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処女懐胎(受胎)はやっぱり誤訳だったのですか

誤訳だ、いや誤訳ではない。という争いはよくあったらしいのですが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%A6%E5%A5%B3% …
欄外のところを要約すると
そもそも原本から”処女”という意味合いはなかったということでしょうか

そもそも聖書ってキリスト教徒からして、どれほど正しいと思ってるんでしょうか
どれもキリスト本人が書いたわけではですよね

キリスト教についてはかなり素人ですが、疑問に思い投稿しました

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A 回答 (8件)

先ほどの回答者です。


あまり私ばかりが書いてもあまり都合がよくないでしょうからこれで最後にしますね。

確かに、この箇所は、そのまま読んだら、イエスのことを預言した箇所には見えませんよね。

ですから普通、クリスチャンがイエスに関する預言を挙げるとき、この箇所は普通言及しません。
クリスチャン以外の人に説明するためには無理があるようにやはり感じるのです。


だが、マタイはここをイエスのことと確信したのです。
この預言の重要な意味は、マタイが確信したということにあるのです。

聖書記者たちは、非常に綿密にイエスのことを取材し、確認していることがそこかしこからわかります。ですから、福音書の作者は4人いるけど、自分自身が確信を持って確認できた事柄しか記録していないのです。各聖書記者たちは、それぞれ微妙に記録している事柄が違います。これが、記者それぞれの取材成果なのです。

この箇所について言えば、おそらくマタイはイエスの取材をする前はイザヤ書の預言のことなどほとんど知らなかったのでしょう。だが、イエスの出生に関する記録を詳しく調べるにつけ、イエスが処女から生まれたということを確信していったのだと思います。
そして、これほど大切な事柄が、旧約聖書のどこかに預言されていないわけがないと考え、その箇所を探しにいったのでしょう。そして、当時成就しなかったこの預言が、時がたちイエスが成就したと解釈したのだと思います。

ご存知のとおり、マタイ書のテーマは、イエスが旧約聖書で預言されたメシアであることをはっきりと言明することにあります。そのためたくさんの旧約の預言がマタイ書に出てきます。

その中には、今回のイザヤ書の預言のように、少し拡大解釈なのではないかと思われるものも確かにあります。

だが、後世の研究者から見れば、このようなこじつけに見える解釈は、マタイの心理条件、そして実際に起きたことを推測するのに非常に役立ちます。

この箇所について言えば、このようなわざわざこじつけに近い箇所を旧約から引用してきたということから考えれば、どちらかといえば、実際に起こったことが先にあって、それに合う預言を旧約聖書からマタイが探したというのが真実に近いように思えます。この預言を生かすためにわざわざありもしない事実を捏造したというのは、考えにくいですよね?何しろもともとこの預言自体が拡大解釈に近いのですから。
それに加えてさらに確認できないような事実を捏造すれば文書全体の信頼性は疑われ、福音書として生き残ることができなかったと思います。

ですから、私自身は、この箇所はイエスのことを二重言及視点で預言した箇所だと思っていますが、そう思えない人はそうでなくてもよいと思います。実は事実はどうだったのかという視点で見てみればいいのだと思います。
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この回答へのお礼

真実かどうかさておき、マタイによる解釈が原因ということでしょうか。

>この預言を生かすためにわざわざありもしない事実を捏造したというのは、
>考えにくいですよね?何しろもともとこの預言自体が拡大解釈に近いのですから。
>それに加えてさらに確認できないような事実を捏造すれば文書全体の信頼性は疑われ、
>福音書として生き残ることができなかったと思います。
んん、どうでしょう
拡大解釈はこれぐらいにしといた方が信憑性が増すぞ、とマタイが思ってブレーキかけたのかもしれません

>そう思えない人はそうでなくてもよいと思います。
ということはマリア様の処女受胎もマタイによる確信ととっても良いということでしょうか

あと、もうひとつ質問があるのですが。どうして創世記で
1:26神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り・・・
と神が「われわれ」と言ってるのでしょうか
ヘブライ語では畏敬の複数形という文法があるらしいのですが
誤訳に厳しいはずがどうしてヘブライ語以外でも複数形である「われわれ」としたのでしょうか
神は複数あるのでしょうか?宇宙人のように

あとヤーウェとエロヒムの違いについても教えてください

お礼日時:2010/10/11 21:01

No.2の回答者ですが、



ヘブライ語からギリシア語の翻訳について、補足します。
聖書というのは、先ほどから申しましたとおり、一言一句変えることができません。
少なくとも彼らはそう考えていました。
だから、この箇所が「若い女」という意味ならば、彼らは間違いなく、ギリシア語でも
それに対応する単語を使っていたはずなのです。

これは伝承や、当時の合意だけの話ではないのです。
現在は若い女と訳されている「アルマー」は、当時は間違いなくほぼ100%処女という意味を
含意していたのです。ただし、注釈が付いたときだけは、処女でないという使い方をされたことも
あったのです。

この件に関しての権威であるWilliam Beck博士は自分の著書の中でこう述べています。



「私は聖書の中で、アルマーという単語が非処女、あるいは結婚した女性をあらわすものとして使われている箇所を徹底的に探した。しかし、そのような箇所はなかった。少なくとも聖書の中においては、アルマーという単語は、処女を意味するのだ(含意するのだ)」

また、Robert Dick Wilson、彼は、比類なきヘブル学者であり、聖書に関連する45の言語に精通する学者でありますが、彼はこう宣言しています。
「アルマーは若い結婚した女を意味する言葉ではない。そして、コモンローからの推測で言えば、アルマーは、特に注釈がなければ、純潔な女を意味する。」

また、最新の研究では考古学的にもアルマーはずばり処女を意味するということが証明されつつあります。

現在のところ私は、控えめに、「断りがなければ処女の若い女」という意味しか主張しませんが、実際は限りなく「処女」だったのでしょう。これがこの箇所の最新の研究者の見解です。


sisi91sisi さんは、人間は宇宙人の人工物という考え方におびえていらっしゃるそうですが、私はそうは思いません。
あなたもお気づきのとおり、聖書はとても不思議な書物です。そして、それが神の著作であることを自ら宣言しています。

「心をこめて、精神をこめて、知性をこめてわたしを捜し求めるものはきっと見出すであろう」という聖書の言葉をぜひご自分で確かめていただきたいと願っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
そうですか、処女という意味がるんですか
たしかにイザヤの予言では印は処女受胎じゃないと印になりませんもんね
でもイザヤ書でアハズは予言に従わなかったからインマヌエル(イエス)は生まれないはずですよね?
つまり、予言的に言ってもマリアはイザヤの言う処女受胎ではないし
マタイの福音書自体、イエスが書いたものではないので、信者がイエスを神聖視するあまり、成就されなかった予言(イザヤの予言)をオマージュしたのではないでしょうか?



>人間は宇宙人の人工物という考え方におびえていらっしゃるそうですが
はい、そういう恐怖が頭から離れません。
個人的には聖書の表現が方便であっても、キリストの教えは否定されないと思います
また聖書の表現が方便であっても、神の否定にはなりえないと思います
なので、どちらかというと宇宙人を連想させるような表現は嘘であって欲しいんですよ

お礼日時:2010/10/11 16:19

#4


 【空は古代の人々にとって恐れ多く、また到底理解に及ばない観念だったので、ということでしょうか】
 現代人からはそういう見かたもあるかもしれません。とても身の回りの親しい世界だったのでしょうね。

 

>そうなれば、現実の人間形象としての、ナザレのイエスとはちがうものであるとなりますが。
 【つまりその神秘的な観念と人間であるイエスを同一視したのが聖書であるということでしょうか?】
  処女から生まれた、意識観念を救い主、普遍存在たるイエスに重ね合わせたかもしれません。


 【ちなみにそのインドの神話で登場するカルナという男性は観念ということで】
 そういう解釈もあるということです。今の時点では、考古学の対象領域ではりません。
 バイブルの処女懐胎の話と同様、物語・神話です。
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この回答へのお礼

冷静に考えるとそうなりますね

助かりました

お礼日時:2010/10/11 15:26

 ANo.4


 バイブルの処女懐胎をそのまま事実として思考、受け取る方々もおられる事は存じています。
 しかしまた一方それを、一定の比喩として解釈する方もおられます。
 そして昔は人間も神と同じである状態であったので、性交渉なくして妊娠、出産ができるのだという理解をしている方もおられます。

 インド古典、マハバーラタ自身はそのどれが正しい理解かを語ってはいません。
 マハバーラタの中のバガヴァッド・ギータはヒンドゥ教の聖典、バイブルです。
 バイブルの処女懐胎などの秘蹟にご関心であれば、マハバーラタとその中のギータも時に関心を持つことも有益だと存じます。

 私はご質問から、すぐにこの古典の処女懐胎としてカルナの誕生のことを思いましたので、ご参考に供した次第です。
 そしてその理解の仕方の一例をあわせてご紹介したのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
確かにひとつの観念、または比喩として捉えるほうが理性的ですね
大変参考になります

お礼日時:2010/10/11 12:44

 #3



 【究極価値??】
  存在の根底的基盤。観念としてあるというのが普通の思考だと存じます。でも現実だという人達もおります。

【インドの神話に詳しくないので、
しつつ読みすすめてるのですが】
 二行目は理解できません。

 インドにマハーバーラタという神話ないし物語があり、その中でカルナという男性が登場する。その男性の出生は結婚してない女性から生まれた。
 その母たる女性は男性と性交渉をしていないで、カルナという男性を祈りの力で出産した。
 そして女性は天界の力で、処女性は失っていない。

 この話を現実の男性の出産として理解しているのが普通であるが、ある種のヒンドゥ哲学では、この男性は人間の意識の中にはぐくまれた一定の観念である。という理解をしている。
 そして更に、この男性を人間の意識機能の一つとして、当てはめている人たちもいる。
 その部所が延髄の下部である。
 
 これを勘案してバイブルの処女懐胎を観念の育みと解釈できませんか。
 そうなれば、現実の人間形象としての、ナザレのイエスとはちがうものであるとなりますが。
 ということを参考までに申し上げました。
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この回答へのお礼

天空は古代の人々にとって恐れ多く、また到底理解に及ばない観念だったので、ということでしょうか

>【インドの神話に詳しくないので、しつつ読みすすめてるのですが】
> 二行目は理解できません。
検索しつつ
ですごめんなさい。なぜかぬけてました

>そして女性は天界の力で、処女性は失っていない。
こういうのを見ると、天界(宇宙人)の力で人工授精と浮かんでしまいます

>これを勘案してバイブルの処女懐胎を観念の育みと解釈できませんか。
>そうなれば、現実の人間形象としての、ナザレのイエスとはちがうものであるとなりますが。
つまりその神秘的な観念と人間であるイエスを同一視したのが聖書であるということでしょうか?


ちなみにそのインドの神話で登場するカルナという男性は観念ということで

考古学者さんたちは共通見解を示してるのでしょうか?

お礼日時:2010/10/11 12:43

 所謂る受洗はしておりません。


 バイブルは優れた叡智を伝えていると存じます。
 バイブルの中に荒唐無稽の事柄も多々ありますが、一定の前提的知識や経験段階があればその立場では理解し受け入れることのできることなのだと、存じます。

 【エロヒムはもともと「天空より飛来した人々」という意味】があるのですか。
 その「天空」とは実際の宇宙のどこかなのでしょうか?
 究極価値に近い観念世界という理解はできないでしょうか?

 似た話はマハバーラタにもありますね。天界の仙人がある娘の信仰を愛でて、神に祈って申し子を授かる力を与えた。
 そして彼女は試しに太陽神スーリヤに祈り、子を産んだ。いわゆるカルナですね。
 未婚の子であるので、葦の舟に乗せて河に流し、老戦士夫妻が育てた。
 娘はパンドゥ王と結婚し、アルジュナなど五兄弟を生んだ(その内一番下の二人は祈りの力を彼女からもらった他の妻から生まれている)。
 というものです。
 カルナは正規の子ではないので、少し斜めの生き方をするところがとてもインドの人にも人気があるんですね。つまり悲劇の英雄です。
 戦争中馬に引かせている戦車が泥沼に入り、そこから引っ張り挙げようとしているときに討ちとられる。

 戦車ってつまり人生、この肉体のことだそうです。
 そしてカルナって体の部所で言うと、延髄の下で下方向と上方向に流れる交差点のところだそうです。

 つまりカルナはインドの一定の哲学では観念です。
 アルジュナなど五兄弟も観念なんです。
 実際の子ではなく、人間の宗教上に孕んだ観念だという事なんです。
 そういう解釈で、ナザレのイエスと、処女懐胎の子とを区別して考える必要はないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
>究極価値に近い観念世界という理解はできないでしょうか?
究極価値??もう少し簡単にお願いできますでしょうか


インドの神話に詳しくないので、
しつつ読みすすめてるのですが
>そしてカルナって体の部所で言うと、延髄の下で下方向と上方向に流れる交差点のところだそうです。
>つまりカルナはインドの一定の哲学では観念です
カルナって人の名前ではないですか?
観念を擬人化したということですか?

つまり、イエスは観念ということでしょうか?
実在はしない、と。でも実際に聖書の真偽は別としてイエスなる者は実在したそうです

>そういう解釈で、ナザレのイエスと、処女懐胎の子とを区別して考える必要はないでしょうか?
観念(イエス)と人間(イエス)は別ということでしょうか?

お礼日時:2010/10/11 10:47

誤訳ではありません。



理由はいくつかありますが、まず、wikipediaにもありますが、70人訳聖書(ギリシア語で書かれた聖書で、海外に住み、ヘブライ語を解しないユダヤ人のために翻訳された聖書)ではイザヤ書のこの場所をはっきりと「処女」と訳しています。これは、紀元前2世紀の訳であり、イエスが生まれる前からすでにこの箇所はユダヤ人に「処女」という意味がこめられていることが伝承されていたのです。

この箇所を、ギリシア語の誤訳だという人は、ユダヤ人の徹底的なまでの正確さにこだわる文化をわかっていません。

ユダヤ人は、聖書を、それこそ大変神聖な書物と考えていました。そのため、一言一句でもその内容を変えることは大きな罪でした。今でも、ユダヤ教の聖職者である人間は旧約聖書を一言一句正確に暗誦することは大変有名な事実です。

当時のギリシアにも、ユダヤ教の聖職者をはじめ、ヘブライ語とギリシア語を両方解する人間はたくさんいました。もし、この箇所が誤訳ならば、それは聖職者をはじめとする人間に指摘、弾劾され、その箇所は間違いなく修正されていたはずです。それがないということは、ここは、当時の聖職者たちの中でもはっきりと、「処女」という意味であることが伝承されていたのです。

そもそも、このイザヤ書の預言は「処女」でなければまったく意味を持ちません。
処女でない人間が身ごもったからといってなんの驚きがあるというのでしょうか?
強引に読み込めば、「女が身ごもった」でも意味は通じますが、それでは何のためにこの一文が挿入されているのかさっぱりわからないことになります。ここは素直に解釈したらやはり「処女」なのです。

また、イエスの出生に関しては、この預言があるなしにかかわらず非常に不思議なことがあるのです。
イエスは、マルコ6:4で、「マリアの子」と呼ばれています。他の4兄弟がすべて「ヨセフの子」と呼ばれているのと比べてください。

当時のユダヤの習慣では「マリアの子」と呼ばれることは絶対にありません。
子供は必ず父親の子となるのです。
また、ユダヤ教のトーラでもイエスはマリアの不義の子と呼ばれています。
つまり、当時、イエスがヨセフの子ではないことは皆が知っていたのです。

それなのにヨセフはなぜマリアと結婚したのでしょうか?
当時、ヨセフとマリアは婚約中でしたから、不義を働けば死刑です。
ヨセフがマリアの死刑を望まなかったとしたら、とるべき道はただひとつ。
婚約を解消することです。
そうすれば、マリアは未婚の母となりますが、当時の社会ではそれ自体は受け入れられていました。

最も考えられないのは不義を知りつつ結婚し、その後も良好な関係を続けるということです。
もちろん不可能ではありません。だが、あなたが男だったら、それができますか?
私はそれはありえないと思います。

まだあります。マリアはイエスの死後、キリスト教に帰依しています。そして、イエスの存命中イエスを白眼視していた兄弟たちも全員キリスト教に帰依しています。
マリアはそれにより、子供の一人、ヤコブを失い、他の子供も迫害される運命にあるのです。
それでもマリアはキリスト教に帰依しました。それは、すなわちイエスを神の子と認めたということです。
初期のキリスト教信条にははっきりとイエスが神の子であり、処女から生まれたということが宣言されています。
つまり、それがうそだったら、マリアははっきりとそれを知る立場にあったはずです。
しかし、マリアはそれを肯定しました。

人間は、真実のためには命を投げ出せますが、うそと知ってそのようなことはできません。

マリアは間違いなくイエスが処女であると確信していたのだと思います。
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この回答へのお礼

でもwikipediaには
>原語(ヘブライ語)のアルマー (עלמה, almah) は、ただ「若い娘」を意味し、「処女」の意まで含意する語ではない。
と書かれています
ユダヤ人は正しく訳すかもしれませんが、”正しく”とはいったい何でしょう
当時のユダヤ人の共通見解が”正しく”ではないでしょうか
なので当時の共通見解が処女と訳すのが良いと大勢の意見が一致したのではないでしょうか
そりゃあ「若い娘」と訳すより「処女」と訳すほうが神秘性は増すでしょう
そういったいきさつではないでしょうか

>イエスは、マルコ6:4で、「マリアの子」と呼ばれています。他の4兄弟がすべて「ヨセフの子」と呼ばれているのと比べてください。
知らなかったです。不思議ですね

>それでもマリアはキリスト教に帰依しました。それは、すなわちイエスを神の子と認めたということです。
聖書って不思議ですよね
なにかフィクションには思えないふしがあります
創作物だとしたら、そこまで書くか?という。

そこで、他の投稿でも書いてるのですが、エロヒムとは宇宙人のことではないのでしょうか
エロヒムはもともと「天空より飛来した人々」という意味があると聞きました
なので処女受胎が本当だとしたら、天空より飛来した人々(宇宙人)とマリア様の人工授精ではないでしょうか?そうすると数々の奇跡も宇宙人の科学技術によるものだとすればうまく説明はないでしょうか

因みに自分は不可知論者ですが、神様はいてほしいと思うので、人間が宇宙人の人工物だというのは絶対に嫌です
このような妄想が頭から離れず困ってます
どうにかならないでしょうか

だから処女受胎に懐疑的だったのです

キリスト教の人が創造論を推せばば推すほど、宇宙人によるものでは??と不安になります
(一応自分は進化論を信じてます)

お礼日時:2010/10/10 22:43

聖書の捉え方が色々だから教派が発生している。


処女懐胎が事実なのか、そうでないのか。
当時は結婚前に妊娠=石打で死刑でしたから聖霊で身篭った...
と言ったかもしれないし。
未だに未解決な神学上の課題のひとつかと思います。
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この回答へのお礼

>聖書の捉え方が色々だから教派が発生している。
そこに行き着くのでしょうか
もうどうしようもない問題ですね
昔の人たちがマリア様は処女ではないと訳していたら
処女受胎という伝説は存在しなかった・・・・
そういうことでしょうか

つまり原本の意味を知る術はないと

お礼日時:2010/10/10 17:33

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