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日本の教育には特徴があります。
一緒に掃除したり、部活動をする人を評価したりと、「集団行動」を尊重しすぎている事です。
僕は、この教育体制は絶対に良くないと思います。
「集団行動」が過ぎると、プライベートでもグループ化し、その集団への依存が高くなりすぎるから。
だから自分で考え行動する事が苦手になる。
そしてその集団のやりたいことやルールが優先されるため、学校や公共のルールを平然と破る。

だってそうでしょ?法律を守らない国や企業、サービス残業なんて、全部「我々のルール」を最優先にした結果でしょ?
集団の格上は、格下に何でも出来る。だからパワハラとかも当たり前。そして集団から嫌われた人は死にたくなる。自殺者も多数出る。
すべて、教育によって形成された人格が、日本の社会問題を創っていると思えてなりません。

日本の教育方針はずっとこのままなのでしょうか?
集団行動ってやはり、美化されていますか?日本からこれを取るのは不可能?
また、あなたはどう思いますか?反論とかも是非

A 回答 (7件)

>「集団行動」が過ぎると、…自分で考え行動する事が苦手になる。


そうですね。

>集団行動ってやはり、美化されていますか?
初耳です。

>あなたはどう思いますか?
以下の、法則通りだなと思います。

「女子社員ら」を「集団行動者」と読み替えてください。

「職場で「自己価値を認めてくれ」と要望する女子社員ら」
http://okwave.jp/qa/q6665023.html
ANo.9

まぁ、何がしかの、「”効率”を上げるための集団行動」に限り、必要性もあると思います。
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なんで「ルールを守らない集団にあわせる」という前提があるのか意味不明です。




全国的に見ればルールを守らない人間の数より守っている人間の数のほうが多いのです。

これを集団行動として当てはめるのなら
「ルールを守る行動にあわせる」という人間のほうが遙かに多いことはわかるでしょう。

逆に、集団行動をさせないのなら、
「ルールを守る集団」から外れてルールを守らない人間が増えることになります。
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私も常々おかしいと考えている一人です。


余りにも集団行動や制服に慣れさせられた結果、
みんな一人でいることを怖れています。
人と違うことを怖れています。
友達がいないことを怖れています。
友達がいないことを知られるのを怖れています。

人間は人から支持されなくても、人から愛されなくても、
一人ひとりが、完璧な存在です。

日本人は「存在」に関する哲学を一番理解できない民族かもしれません。
そのようなパラダイムを変えていくのは、
唯一、そのことに気づいた者が、そのように生き始めることを通してです。
それでも人間は、たとえ忘れているとはいえ、
魂の奥底に真の自由の感覚を持っているはずなので、
そのように生きる人を見るとき、羨ましさと勇気を感じるのです。
これから、そのように生きる目覚めた人々が世界中にたくさん出てきます。
今はまだ信じられないかもしれませんが、
次の時代をリードしていくのは日本なので、
今の状態が続けられるはずはないので、否応無く、必ず変わります。
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「その集団のやりたいことやルールが優先されるため、学校や公共のルールを平然と破る。

」は「赤信号、みんなで渡れば怖くない。エスカレーターは黄色の線ぎりぎりの端に乗って幼い子供も親から手を離して手摺りに掴まらせ、もう一方の端は追い抜く人のために常に空けておこう!」とか「上司や会社のルールは絶対であり反抗すればクビ、上司や会社のためならば深刻な原発事故も隠し通す」というようなことでしょうか(笑)。

極端な「集団行動教育の否定」はアナーキズムを誘発して社会の混乱を来す可能性が高くなりますので、私は「小中学校の行進練習や合宿体験といった義務教育期間での集団行動教育」は行うべきだと考えます。
・・・尤も、その理由を明確にせずにただ盲目的に行わせることは幼児期程度までにすべきであり、自我を獲得する時期の子供達にはきちんと道徳理念を教えて社会奉仕活動なども教育に取り込まなければ登校拒否や学級崩壊などの問題を解決できないとも考えのですが、道徳理念を教えられる教師を教育していないのも問題ですね(汗)。


>だから自分で考え行動する事が苦手になる。

これは「集団行動訓練」とは別の訓練を教育に導入することによって解決されるべきものだと思いますよ。

米国では「本当は自分自身でも納得の行かない事象に対しての肯定論を様々な資料で武装して論じる」ディベートという訓練を小学校のうちから行っている学校もあります。

私は米国の大学で「麻薬販売反対の論を張る相手を麻薬解禁の立場から 20 分で言い負かせ!」というディベート課題を与えられ「マリファナは煙草よりも常習性や健康被害が少ないという資料で理論武装して、20 分の制限時間内にマリファナ以外のスピードや LSD といった危険度の高い薬物へ討論の方向を持って行かれないよう必死で相手を誘導する」苦労を経験させされたことがあります(笑)。・・・こうした教育を幼い頃から受けてきた人々で構成される国際政治の舞台では「国や発言者本人に責任を追及されることのないよう上手くかわしながら相手国をこちらの有利な立場に誘導する」ことに長けた人々に囲まれて「国に帰って検討させていただきます」としか言えない日本人代表団が「あいつらは無能だ!」と蔑まれても致し方ないのかも知れませんね。

メディアの世界も都合の良いカットだけを繋げて番組を構成するとか一部の事実だけを記事にすることによって世論を誘導する手法が日常的に採られているものであり、こうした情報操作を見抜ける力を養うためにも高等教育では「事実に反しないとは言え、事実を取捨選択することによって反対の意見に誘導する技術もある」ことを学ばせることが「メディア報道を鵜呑みにしてパニックを引き起こすことなく、自分自身で調査して判断する力を養う」ことにも繋がるのではないかと思います。

実はニューヨークにいた頃、Jim Jarmusch 監督が製作して1989年のカンヌ国際映画祭最優秀芸術貢献賞を受賞した Mystery Train という映画には工藤夕貴が出演していて「プレ・リリースで記者に酷評されればどんなに大金を投じたミュージカルでも上演を取りやめるほど厳しい審美眼に曝される、あの、ニューヨークで 1 年ものロング・ラン!」という雑誌の記事を見かけてマンハッタン中を探し回ったのですが・・・ありました。1 軒の映画館でのみ、それも私達以外の観客など誰もいない地下の小シアターで収益など度外視して上映されていました・・・1 年間のロング・ラン云々という記事に嘘はありませんでいた。でも、メディア販売元の JVC が宣伝記事作りのために 1 年間借り切ったような地下小シアターで上映していたのには(爆笑)・・・。


>日本の教育方針はずっとこのままなのでしょうか?

良くないと思いますが「低年齢児童に於ける集団行動訓練」には反対しません。
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>「集団行動」が過ぎると、プライベートでもグループ化し、その集団への依存が高くなりすぎるから。


>だから自分で考え行動する事が苦手になる。

そうでしょうか?
全く個人主義で行動したらもっと酷いことになります。
サッカーの例で言えば全員がゴールを決めたいと思って攻め込んだら守りが手薄になり、相手に速攻されて点が入ってしまいますよね。
それに、一人でドリブルして勝手に打って決められない状態になり、結局点が入らず負けることは目に見えていますよね。
教育で言う集団行動とは、全て集団の言うう通りにすることではないことです。
集団の中にも個人を尊重しお互いを認めあい、協力しあうことです。
意見が対立すればお互いが納得するまで話し合うことを意味しています。
貴方の集団行動は、全くの自分勝手な人が集団でいる状態のことです。
これが美化とかではなく、人は集団の中でしか生きていけない動物ですから、これを取り払うといことは人類が滅亡することとになります。
要は、お互いの信頼関係がなくなりますから、勝手に決めた領域(土地)に入ったものは全て殺すようになります。
もしくは、人のものを奪って自分のものにしようとするでしょうね。
そんな世の中を貴方は望んでいるのでしょうか。
それと、日本には道徳とマナーの習慣があり世界を探しても日本のみの文化です。
これがあるから、アジアの中で唯一欧米が認めた理由と言われていますので、世界が取り入れていることも事実です。
もう少し、周りを見てください。世界を見てください。
以外と日本の文化や習慣って面倒なことが多いですが良いことも多いですよ。
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現代の「教育方針」に問題がある、ことは事実だと思います。


しかし、
>「集団行動」を尊重しすぎている・・・
どうでしょうか?「個人」がかなり無視されているようには思いますが、
集団行動を尊重している
というよりは、集団の中の上の方を尊重している
ように思えます。集団について行かれない者を切り捨てる教育というか・・・
集団からはみ出した者を
罵倒し、いじめ、追い出す。
下を切り捨てれば、平均が上がるだろう
しかし・・現実は上がらない。

>自分で考え行動する事が苦手になる。

これは・・・家庭にも問題があります。
家庭も一つの集団、と考えるならば、
家庭での問題は
>「集団行動」を尊重しすぎている・・・
には、当てはまらないと思います。

大人にとっての
*すなおな人間
これは・・自分で考える人間・・・ではなく
大人の言うなりに行動できる人間
のことです。

>その集団のやりたいことやルールが優先されるため、学校や公共のルールを平然と破る。
集団の「ルール」そのものが「集団にとって良いこと」ではなく
「その集団を管理する者にとって良いこと」
であったり・・
個人の意見等、全く無視したルールであったり・・・

>日本の教育方針はずっとこのままなのでしょうか?
>集団行動ってやはり、美化されていますか?日本からこれを取るのは不可能?

良いところだけが、報道されますからね・・・
しかし、取ってしまう必要はないと思います。
「集団行動」は人には必要だと思います。
改善されるのであれば・・・
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「集団行動」を尊重しているのに、集団行動である学校や公共のルールを破るようになる、という根拠が不明です。



全ての仲良しグループが学校に逆らっているという統計結果でもあるのでしょうか。
あるいは、課単位で会社に逆らっているのなら、むしろサービス残業は減るのではないでしょうか。

文全体で、何が個々の集団で、何が公共にあたるのかの統一がとれていません。
前半では「部活動VS学校」なのに、後半は「会社VS公共」???
前者のくくりならば「課VS会社」でしょうし、後者のくくりならば「学校は公共のルールに反している」となります。

結局のところ、個人だろうと集団だろうと自分勝手に振舞う要素はあり、集団行動教育とは関係がない、というのが、首尾一貫しない質問者様の質問文自体から見えるように思えます。
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