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機械の体というと、今はまだ義肢や義眼等があるのみですが、いずれは重要な臓器や脳の機能も人工物で代替できるようになると思われます。

SF的な質問になりますが、生来の肉体を人工物に置き換えていったときに、どの程度の代替率(%)までを人間と定義できるか、考えをお聞かせください。
またその代替率の計算は、先天的に肢体や臓器の一部を持たずに生まれてきた人の場合や、人工物がそもそも一般的な人体に無い機能を持った器官だった場合(補完ではなく拡張した場合)はどうなるでしょうか。

実のところ、既に世界的な医師による協議かなにかで暫定的な数字(%)は出ていたように記憶していますが、色々検索しても出てこなかったので、好事家によるマイナーな合意だったのでしょうね。

A 回答 (8件)

こんばんは。



生体である肉体を機械や人工物に置き換える…。

骨なんかは、全部チタン合金とかでも全然良いですね、歯も入れ歯やインプラントあるしオッケー。

臓器は、サポートとして使ってるなら良いけど、(ペースメーカー等)
完全に機械に置き換えるとなると…2、3箇所なら良いけど、半分以上機械は…(悩)

あと、脳は生身じゃなきゃ人間じゃないと思いますね、
だって、脳がコンピューターだったら、他が生身でもロボットだと思うもん。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり脳は重要なポイントですね。

お礼日時:2011/11/12 14:57

う~ん、悩むなぁ~。



一次的な回答は、最低「脳」があることかな?脳まで機械になっちゃえば「元人間」でしょう。

ですが、哲学的に言えば「魂」があれば「人間」としてみなしても良いかもしれない…
つまりロボットに「魂」が発生したら「人間」になるのか?でもやっぱり「人間」ではないような気もするし…。生きているということにはなるでしょうが、人間ではないような気がします。

種の起源なんてややこしいことになりそうですから、ここでやめます。頭の中ループしちゃいました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
魂のあるロボットが作れるかどうかというと、強いAIか弱いAIかという議論に近いものがありますね。
個人的には、学習してハードウェアの物理的な構造に経験をフィードバックできるコンピュータを作成して、脳というハードウェアを再現できれば、魂を持ったロボットは作れると考えています。
ただ、現行のノイマン型コンピュータでは難しそうなので、少なくとも1回は技術革新が必要でしょうね。

お礼日時:2011/11/12 15:19

義脳が可能として、


いきなり全部は入れ替えられなそうなので(心を独立して考えなくてはならないため)、入れ替える手順はありそうです。大雑把に後ろ半分、前右半分、前左半分みたいな感じでしょうか。
ところでこの義脳、入れ替えないで作動させると、どうなるんでしょ?
SSA(自我説)の自己同定観からすると、心が宿る可能性もあるような気がするし、心が宿らない哲学的ゾンビを証明するかもしれません。
さてさらに、脳死状態から、全てを一度に義脳に入れ換えた場合、果たしてこの人物は何者なのでしょう?
回答は、脳以外は100%、脳については検討中、です。
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ある突然メーカーが来てさ、「不良品の回収ですぅ」とか言って分解回収されて、残ったのが脳細胞2~3個だったらどうするう?


-士郎正宗『甲殻機動隊』講談社。
この漫画はたぶんに示唆に富んでいます。1.5巻、2巻もでていますから、ご覧になるといいです。

あるいは、アイザック・アシモフの『バイセンテニアル・マン』もご質問のテーマにつながる主題のSFです。

私なりに考えるところでは、「我思う、ゆえに我あり」ですよ。
100%機械だって、私は人間である、という自我があれば、私は100%人間と定義していいと思います。
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この質問に対する答えは、法的なのか、医学的なのか、生物学的


なのか、カテゴリーによって異なります。
ここは哲学カテゴリーなので、価値観において答えるならば、
指が取れても、それを「当人だ」とは誰も思わないように(現場の
事故で取れた僕の中指の先はゴミ箱に捨てられた)、手足耳鼻
といった端部の方は、その個体として必須の要素ではない。
その極限が、「脳死は人の死」=脳が死んだら死んだとみなされる、
という考えであり、つまり脳以外は人工臓器だろうと他人の臓器だ
ろうと、その当人のアイデンティティにとって本質的ではない、という
事です。
では脳のどこか?という話になるなら、「脳」の本質はニューロネット=
神経繊維のネットワークにあり、どこかに局在するのではなく、脳の
破損により、徐々に意識が希薄化する=意識が回復不能になった
時点で「脳死=個人のアイデンティティが失われた」と判断されるのです。
こうした質問の最も厄介な例は、「そうした人格をコンピュータ上に
移した場合、それに当人のアイデンティティは認定され得るか?」と
いうものでしょう。
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「狼に育てられた人間は人間なのか?」という既存のテーマと同じですかね。



心の定義は様々で、今の生物学でも、それが脳にあるのかどうかすらわかってません。

家族のように育てられた犬は、人に恋します。
その犬の老後を看取るのを生きがいにしてる女性を知ってますが、
脳溢血の夫を看取る女性に比べて、異常だとは思えません。

こういう場合は「家族」の定義になってしまうけど、数字で測れる感情が制御してるとも考えられません。

バイオリニストの愛機は、奏でる音で自己主張すると言われています。
人に自己主張する存在であれば、生物でなくても「人」ではないでしょうか。

そういうふうに考えると、「置き換えた体の割合」ではなくて、
私は「人への自己主張があるかどうか」が人間の定義ではないかと思います。
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何%ということは無いでしょうし、脳を特別扱いする必要も無いと思います。

仮にその人を普通では予測できないような状況に置いた時、それでもその人らしい行動や反応をしたとすれば、何%が機械化されていたとしてもその人は紛れも無くその人です。もし完全な機械ならそれを作った人が予測できないような状況に適応する事は(少なくとも今予想できる技術では)できないと思います。
今ちょうど「ダンゴムシに心はあるのか」という本を面白く読んでおりまして、私の回答はこの本の影響を受けているかもしれません。
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こんにちは。


機械の体に限定した話だとすると、生体部分のDNA鑑定で人間という判断をすることは可能かと思います。
人工物で置き換えていく上で、例えばそれが三世代(笑)先まで「遺伝」するような変化だとするとすでにDNAが生物の分類上でいうヒトから分岐した亜種ですので、人間とは呼べないと思います。
倫理的な見方での「人間」かどうかはまた別で、自分の考えでは例えばディズニー映画のように動物でもクルマでもオモチャでも意思疎通さえできれば社会は成り立つと思いますので、先の犬の話にもあるように、生物学上で人間かどうかなんてどうでもいい事のようにも思えます。
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