
( a ) 天使とは 純粋思想であり 純粋なる内なることばのことを言うか?
( b ) そのことばが 人間にかかわるようなものであるなら 堕落しうる。天使も堕落しうる。と。
( c ) つぎの文句のあいだに天使が位置するか? 1:4から1:5にかけてである。
◆ (ヨハネによる福音 1:1-5) ~~~
1:1 はじめに ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
1:2 このことばは はじめに神とともにあった。
1:3 すべてのものは ことばによって成った。
成ったもののうち ひとつとして ことばによらないものはなかった。
1:4 このことばに命があった。
この命は人を照らす光りであった。
1:5 光りは闇のなかに輝いている。
闇は光りをとらえなかった。
~~~~~~~~~~~
☆ すなわち 《1:4 このことばに命があった。この命は人を照らす光りであった。》というときの《命》もしくは《光り》としては すでにこの経験世界ないし人間の世界のことにも触れて言っていると思われる。《闇》(1:5)と言うなら すでに経験事象である。
言いかえると 次のように位置づけるかたちである。
( d ) 神をなぜ《ことば》にたとえたかの問題でもあるように考えられることには 次のような位置づけである。
○ (ことばの階層) ~~~
(α) 神としてのことば
(α’) 天使としてのことば
(β・γ) 経験事象としての光なることば(ひらめき?)
(δ) 人間のことば
~~~~~~~~~~
( e ) 次の図式によっても説明しうるか? 《ことば》を《ロゴス》と言いかえている。
○ (ロゴスの階層) ~~~~
スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のなぞなる非思考の庭):神
____【天使(α’):ロゴス(α)の使い】_________
インスピレーション=ロゴス(β):異言
:中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ
インスピレーション=ロゴス(γ):預言
:本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間の言葉化
:概念? 象徴(シンボル)? 世界観じたい?
ラチオ=ロゴス(δ):コギト=思考:経験合理性にもとづこうとする論理
~~~~~~~~~~~~
( f ) 問題は 天使が 永遠の霊的な存在であるなら どうして神に背き堕落しえたか? である。
被造物ではないが 自由意志を持ち選択という行為をなす存在であるということだろうか?
もし堕落したのであれば それが――そのうち特に神のごとくいかなるものの下にも立つまいと決めた者が―― 悪魔であるという規定になる。
おしえてください。
No.22
- 回答日時:
こんばんは、ヒドッチでございます。
ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。> それにしても《天使が 人間になった》というところは まだよく分からないではいます。
擬人化の問題でしょうか。表現がふさわしくなかったようでございます。誠に申し訳ございません。以下の文章にもございますように、ルシファーといいましても、バビロニア王かアッシリア王の可能性もあった(敵王が悪魔として表現された) ということでございます。
「ルシファーの名の悪魔たるゆえんは、旧約聖書「イザヤ書」14章12節にあらわれる「輝く者が天より墜ちた」という比喩表現に端を発する。これはもともと、ひとりのバビロニア王かアッシリア王(サルゴン2世かネブカドネツァルであろうと言われる)について述べたものであった。キリスト教の教父たちの時代には、これは悪魔をバビロニアの王になぞらえたものであり、神に創造された者が堕ちて悪魔となることを示すものと解釈された。」
(Wikipedia ルシファー からです)
何らかのお役に立てれば、幸いでございます。
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
あぁ 納得が行っておられますか。
★ 以下の文章にもございますように、ルシファーといいましても、バビロニア王かアッシリア王の可能性もあった(敵王が悪魔として表現された) ということでございます。
☆ ですから こうなりませんか? すなわちひとつには 神の声・ことばとして 天使がそれに当てられる。もうひとつに 堕天使としての悪魔が その敵王ならそれとして特定の人間に当てられる。
これらは それぞれそういう表現が為されたということですから 納得が行きます。
では そのときの《堕天使》とは どういう存在であるか? これが まだ腑に落ちないように思うのですが どうでしょう?
つまりは おそらく霊的存在である天使が 経験存在である人間になったと言っていること このことの中身をどう受け取ればよいでしょう?
こういうことでしょうか? すなわち
▼ キリスト教の教父たちの時代には、これは悪魔をバビロニアの王になぞらえたものであり、神に創造された者が堕ちて悪魔となることを示すものと解釈された。
☆ という文章を解釈するならば:
1. 敵であるバビロニアの王を ともかく《悪魔》になぞらえた。
2. その悪魔は 特にこれといった定義はない。悪の究極のあり方を想像し そのかたちを擬人化して そう名づけたものだ。
3. そしてこの悪魔は 仮りの話として 霊的存在である天使のひとりが神に逆らい堕落して地上に落ちて来たというまでに発展させた。つまりそういう飾りをつけ加えた。に過ぎないものだ。
☆ でしょうか?
だとしますと 悪魔と言っても ただ人間の考えおこなう悪を極度に強めて言ったことばだということになります。
つまりは 神の言葉を伝えるという天使とは ほんとうにはつながりがないことになるように思えるのですが どうでしょう?
▼ 神に創造された者が堕ちて悪魔となることを示すものと解釈された。
☆ もし仮りの話が添えられたに過ぎないとすれば この場合の《堕ちて》というのは けっきょく初めから人間であるものが 堕ちて悪魔と呼ばれるようなあり方をするようになった。こう言っているに過ぎないと思われますが という意味です。《怪物》というような言い方と同じであることになりませんか?
No.20
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。
ヒドッチでございます。> 参考資料を見つけました。
お探しいただきまして、どうもありがとうございました。
> ギリシア語の原語の「人間と天使の異言」を最新の岩波訳は「人間の、そしてみ使いたちの言葉」と訳してあり、これは同じ「言葉」が両方の意味を持つと解釈しています。
遡りますと、同じ「言葉」であっても、意味合いとしては同義であるという見解には、説得力があろうかと存じます。
> ☆ (あ)から(う)の解説は あざやかであるように思われます。
仰られますように、首尾一貫した論理かと考えられます。
> これによれば 天使は はっきりと神の使いでありその声そのものであるとさえ言ってよいように思われます。
「神が天使を通して人に語る」場合 を鑑みますと、 “天使は神の使い(伝令者)”と断じても問題はないかと考えられます。
> ただし 神そのものであるとか 神の声と言う場合にも声そのものであるとかと言うのは やはりはばかられるだけではなく経験事象となってしまっておかしいので 天使という概念を用いたのでしょうか?
おそらく、パウロは天使の存在は認めていたように推察されます(参考1)。確かに、天使に対する(幾分)軽視した発言内容が散見されますが、おそらくこれは、その当時既に見られつつあった“天使信仰(参考2)”の危険性を回避すべきために、さらには、信ずべきは「天使ではなく、主イエス」であることをことさら強調したかったものと考えております。
そして、この参考1の経緯から、もしかしますと“堕天使説”が流布した可能性もあろうかと察せられます。
参考1: 使徒言行 12章7から9節
すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。
参考2: 「ウリエルは、745年ローマ教会会議においてザカリアス教皇に堕天使の烙印を押される。これは民間で加熱しすぎた天使信仰を抑えるために、聖書正典に名前が言及されているミカエル、ガブリエル、ラファエル以外の天使を堕天使としたものである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AA% …
> 天使たちをめぐって いろんな物語があるというのは また別の話であるように思われるのですが。・・・
擬人化したケースも考えられますため、少なくとも、今回のご質問主旨からしますと、別のお話とした方がよろしいかと存じます。
最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
そのホームページは 聖霊によるバプテスマについて ご自分の体験とともに 問い求めているという方のもののようです。
★ 「神が天使を通して人に語る」場合 を鑑みますと、 “天使は神の使い(伝令者)”と断じても問題はないかと考えられます。
☆ この基本を確認しえたかとわたしも思います。天使= angel (使い・メッセンジャー)は 福音= ev-angel (よき-知らせ)の知らせの語と同じですし。
★ ~~~~~~~~
> ギリシア語の原語の「人間と天使の異言」を最新の岩波訳は「人間の、そしてみ使いたちの言葉」と訳してあり、これは同じ「言葉」が両方の意味を持つと解釈しています。
遡りますと、同じ「言葉」であっても、意味合いとしては同義であるという見解には、説得力があろうかと存じます。
~~~~~~~~~~
☆ このコリント前書13:1では glossa (= tongue ) という同じ言葉のようです。
▼ (1Cr 13:1 KJV ) Though I speak with the tongues of men and of angels, and have not charity, I am become [as] sounding brass, or a tinkling cymbal.
★ おそらく、パウロは天使の存在は認めていたように推察されます(参考1)。確かに、天使に対する(幾分)軽視した発言内容が散見されますが、おそらくこれは、その当時既に見られつつあった“天使信仰(参考2)”の危険性を回避すべきために、さらには、信ずべきは「天使ではなく、主イエス」であることをことさら強調したかったものと考えております。
☆ ううーん。けっきょく確かに やや通俗的にはインスピレーションということとして解されるとしたら パウロの表現もそれほど奇異ではないようですが。
★▼ ・・・これは民間で加熱しすぎた天使信仰を抑えるために、聖書正典に名前が言及されているミカエル、ガブリエル、ラファエル以外の天使を堕天使としたものである。」
☆ そういう問題もありましたか。ご指摘 ありがとうございます。
それにしても《天使が 人間になった》というところは まだよく分からないではいます。
たいへんありがとうございました。確認させていただきました。
ほかの方のために もう少し開いています。
No.18
- 回答日時:
人間達が天地自然との心理的な距離を設けて、
極端に主観的ではない見方で、
周囲の環境への認識が行なわれ始めた途端に、
秩序への解釈が「修(守)・破・離」の通りの展開を辿らされたのではないだろうか、
と私は考えまして、前々回の枠への入力を致しております。
因みに、西洋近代科学の要素還元論的な認識の対象は、
再起代名詞の様な第三人称を志向していて、
他者達から認識される二人称的な自己の状態を、
純粋に二人称の儘で掌握し得ずに留まっている、
という説明を多くの場面で学んで参りましたので、
「二人称」なる表現を私は使っておりますから、
畏れ入りますが、安易な読解を控えて頂けませんでしょうか?
この回答への補足
★ 人間達が天地自然との心理的な距離を設けて、
☆ 天地自然は 環境としての自然を言うでしょうか? それでも天人合一といったふうにいわゆる宇宙の法則を言うのでしょうか?
いづれにしましても それとの《心理的な距離を設ける》とは どういうことか? どちらにしても そぐわないように感じます。
★ 極端に主観的ではない見方で、 / 周囲の環境への認識が行なわれ始めた〔途端に、
☆ ある程度主観的な見方で=ということは ほかの人びとの見方考え方から大きくは隔たらないかたちで でしょうか。《周囲の環境》 これは 自然環境および社会現象としての環境をも含むでしょうか? それへの認識は 一般にふつうにつねにおこなわれると言っていいでしょうね。
★ 秩序への解釈が「修(守)・破・離」の通りの展開を辿らされたのではないだろうか、 / と私は考えまして、前々回の枠への入力を致しております。
☆ 自然の秩序は 天人合一の道ないし宇宙の法則を言いましょうか。そうすると 社会の秩序も 同じように いわゆる倫理規範とそれにもとづく《秩序》でよいでしょうか。
その秩序への解釈が《「修(守)・破・離」の通りの展開を辿らされたのではないだろうか》。《「修(守)・破・離」》は 基本的に 《離》と言っていても 元の修(守)の基本が――応用されてはいても――活きているということですよね? そ《の通りの展開を辿らされた》ということは 秩序の解釈も 基本や法則に合っているということでしょうか?
★ ~~~~~~
因みに、西洋近代科学の要素還元論的な認識の対象は、
再帰代名詞の様な第三人称を志向していて、
他者達から認識される二人称的な自己の状態を、
純粋に二人称の儘で掌握し得ずに留まっている、
という説明を多くの場面で学んで参りましたので、
~~~~~~~~
☆ 要素還元論にあっても その要素間の関係や全体の秩序(ないし反秩序)のあり方をも見るはずだということは措いておきますが。
★ 再帰代名詞の様な第三人称を志向していて、
☆ 話し手が 自分を一たん突き放して抽象的な存在と見なし提示する。けれどもそれは 自分のことを言っているのだから 自分がこれこれの行為をすると 結局においては 言っている。
その再帰代名詞のような自分を《志向する》とは どういうことか?
けれども ここでは《再帰代名詞のような〈第三人称〉を志向する》と言う。《抽象的な存在として突き放してみた〈自分(自称≒第一人称)〉》のことだと思われますが だとしたら《志向する》というのは 何を言うのか。自分を突き放して見ていたいということだろうか。
★ 他者達から認識される二人称的な自己の状態を、
☆ 《二人称的な自己》とは けっきょく《対称≒第二人称》で呼ばれている自分のことではないかと思われるのですが。もしそうであれば 《人びとから認識されるその像としてのような自分の状態を》
★ 純粋に二人称の儘で掌握し得ずに留まっている、
☆ 《あなた》とか《きみ》とか《おまえ》というふうにそのとき実際に呼ばれている《対称≒第二人称》のままで その自分の状態を掌握し得ないとは どういうことか。
掌握し得ずに留まっているというのであれば そのとききわめて具体的に他人(ひと)から《あなた》と呼ばれているかたちにおける自分を つまり言いかえるとその対話の場面において互いに名前やその代名詞によって呼び呼ばれる関係にあるということを 捉えられずにいる。こういうことなのでしょうか?
たぶん違うのでしょう。でも一応この線で考えるなら そういう意味合いでの
★ 「二人称」なる表現を私は使っておりますから、
☆ ということは どういうことか?
以上のわたしの読みは 正解でなくても それが《安易な読解》ではないことを証ししていると考えます。なぜなら その読みをする読み手すなわちわたしは 対話において相手との距離をしっかりとその現実の隔たりそのままに捉えているし 証明出来ていると考えるからです。
正解を当てられていなくても あなたつまり対話の相手との――表現上の――へだたりを きちんと捉え得ていると言い張るものです。むろんその結論に到っているのではありません。表現された限りでの内容を明らかにして 対話を進めようとしています。
そんなふうに言われたら ぢゃあ わたしには分かりませんと言わなければなりませんし 前回もそう言えばよかったのでした。
★ という説明を多くの場面で学んで参りましたので、
☆ とおっしゃいますが わたしには理解力とまなびの蓄積が欠けているようです。
お手上げですと 率直に申し上げます。
今回は 天使論とのつながりが分かりませんし それとは別に その中身じたいも どういうことなのか 推測でさえあまり届かない状態です。どうすればよいでしょう。
★ 畏れ入りますが、安易な読解を控えて頂けませんでしょうか?
☆ 安易な読みをしたつもりはなかったですが そのような結果になったのでしたら 残念です。そして どこが安易なのかさえ分かりかねている状態ですから どうすればよいでしょう。
さらに考えます。
No.17
- 回答日時:
前回の枠への投稿の際に、
不恰好な改行が連続的に繰り返させてしまいましたが、
御容赦を御願い致します。
No.16
- 回答日時:
たとえ宇宙の摂理を客観的に諭して貰えたとしましても、
もし客観的な認識の為に、心理的な距離を置くのでしたら、
現実に人々が世界と関わっていく際の当事者意識の問題を直接的には解消し切れませんね。
現代の精神医学による研究でも明かされました通りに、
多くの人々は不安になりますと、気持ちを落ち着かせるべく、
自己接触行動を取りやすくなる様ですので、
其の一般的な振る舞いを参照しますと、
他者達から影響される二人称的な自己への認識に関する問題は、
未だに解消されていないのではないか、と思われます。
秩序の基本からの乖離(修→破→離)を通して、
自然科学が宇宙の真理の一部を管理の対象の枠へ取り出しました御蔭で、
確かに生活の中で様々な利便性の恩恵を受けられ得る様になりましたが、
たとえVirtualReality的な世界が更なる発展を辿りましても、
逆に寧ろ自分自身が直接的に関わってきた身近な世界との齟齬が露呈し、
別の精神的な問題の存在への自覚を促さざるを得なかったのではないでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/Second_Life
この回答への補足
ご回答をありがとうございます。
ですが ますます内容は神秘性を増して来ていますね。
まづ前回の次のあたりは 自信はありますが ずいぶん粗い議論ですので 放っておくのも困ったなと思っています。とだけでも添えておかないと。
★★ (No.14お礼欄) ~~~~
6. ことば自体は 中立であって 上の( a )の場合も( b )の場合にもそれぞれのように人間がその言葉を扱った。というだけのことのようにも捉えられませんか? またこれら( a )( b )ともが昔から同じ時代において現象していたのではないか?
7. ぎゃくに言えば それだからこそ いわば純粋思想としての天使というものが発明され しかもその天使は堕落した者もいると物語られるようになった。
8. 言葉は しるし(記号)ですから 人間の見方やその心つもりが 純粋にも濁ったかたちにも その人間次第で成り得るという考えにもなります。
~~~~~~~~~~~~~~
はてさて 今回はどういう主題に触れて言っているのか。つまりその中身はかろうじて理解出来たとしても それがいったい何の関連であるのかが分かりかねています。参考サイトのセカンドライフになれば いよいよちんぷんかんぷんです。
★ たとえ宇宙の摂理を客観的に諭して貰えたとしましても
☆ いえいえ 議論が《宇宙の摂理》のほうへ行ったので 触れたまでです。しかもその語を用いてほかの議論をしているのであって 宇宙の摂理について諭したおぼえはありません。
★ もし客観的な認識の為に、心理的な距離を置くのでしたら、
☆ 《客観》ということをわたしは極力嫌っておりよほどのことでなければ言いませんよ。《心理的な距離を置く》というのは 果てさていったい誰が何についてでしょう? それが《客観的な認識のために》だということですが いったいどういう意味になりましょうか?
★ 現実に人々が世界と関わっていく際の当事者意識の問題を直接的には解消し切れませんね。
☆ 《世界と関わっていく際の当事者意識の問題》は どんな情況のもとでどんな条件や制約を負っているのであれ誰であっても ふつうに持つ問題だと思うのですが はてさてどういう意味合いが この文章にはありましょうか? つまり《宇宙の摂理》うんぬんも《心理的な距離》うんぬんも関係なく人は 当事者意識は持つものであると考えます。持たないで降りる場合には そのように言って了解を得て そうします。
★ 二人称的な自己
☆ これはわたしが前回《あなた》という言葉を用いたから そういう解釈と対応が現われたのでしょうか? わたしの文章とその表現は 原則として――よほど皮肉を言ったりするときでなければという意味です―― 額面どおりの内容を表わすはずです。わづかに自分のことについて 100のものを80くらいに言う場合もありますが それもそのような謙遜を示さなければ相手がよほどしきたりにこだわるようなので已む無くそうするのであって いつもは 自分の評価で自分についてもよいものはよい わるいところはわるいと 額面どおりに表わします。《あなた》は 二人称的な自己ではなく 対話の相手のあなたです。
★ Virtual Reality 的な世界
☆ これは わたしはパソコンを使うようになったのが遅かったので かなり面と向かっての現実とは違った世界がつくられてしまっているのかなと思っていたのですが けっきょくそうではなかったようです。面と向かっていないだけで・また反応を受けるのが時間的なへだたりがあるというだけで あとは同じようです。
相手の電磁波でさえ もしただよっていたり放射されていたなら 分かるほどです。特にわたしにとっては 相手が女性であれば分かりやすい。面談とほとんど変わりないくらいです。その心理のうごきが分かります。分からないようにしているという動きも分かるときがあります。
初対面においてさえ――それが その人の性格をぴたり当てるという意味ではなく――分かります。その分かった中身が その後も同じであるかどうかは 別問題です。つまり ころっと変わる場合があります。少ないですが 最近一件ありました。絵に画いたようにあざやかな軌跡を描きました。
ですから
★ 別の精神的な問題の存在への自覚を促さざるを得なかったのではないでしょうか?
☆ という事態が生じること そのことも承知していますが 基本的には別の問題であるとは捉えません。
よほど衝撃が大きくて症状を呈するようなかたちで 一たん休みを取る場合もあり得ましょうが 基本的には けっきょく《アース役はつらいよなる電波現象》の問題であると捉えています。相手から――つまり一般に上司や身分の上の者から――ガミガミ電波を受けこれをアース役となってのように受け取り処理する。
その処理の仕方がうまく行かないと 確かに症状に近い状態に落ち入るかとも思われます。わたしのような厚顔無恥の場合には かえるの面に小便ですが このアース役はつらいよ現象は 日本社会のあたかも基軸を成しているかにさえ思われます。いわば感染列島の様相を呈しています。
ですから ワ゛ーチュアルな世界と上手くつき合えない場合も出て来るかも知れません。
ただし 基本的には 問題はないと捉えます。あったとしても 問題が別だとは捉えません。つまり 精神疾患があるというのではなく アース役はつらいよ現象の高次化であるのみとして捉えます。精神身体のやまいではなく 社会源病だと見るという意味です。高次化で あたかも――あたかも です――身体精神的な症状が出て来るに過ぎないのだと。
わたしがわたしであるところの我れに還るなら ただちにすっきりするはずです。一発です。
あれっ? ですが この主題が どうしてこの天使論に出て来るのでしょう?
No.13
- 回答日時:
まるで反抗期の子供達が親を超えようと
不毛な悪足搔きを試みる様に、
神から賜った秩序を演繹的に応用して、
自然科学の秩序を纏め始めた途端に、尊崇の気持ちが薄らぎやすくなった、という事情への警告だ、という見方の可能性の存在を予想しまして、前回の回答を提出させて頂いています。
そうですね。
ううーんとうなってから反応するのですが ここでも大きな主題が文章の奥に広がっているように思いますねぇ。
目先のところでひっかかるのは つぎです。
★ 神から賜った秩序を演繹的に応用して
☆ すなわち
1. そもそも《神》を人間の理性にしろ感性にしろその能力の範囲において捉えうると見るのは たぶん妥当ではない。
2. したがって《神から賜った秩序》というとき その《賜ったもの》をどれだけ知ったかがまづ あやしい。知り得た範囲のことが 神そのものだとは思われない。
3. しかもその知り得た範囲での科学的知見が 《秩序》であると見てよいのか? 認識していることがらには その基礎に《秩序》があると言えるとした場合 つまり人間の能力で捉えることのできる範囲で秩序だと言えるとしても 神はその範囲をも超えていると見るのが妥当である。
4. 以上の限りで
★ 神から賜った秩序を≫演繹的に応用して≪、 / 自然科学の秩序を纏め始めた途端に、尊崇の気持ちが薄らぎやすくなった、という事情
☆ と総括することについては それとして納得が行く。
5. そこでゲーテの『ファウスト』は このような
★ 事情への警告だ、という見方の可能性の存在を予想しまして
☆ については どうもぼんくらでいけません。その物語の内容をしっかりとは思い出せません。例示をお願いするのは あまりにもぼんくら過ぎますか。
6. 言いかえると ファウストなどを通じてのゲーテの神論はいかにあるか? でしょうか。
ひょっとして ゲーテは 人間の感性は 理性がそうである以上に 神の賜物であると言おうとしたでしょうか? でもこれは 口から出まかせです。すみません。
7. ★ まるで反抗期の子供達が親を超えようと
☆ というのであれば つまり近代人はその理性によって神を超えようとしたというのであれば それは神の定義からして 矛盾だということになるでしょうね。
ぎゃくに言えばそのことは 神は想像の産物ではありえないと証明するものと思います。
不一にて。
No.12
- 回答日時:
言葉は宇宙の秩序を諭してくれていましたが、
時代が進むにつれて、言葉は純粋な認識の手段から逸脱し、
人間が自然科学等の言葉で新たな秩序の構築の可能性を模索し始めたせいで、自然破壊(?)にも繋がりやすくなった、という解釈もが可能でしょう。
此の場合には、天使は秩序の事になりましょうか。
因みに、近代の人間達が利己的な秩序の確立に没頭し過ぎると宜しくないので、
其の問題定義の為に、ゲーテが「ファウスト」を綴ったのではないでしょうか?
つまり、前々回の投稿の際にメフィストセレスの名前を私が引用した展開の理由は、此の意図を込めたかったからです。
ご回答をありがとうございます。
あなたの世界観 あなたの見ている世界の秩序 そうして伝えようとしているその見方・考え方 これは 大きな主題であるようにうっすらと感じられます。何となくそういう見方が成り立つのかも知れないと見通されるかに思われます。
ですが いまは その見通しとして大きすぎ・広すぎるのと もうひとついまここでの天使論とはどうも筋が違うと思われることと この二つの意味で 反応がしづらい。こういう思いです。
★ ~~~
因みに、近代の人間達が利己的な秩序の確立に没頭し過ぎると宜しくないので、
其の問題定義の為に、ゲーテが「ファウスト」を綴ったのではないでしょうか?
~~~~
☆ こんなことは 常識だともおっしゃっていましたが わたしにはにわかには諾とも否とも反応しがたいところです。《ちなみに》の意味すらもまだわたしには明瞭ではありませんし 『ファウスト』についてしっかりとした評言を与えることも力不足です。
ゲーテは《ふたつの魂》と言っていましたね。そしてそれらの互いの葛藤のことを。単純には 理性と感性でしょうか。
《近代の人間たちが》うんぬんと言う時には 理性による世界の解明とその成果による秩序の確立といったひとつの側面があって それとは感性もしくは友情や愛情の側面とが ほんとうは 葛藤を持つものであると言おうとしたでしょうか? パスカルの言い方での 幾何学の精神と繊細の精神とであるといったかたちで。
そう言えば メフィストーフェレスも悪魔であり そうだとしたら 堕天使として天使論の主題ですね。でも微妙ですね。ファウストがメフィストと契約をむすぶ。そして物語が展開する。つまり でも微妙だというのは メフィストなる悪魔ないし堕天使の存在は すでに前提とされている。ということにあります。
つまり 悪魔も天使であるというその天使とは何なんだ? がいまの主題なわけですから。
★ 此の場合には、天使は秩序の事になりましょうか。
☆ 《此の場合》というのは:
★ ~~~
言葉は宇宙の秩序を諭してくれていましたが、
時代が進むにつれて、言葉は純粋な認識の手段から逸脱し、
人間が自然科学等の言葉で新たな秩序の構築の可能性を模索し始めたせいで、自然破壊(?)にも繋がり やすくなった、という解釈もが可能でしょう。
~~~~~~
☆ 果てさて ここには主題がいくつか しかも大きなものが 横たわっていると感じます。わたしには この文章を一筋縄として解くことはとても無理です。
たとえば分かっていることは
1. いわゆるルネサンス期に自然科学の営為が始められたのは 基本的に言ってクリスチアニズムの系譜の中にあって 神の創造した宇宙ないし世界のものごとについてその秩序を 理性によっても 明らかにして知りたいというところからではなかったでしょうか。
その結果 《新たな秩序》が見出されるようになるし その《秩序の構築の可能性を模索し始めた》。
2. 自然科学によって世界の新しい認識を得ることと そのひとつの力――知は力なり――としての経験合理性による世界の征服とは 一応分けて捉えるべきでしょうね。後者が
★ 自然破壊(?)にも繋がりやすくなった という解釈もが可能でしょう。
☆ とは考えられるでしょうね。
3. さて《天使が秩序のことになりましょうか》というときの《此の場合》とは 《言葉》にかかわっているようです。
★ ~~~
( a ) 言葉は宇宙の秩序を諭してくれていましたが、
( b ) 時代が進むにつれて、言葉は純粋な認識の手段から逸脱し、
~~~~~
4. こうなりますと 《ことばとは何か?》という大きな主題になりませんか?
5. 《秩序》が天使であって その天使については 神――《宇宙の摂理》?――に逆らって堕落したとも言われるわけですから 自然の秩序とその破壊という副主題として合っているようにも見られます。ただし そのことと《ことば》とのつながりを どう見るのか?
6. ことば自体は 中立であって 上の( a )の場合も( b )の場合にもそれぞれのように人間がその言葉を扱った。というだけのことのようにも捉えられませんか? またこれら( a )( b )ともが昔から同じ時代において現象していたのではないか?
7. ぎゃくに言えば それだからこそ いわば純粋思想としての天使というものが発明され しかもその天使は堕落した者もいると物語られるようになった。
8. 言葉は しるし(記号)ですから 人間の見方やその心つもりが 純粋にも濁ったかたちにも その人間次第で成り得るという考えにもなります。
いやぁ ことば論は 果てしないです。ニ千字
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