dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

色々な思いが浮かんでは消え、浮かんでは消え、混乱して集中できません。次は「こうしよう!」と決めるのだけど、1~2日でその思い(決心らしきもの?)は消え、また「こうしよう!」と決めての消えの繰り返しです。要するに自分のスタイルなり目標なりがはっきりしていないため、進む方向が分からず、日々を漂流している感じで過ごしています。
一番つらいのは浮かんでは消える思考です。実行されないまま(しても続きません)次の思いが自分を占め、前の思いはすっかり忘れてしまいます。物事(習慣や決心、その時決めた目標が)続きません。
皆さんはどうですか?また何か解決策やアドバイスなどがあったらコメントを下さい。

A 回答 (5件)

>実行されないまま(しても続きません)次の思いが自分を占め


・・・て終わるのだとしたら、それは本当に「しよう(やりたい)」と思っていないのだと思いますよ。それはただの思いつきとか、他人のアイデアに乗っかっただけの‘流行’・・等ではないでしょうか。「浮かんでは消え」ているのではなく、mirukumiyaさんの中には最初から何も生まれていないのです。まずそこを自覚すべきですね。


無理して「実行し、続けられる事」を見つけなくてもいいです。「こうしよう」と意識して決めるのではなく、本能というか、もっと素直にあるがままに動いてみることも時にはしてみてはいかがでしょう。人間にはそういった機会も重要ですよ。
その中でいずれ「自分の進むべき(進みたい)道」が見えてくると思います。「始めても続かない」等ということすらも意識することなく「つい追い求めてしまう」ような事がきっとあるはずです。
逆に、こういった「あるがままに、つい追い求めてしまう」という快楽すらも得られない人は、何をやっても持続出来ないのだと思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>最初から何も生まれていないのです
そうだと思います。色々な本をかじっては安易に「これだ!」と感じることもしばしばです・・・。
借り物なので当然上手くいきません。

>本能というか、もっと素直にあるがままに動いてみることも時にはしてみてはいかがでしょう。
こうした部分が私にはありません。抑え込んでしまうのが習慣の様になっているので・・・。
自分の本当の気持ちに向きあいたいです。

早速ご回答いただきましてありがとうございました。正直になりたいと感じました。

お礼日時:2011/01/19 13:25

>皆さんはどうですか?



こんにちは。 これは大変良い質問です。 (池○ 彰さんの真似をしているのではありません。) 

こういう経験は誰にもあるからです。 

考えが纏まらないのは纏め方がわからないからです。 

脳裏に浮かんだことはすぐにメモ帳に書き留めておく。 ノーベル賞を受賞された偉大な研究者の多くはそうなさっています。 脳裏にいろいろなアイデアが浮かびます。、 

多分右脳に蓄積された情報が、インスピレーションとなって脳裏に浮かんでいるのです。 これを無駄にしないで必ず書き留めておきましょう。 必ず、過去にご経験された出来事と結びついているはずです。 ご自分の中で大きな転機がそのヒントの中に隠されているはずです。 

脳裏に思い浮かぶ事柄を大切に記録しておいて、見直してご覧なさい。 必ず大きな転機や快挙に結びつくはずです。 それはあなたの持って生まれた才能なのです。 
    • good
    • 0

こんにちは。



始めに、とても大切な事なので『堅い表現になる事』、

お許しください。


>浮かんでは消える思考


適切に表現する単語はありませんが、

『ひとと言う存在』を語る上で、『有って然るべき』、

また『気づかなければ成らない大切な事』であるとも言えると思います。

それは短的には『思考とは何か…』となると思います。

思考、それは『今、起こる(脳と)過去の反応』です。

おそらく『脳だけでは思考は起こらない』筈です。

過去という名の、『経験や体験、記憶』があり、

それらが『ケミストリー(化学反応)』して思考となるのだと思います。

(なぜ(化学反応)と例えたか・・・?それは『酸素と水素』ではありませんが、

『反応することに因って、一見、全く異質なモノ』に変わることを、

お伝えしたいからです。)

消えたように感じる思考は『思考本体が消えたわけではなく』、

ただ思考のターゲットが変わっただけなのです。

私たちは『今を生かされている』訳ですから、

日々刻々、『目の前の事、聞こえる事、感じる事が変化』しています。

ですからそれに伴い『思考のターゲットも変わり』、


>色々な思いが浮かんでは消え、浮かんでは消え、混乱して集中できません。

と言う状態に陥るのだと思います。


集中しようとする事は、その実体は『排除』と同じ事だと思います。

『的の真ん中一点を見つめるが、その周囲を見ないようにしている』、

その行為が『集中』であって、『周囲を排除』している事と何ら変わりません。

ですから、『集中は一点の光とその周囲の漆黒の闇』を作り出すのです。

中心の光から視線がそれた時、それは『迷い、混乱、恐怖を生み出してしまう』事を

意味しています。


>進む方向が分からず、日々を漂流している感じで過ごしています。


『漂流している』…、これも『一個人にとって当たり前』のことです。

この『世間、時流、社会』、そして『宇宙、地球、自然界』と言う大いなる”力”のなかで、

『自力のみで目的地に達する事』はできません。

それを為そうとする事自体、『傲慢』だと感じます。

『謙虚に生かされる』なら、『時流を読み、社会を観察し、自然の恩恵を授かる』、

それらが肝要、且つ、必須だと感じられるとお思います。

『数々の恩恵』…『空気、水、太陽、大地の恵み』、感謝無くしては居られない筈です。

それに逆らえば、また無視すれば『漂流』と成る筈です。


漂流したくなければ、『時流を読み、社会を観察し、自然の恩恵にあずかる』、

ただそれだけです。

言い方を変えれば、『注意深く生きる』、いえ、『生かされる』と言う事です。

それは、『波間に漂う木の葉』のようですが、『風を読み、潮の流れを読む』事で、

『労せず目的地に着ける』のです。

『目的地がない時は周囲に注意を最大限払い、漂っているだけで良い』のです。

注意は、やがて何かを見つけます。それが目的地です。

そこで思考の活躍です。

其処に行く、辿り着く為、『過去に基いた思考』で、

『海路を見極めば…』、後は流れに乗るだけなのです。


簡潔にと思いながらも、文章力の無さから…長くなりました事、お許しください。

それでは。
    • good
    • 0

多動性障害(詳しくは

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E6%84%8F% …などに見られる病気でないことを前提として意見させていただこうと思います。

自分のスタイルというのは試行錯誤の上で出来上がるものだと思っています。
ですからいまはその試行錯誤の時期だとすれば、後に出来上がる自分のスタイルの基礎を作っているとは考えられないでしょうか?
実際に行動に移したもの以外の、自分の頭の中でシュミレートしたものや構想もアイデアとしてみたら試行錯誤の肥料として役に立っていると思います。

実を得ようとしたならば、まずは畑をおこさなければなりません。
肥料も与えてその後にやっと種をまけるのです。
漂流とあなたは表現しましたが、じぶんの納得のいく種をまくべく、その土地を探している探索ならばわくわくするじゃありませんか。

そしてやっと見つけたよい土地にあなたは万を辞して種をまきます。
しかしながら種をまいてもすぐには芽を出しません。

やっと芽が出ても大雨や日照りの日にやられて駄目になってしまう芽もあるかもしれません。
そんな困難にも負けずがんばっている若芽も
じぶんでは気づかないほどの速さで少しずつ成長していきます。

種をまいてもどんな花が咲くか私たちには一切先のことは知らさせませんが
それでも多くの人は人生に希望を持って、いつの日か咲く自分だけの花を大事に育てているのです。

どうか成果をあせらずに・・・。

うかんでは消える思考も、のちに大いなる閃きにつながるきっかけかもしれないのですから!!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

アドバイスと励ましをありがとうございます。

結果を焦りすぎてバランスを崩してしまうようです。
今の思いが何かに結び付くよう、プロセスも大切にしながら進んでみます。
素敵なお花が咲くことを祈りながら・・・。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/19 13:28

それは、意図しないものですか?。



妄想ではありませんか、幻聴、何かの声は聞こえませんか?。

もし、生活に支障があるなら、心のケアーは精神科で

おこないますので、お近くの精神科へ受診してください。

この回答への補足

>妄想ではありませんか、幻聴、何かの声は聞こえませんか?。

そういう類のものではありません。

補足日時:2011/01/19 12:17
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!