街中で見かけて「グッときた人」の思い出

北尾の質問が重なり申し訳ありません。
ある本によりますと北尾は問題が多かったのに、
「力士時代の彼は、にこやかで女性に人気があった」
と書いてありましたが、その情報は本当ですか?
相撲に詳しい方がいらっしゃいましたら、ご回答を
お待ちしております。

あと、ユーチューブで、北尾の現役時代の
取り組みを集めた動画を観たのですが、
本名の北尾で取り組みをこなしてた幕内から
大関の頃は、好青年のような人相で、
取り組みがかなり粘り強かったです。
しかし、横綱となって双羽黒に改名してからは
彼に対して失礼な言葉になりますが、
人相が悪くなり、成績も不調でした。
何故、彼は横綱になってから、人が変わってしまった
のでしょうか?
それについても、ご意見を宜しくお願いします

A 回答 (2件)

昔の印象なのでおぼろげな記憶ですが、


顔立ちも(あくまで)力士としては二枚目のほうですし、
若手の頃は黄色い声援が飛んでいたようなイメージがあります。
当時を知らない方は後々の事件を通してしか彼を見られないので、
ちょっと想像がつかないかもしれませんが。

そのころは今の白鵬のように、
千代の富士の一人勝ちが続いていた時期で、
これを打ち破る若手が待望されていました。

そこに2メートル近い長身でスケールの大きな相撲を取る、
(力士としては)ハンサムな若手が登場してきたので、
みな大喝采を送ったわけです。
栃若、柏鵬と称されたように、
いずれ千代の富士と並び立って角界をリードする逸材であると
期待されていました。

横綱になって以降の彼は人が変わったというより、
立場が変わったと捉えたほうが正しいと思います。
チャレンジャーとしての気楽な身分から、
勝つことを義務付けられた地位に上がり、
それに応えられない中で周囲の失望も生まれ、
当人も屈折していったのではないでしょうか。
あくまで私見ですが。

まあ確かにNo.1の方の指摘にあるように
人気に溺れた面もあるのかも知れません。
しかし一番大きな原因だったのはよく言われるように、
実力実績、人格面の成長も不十分なまま
期待先行で横綱に上げてしまった当時の協会、横審の判断ミスです。
「仮免横綱」などとよく揶揄されていましたが、
そんな言われ方をされて
若手のころのように朗らかでいるのは難しかったと思います。
その後の人生がアレでしたので、とかく悪く言われがちな人ですが、
あまり彼一人をこき下ろすのは気の毒かな、と。
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この回答へのお礼

お二人ともありがとうございました!!

お礼日時:2011/02/20 11:00

本当にモテモテでしたよ。


僕は彼の出身地である三重県津市の大学に通っていました。
彼が里帰りしようものなら、駅から人があふれかえり、若い子からオジちゃんオバちゃんまで黄色い声を上げていたものです。
それで天狗になってしまったのでしょう。
結局部屋の付き人に暴力をふるうなどして廃業しましたが、若い頃にモテていたのは本当です。
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