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私は小学校教諭をしています。
子供は好きですが教師はどうも好きになれません。学校という世界には失望しています。
学校は所詮きれいごとと教師の自己満足の世界です。同僚の先生たちは皆優しくていい人たちです。でも子供のため子供のためと言いながら自分の価値観を子供に押し付け、それに何の悩みも疑問も抱かず、自信たっぷりに教師を天職だなんて言える姿を見ていると、教師とは単なる説教好きの偽善者に思えてきます。
子供に正しい生き方を教えられるほど、自分は立派な生き方をしてきたんか?!教育について自信をもって語れるほど自分は立派な人間なのか?!子供を洗脳することが教育なのか?!って突っ込みたくなります。職員会議なんてひどいもんです。くだらなすぎて意見を言う気にもなれません。

もちろん教室で子供の前に立つ以上、教育に対するある程度の信念と自信がなくては、少なくてもそういう振りをしなくては子供を引っ張ることはできません。私も子供を叱ったり説教したりします。でも常に自分が絶対正しいなんて思っていません。そこまで私は偉い人間ではありません。子供も気に入らないときは私に「気に入らない」って言います。時には子供と喧嘩しながら、正しいと思われる答えを一緒に探していこうって思っています。
子供のことは本当に好きだし、子供を信頼しています。でも教師がどうしても好きになれない。先生と呼ばれたくないし自分を教師だと名乗りたくない。
こんなひねくれた私はやっぱり教師には向いていないのでしょうか?転職を考えたりする今日この頃です。ご意見アドバイス、何でもかまいませんのでお願いします。

A 回答 (26件中11~20件)

はじめまして。


先日からこの質問をお見かけして、気になっていたのですが、上手く気持ちを書き込みことができずにいました。
今朝みたらまだ締め切りされてなかったので・・・。

私は今小学校の講師をしています。
短大を卒業してから幼稚園で10年弱はたらいて
一般企業に転職、その間に夜のアルバイトなどもしてました。3年くらいしてました。子供以外の仕事。
教育業界以外の世界を見てみたかったんですね。
楽しかったですよ。夜のバイトもすごく楽しかったです。
でも、満足感というか、充実感がないんです。
仕事とプライベートはきちんと分かれてるし、家に仕事を持ち帰ることもそんなにはない。
でも、何か足りないと思って、結局すべて辞めて
子供の仕事に戻ってきました。

幼稚園は私立でしたので、初めて公立で仕事をした時は
本当に衝撃でした。
まず、言葉づかい。子供への態度。
正直、『わ~、私には無理!!』と思いました。
学校という体質に私は合わない、と思ってました。
今でも思ってます。
だからyukari178さんが感じてらっしゃる、学校への違和感が私にもよくわかります。

でも、私の周りの担任を持ってらっしゃる先生方は
やり方はそれぞれですが、子供のために真剣にとりくんでます。
教師の考え方の押し付け、といった見方もあるかもしれませんが、
子供たちには学校の中で正しいこととそうでないことを
はっきり示してくれる存在が必要なんだと思います。

その反面、学校を卒業して、初めての職場が公立でなくてよかったとも思ってます。
初めての環境が公立だったら、それになんの不自然も感じず、なじんでしまっていたかもしれません。
yukari178さんはそんな中に違和感を感じ、自分を振り返って、悩んでらっしゃるんですよね。
悩まなくなったら、成長はそこで終わり!
どんどん悩んで、納得のいく教育を探してみて下さい。

私もまだまだ勉強中ですが、しばらくがんばっていこうと思います。
悩むことも、これで本当にいいのかな?と考えさせられる事もしばしばですが。
子供とのかかわりも一期一会。
そのときの自分のできる精一杯で接していきたいです。

他の方もかいてらっしゃいましたが、
私ももし子供がいたらyukari178さんみたいな先生に担任して欲しいです♪
子供が好き!かわいいだけじゃできない仕事ですが
その気持ちがベースにない人には、
私が親なら、わが子の担任をして欲しくないです。

とりとめなく、だらだらと書いてしまいました。
ごめんなさい。
教員の世界に違和感を感じているのはyukari178さんだけじゃないですよ、ということだけでも伝わったらいいかなぁと。
あと、もったいないかもしれませんが転職を一度してみるのもいいかもしれませんね。
離れてみると、子供の仕事の良さって改めてわかりますよ♪
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ナンバー6のものです。


再度発言させてください。

>職場の先生たちはみんな子供のことが好きだと思います。まあ、子供のために命を落とせるほど好きかどうかは分かりませんが、それでも好きじゃなければとてもやってはいけないです。

昨夜の星野阪神のNHKのドキュメンタリーを見ましたか?
わたしは、プロ野球の選手はみんな一生懸命やっていたと思っていたのに、星野監督のもと全選手が死に物狂いでやった末の優勝だったようです。
つまり、こどもが好きじゃなければやっていけない。
程度の覚悟で仕事ができると考えているのは甘ちゃんだと思うのです。

同じくNHKの番組からの引用でもうしわけありませんが、「プロジェクトX」の銚子沖で沈没しそうになったときに、船長も船と運命をともにしようとした。
それは、選択ではなく、戦前の船長教育の結果だったわけです。
平和の世の中とはいえ、命をかけている仕事というのは意外に多いもの。
消防士、警察官が殉死した新聞記事を見たりると、その人の生き様に敬意をはらわずにいられません。

>子供はまだ未熟なもの。だから物事の善悪を教師や大人が教えていく必要はあると思うんです。だけど子供の前ではたとえ偉そうにしていても、自分だって完璧な人間じゃない、自分の価値観が必ずしも絶対ではないということを教師はみんな忘れてはいけないと思うんです。

自分の価値観がかならずしも絶対でないのは当然。
そうではなくて、人に影響を及ぼせるような自分の価値観への確信が重要だと思うのです。

そして、こどもは未熟と言っていますが、こういう意識がもっともいけないと思います。
学習や論理の面では未熟かもしれませんが、感情の面では、大人以上にピュアであり、成熟していると思います。
感情的にピュアなこどもを未熟と言いきるのは悲しいことです。

>だけどほとんどの先生たちはみんなそのことを忘れてしまって自分が正しいと心から信じている。

自分の信念が正しいのかどうか常に悩みつづけること。
それが人としての生き方であると思います。
思想が経験によって鍛えられるとでもいうような。
そのあたりのことを怠惰な教員は忘れている。
そういうことだと思います。

>みんなと仲良くなんてできるわけないのに、みんなと仲良くしましょうって子供に教える矛盾に気づきもしない。

そうではないと思います。みんなと仲良くできるわけがないから、そのために努力する。あきらめない。
努力することに意味がある。
矛盾があるからだめだと思う。
その論理のよりどころがわからない。
純粋命題に価値はないのです。

>私もそのうち慣れてしまうのかな。

悩みつづけることが人間としてのツトメだと思います。
答えが出てすっきりするというのは、現実と向かい合うことをやめたとき。
慣れてしまうということではないとおもうのですが。

放談失礼しました。
ご気分を害されるようでしたら謝ります。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。おっしゃる通り子どもってものすごく純粋です。子どもから学ぶこと、感動することたくさんあります。でも純粋がゆえに嘘もつくし、友達を叩いたりもするし、自分勝手に振る舞って人に迷惑をかけたりもする。思春期になれば反抗したり悪さをしたりもする。その部分を未熟であると言ったのです。
みんなと仲良くできるわけがないから努力する。そのことに意味がある。もっともだと思います。「忘れ物をしてはいけません」「人の話は相手の目を見て聞きましょう」「全力で頑張りましょう」教師が教えることは全て正しいことです。でもそれを果たして教師は実行しているのか、努力しているのかと問われれば、少なくても私はしていません。でも子どもには当然のようにそう教える。それが矛盾です。
教員の中で命をかけて仕事をしていると胸を張っていえる先生は残念ながら少ないと思います。やっぱりみんな自分や家族が一番かわいい。当然だと思います。私もそこまでの自信はありません。でも、そういうことは理屈ではなく、いざそういう状況になってみなくては誰にも分からないと思います。
悩むことは大切だと思いますが、そんな悩みを持たず楽しそうに仕事をしている他の先生がうらやましくもあり、こんなことで悩む自分は向いていないのかと考えてしまったわけです。
親身になってアドバイスをしてくださり嬉しいです。ありがとうございました。

お礼日時:2003/09/21 22:08

 #2で回答したものです。

ずっと気になっていました。
 教師に向いているかどうかなんて誰にも分かりません。今、子どもがなついてくれているから向いているともいえないし、子どもとの距離があるから向いていないということもいえないでしょう。教育って答が出るのはずっと先だから「今」だけを見て向き不向きを判断しても意味はないと思います。どうしても子どもを傷つけてしまう、つい手が出てしまう、えこひいきをしてしまうというのであればすぐにでも退場願いたいですが、そんなのじゃないでしょう。
 多くの人がYukari178さんのことを心配して書いているのは、あなたの訴えの中に子どもに対する真っ直ぐな思いを感じるからじゃないでしょうか?
 教師らしさなどというものはこの世に存在しないと思っています。40人の子どもに40通りのその子らしさがあるように、人数分の「らしさ」があっていいのです。あなたはあなたの「自分らしさ」を大切にしながらそれを子どもにぶつけていけばいいのです。
 それから同僚とのコミュニケーションは(会議で話すことも含めて)大切にしてください。交わることで自分が豊かになり、自分らしさに磨きがかかるのは間違いないですから。子どもだってそうでしょ!
 いろいろきついことも書きましたが、これでも応援しているのですよ!がんばってね。
 私の文て「教師くさい」ですか?
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。暖かい励ましのお言葉、とても嬉しく思いました。胸の中で悶々としていた想いを吐き出すことができ、ちょっとすっきりしたような気がします。私の中の葛藤が消えることは当分ないと思いますが、もう少し時間をかけてじっくり悩んでみようと思います。自分らしさに自信がもてるようになれればいいな。

お礼日時:2003/09/21 22:15

少しお説教じみてきますが,次のことを考えてみてください。


1 あなたはどうして教師になりたいと思ったのですか。
2 あなたは,当初,どんな教師になりたいと思っていましたか。
3 現在の環境下で,その目標の達成は可能ですか。

壁にぶつかったときは,原点(初心)に立ち返ることもひとつの方法です。
しかし,私があなたの文面から,ちょっと気になるのは,教師をやめようか・・・と悩んでいる原因は,本当に「あきれかえるほどの教師集団」だけなのでしょうか。あくまで,あなたの周囲の人間のせいだけなのでしょうか。もしもそうであるなら答は簡単です。そんなくだらない隣人のために,この就職難のご時世に,あなたが身を引くことはないでしょう。堂々と胸を張って自分の理想の教師像を追い求めてください。
 でも,もしも,他に原因(教科の指導力不足,生徒指導上の問題,情熱の喪失,金銭的問題,他の適正等)があるならば,もう一度,転職について真剣に考える必要があると思います。ただ,じっくり考える必要があります。6か月くらいは必要でしょう。その間,教師について必死に勉強してみてください。同僚が信頼できないなら,本を読んでみるのもいいでしょう。プロ教師の会もイイですし,教師学もおもしろい。法則化運動も元気ですし,その他多くの自主団体の教師たちが必死に勉強した成果を本として世に送り出しています。それらを熟読し(通読でも結構)教師としてのスキルを高めてください。
それからでも十分です。やめるのは簡単です。
あ,それから最後に・・・やめるのならば,キチンと3月末退職した方が良いでしょう。これは子どもや保護者のためです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。教師をやめたいと思うのは周りの先生のせいというよりは、自分が教師に向いていないと思ったからです。子どもと友達にはなれるけど教師って柄じゃないかな、と。教師である以上、やっぱり子どもに何かを教えなくてはいけない。それが勉強とか自分の得意とする専門的なことだけなら良いけれど、小学校の教員は子どもに「人としてどう生きるか」という価値観までも伝えていかなければならないんです。世の中の汚さ、大人のずるさを棚に上げて、子どもにはきれいごとを偉そうに語らなければならないし個性を尊重したくても集団を統率するために個を尊重できないこともある。そういう矛盾に自分自身が疲れてしまうんです。子どもが純粋であるがゆえに自分の汚さが嫌になってしまうんですよね。周りの先生たちが嫌いなのではないんです。人として接した時にはみんな好きな人たちです。でも「教師」という肩書きそのものが好きになれない。
子どもとはうまくやっています。子どもがかわいいからこそなかなか辞める決心がつかないところです。一度辞めて、そしてまた再びなりたいと思う時が来たら再チャレンジしてみるのもいいかなと思っています。採用も年々増えていますから。もう一度ゆっくり考えたいと思います。

お礼日時:2003/09/19 23:35

職業病です。

ドップリと浸かってしまった教師には何を言っても無駄です。
さらに教師が教師に何を言っても、これも無駄です。
自らも病気にならないように、注意されながら職務にあたられることをおすすめします。
上記の見解は正しい判断だと思います。
ひねくれた見解ではありません。
また、ご指摘のように客観的なものの見方と判断ができない人は、教師には向いていません。
主観がメインとなると、教員という狭い世界の中で自分を守る事だけに徹した教師になると思います。

良き先生を選ぶのは、子ども達です。
周囲の教師ではありません。
他の教師に理解が得られなくとも、ご自分が指導される子ども達の目が輝けばそれでよいと思います。
また、他の教師への批判もしてはいけません。
学校にはいろんな先生がいても良いのです。
繰り返しますが、良き先生を選ぶのは、子ども達です。
ご自分の姿勢を貫かなくてはいけません。
できないなら、潔くお辞めになるのがよいでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。「子どもの目が輝けばそれでいい」おっしゃる通りだと思います。ただ、まだ私は若い未熟な教師なので、自分の手本となるような先輩の先生に出会いたいなあと思うんです。こうはなりたくないなあって思うことはあっても、なかなかこうなりたいと思えるような魅力的な先生に巡りあえなくて。。これはあくまで私の価値観であって、一般的に有能といわれる先生はたくさんいるし、どんな先生からも学ぶことはたくさんあるのですが。でも教員の世界で有能といわれる先生ほど、私からみると「うーん??」と思ったりもします。子どもに好かれているならいいじゃないかと思う反面、仕事をやるからには周りの先生達にも評価されたいという欲もあり。。難しいです。

お礼日時:2003/09/19 22:58

 教師というものが、その環境の影響で、「お山の大将」になりやすいものであると思っています。

子供という実に影響されやすく感受性の高い人間に囲まれるという、大人としては特殊な環境下における経験から、自分の影響力を過信し、自分の価値観を、世界中に普及すべき真理と考えやすくなります。
 その一方で、ご指摘の通り、他人の経験から学ぶ力、自己の未熟を知る態度などに関しては、その自信に比して低くくなりがちであると思われます。

 それを避けたいという気持ちから「教師らしくない教師を目指そう」という動機が生じるのかと思います。

 この、強力な環境からの影響力から自己の精神を健全に維持するには、ある種のバランスが必要です。
 私がお薦めするのは、なんでもよいから、市民サークルなどに参加して、多くの一般の人と一緒に何かの活動、習い事などをすることです。
 そのメリットの第1は、教師の環境とは無縁の、一般の人間の生活風土というものを肌で感じることで、自分の精神が特殊な環境下において変質している兆候を知ることが出来ます。
 メリットの第2は、実際に先生に教えてもらい、その教え方を観察することで、教えてもらう人の気持ちが分かります。変な説教をたれたり、適切でないアドバイスをする人はどういう風に感じられるか、わかります。さらに、子供ではない、同じ大人に教えるときは、どうやって教えていくのかを体験することで、子供にしか通用しない甘えた教え方をしている自分を反省できます。
 メリットの第3は、自分自身そこで学ぶことで、教わる、学ぶということを実体験できます。教えるばかりの日常から、教えてもらう立場に習慣的になることで、教室に座っている子供の気持ちが少し分かるでしょう。
 メリットの第4は、教師以外の人々と習慣的に、教師という立場を離れて接することで、「お山の大将」的発想を払拭できます。「先生」などと呼ばれるのではなく、普通の一人の市民であることを経験することが教師をやっていると新鮮に感じてしまったりするかもしれません。恐ろしいことですが。

 もし、私の話を聞いて、一般の人と一緒に、何かを教わるということを極度に嫌う感情が自分の中に起きるなら、それはすでにいくらか教師的な環境によって心がバランスを失っている兆候と見ることが出来るかもしれません。

 生涯学習などと言いますが、自分が新しくなにかを学ぶことが、自分にとってのリクリエーションと考えられる心境になれれば、それが忙しい生活の負担になるのではなく、学校で疲れた心をリフレッシュするための大切な時間になるはずです。

 これからは学校が変わらねばなりません。学校の先生が、「お山の大将」である時代は過去のものになるべきだと考えます。あなたが抱く危惧は極めて健全であり、あなた自身が解決すべき大切な問題が見えているという点で、すばらしいことです。
 子供にいろんな挑戦の場面があるように、あなた自身にも挑戦があるのでしょう。「市民サークル」はともかく、あなたが本当になりたい教師になってください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。その通りだと思います。教員は視野が狭すぎますね。両親も教員で友達も教員、結婚相手も教員なんていう環境の人もたくさんいますから。私は教員の親しい友達が残念ながらほとんどおらず、企業に勤めている友人からよく話を聞きますが、やっぱり教員って特殊な環境にいるなあって思います。習い事もしています。

お礼日時:2003/09/19 22:46

私も小学校の時そういう類の先生は嫌いでしたよ。

たいてい頭固いもんね。だいたいそんな先生は変わったことする生徒は嫌い。まじめな生徒が好き。
体験談ですが、小さなころすごく絵が好きで、副賞にハワイ旅行をもらったこともあるほどでした。ですが、小学校2年のときの先生が頭の固い先生で、風景どうり描かなかったり、実際と違う色で塗らかったりする私の絵を「ふざけている」としか思ってもらえず…結局絵が嫌いになりました。
 話が少しそれましたが、あなたはきっと私の絵をわかる感性の持ち主であると思います。「人はそれぞれ」なのです。びっくりするくらいそれがわからない先生が多いと思います。
 また、先生だってそれぞれなのです。あなたは自分が正しいと思うやり方でやったらいいじゃないですか?あなたのレベルで考えることができない先生も多いでしょうが、それは他の職についても同じですよ。頭の中で「バーカ」て思っていりゃいいんですよ(余計かな?)
 あなたが、子供を好きなら、そこに迷うものはないでしょう?私のような生徒にはあなたのような先生が必要なのです。私があと15年遅く生まれて生徒としてあなたに出会えたなら、才能は潰されなかったかもね!
 がんばれー!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。集団を統率しつつ個を尊重することってとても難しいです。集団をまとめることばかりに頭がいっていると、集団からはみ出すような子の存在を認められなくなってしまうんですよね。完璧を求めすぎてもいけないし、緩めすぎるとクラスはがたがたになるし。その兼ね合いが本当に難しい。子どもの個性を親や教師がつぶしていることってたくさんあると思います。子どもの良いところをたくさん見つけて伸ばしてあげられるような教師になりたいのですが。。

お礼日時:2003/09/19 22:35

私も同業です。

私も、「先生ぶる」のは好きではありません。「先生は…」と自称するべきだと新米の時に指導を受けましたが、私はどうしても抵抗感を拭い去れず、「私は…」で通しています。私たちの仕事は「人作り」。子ども自身が自分作りをするためのサンプルになれれば十分と思っています。教師とするか反面教師とするかは実は子ども自身が決めること、そして、何年もしてから感じること。私たちにできることは、「子どもを前にしたら自分の言葉で語ること」と「決して周りの人を見下さないこと」ではないでしょうか。教師に限らず、親、コーチ、政治家…私たち自身、どんな言葉に魅力を感じ、心に響き、励まされ、癒されるか考えてみればどうでしょう。
 私は今の子どもも大人も教師も、自分の弱さを覆い隠すために理屈で武装したり、強がったり、おどけたり、ドライな振りをしたり、はたまた自分がやられる前に人を攻撃したりしている傾向が強いと感じています。本当の強さってなんでしょうか、無様な自分を認めた上で、もがくことを楽しめるって素敵なことだと思いませんか。教師として子どもの前に立とうと気張る前に、人として子どもの前に立ってみませんか。何も理想像として立つ必要はないと思います。良くも悪くも「『自分自身』で勝負できる人が増えたらいいな。」私はそう思っています。
 貴方は、それができる方だと思います。実は私も自分の「教師らしさ」に自身が持てないひとりです。開き直るつもりはありませんが、16年たって、関わった子が大人として声をかけてくれるようになった今、やっと私みたいな奴もいていい世界だったんだと思えるようになりました。時に孤立感も感じることがあるかもしれませんが、貴方のような方こそ辞めてはいけない方ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。私と同じような考え方の先生がいることをとても心強く思いました。子どもの理想像になんてとてもなれるわけではないけれど、子どもの前に立つ以上、少しでも魅力的な人間になれるよう自分を磨いていきたいなって思います。子どもと悩みながら一緒に成長していきたいです。rainbow13さんのような先生と一緒に仕事ができたらな~。

お礼日時:2003/09/19 22:17

別の職種ですが、似たような思いは少しあるので分かる気はします。


普段、自信の無い自分から見て、自信満々で仕事している同僚は「勘違いできる人」として映ることがあります。
自信が無いということは、大変苦しいことではありますが、その思いが決して人を傷つけることはありません。
だから、あなたが決して教師に向いていない、ということはないと思います。でも少しマイナス思考になってしまってはいないですか?自信がないことは、ある意味正常だと思います。何かできることがあるはずではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。確かに自信なんてないです。教育という仕事は成果がはっきり表れるものではありません。子供のためと言いながら、それが本当に子供のためになっていることなのかなんて誰にも分からないことです。すべては自己満足にすぎません。子供が自分のことを慕ってくれて、学校が楽しいと言ってくれること、それだけが自分の自信です。どんな職種でもこのような悩みは葛藤はあるのかもしれませんね。参考になりました。

お礼日時:2003/09/14 18:56

私が子をもつ母親で、教師を選ぶことができるなら、アナタを選びたいなーと思うかと。



私が教わる側の子供なら、きっとアナタが好きではないかと。

ついでに。
別にひねくれてるとは思わないです。
あなたのように、他人も自分も偏りなく判断できる目をもつ人を、世の中にたくさん送り出してくださると嬉しいなと思ってしまいます。

子供をもつ親でもなければ子供でもないので、あからさまに傍観者っぽい内容かと、自分でも思ったのですが・・・
書いてしまいました。
気に障ってしまったらごめんなさい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。温かい言葉を嬉しく思います。子供は私を慕ってくれてます。私のことを好きだと言ってくれます。自分に自信のない私ですが、それだけが救いです。

お礼日時:2003/09/14 18:49

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