
( a ) 天使とは 純粋思想であり 純粋なる内なることばのことを言うか?
( b ) そのことばが 人間にかかわるようなものであるなら 堕落しうる。天使も堕落しうる。と。
( c ) つぎの文句のあいだに天使が位置するか? 1:4から1:5にかけてである。
◆ (ヨハネによる福音 1:1-5) ~~~
1:1 はじめに ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
1:2 このことばは はじめに神とともにあった。
1:3 すべてのものは ことばによって成った。
成ったもののうち ひとつとして ことばによらないものはなかった。
1:4 このことばに命があった。
この命は人を照らす光りであった。
1:5 光りは闇のなかに輝いている。
闇は光りをとらえなかった。
~~~~~~~~~~~
☆ すなわち 《1:4 このことばに命があった。この命は人を照らす光りであった。》というときの《命》もしくは《光り》としては すでにこの経験世界ないし人間の世界のことにも触れて言っていると思われる。《闇》(1:5)と言うなら すでに経験事象である。
言いかえると 次のように位置づけるかたちである。
( d ) 神をなぜ《ことば》にたとえたかの問題でもあるように考えられることには 次のような位置づけである。
○ (ことばの階層) ~~~
(α) 神としてのことば
(α’) 天使としてのことば
(β・γ) 経験事象としての光なることば(ひらめき?)
(δ) 人間のことば
~~~~~~~~~~
( e ) 次の図式によっても説明しうるか? 《ことば》を《ロゴス》と言いかえている。
○ (ロゴスの階層) ~~~~
スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のなぞなる非思考の庭):神
____【天使(α’):ロゴス(α)の使い】_________
インスピレーション=ロゴス(β):異言
:中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ
インスピレーション=ロゴス(γ):預言
:本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間の言葉化
:概念? 象徴(シンボル)? 世界観じたい?
ラチオ=ロゴス(δ):コギト=思考:経験合理性にもとづこうとする論理
~~~~~~~~~~~~
( f ) 問題は 天使が 永遠の霊的な存在であるなら どうして神に背き堕落しえたか? である。
被造物ではないが 自由意志を持ち選択という行為をなす存在であるということだろうか?
もし堕落したのであれば それが――そのうち特に神のごとくいかなるものの下にも立つまいと決めた者が―― 悪魔であるという規定になる。
おしえてください。
No.52
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。
ヒドッチでございます。> でも自己責任という言葉の定義をしっかりとしたほうがよくありませんか?
はい。以下に愚見を述べさせていただきます。
1)「自己責任」の現在の一般的用法
「考え方が違うのだから「自己責任」だと、いつから日本人は「成熟」した(?)西欧人になったのかは存じませんが、お上に対しては何も言えず、「普通」の人には汚い言葉を吐き、自分より弱いと判断したらさらに追い詰めていく。このときに用いられる言葉」
2)「自己責任」、近代法の原則
「自己責任とは、本来、近代法の基本原則で、人は自分の負うべき責任のみを負い、他人の責任まで負うことはない、と言うことです。従って他に責任を負う者が居るのに、事実上全責任を負うことを強いられている者の「責任」を意味するものではありません。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AC%E4%BB%BB 「自己責任」からでございます
仰られますように、まずは“責任”がどれだけの人たちまでに及ぶかを検討する。そして、もし及ぶとするならば、その範囲内で幾分かの責任に対して甘んじてもらう。しかし、往々にして個人としては責任を負いかねる問題がときには生じる。このときは、国・地方(もしくは国民)をあげて支援する。
3)そこで、この震災の件について、当てはめてみますと、
・「個人の住宅に関しては全て自己責任とするのは仕方ないでしょう」との意見に対して
愚生はこれを否定致します。たとえば、道幅が2m未満の道路に面した土地に住居を建てるのは、まず間違いなく役所からの建設許可が下りないはずです。ですが、この被災地におきましては、役所は建設許可を出しています。つまり、許可が下りた一般市民はその役所(安全性)を信頼してしまうと思うのです。つまり、少なくとも住民以外にも責任を負うべき存在がいることは確かだと考えられます。従いまして、自己責任は当てはまらないと解します。
・「原発を誘致した自治体は、国から多額の地方交付税を貰いハコ物をどんどん建て、財政再生団体に転落した北海道・夕張市が羨むくらいの優雅な暮らしをしてきたのだろう。」との意見に対して
単なる、ヒガミ根性、それ以外ものを見出すことは愚生にはできないというのが率直な感想でございます。同じ同胞なのですから、手を差し伸べても何ら問題はないものかと考えております。
> ☆☆ ~~~
そこで神の聖霊のもとに生きている人間は どうこれを見るか。
まづは課題として示しておきたいと思います。
~~~~~~~
今回の震災につきまして述べさせていただきます。原子力発電を止めて、必然的に高くなる電気代に甘んじ、さらには質素な生活を送っていた40年以上前の電気事情に戻りうるのか。それとも、ある程度の危険性を認めながらも、原発とうまく付き合っていくのか、こういった問題に突きつけられていると思われます。
参考:「電気料金 国際比較」
http://www.enecho.meti.go.jp/denkihp/shiryo/ryok …
ですが、被災者・被災地につきましては、国債を発行(もしくは期限付きの復興税)をすることにより、援助をしていくべきかと考えております。
あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。 1コリント 08:14
最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
★ 仰られますように、まずは“責任”がどれだけの人たちまでに及ぶかを検討する。そして、もし及ぶとするならば、その範囲内で幾分かの責任に対して甘んじてもらう。しかし、往々にして個人としては責任を負いかねる問題がときには生じる。このときは、国・地方(もしくは国民)をあげて支援する。
☆ わたしの見方は 単純です。
(1) すべての思惟および行動としての自己表現は それに答責性がともなう。
(2) その意味で 自己責任が 原則である。
(3) 自己責任の範囲にあることは すべてそのまま自己が負う。
(4) 自然現象などの不可抗力が人びとの共同自治にとって支障をきたす被害をもたらした場合 これは公共のこととしてあつかう。
ただしその公共の共同自治が果たす役割は 一般に個人や世帯がおこなう自己表現にとって間接的なかたちにおいてである。住民が主体である。
(5) 原子力発電所にかんしても 住民が家屋に被害をこうむったことと同じように扱われる。
家屋が社会において位置づけられる重要性の上にさらに公共性があるとすれば そのことも考慮される。
さらにその放射能にまつわる第二次災害についても 同じである。
(6) つまり 自己責任の原則を基礎として その上にさらには不可抗力の問題あるいは公共性の事実にかんがみる場合 連帯責任ないし原状復帰への連帯行動をも 同じく原則とする。
(7) 法律が明示していなければ この原則にもとづきあたらしくつくることとする。
★▼ 1)「自己責任」の現在の一般的用法・・・
☆ この場合の《一般的》という言葉には 困りました。わたしはあくまで誤用であると一般的に思われているものと思っていました。
No.51
- 回答日時:
個人的な私見だけを入力しますと申し訳が無い、
と思われましたので、学習の為に、スピンオフをさせて頂きました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6728196.html
助動詞の「き」の採用には、
リズムの調整の効果もが期待されている様ですね。
元々には「堕落論」の解釈の要点にならないか、
と私が勝手に拘ってみたのですが、見直しが必要になりそうですね。
ご回答をありがとうございます。
なるほど。探究として道筋がつながっていることも分かりました。
☆☆(No.51お礼欄) ~~~~
▼(大野晋) ~~~~~~~~
【き】
意味は キの承ける事柄が 確実に記憶にあるということである。記憶に確実なことは 自己の体験であるから キは《・・・だった》と自己の体験の記憶を表明する場合が多い。
・人言を繁みこちたみ逢はざりキ 心あるごとな思ひそわが背子
(万葉集538)
しかし 自己の体験し得ない または目撃していない事柄についても用いる。例えば みづから目撃していない伝聞でも 自己の記憶にしっかりと刻み込まれているような場合には キを用いて《・・・だったそうだ》の意を表現した。
・天皇(すめろき)の遠き御世にも
押し照る難波の国に
天の下知らしめしキと
今の世に絶えず言ひつつ (万・4360)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~
☆ ですから
はじめにことばありキ。
と言っても それはそれで言えるのではないですか?
つまり非経験のことを指し示すという視点はいま別として――ということは 文学の手法として考えればという意味になりますが―― 《世界の初めには 〈ことば〉があったんだ》もしくは《・・・あったそうだよ》という意味表示に成り得ると思います。
つまりは そのように何でもない・ふつうの経験事象に関する表現だと思わせておいて いやいや言おうとしていることは それだけには終わらないのだよという含みをも持つ。この一文だけでは この含みのことは分かりませんが 次にはすでに《神》という言葉が現われますから そこにおいて複雑な表現形式をもくろんでいるのだなと分かるようになっています。
★ 助動詞の「き」の採用には、 / リズムの調整の効果もが期待されている様ですね。
☆ これは それほどこだわらないでおきます。
No.50
- 回答日時:
私の力量が乏し過ぎるせいなのかも知れませんが、
『「ことば」が無くなった』、という譬えへの理解は難しいですね。
神との一体性が失なわれた、という意味を
其の文言は諭してくれているのでしょうか?
ご回答をありがとうございます。
やっと意味が分かりました。
でも 結論は なおやはり《経験世界とそして非経験の領域とを峻別してください》です。
はじめにことばがありき。
と言った場合――それによって聖書の言おうとしていることはという意味ですが―― 《ことば》が 経験世界における人間の使っている言葉のことではなく そうではなくあくまで非経験のなぞの何ものかのことを仮りに人間の言葉であらわすなら そうなるというに過ぎない。こうでした。
しかも じつは 《ことば》がそうであるなら 《はじめに》も《あり》も同じような前提がつけられています。
非経験のナゾの領域を指し示すようにして言い表わしているのなら 時空間を超えているとすでにそのまま 言っています。つまり《はじめに》というのは 用を成さない。無限ないし永遠という時空間のナゾの何ものかについて指し示そうとしており しかももし四次元の時空間を超えているとするならば その経験世界について言うところの《はじめや終わり あるいは 有る無い》などを超えており しかも超えつつそれらを包んでいると言えることにもなります。
経験世界における《はじめ》をそのナゾ(つまり神)は超えているゆえに その《はじめに》の時点にも存在し得るということになります。(あるいは 無神論の場合には 初めにも終わりにもどこにも《存在しない》という命題で表わすこともできます)。
つまり《ありき》と言っていますが けっきょくどこでも遍在し いつでも遍在するのであり 《初めにあった》ことのみを言っているわけではありません。
★ 神との一体性が失なわれた、という意味を / 其の文言は諭してくれているのでしょうか?
☆ 神は 普遍であり遍在しています。むろん非経験のナゾとしてであり 人間の内面にとっては非思考の庭としてです。そのようなかたちにおける《一体性》 これもまた普遍であり遍在です。ですが それを人間は自由意志によって棄てることもあります。自由にこの神から離れることも出来ます。(無神論の場合には 神という名を言わない(つまり神はないと言っている)のみであって 非経験のなぞを離れるものではない)。
★ 神との一体性が失なわれた
☆ かどうかは 一人ひとりの人の内面の問題です。人それぞれです。
★ 先験的
☆ という用語で説明する場合は 《仏性ないし神の聖霊がやどるという言い表わし方での〈神との一体性〉》が後天的に得られるのではなく そうではなく生まれつきなのだと言おうとしています。そういうかたちで 非経験のナゾの何ものかのことを指し示しています。
★ 神との一体性が失なわれた
☆ かそうではなく保たれているかは 特に言い表わしていないはずです。個人の内面にゆだねられています。
No.49
- 回答日時:
すいません。
前回の内容の直接的な続きで伺いたい愚問が御座います。
『「無くなった」言葉』と『「今にも有る」言葉』との違いが、
堕落の問題にも関わっているのでしょうか?
私の学びの度合いが浅過ぎて畏れ入りますが、
宜しく御願い申し上げます。
ご回答をありがとうございます。
▼(大野晋:ツ・ヌ・タリ・・・) ~~~~
ツ・ヌは動作・作用・状態の完了を表現し リ・タリは進行・持続を明示するのが本来の役割であった。これは 動作が完了したか 継続しているかについてだけ表現するのであって 過去についても現在についても 未来についても使うことができる。
つまり過去・現在・未来という 時の経過の過ぎ去った時点 あるいは現在という時点 あるいは未来という時点のうちの一つとして捉える時の認識とは別の認識の仕方を表わすものである。
(これを 文法学者によっては アスペクトの助動詞といっている。アスペクトはテンス(時制 過去・現在・未来)とは別の範疇に属する認識の仕方で 動作の開始 継続・完了という点に注意した把握の仕方をいう)。
【ツ・ヌ】
動詞および助動詞の連用形を承ける。ともに動作・作用・状態の完了を示すことが本来の役割で ツとヌとは 古くはそれぞれが承ける助動詞や動詞に相違があった。
まづ ス・サス・シムを承けるのはすべてツであり ル・ラルを承けるのはすべてヌであった。
また万葉集・源氏物語で ツとヌとが承ける動詞を見ると 次の相違がある。
ツだけが承ける動詞の例
かざす 散らす 召す 成す 見す 返す 過ぐす 見る 聞く 嘆く
かぬ(不能の意) 結ぶ 告ぐ 定む 告(の)る 治む 植う 刈る
取る 宣ふ 飲む 結(ゆ)ふ 率寝(ゐぬ) 挙ぐ 失ふ 置く
(以上 万葉集)
言ふ 明かす 死なす 渡す 返す 隠す 暮す (源氏物語)
ヌだけが承ける動詞の例
成る 経(ふ) 過ぐ 更(ふ)く 移らふ 散る 色づく 咲く 絶ゆ
吹く (霧・霜が)置く 消(く) 乾(ふ) 生(お)ふ 恋ふ 立つ
別る 隠る 濡る 知る 恋ひ渡る 寄る 逢ふ 坐(いま)す 近づく
憤る 帰る 入る (以上 万葉集)
成る 老ゆ 過ぐ 亡(う)す 帰る まさる 経(ふ) 更く 生る
かくる 忘る 染(し)む しづまる 絶ゆ (源氏)
この例を見れば ツが他動詞 つまり作為的・人為的な意味を持つ動詞を承け ヌが自動詞 つまり自然推移的・無作為的な意味を持つ動詞を承ける傾向のあることが明らかである。
[語源と意味]
ツとヌとの語源を考えると ツとヌとは それぞれ動詞の棄(う)つ・去(い)ぬと 活用が同一である。また 意味的にも 棄つと去ぬとに根本的な共通性を保っているから 棄つからツ 去ぬからヌが転成したことが推定される。
つまり 物を意志的に眼前にほうり出してしまう意の棄つのはじめの母音 u を脱落したツは 作為的・人為的な動作を示す動詞や 使役の助動詞ス・サスの下について すでに動作をしてしまったという完了の意を示す。
一方 眼前にいたものがいつの間にかどこかへ去って見えなくなる意の去ぬのはじめの母音 i を脱落したヌは 無作為的・自然推移的な作用・動作を示す動詞や助動詞ル・ラルの下について すでに動作・作用が成り立ってしまったという完了の意を示すのである。
・妹を思ひ眠(い)のねらえぬに秋の野にさ男鹿鳴きツ 妻思ひかねて
(万葉集 3678)
・今よりは秋づきぬらし あしひきの山松かげにひぐらし鳴きヌ(万3655)
また奈良時代にはアリを承けるのはツで 平安時代に入っても形容詞連用形にアリのついて成立したカリ活用の形容詞を承けるのは 《いみじかりツル》のように多くツである。
・をとつ日も昨日もありツ(万4011)
棄つという語は本来物をほうり出す意であるが 捨ててもその結果の物は眼前に在る意味を持ちうるに対し 去ぬは 消え去って見えなくなる意味が原義であるから 存続・存在を意味するアリを含む語をヌが承けることは 意味の上で矛盾をきたす。その結果アリを承けるにはヌを用いず ツを用いた。
しかし平安時代に入ってツ・ヌの原義が忘れられ 完了の意が次第に薄れて来て ツ・ヌの表現するところが確認へと移るにつれて 動詞アリにもヌがつきうるようになり 源氏物語では動詞アリおよび這ひありから転じた侍りを承けるには ヌがツの二倍以上も使われるに至った。
ツ・ヌは 動作・作用・状態が完了していることを示すのが本来の役目であったが 奈良時代から平安時代にかけて 《散らしテム》《よく見テマシを》《潮満ち来ナム》《散りヌベシ》などのように推量の助動詞と共に用いて 完了だけでなく確信・確認・堅い意志を表わすように用法が移って行った。
・いざ子ども早く大和へ大伴の御津の浜松待ち恋ひヌラム(万63)
・長谷(はつせ)の弓槻(ゆづき)が下に吾が隠せる妻 あかねさし
照れる月夜に人見テムかも(万2353)
そして中世になると ツもヌも次第に用いられなくなり 大勢はタリを多く用いる方向へ向かって行った。
【リ・タリ】
[意味]
リもタリも存続・持続の意を示すのが本来の意味であった。しかし 動詞には 意味上 (1)時間的に持続・継続することがもともと当然であるものがある。例えば劣る・まさる・似る・止まる・思ふ・生ふのごときである。
これに対して (2)時間的には 動作が瞬間的に一回づつ完結するものがある。例えば釣る・摘む・倒る・出だす・(歌を)詠む・生むのごときである。
(1)をリ・タリが承けた場合は 《・・・している》の意で その状態のそのままの持続・存続の意を示すことが多く
・珠にぬくあふちを家に植ゑタラば(植えておいたら)山ほととぎす
離(か)れず来むかも(万・3910)
(2)をリ・タリが承けた場合には その動作が済んだ結果が 状態として存続している意を表わすことになる。
・花咲(ゑ)みににふぶに咲みて会はしタル(お会いした)今日をはじめて
(万4116)
このような場合のリはツとほとんど同じ意味を表わすことになり ツとリとを共存させる意味が薄くなる。その点からもリの使用は次第に衰えるに至った。
(古語辞典・基本助動詞解説)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・
No.48
- 回答日時:
過去の助動詞の「き」につきましての興味深い記述を見付けました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E5%88%B6
此のページでの解説によりますと、「き」が使われている場合には、既に其の状態が完了して無くなっているそうですね。
それならば、『初めに言葉有り「き」』という表現の解釈はどうなるのでしょうか?
本来の形状が無くなった、という意味を託して、助動詞「き」が使われているのでしょうか?
ご回答をありがとうございます。
★ 此のページでの解説によりますと、「き」が使われている場合には、既に其の状態が完了して無くなっているそうですね。
☆ 次の説明のことのようですが わたしにはよく分からないです。
▼(ヰキぺ:時制) ~~~
§ 日本語
平安時代までの日本語では、過去を表す助動詞は「き」と「けり」だった。
前者は、過去にあって、それが今はなくなったという意味があり、後者は、現在の事態から過去に思いを馳せることを表す。
現代の「タ」と異なり、これらは絶対的な過去を表し、相対時制としては使われない。「き」を経験、「けり」を伝聞とする解釈もあるが、当てはまらないことがある
・山口明穂; 鈴木英夫; 坂梨隆三; 月本雅幸(1997), 日本語の歴史
~~~~~~~~~~~~~
☆ すなわち
▼ 前者(= キ)は 過去にあって、それが今はなくなったという意味があり
☆ について何を言っているのか分かりかねます。過去のその動作が今はなくなっているというのなら それは当然のことなので なぜそのことを言うのか。まるでわかりません。
次のように記憶の問題だと言うことだとすれば 過去のその動作が今とはつながっていないのは 当たり前です。
◆(大野晋=No.45お礼欄) ~~~
過去とは 話し手の記憶の有無 あるいは記憶の喚起そのものであった。それ故 ここにキ・ケリについて過去の語を用いず 回想という。むしろ 進んでこれは記憶 あるいは気づきの助動詞というべきであると思われる。
【き】
意味は キの承ける事柄が 確実に記憶にあるということである。記憶に確実なことは 自己の体験であるから キは《・・・だった》と自己の体験の記憶を表明する場合が多い。
・人言を繁みこちたみ逢はざりキ 心あるごとな思ひそわが背子
(万葉集538)
しかし 自己の体験し得ない または目撃していない事柄についても用いる。例えば みづから目撃していない伝聞でも 自己の記憶にしっかりと刻み込まれているような場合には キを用いて《・・・だったそうだ》の意を表現した。
・天皇(すめろき)の遠き御世にも
押し照る難波の国に
天の下知らしめしキと
今の世に絶えず言ひつつ (万・4360)
~~~~~~~~~~
No.47
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。
ヒドッチでございます。> イエスと悪霊の場面については わたくしも保留とします。
お役に立てず、誠に心苦しい限りでございます。申し訳ございませんでした。
> 自己責任論:これは やはり理論的には 《まづ一人ひとりが自己責任として事態を引き受け それらにもとづき皆で互いに助け合う》という見方を採りたいと考えます。 問題は 情況をとらえながら実態・実情に即して対処して行かねばならない。こうだと考えます。 やはり海外の安い賃金というのが 前に立ちはだかっているように思います。 全体的に給与水準を下げて広く潤うようにする。地道に輸出産業を伸ばしたり開拓したりする。そして競争力のある産業の足を引っ張らないようにする。
意見を等しく致します。
愚生は、昨今の”自己責任”を見ますと、以下の意味にしか理解できないというのが実情です。
自己責任(ヒドッチ辞典):自分への影響もしくは連帯責任行動を拒否する場合に、予め注意しておく場合に使用する言葉。もしくは、他人に責任をなすりつけるための口実の言葉。もちろん、外国の海岸などに立っている「at your own risk(自らの責任において)」の看板に用いられているなどとは、意味が異なる。
http://www.istockphoto.com/stock-photo-5000029-e …
> ★ 既に存在していた放射能と原発の放射能とのつじつまを合わせたい?
☆ 人為的に地震を起こしたというのは その福島の原発がすでにいくらかの放射能を漏れさせてしまっていたということですか?
以下の参考アドレスの文言からもお分かりいただけますように、今回の地震は何らかの核反応によるものだったというものであります。従いまして、必然的に、放射能汚染が海水中に既に見られていたと考えられます。
「あらかじめ水素核融合反応を進行させた活断層内部で核爆弾か高性能爆薬を起爆して、一気に破壊を誘発すれば、秒単位で地震の発生をコントロールすることが可能だとされています。」
http://blog.goo.ne.jp/tank1208/e/e5c3402ed8d27a9 …
「3月11日の地震の波形は爆発の波形だったよ~」
http://moto-0358.at.webry.info/201104/article_17 …
> それに輪をかけた事故を起こせば しりぬぐいをすることが出来ると。GE もからんでいたので アメリカ政府も乗り気である。と言うか アメリカ側が起こした話であるかも知れないのですか。
確かに、GEの問題もあるかと思われます。ただ今回の震災では、アメリカはとても親切過ぎるように見受けられます。(こんなことを言ってしまいますと、非難の嵐を受けてしまうかもしれませんが)援助と言いつつ、それと同時に海中で爆破させた破損物の回収をしていたのかと、つい疑ってしまいます。
> そこで神の聖霊のもとに生きている人間は どうこれを見るか。
まづは課題として示しておきたいと思います。
了解致しました。
> 《天使》からかなり主題が伸びましたが きわめて現実的なことになってまいりました。
誠に申し訳ございません。以後気をつけたいと考えております。
> 先日すでに気づきましたが お名前を別にもつくられたのですね。
ここ1、2か月、このOKWaveでいろいろとございましたため、気分一転という意味で、かえてみただけでございますが・・・ 深い意味は全くございません。
最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうとございます。
★ 自己責任(ヒドッチ辞典):・・・
☆ なるほど。責任の連帯からまぬかれるためにそう言うということのようです。責任は別々に負うものだと言いたいのでしょうか。
分かりましたが でも自己責任という言葉の定義をしっかりとしたほうがよくありませんか?
自己責任で行動し事後的にも自己責任をそれぞれが負うかたちにまづなるようにする。そうなれば あとはしかるべき時には 負う人負わない人を問わず 互いに協力するものであると。
☆☆ ~~~
そこで神の聖霊のもとに生きている人間は どうこれを見るか。
まづは課題として示しておきたいと思います。
《天使》からかなり主題が伸びましたが きわめて現実的なことになってまいりました。
~~~~~~~
☆ これらは互いにひとまとめです。
ですから 考えてまいりたいのです。ただし 人工地震説 これは まだ何とも反応のしようがないように思うのですが? ありうるかもというところまでだと思います。
★ ただ今回の震災では、アメリカはとても親切過ぎるように見受けられます。
☆ この点は 確実に感じました。どうなってるんだろうと。オバマが全面的に支援すると言い切りました。中国からの援助で 船の入港を――港の不備を理由に――政府はことわりました。・・・
でも分かりません。留意とします。
★ 気分一転
☆ 了解しました。
No.46
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。
ヒドッチでございます。> ☆ わたくしは単純にその事柄や情況の当事者であるなら まづその結果として現われている状態を認識だけとしても引き受けるというふうにだけ考えていました。そのあとの行動のゆくえを考えたら 「簡単に言えるものではない。」こういうことですね。
はい、仰る通りでございます。以下にその一例を述べさせてもらっております。つまり、「自己責任論」がはびこっているため、容易には助けを求めることは困難な状況にあろうかと考えております。
「親の死後ひきこもり状態にあった兄弟(32歳と26歳)が餓死して発見される」、
「こういった状況は、政財界によって作られているにも関わらず、まだまだ自己責任論の空気が覆う社会のなかで、多くの若者が生きづらさに苦しんでいます。」
http://seinen-u.parfe.jp/sekinin.html
また最近では、この震災におきましても、「自己責任論」が出てきているようでござます(このサイトからのものもございます)。おそらく今後、益々増えていくものと推察しております。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6696290.html
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6673872.html
http://blog.livedoor.jp/omoidesokuhou/archives/2 …
> 仮りにこのたびの大震災も地震を人為的に起こしたとすれば ふり返ってみれば鳩山政権ではアメリカは距離を置いていたが 菅政権ではかつての竹中金融行政のときと同じような密接なつながりがあらためて出来たというところでしょうか。
もし、人工的な震災であったとの前提に立ちますと、つながりがあったと考えております。
・どうして、放射線に汚染された冷却用水(海水)を海に破棄するときに、放棄した後、海外諸国に報告したのか(普通は、知らせてから破棄するのが常識かと思われます)。 → 破棄前の海水の放射能を調べられずに済む?
・誰も正確な情報を入手できていないにも関わらず(言い換えれば、情報を完全にコントロールできます)、またロシアがチェルノブイリとは深刻度レベルが全然違うとの声明を出してくれたのもかかわらずに、アメリカサイドの指示により今回のレベル7への変更となり、一方的なアメリカの言いなりになっていること。 → 単に原発の放射能のみの問題? それ以外にも放射能が出ているのでは?
・あまりにも対処が後手に回り過ぎている。 → 既に存在していた放射能と原発との放射能とのつじつまを合わたい?
> 株価の上げ下げには 重要な情報がそのつど時を見計らって発表されるというような感触を持っています。ギリシャやポルトガルの財政危機にしても 頃合いを見計らって情報を出したりその危機の度合いをあおったり リビヤ情勢もそのほかのアラブ諸国での民主化の動きもその扱い方と相場のゆくえとを人為的に相関させているかと思わされるところがあるように思います。
ビン・ラーディンが暗殺された際も、一時的ではございましたが、急騰致しました。
> ★ これを読みます限り、「悪霊のほうから」と理解できるのですが….. ☆ ということは 人びとの意志とは別のところで何かが動いたし人びとを動かしたということでしょうか? そこまでは考えられないのですが どうでしょうか。
この問題につきましては、もう少し考えさせてくださいよう、お願い致します。
既述のマタイ伝におけます”神の子”という表現(英訳、例えば、ESVでは”Son of God”)は、イエスご自身、ペテロ以外には、ほとんど用いられていない という事実がございますため、もう少し考えてみたいと考えております。よろしくお願い申し上げます。
ソース:
http://www.studylight.org/desk/?l=en&query=Matth … 上部の”using”箇所のカーソルをかえていただきますと、他の英訳にジャンプしてくれます。
> 今回は 実質的なお応えが出来ずにいると思います。判断がつかないというのが 正直なところです。
誠に申し訳ございませんでした。少しマニアックに過ぎたと反省しております。深くお詫び申し上げます。
駄文、ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
株価の変動の件 了解しました。
イエスと悪霊の場面については わたくしも保留とします。
自己責任論:これは やはり理論的には 《まづ一人ひとりが自己責任として事態を引き受け それらにもとづき皆で互いに助け合う》という見方を採りたいと考えます。
問題は 情況をとらえながら実態・実情に即して対処して行かねばならない。こうだと考えます。
やはり海外の安い賃金というのが 前に立ちはだかっているように思います。
全体的に給与水準を下げて広く潤うようにする。地道に輸出産業を伸ばしたり開拓したりする。そして競争力のある産業の足を引っ張らないようにする。
★ 既に存在していた放射能と原発の放射能とのつじつまを合わせたい?
☆ 人為的に地震を起こしたというのは その福島の原発がすでにいくらかの放射能を漏れさせてしまっていたということですか? それに輪をかけた事故を起こせば しりぬぐいをすることが出来ると。GE もからんでいたので アメリカ政府も乗り気である。と言うか アメリカ側が起こした話であるかも知れないのですか。
そこで神の聖霊のもとに生きている人間は どうこれを見るか。
まづは課題として示しておきたいと思います。
《天使》からかなり主題が伸びましたが きわめて現実的なことになってまいりました。
先日すでに気づきましたが お名前を別にもつくられたのですね。
No.45
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。
ヒドッチでございます。> ☆ ひどっちさんご自身は どうなのでしょう? どういう見解を形成されて来ましたか?
・活断層の上部を深さ数キロメートルほど掘削してそこに大量の水を注入
・明石海峡の周辺では震災の前に謎めいた船が目撃
まず、上述のことから、日本国政府が関与していなければ、到底不可能なことかと考えられます。以下には、陰謀論に対しまして、”あえて肯定的に”述べております。もちろん、証拠等はございません。
米国側の利益:
・オイルマネーの復権:温暖化CO2悪玉説がございますが、これを完全に封じたいこと。
・自国の金融機関にマネーを稼がせたいこと。
2番目につきまして、少々補足させていただきます。以下のサイトの2011年の3月の外資系動向を見ていただきたいのですが、3月の15日頃から、外資系金融機関の極端な買い越しが見られることがわかります。つまり、“安値での買い”が見られることがお分かりいただけるかと存じます。
http://www.traders.co.jp/domestic_stocks/domesti … (あくまで、寄付き前の注文数でございますが)
日本国(政府)側の利益:
・温暖化CO2悪玉説がアヤシクなってきたこと:先日まで、エコ!エコ!との大合唱の中、「エコポイント」なるものが利用されていました(実際は、景気回復のために実施されたものです)。ですが今では、その舌の根も乾かぬ内に、まるでCO2温暖化説が存在しなかったかのように、火力発電を起動させようとしています。
・復興活動による景気回復(少なくとも土建やさん達は潤います)
・アメリカに稼がせてやりたいと思っている輩の利益
3番目につきまして、補足させていただきますと、以前にも同じような醜聞がございました。“りそな銀行のインサイダー疑惑”でございます。
・平田氏(公認会計士):りそな銀行を監査中に自殺。
・鈴木啓一氏(朝日新聞論説委員):自殺。その翌日に朝日新聞のスクープ記事「りそな銀行、自民党への融資残高3年で10倍」が公開された。
・植草氏(大手銀行株をめぐるインサイダー取引疑惑について調べていた):手鏡でスカート内のぞいたことにより、逮捕される。言論界からの事実上の抹殺。
・太田氏(国税調査官):手鏡でスカート内のぞいたことにより、逮捕。
まず、2003年3月28日に、バブル崩壊後の最安値をつけました(終値7607.88円)。これは、「メガバンクは国内に2つだけあればいい」との政府高官の発言によるものといわれております。
ですが一方、りそな銀行の自己資本比率が、国内基準である4%を大幅に下回る2%台に転落する可能性が出たため、同行に対して、政府は5月17日に公的資金投入を決めました。そのときに何らかのインサイダー取引があったと噂されております(上記サイトの外資系動向では、既に5月初旬に買い越しが見られます)。
参考:http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/po …
> ★ 残念ながら、自己で引き受けるという程、ひとは強くはないようにも見受けられるのですが、いかがでしょうか。
☆ これはわたしの考えでは まづ引きうける。そのあとで これは自分ひとりの努力では解決が不可能だと認識する。といったかたちになるのではないか。と思っているのですが?
仰られますように、「ひとりだけでは決して解決できない」ことを認め、そして、協力しあいながら、前進していく、これは日本人が昔から得意としてきた互助の精神、またそこから生まれる組織力に、その基礎を置くものと思っております。ですが現在では、上から目線の「自己責任論」がはびこっているため、少し困難になっているのかと危惧してございます。
> じつはこれは相手との間で確認し合っている体験内容でして 単純にテレパシーなのだと捉えています。むろん遠隔の伝達を言っています。
何らかの“量子波”のようなものが関与しているのかもしれません。残念ながら、愚生には詳細が分からないだけかもしれません。
> もっともイエスの場合には 悪霊のほうから寄って来ましたね。悪霊の憑いた人たちのほうからと言うべきか 悪霊のほうからと言うべきか。これは どうでしょう? 電子のぶつかり合いがあった上でのことでしょうか? 単純に人格の香りからでしょうか?
以下の福音書からのものでしょうか。これを読みます限り、「悪霊のほうから」と理解できるのですが…..
マタイ 8章28から31節
イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。
最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
★ 仰られますように、「ひとりだけでは決して解決できない」ことを認め、そして、協力しあいながら、前進していく、これは日本人が昔から得意としてきた互助の精神、またそこから生まれる組織力に、その基礎を置くものと思っております。ですが現在では、上から目線の「自己責任論」がはびこっているため、少し困難になっているのかと危惧してございます。
☆ どうも陰謀と切り結びしているような様相ですが あぁ そうなんですか 情況からして《引き受ける》などと簡単に言えるものではなくなっている。こういうかたちですね。
わたくしは単純にその事柄や情況の当事者であるなら まづその結果として現われている状態を認識だけとしても引き受けるというふうにだけ考えていました。そのあとの行動のゆくえを考えたら 簡単に言えるものではない。こういうことですね。
ということは そうとう大きく強固な垂直壁であるようです。それゆえにも 大きく陰謀つまり図り事として事態は作られているし流れている。
仮りにこのたびの大震災も地震を人為的に起こしたとすれば ふり返ってみれば鳩山政権ではアメリカは距離を置いていたが 菅政権ではかつての竹中金融行政のときと同じような密接なつながりがあらためて出来たというところでしょうか。
株価の上げ下げには 重要な情報がそのつど時を見計らって発表されるというような感触を持っています。ギリシャやポルトガルの財政危機にしても 頃合いを見計らって情報を出したりその危機の度合いをあおったり リビヤ情勢もそのほかのアラブ諸国での民主化の動きもその扱い方と相場のゆくえとを人為的に相関させているかと思わされるところがあるように思います。
あるいは 列車や飛行機などの事故 これさえも じつは演出されたのではないかと思ったことが そう言えば過去にありました。ただ 地震はどうなのかなぁという科学音痴の一面があります。
★ これを読みます限り、「悪霊のほうから」と理解できるのですが…..
☆ ということは 人びとの意志とは別のところで何かが動いたし人びとを動かしたということでしょうか? そこまでは考えられないのですが どうでしょうか。
今回は 実質的なお応えが出来ずにいると思います。判断がつかないというのが 正直なところです。
No.44
- 回答日時:
『先験的に言葉(は)有り「き」』、という見方を採用すれば宜しいのでしょうか?
ご回答をありがとうございます。
★ 先験的
☆ あるいは いまは統合論的とか何とか言うのだと聞きましたが この用語は確かに《非経験》のことを言おうとしていると思います。おまけにその非経験のナゾの力がすでに人間という存在にいづれ現われてはたらくとまで言っています。
○ もの自体( Ding an sich ) / 人が仏性を持つ / 人に神の霊がやどる
☆ こういったところまでその意味を伸ばして言っているようです。
といったふうに説明するときの言葉だと思います。
○ もの自体は 先験的にあり人間にはついぞ分からないが その思考や行動にあたって間接的に潜在的にはたらく。
☆ というふうにも見るのでしょうか。
ということは
○ この《もの自体》を 別の言葉で言いかえると 《ことば》であるとも言えるのではないか。
☆ こういった見方になるかと思われます。あるいは実際の歴史では 先に《ことば・ロゴス》説が言い出されてそのあとこれをめぐって たしかあなたも触れていましたか ゲーテが《おこない》という言葉に言いなおしたのでしたか そういう経過をたどって この《もの自体》に到ったということなのでしょう。(いえ 歴史の順序はぎゃくでしたか。考え方の上でいろんな説が出て来得るということで)。
さらに言いかえると わたしは 《絶対・非経験》というそのコトをどのように定義して想定しておくのか ここにすべてはかかっていると思っています。
非経験・絶対あるいは無根拠であるなら 人間とその世界からそれこそ絶対的に隔たっていると捉えられます。何の接点もないのだと。超えているのですから。
しかも――ここからが《先験的》という言葉での見方が出て来得る事由なのですが―― すべてを超えてすべてから隔たっているコトであるなら もしそれがあるとするなら そのすべてを蔽っているかも分からない。接点がないというとき 人間の側からはそう見られるとしても あちらの側からは人間とその世界に対してあらゆるところで接しているのかも分からない。
想定の上からは そう考え得るということになります。あるいはそのナゾはわれわれを包んでいるかも分からない。あるいはすべてを――人間および世界のすべてを―― つらぬいているかも知れない。人間はこの《絶対なる無根拠》の海にどっぷりと浸かっているかも。いや 大気の中にでしょうか。
となると たしかにこの非経験のナゾは 人間の存在に先立って・その生まれ生き死ぬという経験に先立って存在しているのかも。
つまりは 仏性としてあるいは神の霊としてひとにもともと宿っていることになると。
その仲介を天使が――もしくは菩薩が――果たすというふうに言ってみるのだと。
たぶん
★ 『先験的に言葉(は)有り「き」』、という見方を採用すれば宜しい
☆ のだと思います。そしてそれは 哲学の行き方ですね。哲学や科学に対する反逆児であろうとする場合のある文学は
▼ はじめに ことばがあった。
☆ とだけ言って この世界と科学知の行き方を突き抜けようとしているのでしょうね。そんな馬鹿なとか 世の中それほど単純ではないよとか 言わせたいのでしょう。そういう反応を予期してのことでしょう。ですから 哲学の地道な行き方と文学のミサイルとだと思われます。ロケットにしましょか。
No.43
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。
ヒドッチでございます。> ☆ はどうですか? テレパシーというのも 広く言葉としては普及しているようですが 量子論によれば 光子か電子か何かが飛び交うことはあり得ますか?
”量子テレポーテーション”のことでしょうか。情報を瞬時に送信・受信は可能なようでございますが、以下の文章にもござますように、どちらかと申しますと、”光子(電子)そのもの”というよりも、これら”光子(電子)の状態”を瞬時に伝える という方が適切かと存じます。
「量子テレポーテーションの例としてAさんからBさんに量子状態を転送するとする。AさんはEPRペアの光子2つ(光子1、光子2)を生成し光子2をBさんに送る。次に、”Aさんは光子1を観測する。すると、古典的な情報転送によってBさんに光子2の量子状態を知らせることができる”のである。」
( Wikipedia 量子テレポーテーション からでございます)
略しますと、「Aさんは光子1を観測」 → ”量子状態の情報”が瞬時に転送され → 「Bさんに光子2の量子状態を知ることが可能」
ただ、上述のような”量子状態”を、お互いが何らかの器官を通して、受信し合っている ということは 完全には否定はできないかとも考えております。
> この電磁波を受け取ったということをそのまま認めることが大事ではないか。他人(ひと)からそういう信号を受け取ったなら まづはそれを引き受けるということ ここから――その処理に到ることまでを含めて――始まると考えます。
仰られますように、”引き受ける(直視し、認める)”というのが最初の段階かと考えております。
> もしこのとき 悪魔という見方をするのならば その情況全体として自分が苦境に落ち入っているときのことだと捉えます。そしてそれさえも 神からの贈り物なのであると。転機であり 転機であるしかないと。
確かに、上述のように、転機を、認める・(時には)腹をくくること とするのがベストかと考えております。
> 悪魔憑きという言い方でその電磁波受け取り現象ないしその悩みを捉えるのは だめだと考えます。なぜなら そういう処理の仕方では アース役にあって相手からの生体電気現象の現場にいるという事態を知らないで居つづけることにしかならないからです。
悪魔憑きと悪魔払いなどという見方によっているかぎり その循環は 永遠につづくのではないでしょうか。
イタリアの事情につきましては、通じておりませんので、大したことは申し上げられなのですが、強力なマフィアの存在(地下経済が約30%ともいわれております)、経済格差等の社会不安がこれらを助長しているようにも察せられます。これらは、今日の日本の”陰謀論(参考1)”にも通ずるかとも考えております。残念ながら、自己の問題として直視するよりも、他のものに責任転化した方が精神的に楽からだと思われるからでございます。
残念ながら、自己で引き受けるという程、ひとは強くはないようにも見受けられるのですが、いかがでしょうか。
参考:311震災のような天災についてさえも、陰謀論が叫ばれているようでございます。
・リチャード・コシミズ著「3.11同時多発人工地震テロ」(自費出版のようです)
http://blog.goo.ne.jp/tank1208/e/e5c3402ed8d27a9 …
・ジェリー・E・スミス著「気象兵器・地震兵器・HAARP・ケムトレイル」(成甲書房)・・・震災の約3か月前に出版されていました
http://yokodo999.blog104.fc2.com/blog-category-1 …
最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
今回は 陰謀論については反応のしようがない状態ですし あとの量子論などは勝手に推測するだけになりますし うかがっただけになりそうです。
★ 参考:311震災のような天災についてさえも、陰謀論が叫ばれているようでございます。
☆ ひどっちさんご自身は どうなのでしょう? どういう見解を形成されて来ましたか?
ただひとつ次の点については 自信をもってお応えできると思います。
★ 残念ながら、自己で引き受けるという程、ひとは強くはないようにも見受けられるのですが、いかがでしょうか。
☆ これはわたしの考えでは まづ引きうける。そのあとで これは自分ひとりの努力では解決が不可能だと認識する。といったかたちになるのではないか。と思っているのですが?
★ ~~~~~
略しますと、「Aさんは光子1を観測」 → ”量子状態の情報”が瞬時に転送され → 「Bさんに光子2の量子状態を知ることが可能」
ただ、上述のような”量子状態”を、お互いが何らかの器官を通して、受信し合っている ということは 完全には否定はできないかとも考えております。
~~~~~~~
☆ あぁ えぇ 《量子状態の情報》が移送されるのですね。
わたしは じつは 家族ですとかあるいは男であるわたしにとって相手が女性であるときには かなりの情報が送られて来ると体験しています。情報というよりは 相手の状態ですね。相手がどういう状態にあるか これが わたしの体の変化をとおして伝えられる。こういう体験です。
おかしいと思われるでしょうが じつはこれは相手との間で確認し合っている体験内容でして 単純にテレパシーなのだと捉えています。むろん遠隔の伝達を言っています。
ま これ以上はふくらまさないでおきます。よい機会がありましたら いづれきちんと言えるかも分かりません。
もっともイエスの場合には 悪霊のほうから寄って来ましたね。悪霊の憑いた人たちのほうからと言うべきか 悪霊のほうからと言うべきか。これは どうでしょう? 電子のぶつかり合いがあった上でのことでしょうか? 単純に人格の香りからでしょうか?
ヘンなフリになってしまいましたが。
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