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ビジネスパーソンやそういう意識の高い人たちのあいだで、よく「気づき」という言葉が口にされています。

「気づき」という言葉は、だいたい、「業務の改善につながり、それを通じて従業員のモチベーションもアップするような発見」とか「自分をもっと輝かせるためにこういうことに気をつければいいのカモ」みたいな、要するに「発見」をやや自己啓発的(≒スピリチュアル)に解釈する、みたいな使われかたなのかなと思います。

お聞きしたいのは、「気づき」という言葉がこういう使われ方をし始めたのは、いつごろからかなのか、また何かきっかけとなるような本や人物の影響があったのか、ということです。

ご存じの方いらっしゃいましたらご教示いただければ幸いです。

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A 回答 (3件)

スピリチャルな意味合いのある「気づき」は、ビジネスマン向けの自己啓発セミナーで広まりました。

もともとは心理学用語です。
http://www.1-ski.net/archives/000324.html
そういったセミナーの講師さんは心理学を修めた人が多かったので。
私はその方面のことは嫌いなので詳しい事はわかりません。心理カテゴリーでお尋ねになると何かわかると思います。
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この回答へのお礼

なるほど、もとは心理学用語なんですか。

そちらで質問してみますね。

ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2010/12/02 05:05

 確かに、語感の鋭い人には違和感がありそうです。

似たような例に「振り返り」があります。柔軟すぎる日本語の問題点でしょう。正確な語彙を駆使して、論理的に文章を書くことが難しくなります。

 もともと、英語の直訳ですから、あまり初出を詮索するのもいかがかと思いますが、英語との関連については丁寧な解説が見つかりました。
http://blog.asahipress.com/express_yourself/2010 …


 また、経験豊富な日本語ウオッチャーの指摘があります。「道浦俊彦 気付き」で検索されてはいかがでしょう。
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この回答へのお礼

いろいろ調べていただいたようで、ありがとうございます!

非常に参考になる記事ですね。
道浦俊彦氏のHPもとても参考になりました。

>英語の直訳ですから、あまり初出を詮索するのもいかがかと思いますが

あ、いや「詮索」しようなんて思ってないですよ!
(というか、こういう質問すると「詮索」だと思われるものなのでしょうか……。よく分からないのですが。)


いろいろと有益な情報をありがとうございます!

お礼日時:2010/11/27 22:56

私は使いませんが、たぶん木村藤子さんの『気づきの幸せ』と言う本に影響されたのではないでしょうか?


http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%B0%97%E3%81 …
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この回答へのお礼

さっそくのご回答ありがとうございます!

この書籍はたしかに結構売れたみたいですね。知りませんでした。

ただ、ご指摘の書籍は2007年刊行で、しらべてみると例えば、自己啓発系の本をいっぱい書いている中谷彰宏という人が、2002年に『挨拶の数だけ、幸せになれる。――気づきの達人 運が開ける100の挨拶――』という本を出していたり、1986年の時点で『センサリー・アウェアネス-「気づき」―自己・からだ・環境との豊かなかかわり-』という翻訳書が出ていたりと、書籍の刊行年数だともっと遡れるんですよね……。
つまり、実際にはどの本(あるいは著者)の影響で「気づき」という言葉が人口に膾炙したのか、という、そのへんがまだ分からなくて……。

ともあれご回答とても助かりました。

お礼日時:2010/11/27 16:31

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Q「観点」と「視点」の使い分け

「観点」と「視点」は、どう使い分けたらいいでしょうか。用例なども含めて、教えてください。

Aベストアンサー

私の語感でお答えします。

私は、視点と観点の両方を用いますが、
視点の方は、「見る、目を向ける」という意味合いを
強く引っぱっているように思います。

視点を「考え方・見方」という意味で使う場合も、例えば、「視点をかえる」という場合、「こっちから見れば、こう考えられるが、発想を転換すると、異なる考え方もできる」という意味で用いる際、「表から見ていたものを、方向を変えて裏から見る」など、物事を見る場合の立ち位置――しかも矢印で表せそうな――見る際の方向を表すイメージがあります。

一方、「観点をかえる」といった場合、視点と同じ意味合いを持ちつつも、単なる方向だけではなく、「考える次元や、そもそもの思考の基盤をかえる」という意味が加わると思います。

したがって、私の語感では、例えば、「哲学とは無関係に思われた事柄を、そもそもの前提を見直して、哲学の立場から考察すると」という場合、「哲学的観点に立てば…」とは言いますが、「哲学的視点に立てば…」はやや表現の適切さに欠けるように思われます。
 ただし、「そもそもの前提を見直さないで、単に考えの方向を変えてみて」という意味でなら、「哲学的視点では」とも言えると思います。

視点と観点とは、totanさんが挙げた:
視る→まっすぐ目を向けてみる、一点を集中して見る。
観る→多くを並べてみくらべる、広く見渡す。
という漢字本来の意味内容をかなり正確に引き継いでいるのではないかと感じます。

以上、私の語感でした。

私の語感でお答えします。

私は、視点と観点の両方を用いますが、
視点の方は、「見る、目を向ける」という意味合いを
強く引っぱっているように思います。

視点を「考え方・見方」という意味で使う場合も、例えば、「視点をかえる」という場合、「こっちから見れば、こう考えられるが、発想を転換すると、異なる考え方もできる」という意味で用いる際、「表から見ていたものを、方向を変えて裏から見る」など、物事を見る場合の立ち位置――しかも矢印で表せそうな――見る際の方向を表すイメージがあります...続きを読む

Q木村藤子さんの気づきの幸せの意味はなんですか?

よく木村藤子さんは『気づきの幸せ』ってよく言ってますが、これはどういう意味なんですか?


でも人生って知らぬがほとけっていう事だってありますよね。

気づいて不幸な事だってあると思います。

逆にいえば、気づいて今の自分の状況を変えられる、そうするに気づいて運命を変えられるっていう意味ですか?

Aベストアンサー

こんにちは。

ご質問者さんは何度も、同じような質問を繰り返しているようですが、木村藤子という人物に、期待と依存する気持ちと、彼女にご自分を否定された心の痛みが、交錯しているようです。

私がいくら書いても、理解してもらえるという自信はありません。それは、今のあなたにとって、インターネットは力にはならないようです。

>木村藤子さんは『気づきの幸せ』ってよく言ってますが、これはどういう意味なんですか?

木村藤子氏の考え方を代弁することはできませんが、『気づき』とは、うまくいかない時に、他者や環境を責める前に、自分が悪かったと認めなさい、ということだと思います。例えば、職場でうまくいかないのは、会社の人たちが悪いのではなく、自分のあり方に問題があったのだと気づきなさい、という理屈です。

木村氏と同年代で同じようなことを言う人に出会ったことがありますが、こういう考え方のパターンは女性教祖や女性経営者に多いようです。自分の自己主張を引っ込めることで、丸く収まるものは世の中には多いのも事実です。ただ、それは、小さな社会での話なのです。一見、立派なことを言っているようで、周りの人の犠牲の上に成り立っているものでした。

難しい言い方ですが、こういう教えをする人たちは、その人の置かれている社会性には気づかない人が多いようです。自分の教えるルールに押しはめれば、人の悩みは解決するように信じているのです。しかし、人の事情は様々なのです。だから、木村氏の鑑定で、実際に鑑定してもらった人は解決せず、ネット内の評判がよくないようです。

話が飛びますが、現在、食材偽装として言われている、関西のホテルチェーンの社長の弁明にしても、日本から、何兆円の国民のお金を持ちだし、その内の差額を着服した政治家も、隣国に何億円ものお金を持ち出させた宗教家も、自分が悪いとは思っていません。彼らの周りには、悪いと責める人などはいません。でも、逆に、彼らが自分が悪かったと認めたとしたら、どうなるのでしょうか。確かに、一部の人からは賞賛されるかもしれませんが、それも、また解決にはなりません。かつての山一證券の社長のように、そうではないトップの人もいますが稀有です。

一体、何が正しいのでしょう。いずれにしても、私たちの社会は、混沌として不条理だと思うのです。日本の一連のカルト宗教の発端になった思想の中に、『マーフィーの成功法則』といって、キリスト教を母体にして、自分の願望を思い通りにしようとするものがありました。しかし、私たちの社会の中で、先ほど書いたように強者は、弱者の犠牲の元に、生活や社会が成り立っていることが多いものです。木村氏の認める社会も、大なり小なり、そうした自分の弱者としての立場を受け入れろ、ということかもしれません。ただ、もう自分自身が同じ目線に立って弱者には戻れないようです。これは、テレビに出てくる他の霊能者という人も同様のようです。

日本人には、根本的な人の心を支える宗教観というものがありません。ほとんどは、宗教の名を借りた欲望の集団で、自分の欲望を叶えてくれるだけの神仏しかありません。そういう中では、信者には、あなたは信仰が足りませんとか、あなたは、自分が悪かったと認めなさいと言います。そういう自罰的な考えを『貧者の道徳』といった哲学者がいます。

他人には、自罰的になれ(あなたが悪い)と言いながら、私は悪くないと言い張る姿は、まさに、「気づきがない」としか言いようがありません。

私たちの社会には、強者と弱者がいて、弱者は常に自分が悪いと言わされます。強者は自分は間違いはないのだと言い張り、弱者には、うまくいかないのは、自分の努力が足らないのだとします。後者はいかにも常識的ですが、これでは、頼ってきた人に、愛情のかけらもありません。本当の意味で人は救われません。

人の心を癒やすことは、霊能者の仕事ではないのかもしれません。しかし、それでは、一体、霊能者とは何者なのだろうと思ってしまいます。いくら、その鑑定の内容が当たっていようがいまいが、ヘビがどこに潜んでいようが、そんなことはどうでもよいことではないでしょうか。こういう人たちは、特殊能力の持ち主かもしれませんが、しかし、それが一体何の意味があるのか、と思うのです。悩みがあって、鑑定してもらったのに、少しも晴れ晴れとはしないのではないでしょうか?

どうやったら、成功するかというアイデアを出せずに、「リクルートしている会社は、成功しません」というのは、霊能力などなくても、誰でも言える話です。霊能者と称する人の言う、前世も守護霊も霊視も、そんなことは大した問題ではないのです。今、心の血が流れ出ている人を、救えないのなら、一体、何をしているのか、と思うのです。生きている人の哀しみを視ることはできないものでしょうか。

>気づいて今の自分の状況を変えられる、そうするに気づいて運命を変えられるっていう意味ですか?

本当に、そう思いますか?木村氏のいうような自罰的な(自分が悪いと思う)ことで、運命が変えられますか?引退を勧告されたスポーツ選手を見ていると、なんとなく答えが分かります。お相撲さんでも、幕下まで陥落してでも、なおも、お相撲を続けようとする人もいれば、まだ若くても、次の仕事だと言って見切って辞めてしまう人もいます。

いろんな選手がいますが、野球選手などのドキュメンタリーでは、最後に信じられるのは、「自分自身の力」と「自分の家族」だということにつきるような結びになります。その中で、希望を見出し、新しい道を見つけているように思うのです。

私たちというのは、信じられる周りの人たちと、一緒に、支えながら生きているのではないでしょうか。あなたが、何度も、こうした掲示板でお聞きになっても、少しも癒やされる気がしないのではないでしょうか。もし、不幸があるなら、それは、あなたが掲示板で聞かなくてはならないと思うこと自体なのかもしれません。こうした仮想社会ではなく、現実の身近に信じられる人をお作りになることが、まず最初の第一歩だと思います。お仕事を見つけるのも、そこからのような気がします。資格試験などは、二の次だと思います。

私は、そのように考えます。

こんにちは。

ご質問者さんは何度も、同じような質問を繰り返しているようですが、木村藤子という人物に、期待と依存する気持ちと、彼女にご自分を否定された心の痛みが、交錯しているようです。

私がいくら書いても、理解してもらえるという自信はありません。それは、今のあなたにとって、インターネットは力にはならないようです。

>木村藤子さんは『気づきの幸せ』ってよく言ってますが、これはどういう意味なんですか?

木村藤子氏の考え方を代弁することはできませんが、『気づき』とは、うまくいかない...続きを読む

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Q「いずれか」と「いづれか」どっちが正しい!?

教えて下さいっ!
”どちらか”と言う意味の「いずれか」のかな表記として
「いずれか」と「いづれか」のどちらが正しいのでしょう???

私は「いずれか」だと思うんですが、辞書に「いずれか・いづ--。」と書いてあり、???になってしまいました。
どちらでもいいってことでしょうか?

Aベストアンサー

「いずれか」が正しいです.
「いづれ」は「いずれ」の歴史的かな遣いですので,昔は「いづれ」が使われていましたが,現代では「いずれ」で統一することになっていますので,「いずれ」が正しいです.

Q「該当」と「当該」の違い

辞書には、「該当」・・・その条件にあてはまること。「当該」・・・その事に関係がある。
・・・とあります。
“あてはまる”と“関係がある”、微妙に違うようで似ているようで、お恥かしいのですが私にははっきり区別ができないのです。
該当とすべきところを当該としたら、意味はまったく違ってくるでしょうか?
わかりやすく両者の違いや使い方を解説していただけませんか?宜しくお願いします。

Aベストアンサー

よく似た意味の言葉(名詞)ですが、

○該当…「する」をつけて「当てはまる」という意味の動詞として用いることができる

○当該…主に他の名詞の前につけて「今議論の対象になっている、まさにそのもの」という意味で内容を限定する形容詞的な形で用いる

といった違いがあります。逆の用法はありません。

・この条件に当該する人は申し出てください。

・○○事件につき、該当被告人を有罪に処す。

いずれもおかしな使い方で、反対でないとアウトです。

ご参考になれば幸いです。

Q「ご連絡いたします」は敬語として正しい?

連絡するのは、自分なのだから、「ご」を付けるのは
おかしいのではないか、と思うのですが。
「ご連絡いたします。」「ご報告します。」
ていうのは正しい敬語なのでしょうか?

Aベストアンサー

「お(ご)~する(いたす)」は、自分側の動作をへりくだる謙譲語です。
「ご連絡致します」も「ご報告致します」も、正しいです。

文法上は参考URLをご覧ください。

参考URL:http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbou_data/a5524170.html

Q▲△帳簿に書く時どっちがマイナスでしたっけ?

▲と△ですが、どっちがプラスかマイナスか教えてください。

Aベストアンサー

マイナスを表記するときだけ、△を使うケースがあります。確定申告書がそうです。
どちらか一方の場合は、プラスには無表記、マイナスには△か▲、両方使うときはプラスで△、マイナスで▲でしょうか。

Q「気づき」が出来る人の普段の習慣とは

職場を見渡しても様々な部下がおります。
出来る部下とそうでない部下の決定的な違いは「気づき」が出来るかどうかという点です。

ここでお聞きします。「気づき」が出来る人の普段の習慣とはどのようなものがあるとお思いでしょうか?
ぜひお教え下さいませ。

持論としては「気づき」が出来る部下によく見られる点は
「掃除をよくする」「フットワークが軽い」「非をすぐに認める」etc
です。

Aベストアンサー

こんばんは。主婦です。
No1さんがおっしゃるように、「気遣いの出来る方」の事でいいのですよね?

私的には、「全体的な事が見渡せる」「人をよく見ている」「勘がいい」
「少なくとも2つくらいの作業は同時に行える」「コミュニケーション能力が高い」
かな?って思ったのですが、どうでしょうか?
気づくためには、
全体を把握した上で、その一人一人の習性を観察し、
この人はこうして欲しいのではないか?と想像ができ、
それを実行できるコミュニケーション能力をもつ、
事が必要だと思ったので。
ちなみに2つくらいの作業が同時に行えないと、自分の仕事をしながら全体を観察できないという点からそう思いました。
参考になれば幸いです。
あ、あと文章で一つ気になったのですが、「非をすぐに認める」ではなくて、「素直」なのではないですか?って思いました。

Q「充分」と「十分」の使い分け教えてください

題名のとおりですが、どう使い分けるのか知りたいです。

たとえば、「私はじゅうぶん満足した」のときは、十分でいいんですよね???

どちらをどう使い分けるのか教えてください。

Aベストアンサー

そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。

国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。
私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。
☆「十分」「充分」の意味が混同される原因は(推測です)、
 ・漢字本来の発音の違いが日本語では区別し難いため、便法で漢字音を決めた。
 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。
 ・漢字の学習の底が浅く安易になった、即ち本来の意味に注意を払わない。
☆この二つの文字の違いは何か?
【十】:1・2・・・・・・と来て数が満ちる。
  原意:古代に枝や縄の結節で数字を示した方法の延長が現在の字形。
     九が数の窮まった値として縁起よく、重視されてきた。
     更に9+1は十分大きい ⇒ 数が足りている状態。 
  ☆数詞、段階を踏むデジタルな思想です。
【充】:満ちる、満たす、余すところなく、担当する、埋める。
  原意:長い、高い から 成長した大人、肥満、肥大、振る舞う、 
     などを意味するようになり、現在に至っています ⇒ 充ちる(満ちる)。
  ☆基本は動詞、切れ目なく満ちる、満たす、果たす、アナログ的思想です。
【分】:実は、発音も意味も一意でないのです。
  【十分】の発音はshi2fen1   【分】fen1の意味は 部分、分割したもの など。
  【十分】の発音はchong1fen4 【分】fen4の意味は 成分、本分、職責 など。 

さて、お尋ねのこと「私はじゅうぶん満足した」はどう書くか。
 ・単純に量的に満たされたならば【十分】。
 ・心または腹が充足感を以って(徐々に内部から)満たされた場合は【充分】。
    としたいところです。
  
【充】については以下の用法で感覚をつかんで下さい。
 充電・充填・充足・充実・充溢・充血・充ちる(潮が、悪意に、月が、刑期がetc)
ついでに、
  「十分ご説明をいただいて、充分満足いたしました」のごとき用法も。

いまや、【十分】【充分】を使い分けるか否かは個人の好みです、読む人の感性に合わなければそれまでのこと、自己満足の域を出ません。いずれにせよ、公式文書や事務的文書では、好悪を捨てて、国語辞典を標準とするに越したことはありません。

そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。

国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。
私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。
☆「十分」「充分」の意味が混同される原因は(推測です)、
 ・漢字本来の発音の違いが日本語では区別し難いため、便法で漢字音を決めた。
 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。
...続きを読む

Q固定観念?固定概念?

固定観念 と 固定概念 の違いを教えてください。

よろしくおねがいいたします。

Aベストアンサー

固定観念=凝り固まった思い込み。
固定概念=旧来からの見方・考え方。

差異は、前者が各自の内に存在し、後者が各自の外に存在することですかね!なお、固定概念は、当然に、各自の内にも取り込めます。


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