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貨物列車

貨物列車の最後尾に車掌車が連結されていると編成美に安定感を感じませんか?
もう20数年前に廃止となっていますがあの担当者さんたちはどうなったのでしょうか?
揺れが激しくて結構疲れるのでしょうか?

「ヨ5000形」は8000形よりも客車っぽくないですか?
特大貨物輸送のときしか走らないんでしょうか?

A 回答 (4件)

北海道のSLで、実際の車掌車(ヨ4647(ヨ3500形))に乗車できます。


今年の夏に「SL函館大沼号」に連結されてました。
http://www.jrhokkaido.co.jp/travel/slhako/sl.html
http://www.jrhokkaido.co.jp/travel/slhako/event. …

秋にはニセコでSLが走るようですが、残念ながら車掌車は
連結されないようです。また夏になれば連結されるかな?

>揺れが激しくて結構疲れるのでしょうか?
夏に実際に乗車してみましたが、そんなに速度出してないにもかかわらず
かなりの揺れがありました。足下からのレールのジョイント音も
2軸車ならではのいつもよりなんだか少ない音が連続してきました。
たかだか1時間程度の乗車でしたが、これに数時間も乗り続けいてるのは
なかなか重労働だと思います。
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昭和50年より前くらいまでの、普通貨物列車の車掌は大変でしたよ。

そのような貨物列車は、「ワム」や「ワラ」「トキ」「タキ」などのさまざまな小型の貨車を連結して、1両1両どこからどこまで行くかが異なる車扱い貨車で、途中の各駅に停車して貨車の切り離しや連結を繰り返していました。
 入換機関車のいない大半の駅では、その駅までの貨車を切り離して置いて行かれても後が困るので、入換機関車等のいない駅では、本線牽引機関車で切り離す貨車を駅の貨物側線まで入換し、またその駅からの貨車も本線牽引機で入換して連結していました。本線牽引機で入換する場合は、なるべく前のほう(機関車近く)に連結しておいたほうが入換が楽なので、貨車のいく先によって車掌が駅と打合せして連結位置や入換作業方法など決め作業していました。貨車には、火薬などの爆発物や可燃性物質、危険物、家畜など積んだ貨車もあって、そんな危険な貨車は相互に何両か一般貨車や空車の貨車を入れて間隔をあけなければならない等の規則もあり、連結位置を決める作業も大変でした。
 そして、連結作業が終ると、貨車の行く先札など再確認して、駅と貨車の受渡の書類を交換して、すぐに編成長や重量などを車掌が計算しなおして、機関紙に報告しに行き、手ブレーキの緩解も確認し、機関車からのブレーキ試験も行い、出発に備えなければなりませんでした。
 そして、発車して走行中も揺れる車掌室の小さな机で、次の駅で受け渡す貨車の書類を書いたり、次の駅での入換作業を考えたりと、激しく揺れる車掌室で休む暇もないほどの激務でした。
 しかし、国鉄末期になってトラック輸送が盛んになると、貨物取り扱い駅が減っていき、全国各地1両毎行先の異なる貨車を連ねて走る「車扱い貨物列車」は、あまりに非効率なことが問題視され、コンテナ貨車で○○駅→△△駅直行のコンテナ貨物列車が大半となり、そんな直行貨物列車の車掌は、事故などで列車防護(他の列車を緊急停車させる手配を行なう)が必要になった時のために乗っているだけで、常には何もせず揺れる車掌車に乗っているだけとなったので、車掌車を連結することも終点で機関車を反対側に連結し直すとともに、車掌車も反対側に連結し直さなければならず、入換に手間がかかり非効率なので、貨車の最後尾に尾灯のかわりに反射板をつけることにより順次車掌車の連結をやめて、車掌は機関車の反対側運転台に乗るようになりました。
 貨物列車の車掌室は、古くは貨車の後半分が車掌室であったり、コンテナ貨車の最後尾一部が車掌室だったり、独立していない貨車と一体のものが多く、このような車掌室は横の貨物室部分に貨物が満載されて重くなれば上下の動揺は減りますが、空車の場合はすざまじい上下の動揺だったようで、当時高速コンテナの車掌室など問題になっていたようです。
 前後動などは、連結器のがたで出発及び停止時などはすざまじかったようです。トイレや冷暖房もなく暗い車内で、劣悪な労働環境であったようです。
 その労働環境改善のため、国鉄末期になって全国各地に単独の車掌車「ヨ8000」新製され、連結されるようになって、2軸車ながら単独車掌車なのでやわらかめのバネで動揺も減り、冷房はないながらも石油ストーブトイレ付きで労働環境もかなり改善されましたが、すぐに前述のように車掌車自体の連結が廃止となり、機関車に車掌も乗るようになり、動揺はさらに低減されたようです。車掌車「ヨ8000」は、順次大量廃車となっていきました。 その後、機関車及び地上に防護無線の設備が整った線区より、列車防護など必要な場合は機関車の防護無線の発報スイッチを押すことにより、周辺を走行している列車を止めることができるようになったので、車掌の乗務事態も廃止となっていきました。
 昭和50年以前、揺れる車掌車の中で書類を書いていたような貨物列車の車掌は、もう定年を迎えて既に引退してしまっているでしょう。
 国鉄末期に直行貨物に乗っていたような当時若手の車掌は、国鉄が分割民営化されたときに、JR各旅客会社に採用が決まった人は、JR各旅客会社で旅客列車の車掌などをしている又はしていたでしょう。JR貨物に採用が決まった人は、とりあえず貨物列車の車掌として機関車に乗っていたでしょうが、順次廃止となり貨物列車の機関士になったり、貨物駅の駅員になり入換誘導や信号取り扱い、その他車両検査修繕などの業務に変わっていった人も多いと思います。
 それ以外に、国鉄末期に余剰人員となっていろいろな民間会社に就職を斡旋されて、鉄道を離れて全く別の会社や官公庁などで第2の人生を歩みだした、元貨物の車掌も多いと思います。

 
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貨物列車の車掌車ですが、物凄い前後動と揺れなんだそうです。

特に貨物列車の連結器は高速貨車以外は「遊間」があって、徐々に引き出しますから、発車の時の「ガックン」はそれはそれは凄いそうです。それに2軸車で75km/hですからね。明治村などで2軸車の乗り心地を知ると分かると思いますが・・・。

車掌が「機関車の後部運転台勤務」になって、どれだけ楽になったか・・・ということらしいです。

ちなみに今は車掌車は原則省略になりましたので、控車としての意味もある「特大物輸送」の時しか出てきません。
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基本的に貨物列車は、1名乗務です。


例外がありまして、2名乗務をしている区間もあります。
特大貨物時のみ、稼働と思って良いと思います。但し、特大貨物でも連結してないこともあります。
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