原発の是非を問うスレはいくつかありますが、ここにはなかったように思い、たててみました。
この議論は、結局人間が高度な文明生活をすることが是か非かということになるのでしょうか。
あるいは、
これからも犠性者はあっても、それが許される範囲にとどまるなら進めて良いということになるのでしょうか。その程度はどのくらいでしょうか。
放射能は”本当は怖くない”のでしょうか?
なら廃棄物処理は意外と簡単だったりして。
これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重は無いということが関係すると思いますし、ゆえに
これは経済問題である以上に優れて哲学的な設問の範疇かと思います。
人間が火を使い始めたころは、なかなかコントロールが難しく、しかし様々な試行錯誤を重ねて、今ではなくてはならないものになっていますが、時には火事になったりして人命が失われることもあります。
火を使ってもいいということは人間のコンセンサスになっています。
車も多くの犠牲者が出ますが、無くそうというひとはごく少数意見です。
車はいまや無くてはならないものになっているとしていいのかもしれません。
原子の火たる原発は現実として日本で生活程度を維持するにはなくてはならないものになっています。
ただ、
折衷案として、もっと原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印しようという選択もあるかもしれません。それは可能でしょうか?なら、いつまで?どの程度ならOK?
アンケートに出す手もありましたが、横すれ歓迎ということで、非力な質問者抜きで大いに諸賢のご明察とご意見を伺いたく。
よろしくおねがい言いたします。
No.8
- 回答日時:
これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重があるということが関係するかと思いますし、ゆえに
これは優れて経済的、つまり全く同じ意味ではありますが哲学的な設問の範疇かと思います。
仮に個々の命の価値が等価値であった場合。
2万人の命の価値と1億、そして60億の命の価値を比較すればどうなるか。
当然個々が等価値なのですから、その価値の総和は
より数が多い方が高くなるのです。
一方でこの初等算術を現実と照らし合わせたときに、
特に切り捨てられる少数者はもちろん違和感を感じることでしょう。
彼らの違和感の正体は前提の間違いに起因します。
すなわちこの簡単な数式が正しくない、あるいはその全てを救うべきである
というのであれば、命の価値は等価値であるという
根本を変える必要があるのです。
人の精神の働きは常に価値の評価を行うのであり、
特に道徳律に支配された実社会においてはリスクの大きい側を
"弱者"とし、同時にそれを道徳と呼称し生命の価値、
救済の必要性を大きく見積もる傾向が見て取れます。
その一部への救済を優先的に行おうとする行為の中に、
高価値の人命、すなわち"弱者"が誕生するのです。
貧困国から富裕国への善意の救援という矛盾はこうして成立します。
我々が生きる文明生活という市場に要求される姿勢は、
絶対的な価値を持つ命という架空の存在に拘り
空虚な算術的比較を繰り返すことではなく、
命の価値が常に変動するという事実を受け入れ、
その相場を見極めることであるのです。
そして人間の価値評価は、当然ながら他の人間に対してのみに留まるものではありません。
価値は変動するのならば、やはりリスクに対して相対的に算定される存在である
コストの算定も、やはり新たに判明したリスクの評価(当然ながら震災に限らず)
によって変更されるでしょうね。
つまりそういった価値基準が変更されてはじめて、
人は新たなコスト負担を正当な対価として認識できるのではないでしょうか。
ご回答ありがとうございます。
>>これは先進国、低開発国を問わず、人命に軽重があるということが関係するかと思いますし、ゆえに
これは優れて経済的、つまり全く同じ意味ではありますが哲学的な設問の範疇かと思います。
これですね。私は以前の関係スレに、(危険ではあるが”低コストの”)原発は当面エネルギーの逼迫に悩むインドやら中国、アフリカなどの大型開発途上国にどんどんつくり、先進国は原発を停めて緊急避難的に(高価な)石油やガスを使っていく、という提案があったことを指して、どこでも危険なものは危険なものとして、ダブルスタンダードは避けるべきではないかと釘をさしたわけです。
この一見安直な(世界的視野で資源問題を解決するための、ある意味人種差別的な)提案を回答者様は、悪くはないので、もう一度積極的に見直すべきだ、と仰りたいのでしょうか。
>2万人の命の価値と1億、そして60億の命の価値
これは実に悩ましい問題です。
どこかにも書きましたが、国土防衛に自衛隊がいのちを張って前線に立つのは職業意識であり義務ではありますが、敵前逃亡を妨げる法律はあるのでしょうか。戦前の兵士はそこで撃たれても当然だったのです。
フクシマでの前線で私の抱いた不条理的感想でした。
No.7
- 回答日時:
いろいろ書いていただいておりますが肝心なことがありません。
哲学とは何か、とお聞きしたんですが
お答えいただいておりません。
ストレートなお答えをぜひいただきたかったですが。
これ以上は何を話しても無駄と判断いたしました。
おわりです。
返事はいりませんので。
どうせもうこのスレは読みませんので。
申し訳ありません。
行き違いがあったようです。
>話がずれますが、質問者さまがおっしゃる哲学とは何ですか。
もしよければ具体的におしえてください。
どうやら、話がかみあわないのは、哲学の意味が、質問者さまと私とでは違っていることが原因のようです。
これですよね。
私にはrupapo様との会話にかみ合わないところがあtったという認識がありませんでしたので、
どこかで「哲学」の説明を意識せずすっ飛ばした、手抜きをしたというところがあったのかもしれません。それが質問者様を不愉快にさせてしまったのでしょう。申し訳ありません。
一般的に哲学を理解することはウィキなどをご覧になればずっと手っ取り早いと思いましたし、私の説明できることはとっくにご承知であろうと思っていましたので。
私の考えとしては「哲学」とは仰る信念に近いものではありますが、それよりはずっと科学に近い、論理的なものだと思っています。
信念は科学と宗教の間にあって、むしろ宗教に近い働きをするものです。
哲学はむしろ科学と親和性があると思います。筋道を大切にします。
科学がその力では到達できない真理の高みへの間をつなぐ想像的あるいは創造的なもの、
あるいは(科学が提示した)いくつかの矛盾する結論の選択に決着をつけられるかもしれない価値観を構築する学問、といったところでしょうか。
原発の問題にそれらが応用できるかもしれないと考えたまでです。
うまくいえなくて申し訳ありません。
宜しければまた戻ってきてご示唆いただければ幸せです。
No.6
- 回答日時:
物理化学的な立場で書きます。
放射能が全くなかったら、地熱になるはずの
エネルギーが全くなくなってしまいかなり
寒冷化すると思います。
また、原発でなくてもいいですが、
放射線治療用の線源を作るための
原子炉は絶対必要です。
また、どうしても核エネルギーを使いたいなら
太陽熱発電所(太陽のエネルギーは核融合という核反応です)
をもっと作ればいいのにと思いますが。
また、原発事故は私が知っている限りでは、
チェルノブイリとスリーマイルと今回の福島の3つだけです。(JCOは原発ではありません)
安全装置を改良することで事故を起こす可能性は下げられると思います。
絶対に事故を起こしてはならないというならば原発を廃止するしか
ありませんが。
ご回答ありがとうございます。
確かに自然放射能というものはかなり存在するのですね。
でも、ないところにはないから、突然、何万倍!というものが出て
びっくりさせられるんですよね。いや
あるところには千倍ほども常時あるそうですから、
そんなところの住民の健康なんかデータがないのでしょうか。
要するに科学的に完璧な安全データ、
っていうものはないのでしょうか。
>原発事故は私が知っている限りでは、
チェルノブイリとスリーマイルと今回の福島の3つだけです
確かに、そうなんんですね。
限りなく事故の確率は低い。
飛行機事故の方が怖い?
そういった論理で福島県の人々を納得させられるでしょうか。
第二のオキナワ問題(少数民族?)を抱えたということではないのでしょうか。
沖縄問題は国防哲学(?)
フクシマは健康問題?それとも生活する権利?
>絶対に事故を起こしてはならないというならば原発を廃止するしか
ありませんが。
いや、起こっても安全に推移できるのならいいとおもいます。
フェイル・セーフ ですね。
これが破綻したから困ってるのです。
No.5
- 回答日時:
丁寧なお礼をくださいまして、ありがとうございました。
まとめていただいた内容は間違ってはおりません。
ただまとめていただいたのは結果のみですね。
理由は排除されています。
私は結果ではなく、理由が大事だと思うんです。
No.2の方は、原発推進派で私とは反対の意見ですが、理由が記されているので好感がもてます。
理由が記されていれば、あとはそれが正しいか考えることができます。
私はそういうのが科学的だと思うんです。
削除覚悟で書きますが、理由もなく結論だけ書いておられる回答方がいます。
私は哲学とは何かがわからないんですが、友人は「哲学は信念だ」と言っていました。
結論だけ書いておられる方は信念をお書きになられたのだろうか、それが哲学的ということなのだろうかと思いました。
それで、科学的に論じるべきではないのか、と申しました。
勘違いであったならば、申しわけありません。
>科学者はそれこそばんばん可能性を追求するだけで、原爆を作ったように
結果がどうあろうとも基本的に責任は持たないものなのです。
なるほど、だけど、科学者の中には原発反対の方もおられます。
科学者=推進派ではありません。
今回いろいろ調べてみて、何人か原発反対の科学者を見つけることができました。
武田さんも科学者といえると思いますが、彼は安全なら賛成(=安全でないので反対)というお考えをお持ちですね。
>科学自体が決着をつけるというのはどういう場合なんでしょうかねぇ。
例えば、安全か安全でないかという議論を例にとって考えてみても、科学的に考えるべきだと思うんです。
信念ではなく。
私がいう科学的とは、データや科学的根拠に基づいて考えるということです。
放射性物質は管理できる。
・・・これは信念ととらざるをえないです。理由が記されていないので。
>少なくとも完璧な技術なんかあろうはずはない、というのも科学が証明するところです。
そのとおりです。
>これを(必要なら)制御するのが哲学だと私は思います。
申し訳ない、話がずれますが、質問者さまがおっしゃる哲学とは何ですか。
もしよければ具体的におしえてください。
どうやら、話がかみあわないのは、哲学の意味が、質問者さまと私とでは違っていることが原因のようです。
ここにスレを立ち上げたのは意味のあることだと私も思います。
>私もこの魔人が人類の味方なのか敵なのか分からなくなっています。
福島の事故に関していえば、死者は出ておりません。
が、10年後、20年後に癌になる人が増えるかもしれない。
福島の方々は実験材料にされたわけです。
けれど、原発事故との因果関係を立証するのは難しいでしょうね。
原発で働いていて被曝した人が裁判をおこしましたが、立証できずに敗訴しています。
そういうわけで、テレビなどのメディアは「安全」を繰り返しているのかもしれませんね。
立証できないのだから、責任をとる必要などない、と。
何度もお運びいただき、まことにありがとうございます。
>私は結果ではなく、理由が大事だと思うんです。
もちろんそのとおりです。私もそう思います。
>私がいう科学的とは、データや科学的根拠に基づいて考えるということです。
そのとおりと思いますが、そうしたデータだけではどんな結論へも至らないことが往々にしてあり、
(放射能の危険性の評価などがそのひとつでしょう。)
あるいは灰色のままで立ち往生してしまわざるを得ないことがあり、
そこに様々な価値観が介助して、いろんな結論を選択し、あるいは想定するという混乱があらわれるのでしょう。
これまでの原発の現状では人間の幸福は経済学で決められることが多く、そういったコスト計算でフクシマも作られた。その結果がこうだ、ということではないのでしょうか。
経済学優先もひとつの哲学といえばそうです。こんどの残念な結果はただ、単なる計算違い(想定のミス、あるいは単純な見落としなど)だった、方向性に間違いはなかった!という言い方も可能ではありますが(東電などは絶対そう主張するはずです)。
ですから、
もちろんこれからも日本としてそのでんでいこう(改善すべきは改善して)というのもひとつの見識です。
私が”哲学的に”この問題ををあげた意図は、これまでの基本的な考え方をひとつ疑ってみようということです。
分かりにくい言い方になっているかもしれませんが。
しかしrupapo様はあきらかに違う路線を選択されているように思います。
あきらかに別の哲学、価値観による未来の選択をされたということだと私は考えております。
>放射能はやっぱり怖い。
フクシマは人災だった。
人間という不完全なものには
原発を完璧にする能力はない。
なくても良い社会を構築するべき。
科学の更なる進歩が以下の立証を可能にするかもしれません。
>福島の方々は実験材料にされたわけです。
けれど、原発事故との因果関係を立証するのは難しいでしょうね。
原発で働いていて被曝した人が裁判をおこしましたが、立証できずに
ミナマタが最終的に企業敗訴になった例もあります。
そういった未来を怖れている私も、実はあるのですが。
科学が追いつくまでに哲学が予見する場合もあると思います。
愚だ愚だ書いて申し訳ありません。回答者様へのお答えになったでしょうか。
最後の目標は人類の幸福だと思いますが。
No.4
- 回答日時:
No.3ですが、もう少しお話させていただきます。
原子力発電推進派の意見として、資源の枯渇、という問題があると思います。
原子力発電なら、1000年はもつんでしたっけ。
ところが1000年持つというのは、高速増殖炉計画が実現した場合の話です。
現在、高速増殖炉もんじゅは事故をおこして動いておりません。
各国も高速増殖炉計画に失敗してめどがたっていない、と聞いています。
危険な冬山には登らない勇気を持つことも大切だと思います。
原子力発電が安全であるというのは神話にすぎません。
仮に放射性物質が管理可能であるとしても、人間の管理が難しい。
私はかつて建材メーカーで仕事をしていたことがありますが
そのメーカーでは強度データの改竄を行うなど日常茶飯事でした。
強度って、製品を作ってるメーカーで検査するんですよ。
だいたいこういうシステムからしておかしい。
武田邦彦さんも次のようなことをおっしゃっていました。
原子力発電所の設計図を審査に出したところ、okとなった。
しかし見直してみるとおかしい点がみつかった。
作り直したい、と申し出たが「国が認めたものを変更することはできない」といわれたと。
つまり、審査自体がいいかげんなんです。
ソフトの部分でのシステムの改善はある程度可能かもしれませんが
人間が道徳的な生き物であるとはとうてい思えないです。
あと、私は哲学がどんなものなのか、いまだにわからないんですが
原子力の問題は、科学で考えるべきものではないかなあ、と思いました。
放射性物質の管理は可能、といわれても私には納得できないんです。
その理由とか、実例などがあって初めて納得できる。
質問者さんは理由がないのに、なぜ納得できるんですか。
とても不思議に思いました。
とにかく、原発はひとまず停止させてほしいです。
なんせ、震度5で壊れる設計になっているんですから。
更なるご丁寧なご回答ありがとうございます。
ご指摘のことよく分かったつもりです。
武田氏のお話は私も聞きました。
分かりすぎるほどよく分かるお話でした。漫談的ですが、たしかに
人間不信が募るお話でしたね。
>原子力の問題は、科学で考えるべきものではないかなあ、と
あ、これはですね、私の思い込みでは、
科学者はそれこそばんばん可能性を追求するだけで、
原爆を作ったように
結果がどうあろうとも基本的に責任は持たないものなのです。
ですから、早い話、最近は大学内に倫理委員会なんかが出来て
研究の方向を制御しています(出来ているかどうかは別して)。
科学自体が決着をつけるというのはどういう場合なんでしょうかねぇ。
人間性のことは別にしても
少なくとも完璧な技術なんかあろうはずはない、というのも科学が証明するところです。
当事者である科学者はとことんまでやりたいに決まっています。
これを(必要なら)制御するのが哲学だと私は思います。
ここにスレを立ち上げたのは、まだ熱い内にこの議論を交わすべきだと思ったからです。
この問題が収まってからでは、絶対に「喉もと過ぎればなんとやら」で、
魔人つーか巨神兵が口をぬぐって再起するに決まっているからです。
でも、私もこの魔人が人類の味方なのか敵なのか分からなくなっています。
どんなものでしょうか。
No.3
- 回答日時:
>放射能は”本当は怖くない”のでしょうか?
このごろ、少しの放射線をあびることはかえって健康にいい、という人がおられます。
例としてラドン温泉などをあげておられますが、
私が読んだ本では、海外では病人がラドン温泉につかることを、戒めているところもあるといことでした。
で、年間100ミリシーベルトまで大丈夫だという専門家もぞくぞくと現れましたが
許容値として定められた数値は一般人で年間1ミリシーベルトです。
年間100ミリシーベルトという数字は5000人にひとりが癌になる数字だそうです。
これを怖いと考えるか、どうかは個人によるでしょう。
怖くない人は、ガンガン被曝なさるといいと思います。
しかし法律では許容値は1ミリシーベルトなので、法律では100ミリシーベルトという数字は「怖い」数字だいう認識なのだと思います。
つまり国は法律を守って、国民が年間被曝量1ミリシーベルト以下に抑える必要があると思います。
火は生活にかかせないものですね、ですから危険ではあっても使用は認めるべきですね。
車は生活にかかせないものとは断言できないと思います。
事故による死亡者などは原発よりもはるかに多いんじゃないですか。
排気ガスには発がん性もあるし。
ですから、見直しが必要だと思います。
原発は管理できればいいですが
管理しきれなくなると、甚大な被害がでます。
チェルノブイリ事故では4000人以上の死者が出たともいわれています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7% …
また今回の事故でいろいろ調べたんですが
原子力発電所の耐震性は400ガルしかない。(阪神大震災は820ガル)
つまり、地震がきても大丈夫はうそ。
武田邦彦さんによると、震度5で壊れる設計になっているそうです。
で、関西の番組で「福島原発は津波がくる5分前に壊れている」ともおっしゃっていました。
また水力発電や火力発電は50パーセント以上使用されておらず、それらでかなりの電力がまかなえるはずで、原発は不用であるという研究者もいます。
もちろんco2の問題はクリアしないといけませんが。
使用済み核燃料も数百年にわたって管理しつづけなくてはいけませんし。
いま、はっきりわかったことは、原発は安いエネルギーなどではなかった、ということです。
マスコミは風評被害といいますが、風評被害じゃないですよ。
実際に放射性物質で汚染されていると考えられるから野菜や牛乳を買わないんです。
今後、魚も売れなくなるでしょうね。
また、汚染された土壌で、農業ができるようになるには、何年もかかると思います。
避難している人の生活補償も必要だし
東電さんは、これを補償できるんでしょうか。
本当はこういった事故がおこったときの補償も組み込んで電気料金を決めておかなくてはいけなかったのだと思います。
>原発が信頼できるものになるまでおおいに我慢し、使用を封印
東電の隠蔽体質からして、原発が信頼できるものには決してならない、と思います。
電気が不用とは思わないんですが
無駄使いが多いようにも思いますのでそのあたり見直してみるとか
原子力以外の発電技術を開発するとか
そういう方向で進むことを期待しています。
大阪に住んでいますが、他人事じゃないですよ。
敦賀に原発があって、今も動いてると思うと、心配になってきます。
長文のご回答ありがとうございます。
勝手にまとめさせていただくのは僭越ですが
懐疑派というお立場ですね。
放射能はやっぱり怖い。
フクシマは人災だった。
人間という不完全なものには
原発を完璧にする能力はない。
なくても良い社会を構築するべき。
間違っていればご指摘ください。
No.2
- 回答日時:
人間の歴史は、酸化に依る <第一の火 > 火によって食物を加工することで、安全な食事は、種の繁栄を謳歌して来ました。
そして、発電により <第二の火>は地域社会を均等に結びつけ、文明は大きく飛躍し、それに伴い新しい文化が生まれてきました。是非は別にして。
これにより 人類は文明の利器を誰もが利用できる為に より大きなエネルギーが必要になり、
<第三の火> 核分裂の大きな力を得ましたが、この世にある全てのものが 諸刃の剣と知っても
コントロールする事で利用してきました。
人間は求め続ける事が人間性と定義できるように、核融合の研究は50年間成果が出なくても まだ頑張っています。
一度知ったものを捨てる事は、難しいように思いますが、意外と簡単なのです。
戦場や刑務所
これを一般社会に持ち込めば、抵抗は有ってもなれるものです。
しかし、我は同胞6000万 8000万 1億 1億2000万と増えてきた国民が、国土の農地だけで生きていくことは無理があります。
車もテレビも要りません としても蒔きで飯を炊けばたちまち禿山です。
最低限度の 鉄 石油などを輸入したら、当然輸出が必要になります。
日本中が喜んだ 黒四ダム 発電量は33万キロワットとものすごく大きな発電量だと子供のときに思いました。
が 原発一基110万キロワットならば、水力発電の位置エネルギーが大きい川がどこに有るでしょうか。
火力を石油が無くなる間での40年間 と天然ガス発電で温暖化の為に確実に 江東区などはアトランティスと呼ばれます。
温暖化は科学者が30年以上前から 言っていましたが ようやく京都議定書がスタートした一歩でつまずいてしまいました。
しかし、私たちは人間です。前に歩くのは得意ですが、後ろに歩くのは下手です。
ですから 原発絶対必要と考えています。
そのためには 1+5=6 と右辺と左辺は同じなのが 数学であり 物理学で有るのです。
文学は読む人の能力や性別で、受け止め方が変わります。
今回の事故は、人災です。理数系の学問上の問題が、政治家と御用学者が文学を論じて設計と建築をしました。
確かに学者に任せれば 建築時間 コストなど問題が多くなりますが、原発においてコスト意識ほど結果的にどれだけの
利益か <東電が倒産しても足りない補償額>
ナチ犯罪者を法律を遡及させて作り 裁いた様に、学者 経営者 役人を <退職した者を含む> 曖昧でも裁いて罰を与えるときに、原発の賛成 反対のスタートが切れると信じます。
国民が政治家 役人 を信じられる国家になった時、国民は心の中で賛成 反対の検証を行うでしょう。
早速のご回答ありがとうございます。
技術者に任せきり、思い切りコストをかければ良いものが必ずできる、進むべきだ、と仰るのですね。
人間不信を完全に払拭できる理想社会は原発が可能な社会でもあると。確かにそのとおりですね。完璧な技術、完璧な社会システム。
今思いつきましたが、石原都知事におねだりしておだいばに1000Mワットの沸騰型を置かせて貰うというのはどうでしょうか。
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