【お題】引っかけ問題(締め切り10月27日(日)23時)

ニーチェが流行りですが……

ニーチェ、ブームですよね。ブームであれ、過去の異人の思想にふれるのはよいと思っている、本屋さんです(事務方なので今日はお休みです)。

私は雑読なのと、基本的に古典を含むフィクションをよむほうですが、ニーチェを読んだ、という人間から、言いがかりをつけられました。

・フィクションばかり読んでいて、現実逃避だ。好きな作家の名前を多々挙げているが、読んだ数だけ自慢しているのだろう。フォレスター、ヒギンズ、ハシェク、志賀直哉、と名前を列挙して悦に入るな。
・そのなかに、阿川弘之、サン・テグジュペリのような軍人・貴族がいるが、支配者の理屈でものを考えている。
・ゴールデン・エイジSFなんて、絵空事

まあ、おおむねこのようなことを、ニーチェの読者さんはいいます。
事実、哲学は興味がないジャンルだったので非難はハイハイと聞きますが、多用される「ルサンチマン」という言葉を、よく理解できません。
私は、はしょって「弱者の強者に対するねたみの鬱積」とおもっていました。昔、この言葉にはじめてあったときに広辞苑引きました。そこの記述がモトネタです。

が、そのニーチェさんは、

「あわてて『ルサンチマン』のことをウィキペディアで調べてきたんだろう。無為な読書の結果がこれだ」

と、意気軒昂です。

私のニーチェに対する理解、いや、それ以下の印象、は

・工業化、複雑化が進むこれからの世では、人間は自分に厳しくなければならない。いまや神に寄り添うより、自立し、人間の中の「超人」が頂点に立つべきである。ただ、その重すぎる使命をおった頂点に立つ超人をささえるのには、幅広いすそ野が必要であり、堕落していない凡人の存在は、良いことである。

書いていて、自分の背筋が寒くなるような文章ですね。

聞き流せばいいと思うし、皆さまも「バカ同士のののしりあい」とお思いでしょうが、無視以外に、うまくこのようなニーチェさんをあしらう一言は、ありうるのでしょうか。

ニーチェも人間の幸福を考えて、思想を重ねたのだとおもいますが、ニーチェさん、にちょっと困っています。ご助言ください。

A 回答 (7件)

ルサンチマンとは劣った者が優れた者のしぐさを「悪」としてしまう行為で、ニーチェの哲学用語です。



ニーチェの原文プレゼントします。

「善悪の彼岸」(信太正三訳、筑摩書房)から引用してみます。

たっぷり時間をかけて哲学者たちを綿密に吟味し仔細に観察したあげく、私は次のような考えをいだくにいたっている。――われわれは、意識的な思考の大部分を、やはり本能の活動の一種とみなさなければならない。哲学的な思考でさえもその例に洩れない。遺伝や《天性》に関して学び直したように、この点でもわれわれは学び直さなければならない。分娩のひとこまが、遺伝の経過と継続の全過程のなかにあっては問題とならないように、《意識している》ということも、何らか決定的な意味において本能的なものと対立したものではない。――ひとりの哲学者の意識的な思考の大部分は、彼の本能によって秘かに導かれ、一定の軌道に乗るように強いられている。一切の論理とその運動の見かけの自主独立性の背後にも、もろもろの価値評価が、もっとはっきり言うなら、或る種の生の保持のための生理的要求が、隠れている。それはたとえば、確定したものは不確定なものより価値があるとか、仮象は《真理》よりも価値がないとかいったような評価である。このような評価は、それがわれわれにとってどんなに規制力としての重要性をもつものであろうとも、だがしかし、それは前景的評価にすぎないもので、われわれごとき生物の保持のためにこそ必要となるような一種の愚劣事なのだ。・・・すべての哲学者を、半ば不信の念をもって、半ば嘲笑的に眺めたい気になるということは、われわれが何度となく彼らの無邪気さ加減を見抜くがためではない、――つまり、彼らがいかにしばしば、いかにたわいなく間違ったり迷ったりするかを、要するに彼らの児戯と子供っぽさを、見抜くがためなのではない、――そうではなくしてむしろ、彼らが充分に正直でないからなのだ。なにしろ、彼らは、誠実という問題がほんのちょっとでも触れられたとなるや、すぐさまこぞって大仰な有徳者振りの空騒ぎをやらかす。彼らはおしなべてみな、自分たちの固有な意見が、冷徹な、純粋な、神々しく超然たる弁証法の自己展開によって発見され、獲得されたものであるかのような振りをする。・・・ところが、実際をいうと、ある前提された命題、ある思いつき、ある《感悟》が、たいていは抽象化され篩いにかけられた彼らの胸中の願望が、後からこじつけた理由によって弁護されるのである。・・・これまでのすべての偉大な哲学の正体が、次第に私には明らかとなってきた。すなわちそれは、その創作者の自己告白であり、思わず識らずのうちに書かれた一種の手記なのだ。・・・実際のところ、ある哲学の極めて迂遠な形而上学的見解が、もともといかにして成立するにいたったかを解明するためには、いつもまず次のように問うてみるがよかろう(これが利口というものである)、――つまり、その哲学(その哲学者)は、いかなる道徳を欲しているか、と。それゆえに私は、《認識への衝動》が哲学の父であるとは信じない。むしろ私は、ここだけにかぎらず他の場合でも同じことだが、いま一つ別な衝動が認識を(また誤認を)ただ道具として利用しているだけなのだ、と信じる。・・・哲学者にあっては、非個人的なものは全く何ひとつ存在しない。とくに、彼の道徳は、彼の何者なるかということについての、確定的にして決定的な証拠を提出する、――換言すれば、彼の本性の最内奥の諸衝動が、どのような位階秩序において整置されているか、ということについての決定的な証拠を提出する。
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ニーチェはざっとしか読んでませんが、


ニーチェは極端な弱者趣味であろうと感じられます。

自分が人間らしく振舞うことをせずに、
相手にだけ人間であることを要求しているようで。

人間の揺るまいの理由は大まかに3つあります。

1、自己保存(安全、快楽の欲求)
2.種族保存(共同倫理、恋愛や群れの欲求も含む)
3.癒しや遊び、趣味目的。

ニーチェの超人は1と2が欠けていてあまり正直な印象を受けません。
私の理解力不足であることも確かですが…。

飾りたくなる芸術として、鑑賞の醍醐味として超人の功績はある感じ。
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お困りなのでしたら、「ニーチェはアホである」ということでいい


と思います。

カレーライスを例にとりますと、ココ壱の一辛以上は、現実の野菜
のうまみが味わえないということになります。

また、覚醒という観点からでは、キャンディーとヒロポンはどちらが
合法的で健康的かということになります。

しかし、男の子は生まれつきチャンバラごっこが好きですので、おおめ
にみてあげることも必要かもしれません。
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質問文の中にこうあります



「あわてて『ルサンチマン』のことをウィキペディアで調べてきたんだろう。無為な読書の結果がこれだ」

wikipediaによるとルサンチマンとは

ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」である。

と、ありますね
ですので質問者さんの「弱者の強者に対するねたみの鬱積」は少し違うかもしれませんね

どちらかというと「人間の不自由である自分に対する行き場のない怒り」ではないでしょうか?

どう違うのかと言いますと
弱者ももちろんルサンチマンを持ちますが
強者もまたルサンチマンを持つということです
人間は何らかの制限を必ず受けます
どんな強者も例外ではありません
その不自由に対するストレスを持ちつづけられない弱い人間は、そのうち不自由を当たり前と感じるようになりそれが奴隷精神につながるということです

そして次の話に移りますが
質問者さんを否定するニーチェさんですが
ニーチェさんがルサンチマンを持ちその結果質問者さんを攻撃しているのではなく
単に質問者さんと議論がしたいのではないでしょいうか?
ですので私としては
「じゃあルサンチマンとは何なの?」
と聞いてみるとかをお勧めします

しかし、一言であしらいたいということなんですよね?
それはもしかすると質問者さん自身がニーチェさんに対してルサンチマンを持っておられるのではないでしょういか?

とりあえずそれは置いといて、ニーチェさんのような人を一言であしらうのは不可能です
あしらうとはあしらわれる人間にも常識やマナー、知能や知識が必要だからです
知能や知識を有してない人をあしらうことはできませんし
常識やマナーを持たない、もしくは悪意を持って接してきている人はどんなに単純明快で完璧な理論をぶつけても
「そんなことないよ。君は何も分かってないね」
と、非論理的なことを言われたらあしらうことは不可能です

最後にもう一度、私のお勧めはルサンチマンとは何かをニーチェさんに聞くことです
そこを聞ければその考えに対して具体的な返しができます
しかし、君は何も分かってないだけしか言わない相手には何も返せません
日本語が通じないのと同レベルです

ニーチェさんが常識を持ち、知能、知識も一定以上持ち、悪意を持っていないと仮定すればあしらう方法は「ニーチェさんの考えを詳しく聞く」ことです

あしらえる様に頑張ってください^^v
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ニーチェしか読まないのであれば「ご自分の考えが偏ってしまうという懸念はございませんか?」と訊いてみる。


「ない」との返答ならば頭がおかしいので関わらない方が良い。
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そのニーチェさんにも一理あるのであしらうのは難しい。

自慢してもいないし悦にも入ってないと伝えることくらい。

この回答への補足

ルサンチマン、とは、どのような概念ととらえるのがいいでしょうか?
相手は読書経験がニーチェしか、ほぼない人間なので、それこそ多読してきた私に対する「ルサンチマン」なのではないかと、考えてしまいます。

補足日時:2010/09/25 18:01
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

普通の本好き、なのと、ちょっと俗なのは確かですから、彼の言い分にも一里あるとおもいます。
その人は、逆に「ニーチェしか(しかも初読書)読んでいない」人なので、こうなったのかもしれません。
ある人物に感化されて、ニーチェを読み始めたのだそうです。

お礼日時:2010/09/25 18:00

自分の力がどういうものか、どこまで自分の力が及ぶのか知りたくて攻撃している場合がしばしばある。

また、自分を正当化するために攻撃している時もある。(人間的なあまりに人間的な)

ニーチェの理解に対して質問者を攻撃する人と距離を置くことです。
今後、ニーチェを読んでいる事を不注意に公言しないようにすることです。
沈黙が人生を自由にする!

この回答への補足

ルサンチマン、とは、どのような概念ととらえるのがいいでしょうか?
相手は読書経験がニーチェしか、ほぼない人間なので、それこそ多読してきた私に対する「ルサンチマン」なのではないかと、考えてしまいます。

補足日時:2010/09/25 18:01
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この回答へのお礼

ありがとうございます。特に、前段の言葉はいいですね。

後段のように、黙して語らず、がいいとおもいました。ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/25 17:58

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