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 私は自分の考えというものが存在してるのか、いまいちわかりません。 
 例えば、哲学書なんかを読んでると「こういう考えってすごいなー」と感心して、それを自分のものにしてしまいます。本を書いたのは自分とか、そういうことを考えたのは自分、とかそういうんじゃなくて、その考え自体を自分の考えに置き換える、というんでしょうか。
 他にも何かについて論じている本だとしても同じで、その人の考え方に影響を受け、それをすっぽり自分の考えにはめてしまい、自分はその人の考えに対してどう思うのか、ということはまったくせず、すべて受け入れてしまっています。
 
 これだと、どうも自分が考えたことなんか一つもなくて、実は他人が考えたことを上手く繋げて、それを自分の考えだと言っていると思うんです。自分が主張できるものがない、とも言うんでしょうか。
 
 自分の考えって何なんでしょう? それを持つにはどうしたらいいんでしょうか?

 わかりにくい文章でごめんなさい。自分でもいまいち抽象的で上手く表せていないと思いますが、お願いします。

A 回答 (5件)

 自分の考えって何でしょう。

それを持つにはどうしたらいいんでしょうか?

 確かに、自分の考えを言ったり、持とうとしようとすると、難しいのではないかと思います。私からの簡単なアドバイス。新聞やニュース、インターネットの情報、週刊誌を徹底的に読んだり、聞いたりして見ましょう。自然と自分の意見が持てたり、言えたりしますよ。

 自分の意見は、自分から作るものではなく、自然とできるものです。あせらずに上記のアドバイスの内容を実践してみましょう。
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この回答へのお礼

 自分の意見があるということは、もちろん自分の考えがあるから、意見を持つことも述べることもできるという感じでしょうか。
 確かに何もない状態から「自分の考えは・・・」って思うことは出来ないですけど、何か存在するもので「これに対して自分の考えは・・・」だったら思うことは出来ますね。なるほどです。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/30 19:53

「こういう考え方ってすごいなー」というのが貴方の考えではないですか?



難しい事はよく分かりませんが、
この場合「自分の考え」とは、
「自分がどう考えて(又は、どう感じて、どう思って)いるか」で、
「自分の考えを持つ」とは、「自分がどう考えているかを知る」
事ではないかな?

つまりすごいと思うのは、すごいとか思わない様な事も他にあって、
すごいと思ったり何とも思わなかったりという事があるのは、
何らかの「考え(方)」を持っていなければ、
貴方自身には起りえないと思われます。
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この回答へのお礼

 自分の考えは自分の価値観に似たものがあるといった感じでしょうか。
 私的には「すごい」というのは価値観に近い気がして、でも自分の考えを持っているからこそ、そういう判断をするわけなんですよね。だから考えと価値観は似たものなのかなと感じました。
 
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/30 19:50

 こんにちは。



 そうですね。文章がわかりにくいのではなく そうではなく あなたのお考えがいまひとつ分かりにくいです。
 なぜなら こうです。もし書物などから影響を受けよいと思うことがらを受け容れてしまっているというのであれば いまこのようにまよっていることも その影響のあらわれということにならないですか?
 それとも その影響は一時的だということでしょうか?
 一時的な影響でしかないとすれば 何ともないというわけですよね? つまりご自分の考えを保っているということになります。
 でも そうでなく請け売りだとすれば そのように迷っている内容はあまり書物には見られないと考えられます。
 どっちにしても もうひとつ分からない。となりませんか?

 だいじょうぶなんではないですか?

 もしまだ自分の思想が発展途上であるというのであれば そのまま地道にかたちづくって行かれればよいはずです。どうですか?
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この回答へのお礼

 自分の考えは他人の考えに左右されないものである、ということでしょうか。
 ご回答者様のお話だと、私は一時的な影響でしかないのだと感じます。他人の考えを知ることで、私は自分の考えを捨てたつもりで、ただ無くしたつもりでいたんだと思います。
  
 ごめんなさい。ご回答者様のご回答を何度も反すうして理解しようとしているんですが、全くつかめていないのかもしれません。
  
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/30 19:46

普通は、いろんな違う考えに接して、その中から自分でこれかなということを選ぶことを自分の考え方を持つといいます。

 人間が思いつくことは、今まで接した環境と情報の中から生まれてくることで、それが全く新しいものである必要はありません。 大体、自分が考えたことなんて今までに誰かが考えていると思ってもほぼ間違いはないと思います。 発明家や学者、作家なども、定型、不定形、いろいろな思考パターンを試してみて、その中から時折使えそうな考え方を拾い上げるということが多いのではないかと思います。 ごくまれに、突拍子もない考え方にめぐり合うこともあるかもしれませんが、それは「神の啓示」みたいな物だと思います。
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この回答へのお礼

 いろんな考えに接する中、自分が選んだものこそ自分の考えに値するということでしょうか。
 以前何度か「これは私しか考えたことはないだろうな」と思ったことも、ネットで検索してみれば同じことを考えてる人が多くいたので、ご回答者様の仰る話もなるほどなと感じました。

 ご回答ありがとうございました。 

お礼日時:2011/03/30 19:38

本や相手の言葉といった、人の意識を経由した、いわゆる「情報」と、


自然や「相手」という個体といった、実際の存在に由来する自然情報
の区別を明確にし、バランスをとることが大事です。

どのような深遠な哲学であれ、難解な物理であれ、最終的には身の
周りの日常につながっているはずなのです。
別に誰が言ったことでもいい、あなた自身が、あなたの身の回りの物
の認識として応用できれば、それは「あなたの考え」ですし、また
あなた固有の経験によってオリジナルなものに消化されていくでしょう。
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この回答へのお礼

 他人の考えは他人の考えのままで、それを自分で周囲のものに目を向けて用いることで、自分の考えとなるという感じでしょうか。
 なんだか掴みかけてはいるんですが、まだ時間がかかりそうです。
 でもとても参考になりました。

 ご回答ありがとうございました。 

お礼日時:2011/03/30 19:32

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