国の統一の方が格段に...続きを読む

Aベストアンサー

徳川家の家臣団は、家康の祖父の代から、一部を除いて一枚岩でしたから、その分を引いて比較すると、仲達が上でしょう。
信長の死、秀吉も有力な後継者を残さず死去という状況と、魏の曹操一門という強いトップ、呉、蜀という強力な敵国が存在していたところから天下を横取りした力、やはり仲達が上。

Q太平洋戦争(開戦まで)の主導者は、―強いて言えば―誰だったのでしょうか?

司馬遼太郎著の“街道をゆく”の“中国・蜀と雲南のみち”を読み、興味ある箇所に出会いました。
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 しかし、彼らに、強いてあげれば、と請われ、司馬は思いつくまま、西郷隆盛と大久保利通の名をあげてみた、そうです。

 同じように、不肖私も問います。太平洋戦争(開戦まで)の主導者は、―強いて言えば―誰だったのでしょうか?

Aベストアンサー

開戦までということなら、しいて言えば近衛文麿と東条英機でしょうね。

ただ、当時の内閣総理大臣も現在のように強い権限はないですし。
セクショナリズムに陥っていたので、軍など国の中の各組織のトップも含まれると思いますが、その各組織もトップが主導していたとも言い難く。

「おおぜいでやった、というほかない」になってしまいますね。
それも明治維新は元老にあたる複数ながらキーマンがいますが、太平洋戦争のときはそれもいないですからね。

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