準・究極の選択

うつ病になったことの意味について考えたことはあるでしょうか。
心がむき出しになり、外界からの刺激に対して過敏に反応するこの精神状態に何かしら意味があると考えたことはないでしょうか。
病前性格という言葉があるように、ウツになった原因のほとんどは心理的な要因でしょう。
ウツになれば元のように戻りたいと思うかもしれませんが、元の性格こそがその原因であるはずです。
であるなら元に戻るのではなく、新しい生き方をすることがウツの治療となるはずです。
新しい生き方をする必要があるとウツは教えてくれているのではないでしょうか。
それがウツの意味だと思います。

当事者の皆さんはどのようにお考えでしょうか。

A 回答 (10件)

素人ですので、専門的な事は門外漢ですが、自身の心或は心の秘密には詳しいつもりですので、書いてみたいと思います。



時々同じ事を書いていますので、もう読みたくないと感ずる人もいるかも知れません、その時は読まない事も自由と考えています。

鬱の場合の脳内ホルモンの関係から書いて見ます。鬱になったから脳内ホルモンの分泌が変わったと主張する精神科医も存在しているようですが、実は、脳内ホルモンの調節は『自身の頭の中で変えていると感じます。』

現実に、恐怖の実態が存在する場合に、人間の身体と心は『脳内ホルモン』を変えてその現実に対抗しようとします。是が正常な状態です。

ですがウツの場合には『現実には恐怖の実態が無いにも拘らず』脳内では、恐怖に対する準備をしている事を意味します。この現実には無い恐怖を『頭の中で作り出している事』が鬱の原因です。

この原因を『内因性の精神疾患の原因を特定出来ない事は精神医学のスキャンダル、、』とまで言い切ったシュタイナー博士は今の精神医学の実態を浮き彫りにしていると感じます。今の医学では『どうして心が苦しくなるのか(何が心を圧迫しているのか?)と云う事を分からないで治療をしたり、薬を処方している事になります。

環境がストレスとなって『心を病ませている』という見方が一般的ですが、ではどうしてストレスとする人としない人が存在するのかを考察して見ます。

その前に『心』と言うものを自分なりに説明したいと思います。心は二種類有ります、『意識』と『無意識です』一人の人間の脳内には二つの意識が存在しています。この事から書かないと原因の説明にはなり難いと感じます。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が『それぞれ独立した意識』を持っていることを実証した。”

人間は自分では分からなくとも、脳梁を切断した場合には、自我意識とは全く別な、独立した『意識』が存在しています。

実はこの意識が『自我意識』に圧迫を加えています。詳しく書いてみます。もう一つの意識は人間を働かせている意識です、言い方を替えるなら『人間の働きその者』という言い方でも可能です。

生命は芽生えた瞬間から働き始めています、細胞分裂を始める働きです。この働きが、生まれてからの生命体の生命を守る働きに変わります。脳内物質の分泌から、暑くなったら渇きを求める働きです。びっくりした場合には『心臓までも』早く出来る働きです。身体が要求するものを供給する働きです。のどが渇いたら、水を欲しがる働きです。

各生命体がその独自の『種』としての記憶とも言うべきものを『脳内に』記憶した状態で生まれています。昆虫や動物や植物等が、学校に行かなくともその種としての行動を取っている事と、右脳に存在する意識は関係しています。

人間の脳内には二つの意識が存在する事は今書きましたが、その働き方が『ウツの意味について 』と関係が有ります。

もう一つの意識の役割を書いてみます。人間が感じる事『五官から入る情報』は意識と、もう一つの意識(無意識の意識)が常に同時に見ています。

ですが意識には『意識したもの、或は事』しか認識出来ません、そのやり方では生命を守る事は出来ません。『その者』は常に環境の情報を、脳梁を通して送っています。この情報は『言葉では無い情報です』高い所にいるという情報や、狭い所にいるという情報等です。

危険が迫る場合では『殺気として、或は空気として』伝えています。もっと危険が迫った場合では『自我意識に替わって』身体も心も支配する場合もあります。その場合を『思わずに、、、』とか『咄嗟に、、、』と言う表現もします。

この情報は言葉では無い情報です、この情報を自我意識は『解読して言葉に翻訳して』感情として感じるシステムを取っています。この情報は生きるためには大事な情報ですが、受け取る側が勘違いして受け取ってしまう場合があります。

良い例が恐怖症です。高い所の情報を自我意識が『分別心から』受け取ろうとしない場合が有ります、この場合には『送る側が』受取を拒否された事から、同じ情報を拡大して送るようになります、高い所の情報の場合が『高所恐怖症』と云う事になります。不安の場合が不安障害となります。この不安をもっと拒否した場合が『パニック障害』と云う事です。不安を拡大したものが恐怖という事です。

現実に目の前で起こった事と頭の中で感じた事が一致した場合『妄想は』消えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自我とは何かという哲学的な部分も含まれる内容なのでウツの当事者には余裕もないでしょうから理解は難しいとは思いますが、多面的にとらえることは大切ですので病状が軽くなったらぜひ考察してみていただきたい部分だと思いました。

お礼日時:2011/04/23 00:26

32歳で神経症が完治した経験が在ります。

今はもう63歳になりましたが、神経症になっている時には『鬱』の人の気持ちも分かりました。そうして自律神経失調症の人の気持ちを判ります。

人それぞれですので、感じ方や、考え方も全てに共通する事は無いかもしれませんが、大体の感じでは同じと思い書いてみたいと思います。、

ウツと云う事、神経症と云う事、自律神経失調症と云う事に一つだけ共通点があります。(但し私の言う事が分かる人は、治った人だけと思います。そうして私の言うことを理解しようと出来る人は、治りかけていると感じます。)

その共通点とは『心に漠然とした不安』を抱えている事です。その不安は『自身の生きると云う事、死ぬと云う事』に対しての不安です。もっと分かりやすく言うなら『人生そのものに対する不安』を感じている事です。

この意味は、かなり分かり難いですので、もう少しその不安という事を詳細に書いてみます。ストレスを感じて不安が高まる、という解釈が在りますが、厳密に言うならそれは間違いです。或は環境のせいでストレスが積み重なる、という言い方も在りますが、是も厳密の意味で言うなら間違いです。

ストレスのせいとか、環境のせいでストレスが溜まると、普通の生活では一般に言われていますが、この視点がそもそも間違っています。

人間の感性は、どの人も大抵が大きくは違っていません。その証拠を始めに書いて見ます。人間の脳には命が芽生えた瞬間から働いている働きが存在します。(自覚する事はかなり難しい事ですが?)

この働きは、蜘蛛は種によって様々な蜘蛛の巣を張りますが、その種によって『どの蜘蛛も習わなくとも』皆同じ蜘蛛の巣を張っています。それが出来る事と関係があります。

命は全ての種にも公平に(少し例外も在るかもしれませんが?)その種独特の記憶を脳に刷り込まれて生まれています。命が芽生えた瞬間から『働き出している記憶です。』

細胞分裂から始まって、生まれるや否や不安や安心や恐怖と云う事も全て知っている記憶です。そうして人間を人間たらしめている記憶です。本当は記憶というよりは『命の働き』と言う方が正確な表し方かもしれません。

その働きは『身体も、心も働かせていて、更に腸やホルモン等全ての生命に関する調節もしている者です』そうして更に自分の心としても働いている者です。この者と『仲違いする事が』先に書いた症状を招いています。

自我意識も自分の心ですが、その者の意識も自分の心です。この事が分かり難い事から『内因性とか心因性』と云う事の原因を特定出来ないでいます。ウツも神経症も自律神経失調症もその原因は『心の矛盾や対立や分裂』の結果を『心に生き難い想いとして』感じています。

では何がストレスとなっているのかを書いてみます。湧き上がる感情は、その者の情報が元になっています。高い所に上がった場合には『等しく』その場所はどの位かを、瞬時に知らせています。スピードなども出しすぎた場合には、瞬時に知らせています。狭い所に入った場合にも。鋭い刃物を見た場合にもです。試験が迫った時、納期が迫った時等も教えています。危険が迫った場合では『思わない内に(思わず)』行動しています。

メンタル面が強いという言い方をすると判り易いかも知れません、オリンピック等や優勝が掛かった一打を打つ場合のような『心理的な圧迫を受けた状態では』『意識が出ないように』訓練しています。この事をメンタル面の強化と言っています、

逆にメンタル面が弱いと言う場合、人のいる所や、人前では足が震えたり、頭が真っ白になってと言いますがこの場合には『自我意識のみ』がからだと心を支配している事を意味します。メンタル面が強い場合には『意識が出ないでいられる事を言います』自我意識が出ない場合の『出ている者』が『自分の無意識の働き』と云う事になります。

心の矛盾の相手は『無意識を働かせている者です。生命活動を全て取り仕切っている者です。心を休ませている者です。或は行動においても、心においても』最適な状態を保つ働きをしている者です。医者が出している薬は『その者』が出す情報を感じ難くする働きをしています。その者とは『感情を湧き上がらせる情報を発信している者』と云う事になります。

一人の人間の心の中には『感情を湧き上がらせる働きをする脳の働き(心)と、感情を感じて言葉にしている心』が共存している事を意味します。環境をストレスにするという場合、実はその環境の情報を『教える方の心』を嫌っている事を意味します。自分が自分を恐れると言う意味です。高所恐怖症や、先端恐怖等は良い例かも知れません。

ではこれ等の障害が解消する事を書いて見ます。今までは症状としていた事が気にならなくなります。受け入れた事によります。字数不足です
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この回答へのお礼

ご回答ありがとございます。

私たちはあまりにも自分という人間を知らなすぎますので、そもそもストレスとは何かという理解も重要であると思います。
安易に薬に頼れば病状を長期化させるだろうと思います。

お礼日時:2011/04/13 09:08

鬱病9年目の当事者(主婦)です。


質問者様が、回答様お一人お一人に丁寧なお返事を返してらっしゃるのを読み、私も投稿させて頂きます。

鬱になった原因は、何度も考えたことがありますが「意味」については解りません。
なぜ 私という人間が鬱病を課せられたのか…。

確かに性格も関係する場合もあると思いますが、その人を取り巻く環境も大いに関わってくるでしょう。

私は9年たってもハッキリした「原因」は解りませんし、まして「意味」はまだ考えられる余裕がありません。

ただおっしゃる様に、病前と全く変わらない自分だと 良くないな…と感じます。
自分がどん底の苦しみを知って 人の痛みも考える様になったり、助けてくれる家族や友人の有り難さに気付いたり。
そんな変化はあった気がします。

それが鬱病になった「意味」なのかな。
でも、こんなに苦しまなければ気付かないことではない筈なのに。
鬱病に「意味」なんていらないです。
鬱病から教えてもらったことは、人との繋がりと 苦しみのやり過ごし方です。
一日一日が 必死です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ウツになった原因をお知りになりたい気持ちはよく分かります。
ただ、何か一つのきっかけがあり、そこから全てが派生している様な意味での原因はないのではないかと思います。或いはあったとしても今の苦しみとは別のことと考えたほうがいいと思います。
つまり、ウツになった原因を探るのではなく、今苦しいことの原因を探るほうがよろしいのではないでしょうか。
今の苦しさは、今そこに苦しさの原因があるはずです。
過去を探るより、なぜ今私は苦しいのかを理解する必要があるのだと思います。
なぜ自分はこう感じ、こう考えるのか、その背景には何があるのかなど、私という人間を知ることがどうしても必要だと思います。
私という人間を知ることが他人という人間を知ることになり、ひいては社会を知ることになると思います。

ウツは薬を飲んでいれば治る類の病気ではないことはお分かりだと思います。
個々人の性格とその生活環境、日本の文化、宗教、社会通念等全てが関連していますので、ご自分をせめても仕方がないことです。
ご自身の人生においてウツの意味とは何かという視点が必要だと思います。
ウツは人生の一部ですから、あの苦しみが来たら「さあ勉強の時間だ」と思うくらいがちょうどいいと思います。

お礼日時:2011/04/10 14:40

はじめまして。



私は、8年間、鬱状態で、とても辛い思い出があります。
始めの6年間は、
この辛い気持ちは、私のわがまま。辛いのはみんな一緒。だから、私ももっと頑張らないと・・
そして、この感情の浮き沈みの激しさは、私の生まれもった性格だと思っていました。
そのため、「鬱病かもしれない」、「病院へ行く」ということは頭にありませんでした。
しかし、私の命の危機を感じた家族が、病院へ連れて行ってくれて
実際、鬱と診断され治療をしたのは、2年程ですが・・。

その時通っていた心療内科の先生に、
「この病気は治るのか?」という質問したことがありました。
先生は
「順調にいって治っても、またいつか、同じように鬱状態に戻る事もあるかもしれません・・
ですから、そうならない為には、考え方を治していくことも、必要かもしれませんね」
と答えました。

その時の私は、「考え方を治す」=「私の考え方が悪い」ととらえてしまって、
とても傷ついたのを覚えています・・

「自分さえ我慢すれば・・」
言いたいことも言わず、自分を犠牲にして、他人の気持ちを常に優先して、もがき苦しんで、
私に、これ以上なにをしろと言うのかと・・。
どうせ私の気持ちなんて先生もわかってくれないと・・・。


今現在、鬱病は治りました。
薬に助けられたのもありますが、それがすべてだとは思っていません。

私は運が良かったのかもしれません。
鬱病が回復に向かうと同時に、私の中で、様々な「気づき」がありました。(宗教などではありません)

あの時は理解できず、過剰に反応してしまった「考え方を治す」という言葉が、
今では、よく理解できます。

鬱病になる以前の性格より、私にとって良い方に変わったと思っています。

私の以前の性格は、色んな面で、
自分に厳しく、態度や言葉には出しませんが、他人にも厳しいところがありました。
心のどこかで、人に期待し、求め、自分の価値観を押し付けていたのかもしれません。
そして、幼少期からの辛い経験から、世の中への、漠然とした不満が、
常に心の中に溢れていました。


昔の私と比べると、自分でも信じられない程、とても幸せです。
自分がここまで変われるなんて、夢にも思いませんでした・・。
そして、長い間、私を支えてくれた家族と
鬱病になってよかったのかもしれないと、よく話をしています。

質問者様がおっしゃるように、鬱病になって、気付けたことがあると私は思っています。

今現在、鬱で苦しんでいる方に、それに気づいて!と言うのは、酷かもしれません・・
でも、繊細で、正義感が強く、我慢強く、優しいがために、
鬱病になってしまう方だからこそ、「気付ける」ことがあるのではないかと思います。

生意気言って、スミマセン・・。
長々と失礼しましたm(__)m
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この回答へのお礼

貴重な体験を聞かせていただきとても感謝しております。
このカテで治った方のお話を伺うことはあまりないので、この回答を読んで力になった方もいらっしゃると思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/09 22:22

私の考えなので参考程度にお考えいただければと思います。



私は、うつ病になったことはありません。寸前まで行ったかなと思った時はありましたが、その場から逃げだしてしまいました。
そうなった理由は、「我慢してしまうこと」なんだと思います。
何かを言われたら我慢。何かをされてしまったら我慢。何かをすることに我慢。何かをしてはいけないことに我慢。
それをため込んでしまう人は、うつ病になったり、なりそうになったりする人以外にも、当たり前にいると思います。
ただ、そうならない人との違いは、その都度、不満や要望を、自分の意見として言える人、行動で表せる人なのかなと思います。
私の場合は、ため込んでため込んで、我慢して、もうどうにもならなくなったときに、その我慢を告げることなく、その環境から逃げ出しました。
逃げ出したせいかどうかは分かりませんが、今でもその悔しさは、悔しい思いとして思い出してしまいます。
ご質問者様の書いてある、元の自分に戻りたいと言っても、元の性格こそがその原因。何かそりゃそうだ!と思ってしまいました。
私自身、元の自分に戻りたいなんて思いますから。
ただ、元の自分に戻りたいと思う気持ちは、そういった過去の嫌な思いというのを頭の中から消し去りたいということではないかと思います。
新しい生き方って簡単なようで、すごく難しいもののような気がしますよね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

逃げることは悪いことではありません。
現時点で処理できない事態であると判断したのですから逃げることはとても合理的だと思います。
ただ、人は変化をしていきますので、いつかそれをうまく処理できる自分になれるだろうと思います。
そのときまで一休みです。

今更、知らなかったことにはできませんので、苦い経験も含めて私たちはどう生きるかを常に問われ続けるのだろうと思います。

お礼日時:2011/04/09 14:40

質問者様は、いったい何がおっしゃりたいのでしょう?


何をお知りになりたくて、このような質問を発していらっしゃるのでしょうか?

うつになった意味というのは、当事者であれば多少とも考えていることが多いと思います。

「心がむき出しになり、外界からの刺激に対して過敏に反応するこの精神状態」とは、どういう精神状態を指していますか?
意味がわかりません。
うつ病は、単なる精神や心理のレベルの疾患ではありませんよ。

心身両面に症状が現れる、ある意味では「全身性の疾患」です。
何か勘違いをしていらっしゃるのではないかと思えます。

それに加え、確かにうつ病の病前性格というものが指摘されていますが、それがうつの原因ということはいえません。
原因と結果というつながりにはなっていません。
病前性格なるものは、うつ病の背景要因としては、成り立ち得ますが、「原因」ではありえません。

「ウツになれば元のように戻りたいと思うかもしれませんが、元の性格こそがその原因であるはずです」というような決めつけは、まさに「百害あって一利なし」です。
こういう固定観念は、お捨てくださることを願いたいと思います。

「当事者の皆さん」という書き方から考えて、質問者様は当事者ではないと判断しますが、以上のように、うつ病のことそのものの理解が不十分なまま、

「であるなら元に戻るのではなく、新しい生き方をすることがウツの治療となるはずです。
新しい生き方をする必要があるとウツは教えてくれているのではないでしょうか。
それがウツの意味だと思います。」

というようなことをいわれたくない、というのが私自身の正直な気持ちです。

このような回答をしますと、たぶん、気分を害されると思いますが、当事者としては「大きなお世話」と申し上げたくなります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

万人に通用する考えでないことは承知しております。
人それぞれの考えがあるでしょう。
それは尊重いたします。
どうぞご自愛ください。

お礼日時:2011/04/09 14:29

ストレスの大きなイベントなども表にされていますので、本人の性格、習慣だけでなく周りの影響も考慮すべきだと思います。



その上で、ウツの意味を考えると、選択理論と言う臨床心理学が教えるように、患者の考え方(思考)と生き方(行為)を変えることでウツ(感情)を変えることが出来ると教えるのが合っていると思います。
休養後の復職に際し、上司と話し合ったら、「まだ前と何も変わっていないから、もう少し休んでいたら」と言われた人もいました。
人間が生きて行く環境は常に変化しています。それまでは適応可能な性格であったとしても環境が変われば、適応できなくなることは多いものだと思います。

認知行動療法も環境に合わせた考え方を学ぶことだと言えるでしょう。心理療法の殆どが、環境に合わせた考え方を学ぶことだと言えるでしょう。新しい考え方と行為を教えるのが治療の基本になる心理療法も多く有ります。

性格で一つに括ると、カメレオンの様に環境合わせた姿に変化するのは、望ましい性格だと思いますので、ウツに成り難い性格も有ると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

日本は奇妙な国です。
災害時には団結するくせに平時ではすさまじいまでのストレス社会です。
私は社会が変わることはあまり期待しておりません、自分自身を変えるほうが簡単ですから。
ウツは人の変化を促す病気だと感じます。

お礼日時:2011/04/09 14:25

 基本的に違います。


 
 この人が鬱になるの?という人が鬱になっていることを多く見ます。
 確かに一部には外界からの刺激に対して過敏に反応する状態がある場合もあります。
 しかし、なぜこうなっているのかわからない状態で逃避していることもあります。
 元の性格がその原因ということであれば、いじめによる被害者も、いじめられる元の性格があることになります。
 すべての原因が、固体要因であるということではないと思います。

 鬱の状態になって時に、うつの意味が考えられるのであれば、うつにはならなかったでしょう。
 質問者が鬱になったときに、わかってもらえると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

その人がどんな思考パターンを持つかは当人しか分からないことでしょう。
外見上の印象では人を理解することはできません。
もちろん遺伝的な要因というのもあるかもしれませんがウツと心理は分けて考えることはできないと思われます。
そういう心理面からのアプローチは当人しかできないことです。
ウツの意味を考えることも大事なことだと考えます。

お礼日時:2011/04/09 14:21

このような考え方もあることに感銘しました。


それだけだけでなく、文体が美しいので思わず見入ってしまいました。
新しい生き方をすべきと教えてくれている、というくだりには大いに賛成します。

かくいう私は躁鬱病者なので純粋な鬱とは少し違うかもしれません。
趣旨に反していたら申し訳ありません。

発散の一途で急に暴走機関車と化す躁状態に反して、鬱状態はじわじわと受動的となり度々地味な現実のメッセージをねちねちと突きつけられます。
自分とはどのように矮小な生き物であるかを逐一リストアップするかのように説明してくれる、貴重かつ招かれざる病が私の鬱です。

鬱になった途端に自分の欠点や嫌な性質、過去やトラウマが噴出してくる。
健康なつもりでいた時に重ねてきた、自分の偏った性格や思考、言動のツケを払わされる。
加えて自分の殻がズダ袋のように弱って穴だらけになっているせいで、
いとも簡単に外からの刺激が心をかき乱しにくる。それに耐えられない自分をひたすら責める。

立ち直ってくると反省します。この憎き執着気質を貫いたからこそまた鬱がやってきたんだ、と。

私にとっての鬱の意味とは…
つまらない慢心や小我を潰し、自分の弱さを自覚させ、また克服できるものはチャンスを与えさせる。というものです。
周囲には「ドブさらいの時期がやってきた」と言ったりしています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ウツはある面で哲学的な部分を含んでいるようにさえ思います。
今までの人生の清算と再生が私たちに、もっと言えば日本人に求められているのかもしれません。

お礼日時:2011/04/09 14:15

新しいことなんて考えられないから鬱なんです。


なんでも打開できるというような考えは健全な人の考えです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そうだとしたらウツになったからではなく、その前からそういう傾向があったのではないでしょうか。
自己を無意識にゆだねないで意識的に考えてみてはどうでしょう。

お礼日時:2011/04/08 21:03

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