
( a ) 天使とは 純粋思想であり 純粋なる内なることばのことを言うか?
( b ) そのことばが 人間にかかわるようなものであるなら 堕落しうる。天使も堕落しうる。と。
( c ) つぎの文句のあいだに天使が位置するか? 1:4から1:5にかけてである。
◆ (ヨハネによる福音 1:1-5) ~~~
1:1 はじめに ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
1:2 このことばは はじめに神とともにあった。
1:3 すべてのものは ことばによって成った。
成ったもののうち ひとつとして ことばによらないものはなかった。
1:4 このことばに命があった。
この命は人を照らす光りであった。
1:5 光りは闇のなかに輝いている。
闇は光りをとらえなかった。
~~~~~~~~~~~
☆ すなわち 《1:4 このことばに命があった。この命は人を照らす光りであった。》というときの《命》もしくは《光り》としては すでにこの経験世界ないし人間の世界のことにも触れて言っていると思われる。《闇》(1:5)と言うなら すでに経験事象である。
言いかえると 次のように位置づけるかたちである。
( d ) 神をなぜ《ことば》にたとえたかの問題でもあるように考えられることには 次のような位置づけである。
○ (ことばの階層) ~~~
(α) 神としてのことば
(α’) 天使としてのことば
(β・γ) 経験事象としての光なることば(ひらめき?)
(δ) 人間のことば
~~~~~~~~~~
( e ) 次の図式によっても説明しうるか? 《ことば》を《ロゴス》と言いかえている。
○ (ロゴスの階層) ~~~~
スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のなぞなる非思考の庭):神
____【天使(α’):ロゴス(α)の使い】_________
インスピレーション=ロゴス(β):異言
:中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ
インスピレーション=ロゴス(γ):預言
:本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間の言葉化
:概念? 象徴(シンボル)? 世界観じたい?
ラチオ=ロゴス(δ):コギト=思考:経験合理性にもとづこうとする論理
~~~~~~~~~~~~
( f ) 問題は 天使が 永遠の霊的な存在であるなら どうして神に背き堕落しえたか? である。
被造物ではないが 自由意志を持ち選択という行為をなす存在であるということだろうか?
もし堕落したのであれば それが――そのうち特に神のごとくいかなるものの下にも立つまいと決めた者が―― 悪魔であるという規定になる。
おしえてください。
No.72
- 回答日時:
すみません。
私の勇み足なのか、微妙な修正が必要です。
そもそも、「布教」と申します行為の喩えは、恐らく「サーバ(神様)へのアクセスの為のアプリケーションソフトの【無料配布】」に相当するのだろう、と思われます。
現在には私達が当たり前の如くにインターネットへのアクセスの権利を行使させて貰っていますので、通信費を期日迄に支払っていますと、中々気付かれ難いのですが、インターネット接続(ウェブブラウジング)の為のブラウザソフトウェアは、昔からインストールされていたのではなく、昔のPCの中には存在していませんでした。
従いまして、最初にインターネット回線のサービスが提供された頃には、それを利用する為に、「様々なソフトウェア・ハードウェアの意図的な【追加】」が必要になっていました。
とすると、それ等の流布の際に「【初期不良品群】の混入」もが有り得たのではないでしょうか?
そして、もう1つです。
ユーザーのクライアントPCの側ではウィルス・スパイウェア等からの侵略を防ぐべく、空きポート番号を隠す為に、毎回にポート番号を変更させていますので、どの番号のポートが開放され得るのかはサーバ側から分かりませんから、無謀なブロードキャストが出来ないのです。
ご回答をありがとうございます。
ですが 残念ながら 同じお応えになります。
さて おそらくコンピュータないしインタネットの仕組みとの喩えでは ぴったりときれいに当てはまっているのであろうと思われます。
それと 神とわれとの関係にかんしてどう捉えるかについては 微妙に違うところも見られる。こういう結論に行き着きます。
わたくしの立ち場からのみ捉えるなら こうなります。
《天はみづから助くる者を助く》ということわざに即して考えるなら どうなるかから出発する。
けっきょくこれまでの説明を受けて理解したところによれば こう考えられます。
1. サーバは 神ではなくて 人間とその社会としてのいとなみなる経験世界に属している。
2. 神は 天のほうである。その神は 《無い神》でもよい。
3. つまり 《みづから助く》という行為が 人間のつくったサーバなり何なりを含むそのネットワークの全体にかんする取り扱いに及ぶものだと見られる。
4. 無い神にしろ神にしろその天が そのような人間たちのいとなみを見守っている。
5. 無い神つまり無神論の場合には そういう《無い神とわれとの関係》としては 有神論と同じ類型において非思考すなわち信仰という心の場も持ち合わせているが その信仰類型を一たん確かめたあとは もうその《無い神》にはこだわらない。
5-1.せいぜいが いま取り上げていることわざやあるいは《人事を尽くして天命を俟つ》というようにたとえば《天》で言いかえるのが ふつうのようである。
6. 有神論としての信仰の場合には むろん同じように人事を尽くすのであるが そのあと天命を俟つというかたちでは必ずしもないかも知れない。それには ふたつの見方がある。
6-1. ひとつには 人間の能力と努力には限界があるとつねづね思っている。もともと《天命》には勝てないと思いつつ 能力を最大限に発揮する。人事を尽くすと言うよりは つねに――おのれの能力が磨かれて発達することもあれば情況が絶えず変わっていることもあり 全体としておのれの境地が高められることがあるとともに――振る舞い方や問題への対処の仕方も変わるはずであるから 《尽くし切る》ということはむしろないという前提に立っている。
その務めあるいは人生としての仕事について局面は変わり段階を踏むことになりステージも移って行くであろうから そのつどの一幕ごとに区切られた個別の仕事もあると考えられるが そして人力に限界があると思っているにもかかわらず おのれの務めを尽くし切るということはないとも思っている。
6-2. ひとつにはぎゃくに見ることになるが すでに《走って来た》という自負があるときには むしろ天命を俟つと言うよりは 神に対してその走って来たことの結果を堂々と催促すると言ったほうが 合っている。ただし けっきょくのところは つねに天命に俟っている。
すなわち基本的に天命に俟ちつつしかも 具体的な個々の天命を俟つというよりは おのれの務めの成果を求めて神に請求書を出す。しかも上の観点をここに加味すれば 務めの終わりという意味での仕上げはない。
こんな感じでしょうか。今回は大胆に述べています。
そうですね。
理神論という思想がありました。アダムスミスの経済学は その考え方に則っているとも言われます。
簡単に言って 一人ひとりがむしろ利己的に経済活動をおこなうなら その結果こそが――《見えざる手にみちびかれて》―― 社会全体の効率をよくし利益をも増すのだという自由市場経済の説明にあるものです。
言いかえると 市場経済に《一元的な管理者を存在させていない という仕組み》こそが 《見えざる手》の解釈としては 神の配剤によるのだということでしたでしょうか。
よく似ています。インタネット回線のその世界大の仕組みについてと似ています。
どうなんでしょう?
スミスは はっきりと《神》とは言っていないかも知れません。《 the Invisible Hand 》とのみ言っているかと思います。ただし理神論を信奉していたらしい。
どうですかねぇ。
★ 【認識されていない神】の介在を連想させてくれている、と言えそうですか?
☆ うっすらと言えるかも知れませんかねぇ。ただそれは どうも《認識されていない》という規定において 《非経験》のことを示唆しているゆえに そうであるだけなのかも知れません。
結論:そのように《連想させてくれる》かも知れないが 特筆大書してそう規定するものでもないと思われる。
ですかね。さらによい見解がありましたら お寄せください。
No.71
- 回答日時:
インターネット回線の一元的な管理者を存在させていない、という仕組みは、
【認識されていない神】の介在を連想させてくれている、と言えそうですか?
ご回答をありがとうございます。
そうですね。
理神論という思想がありました。アダムスミスの経済学は その考え方に則っているとも言われます。
簡単に言って 一人ひとりがむしろ利己的に経済活動をおこなうなら その結果こそが――《見えざる手にみちびかれて》―― 社会全体の効率をよくし利益をも増すのだという自由市場経済の説明にあるものです。
言いかえると 市場経済に《一元的な管理者を存在させていない という仕組み》こそが 《見えざる手》の解釈としては 神の配剤によるのだということでしたでしょうか。
よく似ています。インタネット回線のその世界大の仕組みについてと似ています。
どうなんでしょう?
スミスは はっきりと《神》とは言っていないかも知れません。《 the Invisible Hand 》とのみ言っているかと思います。ただし理神論を信奉していたらしい。
どうですかねぇ。
★ 【認識されていない神】の介在を連想させてくれている、と言えそうですか?
☆ うっすらと言えるかも知れませんかねぇ。ただそれは どうも《認識されていない》という規定において 《非経験》のことを示唆しているゆえに そうであるだけなのかも知れません。
結論:そのように《連想させてくれる》かも知れないが 特筆大書してそう規定するものでもないと思われる。
ですかね。さらによい見解がありましたら お寄せください。
No.70
- 回答日時:
サーバ側と違ってユーザーのクライアントPC の側では、
ウィルス等による侵入からの防衛の為に、
開放用ポートの固定を止めねばなりません。
従いまして、サーバへのアクセスの際には、一時的に、
ユーザー(クライアント)側のポート番号を選んで、
毎回にサーバへと其の番号を通知するのです。
だから、サーバからのブロードキャストを自由に行なえるのは、
エレベータの様な専用電話回線が利用されている場合に限られていまして、
一般的なインターネット回線が経由されている場合には、
ユーザー側の開放用ポート番号の通知を毎回に優先させねばなりませんので、
ユーザー側の各拠点から「同時に」其のポート番号を通知させられませんから、
一般的なサーバからの常時ブロードキャストは有り得ません。
此の喩えは、自らを助く者を神様が助く仕組みの理解の為に、
大いに役立つだろう、と予想されます。
ご回答をありがとうございます。
まづ前回の間違いをただします。
まちがい:☆☆(No.72お礼欄) もっと利用しようと思えば その人間を呼び出して活用します。
ただしい:もっといぢ汚く言いますが 利用しようと思えば その人間を呼び出して活用します。
さて おそらくコンピュータないしインタネットの仕組みとの喩えでは ぴったりときれいに当てはまっているのであろうと思われます。
それと 神とわれとの関係にかんしてどう捉えるかについては 微妙に違うところも見られる。こういう結論に行き着きます。
わたくしの立ち場からのみ捉えるなら こうなります。
《天はみづから助くる者を助く》ということわざに即して考えるなら どうなるかから出発する。
けっきょくこれまでの説明を受けて理解したところによれば こう考えられます。
1. サーバは 神ではなくて 人間とその社会としてのいとなみなる経験世界に属している。
2. 神は 天のほうである。その神は 《無い神》でもよい。
3. つまり 《みづから助く》という行為が 人間のつくったサーバなり何なりを含むそのネットワークの全体にかんする取り扱いに及ぶものだと見られる。
4. 無い神にしろ神にしろその天が そのような人間たちのいとなみを見守っている。
5. 無い神つまり無神論の場合には そういう《無い神とわれとの関係》としては 有神論と同じ類型において非思考すなわち信仰という心の場も持ち合わせているが その信仰類型を一たん確かめたあとは もうその《無い神》にはこだわらない。
5-1.せいぜいが いま取り上げていることわざやあるいは《人事を尽くして天命を俟つ》というようにたとえば《天》で言いかえるのが ふつうのようである。
6. 有神論としての信仰の場合には むろん同じように人事を尽くすのであるが そのあと天命を俟つというかたちでは必ずしもないかも知れない。それには ふたつの見方がある。
6-1. ひとつには 人間の能力と努力には限界があるとつねづね思っている。もともと《天命》には勝てないと思いつつ 能力を最大限に発揮する。人事を尽くすと言うよりは つねに――おのれの能力が磨かれて発達することもあれば情況が絶えず変わっていることもあり 全体としておのれの境地が高められることがあるとともに――振る舞い方や問題への対処の仕方も変わるはずであるから 《尽くし切る》ということはむしろないという前提に立っている。
その務めあるいは人生としての仕事について局面は変わり段階を踏むことになりステージも移って行くであろうから そのつどの一幕ごとに区切られた個別の仕事もあると考えられるが そして人力に限界があると思っているにもかかわらず おのれの務めを尽くし切るということはないとも思っている。
6-2. ひとつにはぎゃくに見ることになるが すでに《走って来た》という自負があるときには むしろ天命を俟つと言うよりは 神に対してその走って来たことの結果を堂々と催促すると言ったほうが 合っている。ただし けっきょくのところは つねに天命に俟っている。
すなわち基本的に天命に俟ちつつしかも 具体的な個々の天命を俟つというよりは おのれの務めの成果を求めて神に請求書を出す。しかも上の観点をここに加味すれば 務めの終わりという意味での仕上げはない。
こんな感じでしょうか。今回は大胆に述べています。
No.69
- 回答日時:
一気に情報を羅列しましたので、個別の説明が不足していた様でして、
大変に失礼を致しました。
ブロードキャストは双方向通信と違いますので、
相手からの折り返しの邪魔になりますから、
エレベータの場合にも、常時では行なわれ得ません。
従いまして、もし自らを助く者からのアクセスが届きませんでしたら、
サーバは待ち受け状態に留まらざる得ません。
分かりました。いろいろ細かい事情があるようです。
ご回答をありがとうございます。
そうですね。むしろわたしの理解を確かめるためにも 次の命題についてもう一度だけ疑問と言いますか少し事情が違うかも知れないという点を 申し述べることにします。
★ ~~~
従いまして、もし自らを助く者からのアクセスが届きませんでしたら、
サーバは待ち受け状態に留まらざる得ません。
~~~~~
☆ もしサーバが 神のことだとしますと おそらく神は 一方的に いつくしもうと思えばいつくしむであろうと思われます。まったく何の根拠もなくです。もっと利用しようと思えば その人間を呼び出して活用します。
パウロがそうでした。当時は あたらしいユダヤの信仰というくらいに思われていた信仰をイエスに従って抱く信徒たちを サウロという名前の人間が迫害していたところ 神から一方的に呼び出しがかかりました。あとは パウロと改名したこの男が 十字架上のイエスのことを人びとに知らせました。一生をかけて伝え切りました。
もしそうだとしたら 神がサーバとして待ち受け状態に いつも留まっているとは限りません。
いろいろややこしいようですが どうでしょうか?
No.67
- 回答日時:
別の方から堕天使ウィルス説が提出されていますね。
どうでしょうか?
サーバと中継のアプリケーションソフトとPCとの関係は、
「三位一体」の状態になっているのだろう、と考えて参りましたので、
再思考が要求されている様な気がしてきました。
因みに、それとは別の内容なのですが、
纏まっている内容が御座いますので、報告を致します。
サーバ(神様)は固定ポートを開放なさって待ち受け状態に留まっていらっしゃり、
アプリケーションソフトウェアによるアクセスで自らを助く者を、
(貴重な情報の提供で)助く様です。
そこで、比較でサーバの機能を示す為に、
例えば、エレベータの遠隔監視の事例を考えてみましょう。
多くの遠隔監視対象エレベータの中には、異常発報の為に
PHSの電話機の部品が搭載されていますので、
緊急の事故の際に其の電話機のスイッチが自動的に発信を行なって、
其のエレベータとコールセンターとの間での会話を可能にしています。
但し、それは其処の専用電話回線が正常に働いてくれている御蔭ですので、
定期的にコールセンターから問いかけてエレベータから返事を貰いませんと、
其の回線が正常に機能し得る状態を維持しているのか否かが分かりません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC% …
従いまして、其の時には、コールセンターのSNMPサーバ(神様)が、
自分の側からブロードキャストを行ないます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD% …
でも、それに対しまして、
インターネット用とかメール用とかのサーバの場合には状況が違い、
ユーザー側のアプリケーションソフトウェアとの連携(セッション)の有無を、
サーバ(神様)が積極的に問い合わせで確認してくれてはいませんね。
だからこそ、自らを助く者を神は助けてくれる、と言われるのかも知れません。
ご回答をありがとうございます。
▲ (ヰキぺ:ブロードキャスト) ~~~~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD% …
ブロードキャスト(broadcast) は、同時通報と言う意味で、不特定多数に同じ情報を同時に送ること。
ネットワーク上にある、すべてのネットワーク端末(ノード)に対して同時に同じデータを送信する。
IPネットワークにおいては、新しい相手と通信を開始するにあたりIPアドレスからMACアドレスを取得する時に必ず使用される。
・・・
~~~~~~~~~~~
☆ この説明を受け取ってわたしが感じるところとしては――どうもいぢが悪いからか―― 神もしくはその天使との違いは 次の点にあるように思います。
▲ 同時通報
☆ おそらく 時間(時点)を超えているであろうと思われます。言いかえるなら つねにつながっている状態にある。
けれども おまえ(ぶらじゅろんぬ)は 人間が神に近づくというよりは(そういう努力はあってもかまわないが) 神のほうから人間をおとづれると言っていたではないか? 神がもしくは天使が わが心の窓をノックするときがあるのだと。
ううーん。そうですね。まづ
▲☆(編集しました) ネットワーク上にある、すべてのネットワーク端末(ノード)に対して〔つねに〕〔生きることについての基礎としては〕同じデータを送信〔してい〕る。〔つまり つながっている〕。
☆ ということの上で さらに臨機応変にその人の思いの状態や境地やあるいは情況に応じて 適切な情報を送ってくれるのかと思います。あるいは 情報と言うよりは 力をであり そのもともと人にある力が出るきっかけを与えてくれる。というようなイメージです。
そうして次の命題に移るなら その中の《神からの問い合わせ》がないかと言えば それは 適切なときに適切な問い合わせが 来るということかも知れません。
★ ~~~~
でも、それに対しまして、
インターネット用とかメール用とかのサーバの場合には状況が違い、
ユーザー側のアプリケーションソフトウェアとの連携(セッション)の有無を、
サーバ(神様)が積極的に問い合わせで確認してくれてはいませんね。
~~~~~~
☆ 天の邪鬼ですみません。
《きっかけ》というのは あらゆるものごとです。街を歩いているときの道端の草とか 広告の中のフレーズとか 誰か知らない人のちょっとした仕草とか 仲間と雑談しているときにヒラメクとか・・・。すでに出ていたかも分かりませんが 世界のすべてが 神からの手紙であるというふうに。
けっきょく基礎としてつねにつながっているだけではなく 人間にとって 人間の能力を超えた問題にぶつかったときにはキッカケが与えられるとすれば その限りでやはりつねに神と人とはつながっていると見られるかも知れません。
技術に関して知らないから とんちんかんになっていないかと考えたとき そうかも知れないとしてもひとつ肝心なこととして 次が言えるとは思いました。
● (マタイによる福音書 22:32)~~~
・・・『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』(出エジプト記3:6)とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」
~~~~~~~~~~~~~~~
☆ イエスの言った言葉ですが これはひとつに 神が特定の個人にとっての神であることを示していると見ます。一人ひとりにとって それぞれ神とのつながりがあるのだと。
人間という存在としてのまたその生きることについての基礎の部分が 共通にあると言えるかと思いますが 実際のあり方としては 個々の《神とわたしの世界》が活動しているかも分かりません。
《神とわたしとの世界》が 或る意味で独立しているとさえ見るならば そのわたしの世界が 人びとのこの経験世界としてのネットワークを・その全体を 超えているかも知れません。超えているという言い方は言い過ぎでしょうから おそらくわたしの世界は その一個において 全世界と同じであり一体であると言えるのではないでしょうか?
ミクロコスモス(個人)とマクロコスモスとが相似形であるだけではなく 一体であるとも 瞑想家においては言っているようですし。
吟味していただければさいわいです。
No.66
- 回答日時:
拡張子の書き換えという話を踏まえますと、悪魔はVirusでしょうか。
やぐうぐるさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
そうなんですか?
たいへん申し訳ないですが 質問者はそのあたりの知識にとぼしくて判断がつきません。
これまでまなんだ限りでは
○ その拡張子の書き換えは 人間が自分でおこなうこと
☆ と理解しています。
そのことが間違いであるとおっしゃるのか。それとも その理解と事実のほかに
★ 悪魔は Virus でしょうか。
☆ という理解と事実があるとおっしゃるのか。そのへんは どうでしょう?
No.65
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。
ヒドッチでございます。> ☆ これは《知識人》が知識人としておこなうという特別の要素もあるのかも知れないと思いました。言いかえると 公共の仕事をする人びとの中で 弱者や少数意見の側を擁護する人つまり同じ公民がいるかたちではないかと。市民は デモに繰り出すのではないかと。
我が国におきまして、「《知識人》が知識人としておこなう」ということが少なくなりつつあるものと危惧している次第でおります。単に、“世間受け”や“お上に媚びへつらう(御用学者)”といった傾向でございます。
一方、デモの方でございますが、大正デモクラシーの時もそうでしたし、また60年安保闘争、70年の全共闘運動のときもそうだったのですが、学生が大きな役割をになってきたかと察せられます。しかしその後の、”総中流化社会”といった貧困からの脱却、さらには(文科省からの予算の配分を多く受けとりたいがための)大学当局による追放・排除の結果、従来中心的存在であった学生が積極的には参加しない・しにくい状況になっているものかと推察しております。もちろん、この就職難の時代には、そんなことはやっていられない、という学生の心境もあろうかとも推察できますが・・・
この結果、デモは少なくとも一昔に比べれば縮小の方向に向かっているように察せられます。かような現象は、必然的に、以下のご質問とも関係があろうかと考えております。
http://okwave.jp/qa/q6713001.html
25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか?
なお、ここまで論を進めて参りましたが、上記ご質問欄にて、愚見をお聴きいただいた方がよろしいのではないか、との思いから、以降、そちらの方にて、ご一読賜りたく存じます。誠に勝手な話ではございますが、非礼をお許しいただければ幸いでございます。
> 自己責任の使い方を思うと 何だか情けない思いになって来ました。そう言えば ここでも荒らしをする場合は けっきょく破れかぶれなんですね。自己責任という味気ない考えにみづから閉じこもって行こうとしているような。
おそらく、そのような傾向にあろうかと推察してございます。もし、主張なるものがそこに含まれているというのでしたら、建設的もしくは心地よい対話も可能なのかもしれません。ですが、そういった状況でもないように見受けられますため、”破れかぶれ”といったものが流布しているものかと推察しております。
駄文ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
分かりました。
★ ”総中流化社会”
☆ がだいたいの情況を説明しているであろうことと
そして
☆☆ 25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか?
☆ この情況つまりは早く言えば陰謀論 この見方にも注意を怠らないといった姿勢でいらっしゃいましょうか。
分かりました。了解しました。さらに展開して行けるとよいと思います。
* それにしても このところ 無意味な質問が――はっきり言うのですが―― 目立ちます。ゆきやまくんは それとして行動しているのだと思いますが さも主題やら論点やらをかたちづくると見せかけてのくだらない問いが流行し横行しています。
ノアの洪水も四十日。モーセのシナイ半島の彷徨も四十年 イエスの悪魔による試みも四十日。ときが満ちるということはあると考えます。わたしにとって――ひどっちさんも わたしが巻き込んでしまったかのようで前面に立っておられたわけですが―― この二月三月で 第一幕としての時は満ちたと捉えます。三・四年だったでしょうか。ななにすくんが この幕引きの最後の使者ではないかと考えます。
No.64
- 回答日時:
ご説明をありがとうございます。
正直に言えば わかったような分からないようなです。
拡張子の書き換えを へそ曲がりとしてしてしまった場合 どうでしょう 自分でも或る程度の段階においてなら 書き換え直しが出来るでしょうか。
相当程度書き換えてしまった場合は どうか? 神が 時として 書き換え直しをさせることもあるかと思います。自分では無理になっているかも知れません。
これは 推測になりますね。受け取る人の主観において判断してください。
No.63
- 回答日時:
53番の続きです。
サーバは権限制御で守られていますので、安全ですから、Skype向けのUDPホールパンチングと違いまして、サーバ側では、開放対象のポート番号の固定化が可能になっています。
でも、其処との通信の為には、適切なアプリケーションソフトがユーザーのPC の側へインストールされていないといけませんが、実はそのソフトの適正が証明されていませんと、其の通信が簡単に損なわれます。
そこで、適切なアプリケーションソフトなのか否かを見極めさせるべく、其の名称の後には、拡張子が隠されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%A1%E5%BC%B5% …
http://e-words.jp/w/E68BA1E5BCB5E5AD90.html
http://ratan.dyndns.info/win/kakutyoushi.html
但し、此の拡張子を表示させる方法が御座いまして、其の状態の下では、拡張子群の「誤った不毛な書き換え」もが可能になっていますので、誰かが書き換えてしまいますと、サーバーへのアクセスが無理になるのです。
従いまして、分かりやすくしてくれ得る展開に期待を寄せまして、クライアントサーバモデルの事例を引用しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9% …
ご回答をありがとうございます。
★ 但し、此の拡張子を表示させる方法が御座いまして、其の状態の下では、拡張子群の「誤った不毛な書き換え」もが可能になっていますので、誰かが書き換えてしまいますと、サーバーへのアクセスが無理になるのです。
☆ そういう仕組みになっていたんですか。
でしたら
★ 拡張子群の「誤った不毛な書き換え」
☆ これが 人間の自由意志によるへそ曲がり行為にあたると思います。
むろん 書き換えは 自分がすることになります。親や環境からの影響は ひじょうに大きいものがあるようですが 基本としては 自分です。
天使の存在を――つまりはその奥の神の存在とその力のはたらきを――のぞむのではなく そうではなく人間が天使の――したがって 純粋思想のごとき内容としての――力を得ようと求める。このとき その心の高ぶりは へそ曲がりとなると思います。神の声を――つまりは わが心にやどる聖霊の鼓動を――聞かなくなり 聞こえなくなるという状態に落ち入るかと思われます。
いわゆる人間不信に落ち入り ちいさくおのれの人間がまとまるようになって行くということでしょうか。
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