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夫婦関係がすでに破たん(夫婦間の愛情なし)しているが、仮面夫婦として夫婦を継続されている方に質問です。

離婚しない理由は何ですか?

又、仮面夫婦を一生続けるつもりですか?

A 回答 (2件)

仮面夫婦してました。



すぐ離婚しなかった、できなかったのは、子供がいたからと、悪者になるのが嫌だったからです。

つまり、性格が合わないのはもうはっきりしている、思いやりも持てない、当然夫婦生活などできない。
ただ、、、どっちが悪いのかの言い合いにくたびれた、どっちもが相手が悪いと思っているから、喧嘩両成敗での対等な離婚と言うのがもめにもめたわけです。
具体的には、子供の親権、財産分与、養育費。
ともかく、私は自分の非を認めるわけには行かないです、浮気したわけでもないし、浪費家でもないです。これで性格が気に入らないと別れたいと言い出したのはそっちなのだから、きちんと落とし前を付けろです。
夫はけちなので、子供を諦めるなら、再婚、新しい子供ということを考えると、お金が出せないと頑張るのです。
そこでまた振り出しに戻って、どっちに責任があるか?
私は責任を認める気は無い、夫が悪いとできるのなら離婚には応じると言ってました。
そこを認めると、お金の交渉が不利で動けない。。。

離婚したいほうが悪者になるしかないのですよね、そういうものだと思います。

一生続けると言うか、子供が成長したらが一応の目処、最長、夫の定年。退職金を山分けして離婚が無難と。しかしけちな夫は退職金も独り占めがしたいように言うので、前途多難です。
つまり、我慢比べなのです。私が諦めるのを持っているので、その手に乗るのって悔しくないですか?

そうこうしているうちに、もう、喧嘩していることも疲れました。
今は、家庭内別居と言うよりも、茶飲み友達です。
夫婦だと思うから要求もするし、喧嘩にもなります。赤の他人と同居してるだけ、寮生活みたいなものと思えば、かなり気楽です。お互い干渉しない、病気や要介護になったら施設に行く手続きくらいはしてあげる、こういうスタンスだと、もう、あえて離婚しなくてもいいか、になります。

長い長い家庭内別居から、気心の知れた友達になってしまったから、きっとこのまま行くんじゃないかと。
それと、我が家は夫の単身赴任期間がそれなりにあります。今は私が逆単身してます。
会うのが、年間限られているし、一つ屋根の下が年間で合計2か月ありやなしやだと、もう、喧嘩もしませんからね。

離婚しなかった理由は、結局、離婚に熱心にならなかったというだけかもしれません。
因みに昨年30周年でした。記念イベント、プレゼント、当然ありません。そういうもの、一度もしたことがありません。あ、確か、結婚1周年の時にレストランに行きましたか、、、その時もメニューで大喧嘩になったのだわ(笑)
私が1980円のコースを主張、けちな夫が、1280円で充分だと言い出したことからでした。私としては充分控えめな希望だったんですけどね、、、、

そういえば、一番初めにあったときも、お昼、ランチのコーヒー付き500円にしようかなと思ったのに、さっさと一番安いカレーライス380円を夫が頼んでしまって、仕方なく私も合わせたのだった。。。最初からそういう人だった。
うーん、つまり、けちな人と結婚してしまったから、離婚の機運が盛り上がらなかったということになります。彼にしてみれば、また結納もいるし指輪もいるし披露宴新婚旅行、、、お金がもったいなかったのだと思います。そうとしか考えられません。(因みに年収は世間一般の基準ではかなりあります)

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
夫婦の形っていろいろあるんだな・・・と感じました。
夫婦不仲の状態を乗り越えて今はお互いをよく知る茶飲み友達みたいな関係とは。
因みに離婚話で揉めていた頃、夫婦不仲なのは子供は感じていましたか?
差支えなければお答え願います。

補足日時:2011/07/11 19:50
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リクエストがあったので追加です。



喧嘩は極力、子供の前ではしませんでした。
元々、夫は、朝早く出て、夜は子供が寝静まった頃に帰って来ましたし、土日もほとんどいませんでしたから。(忙しいのは確かですが、家庭が面白くないから拍車をかけていたのでしょう)
確か、一度、夜中に怒鳴りあいの大喧嘩になって、一番上の子が目を覚まし、喧嘩はやめて!と泣きながら訴えたことがあります。それまでも、注意してましたが更に配慮するようにしました。

父母が不仲ということは、敏感に子供たちは気がついていたようです。ですから、私は、意見が違うから言い合っているだけ、離婚はしないから大丈夫ということは、かなり言いました。

子供たちが物心つく時から、ずっと寝室は別ですし、夫は一人で休日も遊びに出ますし、「母子+お父さん」という組み合わせにそれほど違和感は持ってなかったと思います。旅行もほとんど母子で行ってましたし、私の実家に夫が行くということもなく、父親はいつも別行動というのがありふれた日常でしたから。

ただ、子供がそろそろ反抗期の頃から、やはり父親の存在感は必要と、かなり説得して、週に1度は夕食をそろって取るようにお願いしました、中々守れないのです。土日でも8時まで待って帰ってこないとあきらめてましたし、子供の誕生日も難しかったです。半ば強制的に年に2回(一度は夏休み、もう一度は冬休みでした)、そろって外食に行く行事を押し付けて、それを果たしたのが、それでも数年ありました。とにかく、夫が完全に家庭サービスをしない人ですから、子供たちもそんなものだと思っていたのではないでしょうか。

運動会や発表会の類も全然来ませんから、世間では、夫婦不仲というよりも、旦那を自由にさせているデキタ奥さんという評価になってしまいがちでした。特に、我が家は、お客さんをすることが多かったのです。皆夫の友人や職場の人です。要するに飲み会。家族連れもあり、男ばっかりもありです。男性の場合はそのまま泊り込む人とか。そういうお世話もずっとしているので、外見では不仲はわからなかったと思います。

一応、夫婦としては破綻していても家族としての形は、まぁまぁだったんじゃないでしょうか。父親不在というのはこういう時に便利ですね。
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