「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

先日、ネットで
「いかなる場合でも人が人の命を奪うことは許されない。故に死刑には反対である」という意見を見かけました。


私は、被害者感情や凶悪犯(更生の余地なし)の存在を鑑みると死刑制度の存続が妥当と考えます。

死刑廃止論者の方は、“死刑に犯罪抑止効果は認められない”や“更生によって犯罪者の社会復帰を目指すのが人権擁護の立場からすれば正当”や“世界の風潮は【死刑廃止】である”という意見で死刑廃止論を補強しています。

このような考えに対して具体的な反論ってありますか?

A 回答 (15件中1~10件)

”いかなる場合でも人が人の命を奪うことは許されない”


      ↑
どうして人が人の命を奪うことが許されないのか
理由が有りませんね。
結論だけを述べています。
これでは反論のしようがありません。
「必要があれば人が人の命を奪うことも許される」
と言えば良いのです。

“死刑に犯罪抑止効果は認められない”
      ↑
これには諸説あります。
抑止力は無い、という説もありますが
米国のある学者の調査によると、一人死刑に
することにより、8人の命が助かっている
という説もあります。
衝動的な殺人には抑止力はないかも知れませんが、
計画的な殺人には抑止力があるのではないでしょうか。
そして、死刑になるような殺人には、計画的
なものが多いのです。

“更生によって犯罪者の社会復帰を目指すのが人権擁護の立場からすれば正当”
      ↑
これなど、机上の空論の最たるものです。
警察などの関係者は口を揃えていっています。
あいつら、反省などしてやしない、と。

米国の話しですが、死刑判決を受けた若者を調査した
人がいました。
その若者は真摯に反省していたので、その人は全米を
走り回って、なんとか死刑を止めさせることに成功
しました。
しかし、その若者は、死刑にならないと判った時点で
すぐに元のごろつきに戻ってしまいました。
若者は、死を直前にしていたので、真摯に反省していたのです。
演技ではありません。
しかし、死が遠のいたので元に戻った、ということです。
更正した、と判断して、それでまた人を殺したら、
いったい誰が責任をとるのですかね。

“世界の風潮は【死刑廃止】である”
     ↑
外国は関係ありません。
日本は主権国です。
英国などは死刑廃止国ですが、戦争は
ばんばんやっています。
世界の風潮が戦争なら、日本も戦争しなければ
ならないのですか。
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死刑反対は理想論です。

一種の宗教です。
理想論と宗教には反駁、反論のしようがありません。
言っても聞く耳持たないのですから。
護憲、反原発、オスプレイ反対もこれと同じようなところがありますね。
「駄目なものは駄目!」って、いつか土井たか子が言っていましたよね。
あれと同じです。
無駄な論争はやめた方がいいです。
言っても聞きませんから。
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特になし。



死刑廃止論者の方には
大切な身内が酷い殺され方をしても、
自己の信念に基づき
犯人を極刑に処さない旨を
被害者の意見として
提出していただければ
それでけっこうです。
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私は、どちらの意見にも肯定的な考えがあります。



問題は、どのレベル(段階)で見ているかということですね。

人間が、人間である証明とは。なんて哲学的な問答を禅問答のように回答するような方にとって、かっこうのテーマでしょうね。

「相手を許す」と言う行為は人間だけに与えられた、唯一無二の行動だとする人にとって、当然廃止論になるでしょうね。

それは宗教的な力を借りているといっていい。

そう、あの角川映画最盛期の「証明シリーズ」。やはり1970年代までの人気のテーマですね。人間の証明、野生の証明で、何を問いかけているのか、と言うテーマを与えるのがすきなのが、それまでの日本の映画。あの世代の人たちが、今自民党のTOPであり政治を動かしている連中。

たぶん野生の証明とか、三島由紀夫とか大好きなんでしょうね。いや、きっと面識があるのでしょう(ないか)。

やはり、宗教色が強い国にとって、それがすべて支配します。廃止論の声が強い国をみれば、あきらかですね。途上国は、ほぼない。むしろもっと残酷だ(無論、知識人には主張する人もいるが数人レベルの話)。

キリストの教えだと、とうなっていたでしょうね。イスラームでの教えでは・・・

それらに触発された考えというものと、それらから切り離した考えと、どうおりあうかが、これからの先進国に課せられた問題だ。そこに決着してからの、議論というもの発展を願う。
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「いかなる場合でも人が人の命を奪うことは許されない」というなら、いかなる理由であっても殺人という罪を犯した犯罪者を死刑にするほか無いでしょう。



しかし実際には、ほとんどの殺人者は必ずしも死刑にはなってない。業務上過失致死傷罪でも死刑にしろというんですかね。

死刑廃止論者は自分で何を言っているか理解していない狂人という他無い。最初から論理が破綻しているから話にならない。

人権擁護の立場にすれば、更生の見込みがない犯罪者は早く生まれ変わって新しい人生を送る機会を与えるべきではないでしょうか。

世界の風潮なんか関係ない。それじゃ世界の風潮が原発推進だとなったら、そうしますか?世界の風潮が徴兵制だとなったら、そうしますか?世界の風潮が自動車の右側通行となったら、そうしますか?

死刑廃止論者は自分の都合の良い時だけ、世界の風潮などという観念論を持ち出す卑怯者です。

具体的な反論も何も死刑廃止論は、一から十まですべて根拠の無い観念論であり具体的根拠も無い支離滅裂な詭弁ばかりです。
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死刑廃止論者ってほんとバカですねえ。


”もし、死刑がないなら、私は何人でも殺すことができます。” という人がいるから死刑は必要なのです。
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死刑反対側とは、いいかねますが?



人類で最も最悪なのは人殺し(戦争も含め)です。だからといって死刑には賛成とはいいかねます。
殺人での被害者感情の気持ちもわかります。今の制度では、私も、自分の子が殺されれば、相手をどんな手段でも使い殺すと思います。そして、その償いは自分の命でかえします。

ただ、倫理的にはちがってくると思います。動物で自分の生存を維持するために、他の動物を殺し、食べるといった行為以外に他をころすのは人間だけです。
ですので、殺人において死刑か無期かを決めるのは裁判官ではなく、被害者関係者が決めればいいと思います。
だからといって自分の命を代償にせず絞首刑をみる責任感は必要になると思います。
無期刑にした場合も最低限の環境にし、生き地獄を見るのもあり得る選択だとおもいます。

やや質問内容と食い違いがありますがすいません。
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廃止結構、ただ、被害者は死よりも辛い思いをしているわけですから、相応の罰は必要ですね。

死ぬよりも辛い、と思えるような罰則があれば死刑は廃止してもいいと思います。過酷な強制労働でも課して、被害者家族にでも一生償わせればいいでしょう。恩赦で出所できないように、懲役も最大1000年とかがいいですね。それが嫌ならこないだの兵庫のアレみたいに自殺するでしょうけどね。
冤罪の可能性もありますが、冤罪を怖がっていたらなにも裁けません。人間は神様じゃないんですからある程度は仕方がないでしょう。冤罪に話を持っていったら、死刑どころか裁くことが無理になる。
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まあ、答えなど永遠に出ない問題だな。


個人的には、極悪は凡そ死刑にしとけでいいと思ってるけど。

人類の維持、滅亡回避が、正義の前提だとするならば、考え方によっちゃあ死刑を肯定できるよな。

しかし、人間は皆同じ人間でそこに差は無いとするならば、そんな権利があっちゃいけないとも言えるが、そんなこと言い出したらそもそもすべての他人へのパワーを肯定できねえじゃねえかと思うが、まあその程度の議論だと。

だから、中間とって、
世界の極悪犯罪者は、どこかの無人島でもいいから、極悪人しかいない島でもつくって、全員そこから出れないようにして、そこで生きていけというのがいいんじゃないかと。笑
そこでお互いに殺そうが騙し合おうが勝手に生きろという世界にして、世界の極悪人が集まるような場所に誰も入りたくないだろうから犯罪減りそうじゃね?笑
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>いかなる場合でも人が人の命を奪うことは許されない


 この時点ですでに矛盾しています。
 その許されない行為をした殺人者という存在がいるのに、それを許してしまおうというのが死刑廃止論です。
 人を殺した、死刑廃止論者も認める「全く許せない人間」が、国民の税金で何もしなくても飯が食え、天寿を全うするまで生きていける環境を整えようというのですから。
 しかも制度の変遷によっては態度良く過ごし模範囚とみとめられれば仮釈放なども認められるかもしれないし、何かあれば特赦の可能性だって出てくるでしょう。
 これでは、「許されないことをした者勝ち」になってしまいます。

 さらに、抑止効果が認められないといいますが、そんなのはあたりまえです。
 抑止効果を受けて犯罪を思いとどまった人は人を殺さないので表面には出てきません。
 死刑の抑止効果が何らかの方法で確認できると思うほうがどうかしています。

 人権擁護の立場から更生によって社会復帰を目指すといいますが、殺された人間の人権擁護の問題や社会復帰はどうなるのでしょうか。
 殺された人間にもう一度生きるチャンスを与えられるのなら、死刑になるような殺人者にもチャンスを与えてもいいかと思いますが、殺された人間にチャンスがないのに、殺した人間になぜチャンスが与えられるべきなのでしょうか。

 世界の風潮など何の論拠にもなりません、日本は日本、論外です。

 死刑廃止論者の弁護士たちの中に、自分の家族を殺された人、被害者的立場の人というのはいるのでしょうか。
 その人の言葉だけが、傾聴するに値する言葉だと思います。
 少なくとも私が知っている弁護士さんは、家族が殺されてからは、死刑賛成論者に変わったと言っています。
 それ以外の人は、安全な、犯罪の脅威の及ばないところで理屈だけをこねまわしているだけです。
 「私の家族が殺されても」と仮定の話をしている人もいるらしいですが、そんなに自分の優秀さや考えの崇高さをひけらかしたいのかと虫唾が走ります。
 現実の凶悪犯罪や、社会にはびこる大小さまざまな悪と、まともに向き合ったことのない優等生の考え方に過ぎないと思います。
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