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死刑存廃について討論会をすることになりました。

自分は反対派で、理由を色々揃え、相手の意見も予想して反論も出来るようにしているのですが、
「最後の一発」みたいに全部まとめて最後に“とどめ”をさすような言葉ありませんか?

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

合理的な面では勝ち目が無いので世論を使うしかないでしょう。




世界の大半は死刑制度に反対しており、
死刑制度を続けることは日本国家のイメージが悪くなるなど国際的に見て不利益が大きい。

私は賛成派ですが、これ↑を言われたら唯一反論出来ません。
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私は賛成派ですが、とどめの一発てのは


難しいですね。
そんなのがあったら死刑反対派がもっと増えているでしょう。
現在は、国民の90%近くが死刑賛成ですしね。

結論から言えば、そんなのは無いんでしょうね。
賛成派の論拠を丁寧に一つづつつぶしていくしか
無いんじゃないですか。

賛成派の私から言えば、次の論拠をつぶして欲しい、と思っています。

1,公平
 方や、罪もないのに人生を奪われているのに、方や罪のあるひとは
 天寿を全うすることを国家が保障してしまうのはあまりに不公平だ。
 公平てのは法の命であり、正義である。
2,威嚇力
 反対派のひとは、冤罪の可能性を指摘します。
 あるやくざの幹部が言っていました。
「出入りで機関銃や爆弾を使わないのは、一般人を巻き込んで
 それで死刑になったら困るからだ」
 計画的殺人には威嚇力はあるのではないでしょうか。
 あるとすれば、死刑を撤廃して、それが原因で被害者が出たら
 反対派はどう責任をとるのか。
 冤罪ばかり問題にして、これを問題にしないのは片手落ちではないか。
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死刑反対派です。



とどめをさすような言葉を教えてしまうのは、このサイトルールに反しますので書けませんが、すこし論理的に反対理由を説明したいと思います。

まず「なぜ国家による殺人は禁止されているのか?」です。
日本人は革命を経験していないので前提になりにくいのですが、そもそも近代的な民主法治国家は啓蒙主義の産物であり、封建主義の領主から市民の手に権力を移す、という大転換を必要としていました。
フランス革命はその象徴的な出来事と言えるわけですが、そこに至るまでには当時の封建主義を守るために封建国家は、都合の悪い活動をする人々を「国家反逆罪」という形で殺してきたわけです。
そして民主国家そのものが「国家体制の転覆」を得て成立しているわけで、その民主主義が「国家を転覆するようなやつらを生かしておくことは出来ない」というのは、「じゃあお前らはナニ?」ということになってしまうわけです。
ですから、近代民主主義は表現の自由や宗教の自由を含む「個人の権利」を補償することが重要であり、具体的な行動で刑罰が与えられることはあっても、思想そのものを取り締まることは避けているのです。
つまり簡単にいえば、民主国家を作るために犠牲になった人々がおり、彼らの精神(個人の思想の自由)を守るためには近代法治国家は殺人を犯してはならないのです。

これが死刑反対の基礎的理論です。


次に「あだ討ちの禁止と決闘の禁止」についてです。
死刑賛成派の方々は「じゃあ、お前の身内が殺されても反対と言えるのか?」という論調で死刑を正当化します。これはあだ討ち(報復)の論理です。

ところが死刑制度のある日本ですら、あだ討ちや報復、そしてリンチ(私刑)を禁止しています。
よく「死刑を廃止するならあだ討ちを復活させろ」という論調も見かけますが、これも近代民主国家というものをよく理解していない証拠です。

まずそもそも「あだ討ち」はその制度があった時代でもすべての人に許されていたわけではありません。これは武士階級(つまり封建的支配階級)に属する人々だけが有していた権利で、それでもあだ討ちが許されることはほとんどありませんでした。
つまり、庶民にはあだ討ちの権利はなく、支配する人々同士の高度な争いにのみ適用させる事例だったわけで、決闘も同様に支配階級のみ許された権利です。

問題は「支配階級」がナニを意味し近代民主国家となにが違うのか、ということです。簡単にいえば支配階級は「人」が人以下の庶民を支配し生殺与奪権を握っている、ということです。ですから切捨て御免の権利を有することも法理論上まったく問題がないわけです。(運用はかなり厳しかったです)
庶民は生きる権利(個人の権利)を有しているわけではなく、支配階級のお情けで「生かしてもらっている」というのが法的な位置づけだったのです。

ところが近代民主主義では、すべての人に平等に「個人の権利」が与えられています。これは生まれたときから持つ固有の権利であり、これを保障するための様々な制度があります。
その制度のひとつが「あだ討ちの禁止」であり「決闘の禁止」であるわけです。つまり「個人の平等の権利」を保障するがゆえに、復讐権の放棄を要求しているわけです(もっとも大多数の庶民はそもそもその権利を持っていませんでしたが・・)

ですから、あだ討ちを許さない代わりに死刑制度を存続している、というのは明確に誤りなのです。

そして「身体刑の禁止」です。
身体刑とは、鞭打ち100回や手首切り落としなどの刑罰のことです。
イスラム法の国では窃盗数回で手首を切り落とす、という刑がいまでも執行されてます。ところが日本では、死刑以外の身体刑は存在しません。なぜでしょう?
簡単に言えば、身体刑は最初の「国家に依る殺人」と同様、個人の思想的な権利まで侵すことになるからです。文筆によって思想を伝える人が手を切られたら思想を広めることは出来ませんし、スピーチで訴える人が舌を抜かれたら、話すことができなくなります。
そのため近代法は身体刑そのものを禁止しているのです。

もし死刑を存続させたいなら、スピード違反鞭打ち100回とか万引き3回目で手首切り落とし、などの身体刑を行うほうが法体系としては整合性があるのです。

しかし現状は身体刑は死刑だけです。

さて、個人的に「もし身内を殺されたら」という質問にも答えておきます。
答えは「俺が犯人を自分で殺す」です。

そして、この答えは2重に問題があります。
ひとつは、個人の権利というもののそのものの基盤はどこにあるのか?ということ
そしてもうひとつは、死刑論者の言う「一人でも殺したら死刑」という感情論です。
私は殺人犯を殺したので、私も殺人犯です。だから私も死刑になるわけですね。

権利ってなんなんでしょうね。
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”人が人の命を奪うことは許されない”


だから殺人、戦争も良くないし、たとえ法にのっとっているとはいえ、死刑も望ましくないと考えます。
(戦争も国によっては認めていますけど)
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>「最後の一発」みたいに全部まとめて最後に“とどめ”をさすような言葉ありませんか?



被害者遺族の感情を全く度外視する倫理的道徳的文化的概念を無視する前提で、

「死刑は国家による殺人だ!」と昔からよくある意見をそのまま述べる。


「死刑制度は廃止する代わり仇討を復活させるべし!」と述べてもよろしいかと。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

>「死刑は国家による殺人だ!」
定番ですが、難しく考えすぎて忘れていました。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/17 19:47

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