「一気に最後まで読んだ」本、教えて下さい!

数年前に文部科学省が発行し、全国の中学校に配られている副読本があるそうです。
それは「心のノート~良識ある中学校副読本~」というタイトルで、道徳教育を行う為の冊子だそうです。
ところが、今現在においても、これを生徒に配ることもせず、授業もしていないという中学校が全国に多数あるらしいです。
確かに各学校には届けられているのですが、学校の先生が隠しているそうです。
たまたま、ある人から聞きました。
このことが事実だとすれば、教育を受ける権利の侵害に当たりますし、中学生たちにはこの本を受け取り、これを読む権利があるのではないでしょうか。
当然ながら、そうさせない権利が先生にあるはずなどありません。
一人の方から聞いただけですので、このことの事実関係を確かめたく質問投稿させていただきました。
情報お持ちの方、回答よろしくお願い申し上げます。

A 回答 (12件中1~10件)

私の学校では配られましたよ。


ただし・・・授業で使われたことなどありませんけどね。
税金の無駄としか思えません。
    • good
    • 0

心のノートが生徒に配布されずに眠っているという話は聞いたことがありましたが、その理由が「見せたくない」とははじめて聞きました。

私が以前聞いた話では、心のノートには生徒が道徳的な質問に対して自分の心の内を書き込むスペースがあり、それがかなり立ち入ったことまで問うので、教師がそこまで指導してよいのか、或いは生徒がそんなプライベートなことを正直に記入するわけがないので書かせるだけ無駄だ、という事情があって使われないのだということでした。
前の方が書いていらっしゃる性教育の冊子は、中学生を対象にしているのに、ピルによる避妊を推奨する文があり、ふさわしくないと言われたとか。
いずれにせよ、発行する前のチェックがしっかりしていれば、こんな無駄なことにはならないですんだのでしょうね。誤字脱字程度の間違いではないんですものね。生徒たちに与えられるものが、いかに現場からかけ離れたところで、狭い範囲の人たちによって作られているか、実感させられる出来事でした。。。
    • good
    • 0

私の通う学校では配ってすらいません。


他の方の回答も見るかぎり、そうとう税金の無駄だと思うのですが・・・。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。
税金の無駄使いかどうかは、配られて、授業を受けなければ、判断できないのではないのでしょうか。
その判断をする機会さえも門前払いをする権利が、なぜ一教師にあるのでしょうか。
そのようなことが正当化されるならば、その教師がオウム真理教の信者であったとしたら、恐ろしいことになると思われますが。

お礼日時:2003/09/15 21:30

中3のとき(1年前ですが)に「心のノート」を配れらましたが、授業で一回も使いませんでした。


権利とかの問題ではなくて、「使わないものを配る必要がないから配らない」のではないでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
使うように国から指導されているにもかかわらず、勝手に使うこともせず、授業すら行わないという、すなわち、使うべきものを使わない教師が問題ではないのでしょうか。
使って、授業をし、その結果、何を感じ、何かを得るか、得ないかは、生徒たちの問題と思いますが、いかがでしょうか。
使わないという結論を、使う前からなぜ一教師が判断していいのですか。
使ってから、必要であったかどうかは、教えられた結果として、はじめて生徒それぞれが判断を下すことができるのではないでしょうか。

お礼日時:2003/09/15 21:22

初めまして。


今中二の者です。
私の学校では、心のノートは配られます。
ですが、その本での授業は一回もやったことがありません。他のクラスもそうだと思います。
道徳の時間は、心のノート以外のもう一冊の道徳の教科書で道徳の時間を行っています。
が、4月から今まで、2回くらいしか授業をやっていません。
道徳の時間は、席替えをしたり、朝の会の延長みたいな感じで決め事をしたり・・・で、あまり道徳の時間を活用してません。

でも、1年生の時一回だけ、心のノートの中の書き込みを授業のときやったことがありました。
    • good
    • 0

>なぜ先生は使うことを避けるのでしょうか。



避けるというか…
どうなんでしょう。

私の学校には、「道徳自体しなくていい!」という考えの先生がいますけど・・・
    • good
    • 0

配られていない、というのは、確かに問題ですね。

教室に置いてもないのでしょうかねえ。

以前、中学校に勤めたことがあります。今私が中学校に勤めていたら、どうしているだろうと想像して、書きます。

道徳には、年間の指導計画があります。これは4月には大体固められていて、1年間の道徳の授業で、どの時期に、どの資料を用いて授業をするか、大体のラインが決まります。

この時点で、「心のノート」を多く活用する計画が立っていれば、多用されることでしょう。しかし、道徳の授業については、気がおかしくなるほど、問題が山積みです。

基本的といわれる道徳の授業パターンを紹介します。(中学校編)

まず、教師が資料を読む。多くの場合、終わりまで読んでしまう。しかし、その資料の話は、フィクションであることがほとんどです。

その話を聞き終わったあと、「ここの部分の主人公の気持ちはどうだったのだろう」と、物語に付随した感情を思い出させ、学級内で、それぞれの子が持っている価値観を「カミングアウト」させ合い、お互いの価値観を深めていこうとする。

これが、典型的な道徳の授業です。

この授業形態だけでも、大変な課題を抱えていると私は思うのですが、ここに「心のノート」という、中身は最もだが、授業する教師にとってはさらに厄介なものが参入してきたわけです。正直に言いましょう。私だったら、これを使って授業は、あまりやりたくない。

多くの中学校において、道徳は、授業以前の問題で95%は軽く越えていると、私は思っております。お互いが価値観をさらけ出して、一つの物語について熱く語り合える学級があるのならば、そういう学級でのみ、「心のノート」は十分な使用価値があるでしょう。

まあ、そういう学級ならば、市販の道徳の副読本でも十分に心を耕し合うことでしょうが。

そういうわけで、「心のノート」は、確かに、教師は生徒に見せる権利があるとは思います。しかし、残念ながら、今の実態で、これを有効に活用することは難しい。

道徳の授業が楽しめる学級を作ることのほうが、どれだけ重要かつ、超難解な課題であることか。文部科学省の、どなたも言ってくれないことが、悲しくてなりません。
    • good
    • 0

ノート持っています。


娘の中学は日教○が結構強いところなのですが、配るだけは配りました。使用はしていません。なぜ配らない学校や地区があるのかというと、税金で作ったものであろうと教育を受ける権利があろうと『見せたくない』派がいるからです。その強い弱いの差が配る配らないの差でしょうね。どうやら娘の中学は「配るけど使いません」という無難な線を選んだようです。

内容はごくあたりまえのことを気持ちの悪い切り口で100P以上書いてあるという、なんともいえないものですが『見せたくない』派が見せたくないのは「我が国を愛し…」みたいなページがあり、愛国の押し付けだの何だのということだったと思います。

私は自虐史観に反対で愛国心推進派ですが、このノートが素晴らしいとは思えません。大人ですら全然出来ていないようなきれい事を、ホラこう考えようよ、こうだといいね、みたいな寒い文章で書かれています。しかも2ページづつ違う人、違う会社に頼んだような感じで、開いた左右のページに1つなにか「テーマらしき」ものが絵や言葉で書かれていて、次のページは違う内容。話の流れも展開も何も無い。これは頭が変になりますよ。本当です。
中には内容の素晴らしいものもあるのですが、本全体を流れる偽善的な印象はどうにもなりません。

何億もかけて利用されない本を作る前に他にやりかたが無かったのかなぁ。残念です。結果税金の無駄使いになってしまいました。hikokurowさんが読みたければ、#1さんのおっしゃるように学校に問い合わせるのもいいですが、先生からどのような対応をされるかまではわかりません。

ネットでも色々な意見が出ていて問題になりました。
「心のノート」で検索をかけるといいと思います。
配られなかった性教育?の副読本もありましたね。
子どもたちを取り巻く教育は今後どうなっていくのか心配です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。
内容がどうであれ、文部科学省が発行し、教えることを指導したものを、たかが教師が、一方的にこれを生徒に配布することすらせず、且つ授業すらしないということは、職権の濫用に当たるのではないでしょうか。単なる個人的思想により気に入らないということで、勝手な行動をとる教師がいるならば、首にする運動を起こすべきではないでしょうか。私立の学校で無い限り教師は公務員なのですから。
その国の子供達にその国を真剣に愛することができるように教育することは当たり前のことと思います。

お礼日時:2003/09/14 21:19

現役の中2です。


心のノートは配られましたが、
1回しか使っていません。
事実上配っていないこととほぼ同じです。
一応、配りましたが、使うことがないので、
全員分学校に保管です。
僕も、友達も
「そんなものあったのか」
と言った感じです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答してくれて、ありがとう。
なぜ、1回しか授業しないのでしょうか。
なぜ、先生たちはこれを隠そうとするのでしょうか。
みんなで先生に納得のいくまで質問してください。
みんなが本当に心の底から、なるほどと思う答えが先生から得れるまで、妥協しないことが人として大事だと思います。
がんばってください。

お礼日時:2003/09/14 21:26

 そういう冊子があるのは確かです。

ただし内容は、果たして配るだけの価値があるかどうか?でも、現場の先生たちも配るだけ配って、「こんなもので子供の心が育ちますか?」って問いかければいいのにね。莫大な税金を使ってあんなものを作るより、文科省はもっとやることがあるんじゃないですかねえ。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!