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平家物語の木曾の最期の魅力ってなんでしょうか?

A 回答 (3件)

義臣とそれに応える主君



江戸時代、平家物語で一番好かれた部分は、木曾殿の最後だそうです。

父義賢が源義朝に討たれ、一介の孤児となった義仲が何故リーダーとして忠臣達が従ってきたのでしょうか。それは義仲にある魅力がそうさせたと思います。戦国武将には、義仲の子孫を称するものが多かったと聞きます。

現代は、義経ばかり脚光を浴び、対比として義仲の評判を落とすことばかり強調されるみたいです。

彼の松尾芭蕉は、木曽義仲に憧れ、自分の墓を義仲寺にと遺言したほどです。

木曾義仲のファンである小生の兄からの受け折ですが、参考まで。
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「日頃は何とも思えぬ鎧が、今日は重うなった」


「気弱なことを申されるな」
木曽義仲と今井四郎とのやりとりが、何とも切なく
胸をうちます。

やることはやった。     もうここでお前と共に
討ち死にして楽になりたい。
(乳兄弟として仲の良い四郎とあの世へ行きたい)

大将軍として立派な自害をなさって下さい。
(私は大将軍の家来としての務めがあります)

思いやりある義仲と勇士を貫く四郎。

やることはやったと言えず、もはやこれまでと、
見事に自害する四郎。   その心境に勇士の
美学を感じます。
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不利とわかっていても、帝都防衛戦で源氏連合軍を迎撃したこと。


最後の5騎だけになったとき、巴御前を部隊から解任したこと。
惜しむらくは、切腹の場所を探していて、弓矢が命中し致命傷となったこと。
もうひとつは、防衛のため兵力を分散したこと。
・・・なんといっても、朝日将軍です。日の出の勢いでした。少なくとも、頼朝さんよリ先に帝都奪還をした源氏軍です。小兵力で強大な平氏との戦闘は評価されるべきです。(この意味では、義経さんのほうが評価が高いかも・・・ってか、事実)
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