「存在」自体が、もともと「無いことが解らないこと」であるなら、
「心」とは何でしょう? 認識体? 自我仮説?

上記にこだわらず、
自由なご意見おまちします。

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A 回答 (9件)

「心の定義」はほとんどなされておりません。

例え心理学の教科書であっても。
そこで先ず心を定義します。「ありたい(と思っている)私」と「現にある(積りの)私」について、引算式を立てる・引算をする・引算結果をゼロにしようとする、これらのいずれをも心(あるいは願い・意思・決意などとも)と呼びます。この定義からは心が移ろいやすい、心が制御し難い、心を取り出すことが出来ない等が説明できます。眼前に映る対象ごとに「ありたい私」が発生するのですから。
さて、この定義のように心とはある種の「脳内活動の結果」=「ある種の機能」であります。「脳あるいはその一部=物質」ではありません。ですから「心」は物質としては存在しません。脳内のどこにも所在しません。「ありたい私」が変動するたびに、あるいは消長するたびに「心が変わる」のです。あたかもテレビ画像です。チャンネルを変えるたびに画像(心)が変わります。画像はテレビ内部のどこにも存在しません。多重人格者ではさらに多様な心を持つことになります。
心をこのように論議する価値にも触れましょう。引き算の結果(差)が「悩み」「苦しみ」です。「苦しみ」を小さくするために引算式の一部をわざと誤ることを類別して心の病を名づけ、対策を立てるためにも使うことが出来るでしょう。
さらに述べます。「ありたい(と思っている)私」と「現にある(積りの)私」とを扱うのが心です。私の心を支配しているものは「私」以外に「周りからの影響・圧力」があります。「現にある(積りの)私」の中にも「周りからの影響・圧力」が忍び込んでおります。私の「苦しみ=差」の中にも(私のものでないはずの)「周りからの影響・圧力」が忍び込んでいるのです。「私」を論議するために、「私の苦しみ」を論議するためにも「私自身」と「周りからの影響・圧力」とを吟味する意識的な手がかりが得られるのです。
ご批判・ご検討下さいませ。
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考え込まなくても、病気を治せば自然と分かります。


現状では、馬鹿の考え休むに似たり、いや、休んだ方がマシです。

入院することを奨めます。

http://mlab.dyndns.org/okgoo/okgoo.php?id=OtamaF …

過去の投稿は、自分が病人だと叫んでいるだけですから。
無理はよくないですよ。
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行動の中に潜むもの

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なんだ。

解っていないんじゃん。

宇宙が自己の補完なんて堂々と言ってたのにね。

あなたが「心」「存在」を我々補完先に聞いてどうするのよ。
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んなこと言ってるから、哲学かぶれした愚男どもは子供を産むことができる女達から馬鹿にされるんだね。



  柔肌の熱き血潮に触れもせで 悲しからずや道を説く君

抽象化の何たるかがまるで解ってない。そう、あんたかぶれているよ。具象を体で理解している女性の爪の垢でも煎じてのむんですな。

   今川を読んだ庄屋のやかましさ   ペペンペンペン

お後が宜しいようで。
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自分を含む主観世界の時間的変化率のことだと思います。

微分です。

状況変化が急であればあるほど、心は強く意識されます。
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心は存在すると思います。


難しい事は解りませんが、心の繊細な変化は生態学だけでは図れません。
そうじゃないと生きてて面白くありません。
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はじめまして



自分のことを自分が認識している限り、自分の「存在」は「無いとは証明できない」というより「有る」とするべきではないでしょうか?

心というと胸あたりにあるイメージですが、脳の感情を司る部分の事をさすと私は考えます。
例えばこの回答を見てイラっと来たりすっきりしたりするのもあなたに心が有るからでしょう。

あくまで個人の意見ですが、参考にして下さい。
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異性をどうしようもなく好きになったときや とても悲しい事があったとき


その感情は 頭で考えたものではなく 心から発せられるものだと思います
物理的には存在はしないのでしょうけど
心はありますよ
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つまり、もし、その問題を相対化できて、たとえば一日だけ五体満足とはこういうことなんだよと人の肉体に乗り移って暮らしてみるという体験をできたとして、そうすると「ああ、自分はこういう不利があるんだ、じゃあ考えなくちゃ!」という強い気持ちが起こると思うのですが、そういう体験はできない。なので、問題を意識できなかったしまた、

☆しようとしなかった

です。つまり、希望的観測を持っていたあるいは一種の信仰心を持っていたといえるかもしれません。
これは、たとえば自分の家族にもそんなことはいえませんかね。ろくでもない親や兄弟を「これは結構いい家族なのだ」という風に無理に納得しようとしているとか。これは割りとすぐ否定的な限度が来るかもしれませんが。

つまり、「存在」の問題に関して軽視する傾向が私だけでなくて、人間一般にないでしょうか?相対化し自分の位置というものを客観視しすれば、すぐ自己の悲観的な面限界点を意識できるかもしれないのに、それがなければ、人は楽観的に考える、なにか信じたい、希望を持ちたいという痛々しい習性を持っているように思えます。

それと並ぶ問題として、その「存在」に比べて軽いこと、何かの選択だとか、試験だとか、対人関係とか、そういういまある「存在」に比べれば明らかにランクの低い問題にたいして、過度に悲観的にあるいは慎重になるという、救いようのない矛盾に満ちていないでしょうか?

この不合理、矛盾というのは、人間のおろかさから来ているのでしょうか?あるいは人間には無理な問題なのでしょうか?

これは私の体験談ですので、普遍性があるかどうか疑問ですが、もし特殊でなさそうであれば質問が意味を持つと思うので投稿します。

私は肉体上のハンデが多少あって、障害者枠には法的には認められないという程度ですが、明らかに状況によっては不利なものもあって、そのてんちゃんと考慮して、行く末や適職などを考えねばならなかったと感じています。しかし子供のころから、そのハンデについて真剣に悩んだことはなく、それなりに上手くこなせているような気がしたし、不自由を感じなかったので、そのことに...続きを読む

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結局、今生きている以上の感動なんてどこにもないのに、
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本当は、逆で、ドラマが進行するから、今生きているのであって、そこに感動があるんですよね。

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確かに、これまで悠久に渡りこれを痛々しいと見ることも出来ますが、そうでない者は、生存してこれなかった、つまり、今生きている感動がえられなかったということでしょうね。
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英語は・・・
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喉にモノが通らないほどって・・・(^^;)
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人間の脳は、大きく三つの部分から構成されて
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この三つは独立しているというのではなく、
互いに干渉しあっており、生命値を高揚
させるときに美を感じます。

かわいい、不細工は美に対する感性の問題ですが、
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生存脳で感じる美は、人類共通です。
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Qストア派哲学についての本

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「心」「意識」「精神」の類似点、差異点を教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは。
「意識」とは「状態」
「心」とは「構造」
「精神」とは「心の構造によって形作られるもの」
ということになると思います。

この三つの共通点といいますと、それはこれらが全て「神経系の働き」を指すものだということですね。この内、「意識」といいますのは神経系、厳密には大脳皮質での情報処理過程で発生する「現象」であり、他の二つとはその定義が全く異なります。それは「有意識」という「特定の状態」を指すものであり、これによってどのような情報や結果が扱われるかということは一切の関係がありません。大脳皮質の意識に上る対象がなければそれは発生しませんし、大脳皮質を介さない情報処理や、自覚の成されない結果選択は「無意識行動」と分類されることになります。
このように「意識」といいますのは「状態」です。そして、これは神経系の情報処理過程やその結果を示すものではありませんので、他の二つとは全くの別物です。

では、「心」と「精神」の違いとは何かということになるわけですが、「精神」といいますのは元々心理現象や生理構造を科学的に分類したものではありませんので、その定義は極めてあいまいです。これに対しまして近年では、長い間謎とされていた我々の「心の構造」に就いてたいへん多くのことが解明されるようになりましたので、この辺りはもはや哲学の力を借りる必要がそれ程ありません。
心理現象とは「知覚入力―結果出力」という神経系の情報処理によって発生するものです。そして、我々の脳内では知覚入力に対して価値判断を下し、結果を出力するための中枢系が以下のように三系統に分かれています。
「生命中枢:無条件反射(本能行動)」
「大脳辺縁系:情動反応(情動行動)」
「大脳皮質:認知・思考(理性行動)」
この内、本能行動を司る「生命中枢の無条件反射」といいますのは、それは遺伝子にプログラムされた全人類に共通の反応規準であり、幾ら学習体験を積み重ねてもこれが変更されるということは生涯に渡って絶対にありません。ですから、如何なる場合であろうとも結果は予め定められているわけですから、これを「心の動き」とすることはできません。
これに対しまして、与えられた状況に応じて我々の脳内に様々な「心の動き」を発生させているのは「大脳辺縁系の情動反応」であります。大脳辺縁系には身体内外のあらゆる知覚情報が入力されており、ここではそれに対する「利益・不利益の価値判断」が行われることによって「情動反応」が発生します。この知覚入力に対する価値判断を行うための反応規準を「情動記憶」といい、これは生後体験に基づいて大脳辺縁系に獲得された「学習記憶」です。大脳辺縁系では何の入力に対してどのような反応を発生させたのかという結果が随時記録されますので、それは我々の「価値観」として成長してゆくことになります。そして、この価値観によって形作られるものが、そのひとに宿った「精神」です。

通常、我々が「学習記憶」と呼んでいるのは大脳辺縁系の情動記憶ではありませんよね。それは大脳辺縁系の「YES・NO」のように単純な結果ではなく、何時何処で何をしたといった具体的なものであり、個人の思い出から数学計算の技術、成功・失敗の結果からその社会の法律・道徳に至るまで、生後の実体験や教育によって大脳皮質に獲得されたありとあらゆる情報であります。大脳皮質はこの記憶情報を駆使し、知覚情報からは得ることのできない「未来の結果」を予測します。従いまして、大脳皮質の司る理性行動といいますのは、その全てが未来予測による「計画行動」であり、原因と結果の自覚された「意識行動」ということになります。
ところが、大脳皮質の導き出した結果が如何に高度で理性的であろうとも、実際に心が動かなければそれが実行に移されることはありません。つまり、大脳皮質の役割とは未来の結果を予測してより価値の高い計画行動を立案することであり、それに対して最終的な決定を行うのは「心の動き」を司る大脳辺縁系であります。ですから、大脳辺縁系に何の情動反応も発生しなければ、我々は一切の行動を選択することができません。
「ここは理性的な行動を執るべきだ」、与えられた状況に対して大脳皮質が判断を下し、それに対して大脳辺縁系が「賛成・YES」と反応することによって、それは初めて実行に移されます。

上記の中枢・三系統における機能分類を「脳の三位一体説」といい、現在では我々の「心の構造」というものがここまで判明しています。
ならばこれに基づき、
「大脳辺縁系の情動反応=心」
「大脳皮質の理性行動=精神」
とできるならば、生理学的にも解剖学的にもたいへん明解なのですが、基本的に「精神の定義」というのが元々あいまいであるため、これでは一般に扱われている概念とはどうしても一致しません。
このため、
「心とは構造」
「精神とはその構造によって形作られるもの」
ということになります。
我々の「心の動き」といいますのは、喜怒哀楽などの直接的な情動表出から高度に論理的な意思決定まで、その全てが大脳辺縁系の情動反応を中核として行われています。これが「心の構造」です。そして、大脳辺縁系にどのような価値観が獲得され、大脳皮質にどれだけの知識を持っているかによってその結果が異なります。従いまして、「道徳な精神」や「ひとを愛する気持ち」あるいは「目的に対する不屈の精神」などといったものは、みなそのひとの「心の構造」によって形作られているということになります。
また、価値判断を行う中枢系も、そのときの覚醒状態によっては反応の結果が異なります。ですから、精神といいますのはあれやこれやと極めて広範囲な概念ではありますが、これまでのような解釈を行うならば、このようなものを「精神状態」と呼ぶこともまた可能となります。

こんにちは。
「意識」とは「状態」
「心」とは「構造」
「精神」とは「心の構造によって形作られるもの」
ということになると思います。

この三つの共通点といいますと、それはこれらが全て「神経系の働き」を指すものだということですね。この内、「意識」といいますのは神経系、厳密には大脳皮質での情報処理過程で発生する「現象」であり、他の二つとはその定義が全く異なります。それは「有意識」という「特定の状態」を指すものであり、これによってどのような情報や結果が扱われるかということは一...続きを読む

Q哲学者の本やサイトについて

最近、デカルトやガリレオ、ルソーなどの哲学者の言葉や考え方にとても興味がわいてきました。ゲーテやルソー、ガリレオ、デカルトの考えがわかりやすく書いてあるような本や、哲学者の名言集みたいな本でお勧めの本やサイトはありますか?まだ、勉強し始めたばかりなので何でもいいのでいろんなことを教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

http://www.meigensyu.com/ →分野別(哲学者限定に非ず)
http://maxim.kamimoto.jp/ →〃
http://kuroneko22.cool.ne.jp/kakugen.htm →〃

書籍の場合視点(嗜好?)も係りますが
ソクラテスの弁明(http://www.bk1.co.jp/product/00505790 )は比較的読まれる部類だと思います。

Q不変な「善」は存在するか?あるなら何?

便乗質問です。


「基本的に」は、善悪は不変ではありません。
これは歴史的に明らかです。



例えば、近代化がなされる前のキリスト教徒にとっては、「異教徒を殺さない事」は「悪」でした。
それを拒否した場合、悪魔の手先とみなされ、異端にかけられ処刑されます。現在は、その逆で「異教徒を殺す事」は、ただの殺人罪になり「悪」です。

例えば、イギリスはタスマニア人を絶滅させましたが、それらの行為は当時のヨーロッパの国際慣習では、主権国として合法的な権利でした。現在は、ジェノサイド条約などの違反になり「悪」です。

例えば、現在は侵略は国際法違反であり、「悪」です。しかし、「侵略が悪」と世界で定着するのは、1945年に51カ国によって署名された国連憲章からです。1917年のアメリカ大統領ウッドロー・ウイルソンの「勝利なき平和」や1928年の不戦条約にもその傾向がありますが、確立するのはやはり1945年であって、それ以前は侵略は「悪」ではありませんでした。

(「侵略」に関しては、佐藤和男青山学院大学名誉教授『憲法九条・侵略戦争・東京裁判』から一部を引用。)







と言う事で、これらの歴史的事実を観る限り「基本的に」は、善悪は不変とはいえません。


しかしそんな世の中でありながら、それでも「奇跡的に不変な「善」が守られてきたモノ」はあるでしょうか?これは、人間社会の法則にも関係するかもしれません。



「奇跡的に不変な「善」が守られてきたモノ」は存在するか?
もし存在するなら、どのようなものか?

便乗質問です。


「基本的に」は、善悪は不変ではありません。
これは歴史的に明らかです。



例えば、近代化がなされる前のキリスト教徒にとっては、「異教徒を殺さない事」は「悪」でした。
それを拒否した場合、悪魔の手先とみなされ、異端にかけられ処刑されます。現在は、その逆で「異教徒を殺す事」は、ただの殺人罪になり「悪」です。

例えば、イギリスはタスマニア人を絶滅させましたが、それらの行為は当時のヨーロッパの国際慣習では、主権国として合法的な権利でした。現在は、ジェノサイド条約など...続きを読む

Aベストアンサー

一般的に不変な善があるとすれば『自分の子孫を残すこと』
でしょうか。
他人の子孫を根絶やしにすることはあっても、一部の子孫を
切り捨てることはあっても、自分の子孫に(自分の望む形で)
繁栄してほしいと願うのは、古今東西変わらないでしょう。

『自分の子孫を残すこと』は人間を含む「生命」の本質とも
言えます。『所詮「生命」とは遺伝子が自己を増殖するための
「乗り物」にすぎない』という考え方もあるくらいです。


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