タイトルの通りです。
例によって暇な時に回答ください。
・・・って暇な時でなきゃ回答しちゃダメだってば!(笑)

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A 回答 (4件)

なりませんよ。


哲学もその他の人の行為も結局は
「したいからする」
のであって、他になにかあるじゃないでしょう。

そもそも人生論も処世訓も必要ありません。

・・・というとそれが一つの人生論だとか
処世訓だとかいわれてしまうのも困ったものだ。
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この回答へのお礼

当たり。

お礼日時:2001/04/11 16:13

しようとすればなるし、しようとしなければならない。


ひとの心がけ次第でしょうか。
あっさりと...お望みの答えではないですね。

 ところで、気が向いたら暇なときにお答えいただけると嬉しい質問をひとつします。

「哲学は人生論、処世訓に成り得るのか?」聞かれて、哲学は他所から学ぶばかりのように聞こえてしまいました。きっと誤解です。(笑)
 「誰がこういってる」とか「彼はこう考えた」とか。それは学ぶにあたって必要なことだけど、哲学は誰彼と同じ土俵に上がって「俺は、(あるいは俺も)こう考える」というところに本領がある。私はそう考えます。
 他人の考えを知るということばかりであれば、他人の考えですから、それと自分の行動は結びつかなくても不思議はない。しかし、自分の考えというのは、否応なく自ずと自分の行動に現われるもの。
 私の考えでは、哲学は自分の考えをつくりあげていくのが本領ですから、哲学はそれ自体に自分の人生論、処世訓を含むことになります。主要な部分ではないけれど、必要な部分だと考えています。
 哲学が木だとすると、木は幹を伸ばそうとする。そのためには枝葉が必要だ。枝葉は幹ではないし、ならない。折れてしまってもかまわない。だけど、それなしには木は枯れてしまう必須の部分。私には、そういうイメージです。
 こんな考えはどんなものでしょう。ご意見を賜れば幸いです。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。

>「哲学は人生論、処世訓に成り得るのか?」聞かれて、哲学は他所から学ぶばかりのように聞こえてしまいました。きっと誤解です。(笑)

いえいえ誤解ではありませんよ。(笑)

>「誰がこういってる」とか「彼はこう考えた」とか。それは学ぶにあたって必要なことだけど、哲学は誰彼と同じ土俵に上がって「俺は、(あるいは俺も)こう考える」というところに本領がある。私はそう考えます

当たり前のことですな。こうはっきり言えたのはあなたがはじめてですよ。(笑)

お礼日時:2001/04/10 23:09

多くの哲学者が、「世界の名言」とかって類いの本に


コメント等を人生訓として引用されてると思いますが。
それについてはどう御考えですか?
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 なりえます。


 が、それを批判し、ブチ壊すのも哲学です。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=59513
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