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映画やドラマで、賭場を渡り歩きながら弱者を助けるといった、いわゆる股旅モノがあります。
あの人たちのモデルになった人たちが実在したのでしょうか?
ばくちで勝ち続けることは難しいですし、そもそも旅行の目的はなんだったのでしょうか?
正業に就くのが嫌で、といってヤクザになるもの嫌という人でしょうか。

A 回答 (2件)

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>あの人たちのモデルになった人たちが実在したのでしょうか?

端緒は、幡随院長兵衛と言われています。

侠客はどうして生まれたか:
幕府の小普請組は、お城の小工事や石垣を直したりする役目。御用の時には出動しなければならなかったが、自分では出動せずに、中間や小者を働きに出した。しかし、貧乏旗本でいつくるかわからない工事のために、常に中間や小者を抱えているわけにもいかず、そこで、そういう需要に応えたのが「割元」という「口入屋」。町人でてはあったが「寄子」(よりこ)と呼ばれるさまざまな職種の若い者を常時抱えていて、旗本の需要に応じて人足を出したが、「割元」は何十人もの「寄子」を抱えていたため、人望がある者がなり、やがて「侠客」として名を売ることとなった。

義理人情に厚い:
割元は若い者を集めておくので、まずは、彼らに対して押さえがきかなくてはならない。大勢の人間を心服させるだけの、人情に厚く義理を重んじ、腹のすわった者でなければ務まらない。つまりは、伊達男の資格を持っていなければならなかったのです。ここに、後の遊侠の原形があるのです。

博徒が田舎にはびこる:
江戸時代も天保年間(1830~1843)頃になると、水野忠邦の天保の改革で江戸では食えない無頼の徒が関東の各地に流れ、地方に根を降ろし遊侠の徒となった。中でも機業地として景気の良い上州、房州、駿河など金まわりのよい土地にはびこった。
そして、各地で賭場を開き、子分を抱えて縄張りを広げた。その縄張り争いでいがみあうこともあったが、逆に、横のつながりで官憲に対抗することもあった。
百姓仕事に熱意を失った若者たちが、遊んで暮らす博徒に憧れ、仲間入りすることは自然のなりゆきであった。
大前田英五郎、国定忠治、小金井小次郎、勢力富五郎、祐天仙之助らは皆天保前後の侠客である。

股旅もの:
この「股旅」という語源は、昭和3年長谷川伸の戯曲「沓掛時次郎」から生まれたものだとされています。続いて翌年「股旅草鞋」(わらじ)が世に出てから「股旅もの」というジャンルが生まれました。

その正体は?
「雲助」や旅を続けながらの「こそ泥」、「ごまの灰」がモデルとされている。「雲助」は文字通り「雲水」のような流れ者で、すぐにどこへでも行ってしまうので、足止め策として博打が黙認されていた。人足小屋では貸元、中盆、壺振などまで揃っており、本格的な賭場であった。つまりは、博打をしても貸元側なので「損」をすることはなかった。

木枯文次郎:
「そいつぁ、あっしには関わりねえことでござんす」と、粋な三度傘をよこちょにかぶり・・・と無責任時代の現世相を反映したものです。

股旅姿:
別に、俗に言う「股旅姿」は、やくざ独特のものではなかった。三度傘も合羽も手甲、脚絆も、すべて江戸時代の「一般の旅行者」のスタイル。違っていたのは、法定の中差ではなく、二尺以上の長脇差を差していたくらい。
ただ、江戸時代の書物の中には、旅姿として、よれよれの着物でゴザの巻いたのを担いで歩いたとの記述があり、こちらが本物かもしれないが、ドラマでは「さえない」のでカット!!

宿場も村も無警察状態?
ドラマなどでは官憲は一人も出てこないものもあるが、一体どうやって人々は生命や財産を守ったのか・・・。
そこには、住民の自治意識により補われていたのである。事あれば、農民であれば鋤(すき)や鍬(くわ)を持って集団で対抗したのです。
辻斬りで百人余りを殺したと言われる「平井権八」も大宮在での強盗殺人事件では、村人に取り巻かれて仲間三人と共にふん縛られている。
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続き・・・。



凶状もちが旅へ:
罪のない人をあやまって殺傷した場合や賭場の出入りなどで人を殺めたばあいなどは、所属する一家にはいられない。そこで、凶状もちは自然と旅から旅への渡り鳥生活を強いられた。
まあ、これがモデルと言えばモデルかもしれません。

「お控えなさって」:
旅人が一宿一飯に預かる場合の挨拶。
まず、笠を取って入ってくると、右手を拳にして敷居につき、
「ごめんなさい」
と、挨拶が始まる。家の者はすぐに、
「旅人がお出なさいました」
と返す。
この一言づつのやり取りで、相手の貫禄を見抜いてしまう。旅人は続いて、
「おひかえなさい」
と、言うと、家人も、同じく、
「おひかえなさい」
と、これを三度繰り返す。
双方が互角の相手であると、5~6回これを繰り返す。
次に旅人は、
「ご仁義になりませんから、ぜひともおひかえなさい」
と、言う。
家人も、
「逆意とは存じますが、お言葉に従い、ひかえますからごめんなさい」
と、家人が止めると、
「かよう不様(ぶざま)にて失礼ですが、おひかえなさい。自分こと中山道は板橋隣村江古田でございます。渡世につきまして、親分と申します○○の若い者でございます。名前の儀は△△△と申しまして、しがないものにございます。今日、こうお見知り合ってお引き立てのほどお願い申しあげます」
と、一息に喋る。
家人の方は、
「お言葉に申し遅れましてごめんなさい。自分ことは当所でございまして××と申します」
で、これで仁義は終わりとなる。
言葉に詰まってしまったり、言い損ねたりすると、それっきりその家では相手にされなかった、と言う。

おかわり:
一家に一晩厄介になることとなると、夕食が出される。米の飯に一汁一菜がほとんどだが、たまには、その土地の名物も振舞われることがある。ご飯茶碗は小ぶりの丼となっており、飯がやや「てんこ盛り」になっている。一膳飯では、
「ここの食べ物は美味しくない」
といわんばかりに見えるため、旅人は丼に盛られた飯の中央を掘りぬき井戸のように食べ、
「おかわり」
と言って飯を継ぎ足してもらう。そして、腹がふくれていても全部を平らげるのが礼儀。
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