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猫が生きている、あるいは死んでいる、と確定されるのはどの時点でしょうか?

A 回答 (39件中11~20件)

No.10,20,22,27です



さらに「補足」になります。。。

>>> No.28 cyototu氏
実は、観測の理論ばかりでなく、熱力学が適用できる我々の住む世界では常に時間の向きの対称性が破れています。
<<<
とありますが、「対称性」といえば、No.22にて少し触れましたネーターの定理が脳裏をよぎります。

比較的簡単にまとめられているのは、
>>> http://oshiete.goo.ne.jp/qa/304503.html
次の例が有名です.
「時空の対称性の帰結としてエネルギー・運動量保存則や角運動量保存則が導かれる.」
空間内の並進運動に対する時空の不変性(並進対称性)<--> 運動量保存則
空間内の回転運動に対する時空の不変性(回転対称性)<--> 角運動量保存則
時間方向の並進運動に関する時空の不変性(時間方向の並進対称性)<--> エネルギー保存則
<<<
ですが、「<-->」は誤りで、「-->」と、一方向への矢印になるので、注意が必要です。
 → 詳しくは※3)参照願います。

いずれにしても、シュレーディンガーの猫では、「時間の対称性が破れている」ように見えます。
「複数の重ね合わせ(AND)」(経路積分での経路に相当)が、「一つの選択肢(OR)」へと変化する段階に相当します。

「時間の対称性が破れていない」と考えるのがエヴェレットの多世界解釈に相当するようです。
>>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4% …
エヴェレット自身はその論文中[1]でエヴェレットが提唱した理論は決定論的であると述べている。ただし前述のようにエヴェレット自身は多世界という言葉を用いておらず、多世界という時に想定される単一の世界を相対状態(relative state)と呼んでいる。真に実在しているのは波動関数その物であり、多世界解釈という時、単一世界と見做されるものは(どのバージョンの私を観測者に置くかに依存する)相対状態にすぎない。波動関数は決定的と述べているのである[2]。
<<<


さて「時間の対称性が破れている」のであれば、それは、「エネルギー保存則」と密接に関連することになると思われます。保存則が成り立っているにもかかわらず、対称性が破れているのであれば、破れた対称性を補う「何か」があると考えて調べるのが物理学の一つの方向性のようです(※1)。
多くの場合、「何か」は、なにがしかの「新たな素粒子」や「相転移」などが提唱され、実験で確認されていますが、エネルギー保存則が成り立つことを前提にしているので「新たな素粒子」ではなく、場の変化(相転移)などの状況変化に相当するものかも知れません。

もし「シュレーディンガーの猫」を閉じこめる箱(あの世)が存在し、「この世」と「シュレーディンガーの猫」を閉じこめた「世界」とが関係を持つ瞬間があったなら、「(相転移のような)何か」が生じるのかも知れません。

いや、すくなくとも「この世にとっての猫の生と死」が決定される瞬間は「(箱の)存在の有無」が決定される瞬間でもあるわけですから、「この世」にとって、箱(とその中身)の分だけ「全エネルギーが増える」瞬間でもあります。(以前の発言、No.10,20,22を参照願います)

※1)「対称性の破れ」→「保存量を保つための新しい素粒子の発見、ないし相転移などの発見」と、物理学は進んでいるようです。専門的なところでは、下記を参照願います。
リニアコライダーの物理
藤井恵介
高エネルギー加速器研究機構
http://www-jlc.kek.jp/general/DOC/oho95-html/oho …
の中にても、「対称性と保存則」にてネーターの定理がでてきます。
http://www-jlc.kek.jp/general/DOC/oho95-html/nod …
さらに、対称性と保存則は、この間ノーベル物理学賞を取得された小林・益川理論などにも密接に関連しているのみならず、統一理論の要ともなっているようです。
「自発的対称性の破れ」
http://www-jlc.kek.jp/general/DOC/oho95-html/nod …
「標準理論を越えて」
http://www-jlc.kek.jp/general/DOC/oho95-html/nod …

※2) ネーターの定理を生み出したエミー・ネーターについては
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F% …
を参照願います。

※3) ネーターの定理について、数式の入った詳しい説明は
http://hooktail.sub.jp/analytic/NoethersTheorem/
http://hooktail.sub.jp/analytic/energyDefinition …
等にあります。
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#21です。



#27さん有り難う。貴方のお陰で、私にとって面白い展開が今後起こるかもしれません。

#27さんの紹介してくれた小澤正直さんの日本物理学会誌の解説をざっと読んでみましたが、観測の問題に関して相変わらず肝心な部分の議論が全く欠落していると言う印象を私は受けました。如何にも物理好きの数学屋さんの議論という印象です。

波動関数の収縮と言う現象は時間の向きの対称性を破っております。ところが、物理学の基本法則は時間の向きの反転に関して全く対象に出来ています。ですから、この二つの主張には見掛け上の矛盾がある。量子力学でも古典力学でも、物理学の基本法則に従っている系ではエントロピーは増減せずに常に一定です。しかし、波動関数が収束して量子相関の情報が失われるとエントロピーは必ず増大します。だから、波動関数の収縮では時間の向きの対称性が破れています。

実は、観測の理論ばかりでなく、熱力学が適用できる我々の住む世界では常に時間の向きの対称性が破れています。その事実を熱力学では熱力学第二法則として定式化しております。現在のところ熱力学第二法則に抵触する現象はまだ見付かっておりません。しかし、未だにこの第二法則を力学の基本法則から導き出したと決定的に言える人は居ないので、物理学では熱力学第二法則は現象論的法則として、基本法則とは区別されております。そして、この時間の向きの対称性の破れは、量子力学的な世界でも、また、古典力学の世界でも起こっており、その現象のキーワードは共鳴特異性にあると言うことは現在ではもう物理学者達の共通意見に成って来ています。しかし、それでもまだ問題が解決されたとは言い切れず、ただ今物理学者の間で活発に研究されている課題の一つです。

ところでこの量子力学と古典力学に共通な問題としての時間の対称性の破れの問題に関して、量子力学には古典力学に比べてひと際は面白い側面があります。それが波動関数の収束の問題です。そして、数学者がこの問題に関していろいろな議論を提示しても、いつまで経っても物理学者が満足しない論点が、この時間の対称性の破れの部分なのです。例えば、ハイゼンベルグの不等式も、小澤の不等式も、時間の対称性を破っていない量子力学の基本方程式から演繹される不等式です。ですから、この不等式をどんなにいじくり回しても、時間の対称性の破れの力学的根拠を明らかにしない限り、波動関数の収縮という時間の対称性を破る現象が理解出来たことには成りません。それは、どんな物理的モデルを作ったところで同じです。

それにも拘らず、小澤さんの物理学会誌での解説も含めて、時間の対称性の破れの問題に直接触れることなく観測の問題が解けたかのごとき論文をしばしば見掛けます。数学屋さんのやる議論では、大抵の場合この時間の対称性の破れの問題を本人も意識することなく、粗っぽい議論で飛び越えてしまっているようです。私は、小澤さんの物理学会誌での解説を克明に計算したわけではないですが、多分この解説の10節の最後の部分で

「この例から示唆されている結論はむしろ、測定装置には常に巨視的部分が必要で、云々」

と、「巨視的」という言葉一言で、時間の対称性の破れの問題と言う物理学の難問を何の議論もなしに飛び越えてしまっているのではないかと言う強い印象を受けました。その解説で引用されている、参考文献25)の話しでも、時間の対称性の破れに関してのZurekに代表される所謂「環境理論」では、その部分系が埋め込まれている環境自身が何故、時間の対称性を破って熱平衡状態に近付けるのかと言う一番難しい問題には触れられずに論じられております。

巨視的な物理系も当然時間の対称性を破っていない量子力学の基本法則に従っている筈ですね。もし、そうでないと言うのなら、量子力学が物理学の基本法則では無いことを主張していることになってしまいますから。それにも拘らず、何故測定装置が巨視的なら時間の向きの対称性が破れるのか。私が小澤さんの解説を読んでいて不満なのは、その物理学の大問題に触れることなく、巨視的だの環境だの古典力学系だのという曖昧な言葉で片付けてしまい、この解説の要旨でも表現されているように、観測の問題があたかも解決されてしまったかの如く表現されていることです。時間の向きの対称性の破れの問題が解決されない限り、観測の問題も解決できたとは言えない筈です。

(蛇足に成りますが、相対論における双子のパラドックスも、エントロピー増大に関して論じない限り、このパラドックスは解決出来ないと私は思っております。要するに、双子のどちらが若いかと言う問題は、単に振り子の揺れの回数で計られる「時間」以外に、年齢という、エントロピーの変化で計られる「時間」にも関係するからです。そして、前者の時間は後者の時間と偶々同じ言葉で縮退して呼ばれておりますが、同じ物ではありません。)

もう一点小澤さんの解説で不満なのは、この解説を幾ら読んでも、小澤さんの立場が、はたして、物理学の基本法則と観測の理論と言う互いに独立な原理があると言う二元論に立っているのか、それとも、波動関数の収縮が物理学の基本原理と言う一元論で説明がつくと言っているのか、どちらかが明確に表現されていない点です。

私は以前、某講演会で小澤さんと共に招待講演を頼まれた経験があります。小澤さんはその時の講演で小澤の不等式の導出を克明に解説して居りました。しかしその講演で、観測の問題に触れて居なかったのか、あるいは私が間抜けで、その問題に触れていたのにそれに気が付かなかったのかは知りませんが、私はその時は彼の不等式と観測の問題の関係を特別に意識しませんでした。今回のここでの質問が切っ掛けで、今度小澤さんに在ったら彼に噛み付いて見ようかと言う気になれました。もしも私の印象が間違っていたら、私の役に立ちますし、その反対に私の印象が正しかったら、それは小澤さんの役にも立つ筈です。

#27さん、改めて、有り難う。
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No.10,20,22です。



別の視点から。。。

この手の問題と関連するのは、EPR相関とか不確定性原理になりますが、不確定性原理では、小澤正直氏による不等式が注目されているようです。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4430934.html

>>>http://mathsoc.jp/office/prize/haruaki/ozawa2008 … から引用
特に不確定性原理の再定式化を巡るこの数年間の研究は,極めて広い注目と関心を集めています.1927年のHeisenberg による不確定性原理の提唱以来,物理量の測定誤差とそれと非可換な物理量の観測による擾乱との積の下限はそれらの交換子で定まると信じられてきましたが,小澤氏は2002年,それが正しくないことを明らかにし,翌年それに替えて従来物理学者が予想もしなかった,小澤不等式と今日呼ばれている新しい不等式を提案し,自ら構築した測定理論の厳密な数学的定式化の下にそれを証明いたしました.
<<<

http://ci.nii.ac.jp/naid/110002069559
で公開されている
http://ci.nii.ac.jp/els/110002069559.pdf?id=ART0 …
PDFファイルのp.4(p.160,日本物理学会誌 vol.59,No.3,2004)での「5.標準量子限界を巡る論争」内にて、ユエンの主張として紹介している「波束の収縮は、自由質点の時間発展での分散が負の相関項を持つ状態」を取り上げ、フォン・ノイマンのモデルとは異なる更に複雑なモデルを組み上げて、新たな不等式を定式化しているようです。

また、同p.8(原文p.164)にて記述されているように、保存則との関係から「測定装置には常に巨視的部分が必要で、その巨視的部分との相互作用が対象からプローブへの情報の変換の正確さを保証しているということである。」
としています。

これらの記述とシュレーディンガーの猫との関係を考えるなら、量子状態として保たれている「もの」が波束の収縮をきたす状態になるのは、相対的に巨視的とみなしうるものとの相互作用によって生じるということになるでしょう。
(このあたりの相対的な大きさによる非対称性は、相対性理論での双子のパラドックスに通じるものを感じます)

すなわち、「箱」(というより、時空連続体として記述されうる「この世界」から完全に切り離されていると考えざるを得ない「世界」。「この世」からは存在の有無すら不明な世界。まさに「あの世」と同じ)の内部では猫の生死は決定しているということです。

無論「箱」を開けた段階(即ち、二つの「世界」が相互作用した途端)に「この世」にとって「確定」されるということには、変わりはありません。
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(#24さん)


>箱を開ければ確定される、という無謬性は保証されているのでしょうか。

 無謬性を、見間違いとかそういう意味でないとすれば、次のようになると思います。

 まずシュレーディンガーの猫実験は、厳密には不可能な実験です。というのは、真空の量子揺らぎまで存在するので、絶対的な絶縁体の箱という前提は、無理だからです(それに巨視的物体であれば、猫でなくて良いし)。しかし、シュレーディンガーの猫と同等と思われるミクロの現象は、ごまんとあります。というか、現在の量子技術そのものが、ミクロの箱の蓋を開け続けていると言えます。極端に言えば、携帯やパソコン,テレビのスイッチをひねれば、内部では猫実験の連続という訳です。そして量子力学は、それらの現象の観測結果に対して、不正解を与えた事は一度もありません。理論と測定値の一致精度は、相対誤差で10^(-10)とか10^(-30)とかいう、すさまじいものです。その意味で、「箱を開ければ確定される事の無謬性」は、現在の経験事実からは保証されていると思います。
 でもそれは、どこかおかしいよね?、というのがシュレーディンガーの感じた疑問で、猫実験としてそれを表明しました。アインシュタインはEPR論文で。これらは、量子力学はどこか不完全でないのか?、という真っ正直な意見だと思います。そこを当面あきらめ、結果解釈(認識論)に徹したのが、ボーアだと思います。


(#25さん)
>特定の観測者による認識結果が定まった時には、他の方が認識する前にその認識にも確定的に反映されるのでしょうか。

 そうだ、というのがボーア流(コペンハーゲン解釈流)の量子力学の答えです。ただし一人目の観測者が蓋を開けて、その結果を(箱を見ていない)二人目に電話で告げた瞬間に、二人目における猫確率が収束するという珍妙な(?)事になります。現在では下火になりましたが、このような話を物理の先生達が、本気で議論していた時期があります。上記だったとしても実現象との矛盾はないんです。また確率波の収束は原理的に観測できず、認識した瞬間が観測成立時なら、上記だったとしても実証できません。ここがやっかいな所です。

 現在では、このような話について、だいたい次の3つの傾向になると思います。

 (1)ボーア路線?
  観測問題は当面あきらて先送りし、既存の理論で行けるところまで行こう、という現実派。量子力学が観測と違った事は、一度もないので。これが大多数。

 (2)極論?
  コペンハーゲン解釈をどこまでも認め、それを物理原理にすえる。中込照明の唯心論物理学や、多時間(多世界)解釈。ただし極論は解釈の方で、ヒュー・エバレットのオリジナルは、本質的にデコヒーレントの考えを含んでいるそうです。中込照明は主張だけ聞くと危なそうですが、まともな研究者です(理論/計算天体物理学で有名な保江邦夫との親交もあった人です)。

 (3)愚直?
  素朴実在論をあきらめない人達です。古くはアインシュタイン,シュレーディンガー,デビット・ボーム(隠れたパラメータ理論)がいます。ファインマンはコペンハーゲン解釈にどうしても納得できず、量子力学と古典論(日常世界)が矛盾しない事を示す必要を感じ、経路積分法を開発します。経路積分は現在では、なくてはならぬ道具になっています。
  この方面は、いずれも試論の段階です。でも愚直なので、デコヒーレントのように地道です。現代の洗練された素朴実在論者の代表は、リー・スモーリンとペンローズと思います。いずれも確率波束の収束を、物理「機構」によって説明しようとします。特にホーキングの共同研究者でもあるペンローズは、今のところクレージーとしか言いようのない、試論を展開しています(間違いなく奇説です)。突拍子もないですが、それでも彼の試論の立て方は、建設的に思えます。読んでみると、面白いですよ^^。


 #21さんへ。自分は工学屋です・・・(^^);。
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特定の観測者による認識結果が定まった時には、他の方が認識する前にその認識にも確定的に反映されるのでしょうか。

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箱を開ければ確定される、という無謬性は保証されているのでしょうか。

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No.20です



少し分かりにくかったかも知れませんので、追加しておきます。
(なお、私自身は、物理学や数学の専門家ではありませんので、ご注意願います)

デコヒーレンスの立場と限界についてはNo.21にて詳しく記述されているようですので、そちらを参照されればよろしいかと存じます。

エヴェレットの多世界解釈とシュレーディンガーの猫については、以下に詳しく述べられているようです。
http://homepage2.nifty.com/qm/cat.html
http://homepage2.nifty.com/qm/

さて、No.21にてつっこまれましたので、別の解釈(?)を上げておきます。

http://nucl.phys.s.u-tokyo.ac.jp/sakai_g/epr/
にて
>>>
1.陽子EPRペアーが強い相互作用の到達距離 (10-15m)に比べて十分に遠く離れ、
2.多くの物質を通過しても、 絡み合い状態が頑丈に維持されることが明らかになった。
<<<
とあり、「物質との相互作用が必ずしも波束を収縮させるわけではない」
となります。

また、シュレーディンガーの猫ですが、
http://www.t.u-tokyo.ac.jp/pdf/2011/furusawa_rel …
といった記事もあります。(※「シュレーディンガーの猫」ではなく、あくまで量子の「シュレーディンガーの猫状態」です)

そもそも、「この世」にある物質を、たとえ真空の世界にて二つに分離したとしても、仮想粒子との相互作用とは切り離すことができず、「時空連続体の内部にて扱いうる」ので、シュレーディンガーの猫を閉じこめられる箱を「この世」から分離して生成することは不可能と言えるでしょう。

この世のなかにあっても、量子を「シュレーディンガーの猫」状態に保つことができるというのは、「周囲と全く相互作用のない」ではなく「ない」と同等に扱いうる「均質で、かつランダムな相互作用が常に生じている」状態なのかもしれません。(←真空状態でも常に仮想粒子との相互作用が生じているという概念に相当)

このあたりの「波束を収縮させることのない、影響を与えていないような」均質性(対称性)は、ネーターの定理と保存則との関係に見られるような事象として捉えることができると思っています。

で、猫レベルでは、(いやそれ以前の段階で)「均質性」(対称性)は当然失われているわけですから、波束の収縮として認識される状況が生じていてもいいと思われます。
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#1です。



#19と#20で、やっと物理の専門家らしい回答が出て来たので、もう少し真面目に答えてみます。

#19さんの答えは物理屋らしい答えで、この現象を数学者のフォン・ノイマンがいうような力学+αとして力学原理以外のαの原理の存在を認める解釈に満足出来ずに、何とか力学の枠内だけで理解出来ないかと言う物理学者達の現在の努力を正直に述べてる回答ですね。これを徹底的に力学の枠内で説明しようとすると、力学過程では波動関数の収縮は瞬時に起こることが出来ませんので、その収縮が完了する時間を力学に基づいて計算して見せなくてはなりません。それに挑戦する動機を示唆している言う意味で生産的な回答です。

しかし、デコヒーレンスは必ずしも熱浴などの熱力学的な系と接触させなくても、例えば、原子の光との相互作用で起こる原子の不安定な励起状態の量子遷移と、更にそれに加えてその励起原子と光のパルスとの散乱でも起こります。その場合の量子相関の減衰する時間(すなわち、重ね合わせの原理が成り立たなくなる時間)の計算も、例えばFriedrichsモデルなどの数学的に厳密に解けるモデルで具体的に計算されております。ですから、まだ物理学ではまだ決着がつき切っていない熱力学と力学の関係に言及する事なく、デコヒーレンスを論じることは出来ています。熱力学や統計力学を持ち出すと、それらの問題と力学の基本原理との関係がまだ決着が付いて居ないじゃないか、時間の向きの対称性の破れの問題はどうなっているんだ、というスズメどもの雑音が必ず入って来ますので、要注意です。

#20さんの答えはどちらかと言うと観測の理論に興味のある物理好きな数学屋さんらしい答えで、この問題を系と外界という力学以外の概念の導入に基づいて解釈すれが、もはや問題は解決しているではないかとも受け取られかねない言述ですね。系を外界と分けたのは良いですが、その結果、波動関数の収縮が何秒掛かったかなどの問いに触れようとはしていない。もしそのように分ければ波動関数の収縮の時間が計算出来ると言うのなら、それはやはり力学過程だと言うことになりますので、この問題はフォン・ノイマンの言うような力学+αで言っているような解釈ではないと主張していることになります。それとも系と外界と分ければ、フォン・ノイマンの言うような力学+αで決着が着いていることになりそうです。しかしそのかどちらなのかが明確に述べられておりませんね。

さて、観測者をも含めて系全体を一つとしてまとめて捉えたら波動関数は収縮し得ないのでしょうか。その視点には、系の自由度の数と言う概念が欠落しているようです。例えばこの宇宙に存在する粒子の総数は10の80乗個ぐらいだろうとの概算があると聞いたことがありますが、10の80乗個の有限な粒子系と、粒子が無限個の系との間で、物理的な現象として有為な違いが出るかどうかと言う視点が欠落している。確かに、0と1以外、即ち白と黒以外の世界しか認めない数学屋さんでは、当然違いがあると言う筈です。しかし、その違いが現象面でどれだけの大きさ出てて来るのか、要するに10のマイナス80乗の大きさとゼロとの間に物理現象としてどれだけの意味のある違いがあるのかと言う議論が欠落している。

さらにシュレーディンガー方程式を含めて、偏微分方程式は、たとえ初期条件が通常の関数であっても一般にはその解は通常の関数ではなくて超関数の解持ちうると言う視点も欠落しているようですね。フォン・ノイマンはディラックのデルタ関数を数学的に無意味な物であるとして、超関数の存在を認識出来なかった方でしたので、勿論フォン・ノイマンはその事実を知りませんでした。

超関数はそれに収束する通常の関数の列で定義することが出来ます。その列の指標として系の自由度の数を選ぶことができる系もあります。その場合、如何なる有限の数でも、それが有限である限りシュレディンガー方程式の解が通常の関数である場合もあります。しかし、その関数列の指標が例えば10の23乗であった場合の通常の関数であった場合と、10の80乗であった場合の通常の関数であった場合と、あるいは∞の極限の超関数であった場合とで、物理量の値にどれだけの違いが出るのか、そしてその違いは現象面としてどれだけ有為な違いを起こし得るのか、と言う視点が欠落しています。

従って、数学屋さんを説得するならいざ知らず、物理屋を説得するには#20の説明は余りにも不完全です。また、だからこそ観測の理論が出て80年以上もたっても物理学者はまだ誰も、そのような数学好きな人達の説明に満足出来ていないのです。#19さんは物理屋さんとしてこの現象を何とか力学の枠内で理解しようと言う努力をしているようです。

そこで#20さんに質問ですが、貴方はこの問題を力学の枠内で理解したいのですか、それともフォン・ノイマンのように、力学以外の原理が入ることも止むなしと考えているのですか。更に、それが止むなしと考えているのなら、自然が何処から何処までを力学の原理に任せ、何処から何処までをそれ以外の原理に任せようと、自然自身はどうやって決めているのだと思いますか。あるいは、そんなこと考えた事もないと言っているのですか。
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No.10です



No.19の方がおっしゃっているように、「観測者(認識主体)の有無に関わりなく」ということが重要です。(この質問の後に立てられ、既に閉じられた「シュレーディンガーの猫」ならぬ「シュティレンガーの猫」での私の回答No.5にて触れています。http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6708554.html

No.10での記述は「宇宙全体が孤在系として扱われる」というある種極端な前提条件の元での記述です。「シュティレンガーの猫」での私の回答No.5では、それ以外の場合を記述しています。

いずれにしても、外部から隔絶された状態として記述されうる量子(ないし量子の集団)は、外部(通常「マクロ」系とよばれるもの、ないし「全体」)と何らかの相互作用を生じた瞬間に、両者の量子状態が「一つの量子力学系」として記述されるということです。

デコヒーレンスは、ある一定量の外部との相互作用(主として熱力学的なゆらぎ)によって「一つの量子力学系」の波束が収縮するといった概念になります。一方、波束の収縮が実際に生じているわけではないという立場があり、(外部の)観測者(認識主体)を含めて波束が収縮しない一つの量子力学系として宇宙全体が記述されるというエヴェレットの多世界解釈(およびその亜系)があります。これは確率的に扱われる熱的揺らぎ自身が量子力学的な確率の重ね合わせとして解釈可能なものであるため、デコヒーレンスとして記述しうるものを含めて、(宇宙全体)全てを量子力学的な波束(孤在系)として扱うということを意味しています。

デコヒーレンスや多世界解釈などの解釈に関わらず、すなわち波束の収縮の有無に関わらず、観測者(認識主体)の有無には関係なく、一つの量子力学の系(孤在系)として扱われる「シュレーディンガーの猫」が、外部(ないし全体)と相互作用した瞬間(すなわち箱が開けられた瞬間、というより両方の世界が繋がった瞬間)において、「(認識主体が含まれる、外部にとっての)猫の生死が確定される」ということになるでしょう。「確定する」という行為は、(外部の)認識主体を暗黙裏に要請するということを意味しています。
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