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観劇経験ほとんどなしの、ずぶの素人です。
先日、蜷川幸雄演出「ハムレット」(篠原良子がオフィーリア役のもの)をDVDで鑑賞しました。

そこで、ひとつの素朴な疑問が生まれてしまい、ずっと気になっています。
それは、ハムレットがボローニアスを(叔父である王と間違えて)殺したのにもかかわらず、平然としていることです(第三幕 第四場)。

みなさまのご意見、ご考察、お叱りなどをいただきたいと考えております。

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如何にボローニアスが敵(かたき)である叔父に与する者とはいえ、「正義」を行おうとしているハムレットならしからぬ所業のように思えます。

いうまでもなく、このボローニアスはハムレットの恋人オフィーリアの父でもあり、また、このボローニアス殺しによって、その恋人の心へ決定的な打撃を与え、狂気に追いやってしまうことになります、よね?

で、恋人の父殺しは、恋人の兄のハムレットに対する復讐心を焚き付けることになってますよね?

ハムレットのセリフの一部
「――この哀れな、そそっかしい、お節介の道化め、さらばだ。
おまえの主人と間違えた。これがおまえの運命だ。
わかったろう、鼻をつっこみすぎると危ないことが。(後略)」

あんまりにも、ハムレット、この件にかんしては冷たいんじゃないでしょうか?
相手を確認もしないで、それも、なにも殺すことないんじゃないでしょうか?
・・・この件が納得できないと、どうもハムレットに感情移入できないんです。

みなさまの、ご洞察に満ちたお教えをいただければ、と思っております。
よろしくお願い申し上げます。

ではでは。

A 回答 (1件)

こんばんは、はじめまして。



新演出の「ハムレット」は見てませんが、ストーリーは同じなので、私見を。

ハムレットが、周囲を油断させるために、公的には「狂人に見えるように」装っているという前提がすっぽ抜けていませんか。
ハムレット自身は、せめて恋人のオフィーリアだけには真実を言いたかったかもしれませんが、彼女は実父の敵である叔父の側近の娘、言いたくても「父の敵を討つ」大義のために真実が言えない。どんなに彼女を愛していても、彼女を失望させることになっても、狂人のふりをし続けなければいけない。彼女をも騙すために「尼寺へ行け!」とまで言わざるを得ない。ここにハムレットの苦悩があると思います。
「ハムレット」を見るときは、ハムレット自身の真実の言葉(独白・ホレイショーとの会話等)と、ハムレットが狂人に見えるようにわざと言っている言葉とを、台詞で聞き分けなきゃいけないので、ちょっと大変ですよね。
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この回答へのお礼

ああ、なるほど!
・・・と、膝をたたきました。

するどいご指摘、ありがとうございました。
ハムレットの本心と狂人を装わなければならない事情を考慮しなければならなかったんですね!
(そして、それは本作全編にわたることなんでしょうね)

わたしの観方は、本質的に、どれほど浅はかだったのかが理解できました。
また見返す際には、新たな視点でDVD鑑賞することにします。

誠に、わかりやすく解説してくださり、ありがとうございました。
ベストアンサーですっ!!

お礼日時:2010/12/30 01:34

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