親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

忍たま上級生キャラの鉢屋についてですが、アニメ制作にあたり『鉢屋』が差別用語にあたると見なされ
『蜂屋』と変えて表記した
と聞きました。
『鉢屋』が差別用語にあたる詳細を教えて下さい。

宜しくお願いいたします

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A 回答 (1件)

参考URLにあるように、ある種の賎民を『鉢屋』と呼んでいたからです。



参考URL:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100817/1282073048
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そんな事があったんですね。
いつも思うのですが
学校の授業やメディアでのこういった行為(対策?)によって
今まで無かった差別的見解が植え付けられているような気がします。

差別を無くそうとする授業や
差別的見解を考慮しての行為が
逆に差別に繋がっている矛盾。

お礼日時:2011/08/08 18:34

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Qたくさんの方に教えて頂きたいです!結局、部落差別って何なのでしょうか?

僕は北海道出身です。
北海道には『部落』と呼ばれる地域がありません。
ですから部落差別と呼ばれるものも存在しないと思います。

青春時代を関西の田舎町で過ごしましたが、その時初めて『部落差別』なるものの存在を認識し、とても大きな衝撃を受けました。
『同和教育』なるものも北海道の小学校では教わった記憶がありませんし、未だに根強い差別意識が残っている事に疑問を感じています。

部落地域に住む方々の過去などは関西在住時に友人達から説明を受けましたが、いまいちそれも良くわかっていないというのが現状です。

『なぜ部落と呼ばれる地域の人たちは差別の対象となるのでしょうか?』

ちなみに僕自身は『部落』が何なのかという認識が薄く、周囲の人たちが言う事を全く気にせずに(詳しい事を知らずに)普通にお付き合いをしてきた経緯がありますし、今もそのような認識をもっています。

なお、差別的な認識は全くない状態でこの文章を作成しましたが、何か問題があれば質問自体を削除して頂けるように管理人さんにお願いするつもりです。

Aベストアンサー

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作等々の作業です。
そこで、古代、あるいは中世ころからこれを家業とする一族を作り(あるいは自然に生まれ)、専門家集団として一般農民とは一線を画していたのです。
いつのころからか(少なくとも江戸時代初期以前)、こうした一族は人間以下のものとみなされ、不当な差別を受けるようになっていきます。差別は生前のみとは限らず、ある地域では死後においても墓石の法名に「畜○○」などと書かれました。
一説には、農民にしっかり働かせるため、農民以下の存在として工・商を置き、さらにその下に非人を置いたとも言われています。
一族は差別を受けた反面、法的な保護も受けていました。例えば牛馬の処理はこれらの一族が独占しており、刑場での作業も一般の農民や町民が使われることはなかったのです。
こうした差別は明治政府によって撤廃されたのですが、そのころに作られた壬申戸籍では「新平民」と記載されてしまいました。そのため、戸籍を見ると部落の出身であることがすぐに分かってしまい、色々な悲劇を生み出すこととなりました。
明治維新からすでに130年以上経過しております。インドのカースト制度などでは、名前で階級が分かってしまい、また宗教上の理由からも差別の撤廃が困難なようですが、日本では戸籍を調べるにも限界があり(明治期の戸籍はもうほとんど調べられない)、いずれはなくなるものと思います。またそうであることを願ってやみません。

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作...続きを読む

Q昔は何歳くらいからお酒を飲んだの?

昔は何歳くらいからお酒を飲んだの?

現代では未成年者の飲酒は法律で禁止されていますが、
奈良時代~江戸時代など、昔はどうだったのでしょうか?

法律だけでなく、例えば15歳くらいでお酒を飲むことがあったのかとか、
貴族など富裕層だけでなく、農民なども飲むことがあったのかとか、
風俗・習慣的なことも知っていたら教えてもらえるとありがたいです。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>奈良時代~江戸時代など、昔はどうだったのでしょうか?

奈良時代:
21~60歳の男子を「正丁」(せいてい)と呼び、労役や物納を課しました。ただし、17~20歳の男子を「少丁」(しょうてい)と呼び、正丁の4分の1を負担させています。
この17歳位から飲酒が認められました。

平安時代~戦国時代:
15歳前後で成年の儀礼を終えた者が一人前の成人と見なされていました。
領主への村全体の誓約書に署名できる者は15歳以上とか、一揆への参加者は15~16歳といった記録が残っています。
この成年の儀礼とは、武士階級などでは「元服」と呼び、農漁村では、若い男子は「若衆仲間」、女子は「娘仲間」という組織に加入し、「若衆宿」「娘宿」と呼ばれる家で成人に必要な社会的訓練や性教育を受ける慣習がありました。祭礼や消防、治安などもこの組織が担いましたが、入るのは15歳から。
しかし、庶民も次第に「元服」という言葉を使うようになりました。
この「元服」を終えた者や農漁村での「若衆仲間」「娘仲間」で飲酒が許されるようになりました。

江戸時代:
15歳前後の「元服」を終え、前髪の取れた者が飲酒できました。

明治時代~:
明治29年(1896)の民法で現在の20歳に決められました。これはフランス民法の規定にならったとも、古代中国の「礼記」(らいき)に「男子20なれば冠(かんむり)して字(あざな=名乗り)す」とあるからだともいわれます。中国では男子20歳を「弱」といい、「弱冠」(じゃっかん)という言葉はここから来ています。

「若衆が 水に肴の とりあわせ」
と、江戸時代の狂歌にもあるように、いつの時代でも、未成年者の飲酒は耐えませんね。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>奈良時代~江戸時代など、昔はどうだったのでしょうか?

奈良時代:
21~60歳の男子を「正丁」(せいてい)と呼び、労役や物納を課しました。ただし、17~20歳の男子を「少丁」(しょうてい)と呼び、正丁の4分の1を負担させています。
この17歳位から飲酒が認められました。

平安時代~戦国時代:
15歳前後で成年の儀礼を終えた者が一人前の成人と見なされていました。
領主への村全体の誓約書に署名できる者は15歳以上とか、一揆への参加者は...続きを読む

Q一人で外食をする人を見るととても不愉快です。どういう育ち方をするとそんな人間になると思いますか?

一人で外食をする人を見るととても不愉快です。どういう育ち方をするとそんな人間になると思いますか?

TPOをわきまえないふるまいだと思うのですが、どういう精神状態の人たちなのか教えてください。

私は正直気持ち悪いし気味が悪いのでいなくなって欲しいといつも思ってしまいます。

※質問に対しての答えではなく批判はいりません。

Aベストアンサー

色々なケースが考えられますね。
私が思い付くところをいくつか。

①一人暮らしをしているが、
料理ができない、
料理するつもりがない、
調理器具がない、などなど。

この場合の家庭環境を考察すると
あー、料理を教わる機会が無い
興味を持つ機会もない、
そんな家庭だったんだね、
と言ったところでしょうか。

②基本、料理は一通りできるが、
今日は作りたくない気分、
自分では作れない物を
食べたい気分、
専門店で食べたい気分、
そんな心理状態だけど、
誘う人が居ない、なんて時。

これはそのまま心理状態ですから
説明を割愛しますね。

③上記②に付随して、
一人で食べるのは寂しいが、
(友人の都合がつかないなどで)
誘う相手が居ない。
でも、誰かと一緒に食べている
気分にだけでもなりたい。

そんな心理状態のとき。
ちと寂しいですが、
少数派では決してないはず。

④タクシードライバーなど、
基本的に一人で仕事をしている
方々が食事を摂っている。

しょうがないですよね。
勤務中だから家族を呼ぶ訳に
いきませんから。
心理も家庭も介在しませんね。

⑤一般的な会社員の昼御飯など。
他の同僚と休憩を取る
タイミングがあわなかったり、
食事の好みがあわなかったり、
などが考えられます。

そう言う環境なんですね。

家庭環境に目を向けると、
子供が店屋物のカツ丼を
一人で暗い食卓で食べている、
食卓には
「仕事で遅くなります。
 出前でも取って
 晩御飯を済ませなさい。」
の書き置きが…。
そんな、漫画によくある
シチュエーションが浮かびます。
きっと、そのまま大人になり、
食事は一人で済ますもの、
と言う概念が出来上がっている
若干切ない状況ですね。

また、家族で外食が当たり前の
家庭の味を知らない人も
少なくないのかもしれません。


質問者様の年齢も性別も
私にはわかりませんが、
少くともこう言う家庭では
なかったんですね。
幸せな事ですよ。

だからと言って
不愉快に感じてはいけません。
誰にも迷惑はかけてないんですから。

色々なケースが考えられますね。
私が思い付くところをいくつか。

①一人暮らしをしているが、
料理ができない、
料理するつもりがない、
調理器具がない、などなど。

この場合の家庭環境を考察すると
あー、料理を教わる機会が無い
興味を持つ機会もない、
そんな家庭だったんだね、
と言ったところでしょうか。

②基本、料理は一通りできるが、
今日は作りたくない気分、
自分では作れない物を
食べたい気分、
専門店で食べたい気分、
そんな心理状態だけど、
誘う人が居ない、なんて時。

これはそのまま心理...続きを読む

Q室町時代、「右」と「左」という言葉に格の違い?

先日忍たま乱太郎を見ていて気になったのですが。

「左吉」「左近」「左門」と、「左」を冠した名前の子が多い一方、
「右」を冠してる子っていないですよね?
(~左ヱ門、~右衛門を除く)

忍たまの原作は史実をよく調べて非常に歴史的な評価が高いと聞き、
名前についても何か理由があって「右」がいないのかな?と思ったのですが、
何か「右」は格が低い・あるいは縁起が悪いとされた、
または「左」だけが特別格が高い・縁起がいいなどの風習はあったのでしょうか?

Aベストアンサー

kawagutinozomiさん、こんにちわ。



「左吉」「左近」「左門」と、「左」を冠した名前の子が多い一方、
「右」を冠してる子っていないですよね?


これは名乗りとか通称といいます。本名は諱といって通常使用しませんから通常は通称を使用します。
実は名乗りの下になっている古代からある官位制度では右より左の方が先任で格上という原則があります。官位では左大臣の方が右大臣より格上であるとされていましたし、三蹟で有名な有名な藤原行成も権左中弁から左中弁、左中弁から右大弁、右大弁から左大弁に順に移っていきました。


それゆえ武士たちの中では盗賊捕縛をする左衛門尉という官位が非常に人気がありました。ただ、もちろん右近や右衛門尉という名乗りの人もいましたが、断然左のついた方が人気がありました。


詳細は下記のURLを参照ください。



武家官位
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%AE%98%E4%BD%8D




日本の官制
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%98%E5%88%B6
藤原行成
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E8%A1%8C%E6%88%90

kawagutinozomiさん、こんにちわ。



「左吉」「左近」「左門」と、「左」を冠した名前の子が多い一方、
「右」を冠してる子っていないですよね?


これは名乗りとか通称といいます。本名は諱といって通常使用しませんから通常は通称を使用します。
実は名乗りの下になっている古代からある官位制度では右より左の方が先任で格上という原則があります。官位では左大臣の方が右大臣より格上であるとされていましたし、三蹟で有名な有名な藤原行成も権左中弁から左中弁、左中弁から右大弁、右大弁から左大弁に順に...続きを読む

Q戦国時代の人々の名前について

司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。

戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。
たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。
武田信玄は徳栄軒信玄
織田信長は織田上総介信長
明智光秀は明智十兵衛光秀
といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか?
ある人は御屋形、ある人は信玄公、ある人は信玄様とさまざまな呼び名で統一されなかったのには意味があったのでしょうか。

ある身分の人ならば織田様と呼び、ある身分の人は、弾正忠様と呼び、ある身分の人は信長様と呼んで良いなんていう規則もあったのでしょうか?

また農民とかならば、個人を特定するような名前自体存在しなかったのでしょうか。
小説で読んだ中では志乃とかお清とか名前はみかけたので、名前がないということはあるでしょうが、人々の命名規則等は存在したのでしょうか。
(苗字は名乗ってはいけないとか、こういう名前を使ってはいけないとか言う規則はあると考えています)
(また、将軍の姓を使った織田とかは名乗れなかったと思います)

苗字を名乗れるのは、どういう身分の人たちなのでしょうか。
小説の中で山崎屋とか商人の人々には名前があったと思うのですが、村里の人々での苗字はみかけませんでしたし。

質問がわかりづらいかも知れませんが、
1.身分によって相手を呼ぶときの名前に対し厳しい制約は存在していたのか。
2.庶民(農民、商人等)の人々の名前についてどういう命名規則があったのか。
(農民は名前のみ、商人は苗字(店の名前)のみ、武士は苗字+名前を名乗ることができたなど。)
3.また、命名規則があればどのような名前が多かったのでしょうか。
(農家の男なら五平、六平。女なら志乃、清など)
の3つ教えてください。
よろしくお願いします。

司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。

戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。
たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。
武田信玄は徳栄軒信玄
織田信長は織田上総介信長
明智光秀は明智十兵衛光秀
といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか?
ある人は...続きを読む

Aベストアンサー

質問1については、先の回答者さんが答えておられるので、2と3について・・・

時代は少し古くなるのですが、建武の新政が行われた1334年に、若狭の国・太良荘(たらのそう)で、地頭の交代を請求した一揆の起請文には、惣村に属する農民・59名の署名が書かれています。

それを例にあげますと・・・
この一揆のリーダーだったと思われる僧実円・僧禅勝といった僧の名の付く人が6名、大山貞重・中原吉安・物部宗弘といった姓と実名のある人が6名、この内3名は花押も持っていて、グループの中では上層の身分の人たち、名主クラスです。

次に中大夫・平大夫・五郎大夫など大夫が付く人が10名・・・中介・江介・三郎介など介の付く人が6名、「大夫」や「介」は古代の令制の官位の呼び方ですが、すでにこの時代には農民が、一定の年齢に達した時、幼名から改名する際に使用していたようです。

新検校・惣別当・安寿など名の付く人が3名・・・「検校」や「別当」「安寿」などは、ご存知のように本来、寺院や荘園・官庁の役職名ですが、やはりこの時代ではすでに農民のレベルでも名乗っています。

次に、かい丸・牛丸と「丸」の付く人が2名・・・「丸」は本来、幼名に使用する文字ですが、牛飼いなどの運搬業に携わる人は、成人しても使用していたそうです。

平細工・孫太郎細工と「細工」と付く人が2名・・・彼らは手工業の職人だったと思われます。

残り24名は、この時代の農民の一般的な名前と言える物・・・藤内・源内・中江・孫太郎・孫二郎・彦二郎・平二郎・藤二郎・弥二郎・中三郎・惣四郎・孫五郎など、この中の「彦」や「孫」や「弥」は全国的に使用されている最も一般的な文字です。
「平」「源」「藤」「中」は貴族の姓を名前に取り入れています。
その後につく二郎や三郎というのは、お察しの通り、大抵は出生順の「○郎」と付けたようです。
彼らは、小百姓層の人たちです。

以上、先にも書かせていただいたように、これらの名前はすべて、中世の惣村の農民の名前・・・一揆の起請文の署名です。
女性の名がないのは、一揆の場合の署名は、一家の家長が代表して行う事が多かったためだと思われます。

長々と書いてしまいましたが、少しは参考になりますでしょうか?

質問1については、先の回答者さんが答えておられるので、2と3について・・・

時代は少し古くなるのですが、建武の新政が行われた1334年に、若狭の国・太良荘(たらのそう)で、地頭の交代を請求した一揆の起請文には、惣村に属する農民・59名の署名が書かれています。

それを例にあげますと・・・
この一揆のリーダーだったと思われる僧実円・僧禅勝といった僧の名の付く人が6名、大山貞重・中原吉安・物部宗弘といった姓と実名のある人が6名、この内3名は花押も持っていて、グループの中では上層の身分...続きを読む

Qよく聞く『抜け忍は処罰される』というのは本当ですか?

よく聞く『抜け忍は処罰される』というのは本当ですか?

どうも戦国時代頃を調べていると、そんな逃げた人を追っかけまわして処罰するなんてことは
できるように思えません。
また、当時の「忍者」にあたる人たちは、多くが半傭兵のようなものらしいので、
逃げようと思えばいつでも逃げれそうに思えます。
実際に処罰されたような記録があるのであれば、
是非教えて下さい。

また、

忍者集団においてよく聞かれる「掟」なるものについても知ってる方が
いらっしゃったら是非教えて下さい。

Aベストアンサー

戦国時代に信長が人生50年と詠った敦盛が有名ですが、一般人はそこまで生きませんでした。

松尾芭蕉が翁(お年寄り)と呼んだ人はなんと40歳です。

実は近代、それも明治初期頃まで40歳を超える事は難しかったのです。
現代の医者が書いていた記事を読んだのですが肉の摂取以外は完璧な食生活だったそうです。
そこに明治に肉を食べる習慣が入り(牛なべとか教科書で見てるはず)戦後更に肉を口にする機会が増えて一気に長寿国家になったのが実情です。
もちろん医学の発展もありますが。

話を元に戻すと戦国時代の一般人の平均寿命は35歳前後(諸説有ります)
いまでいう成人式が13歳前後(元服と言います)

修行や隠居を考えると活動期間はMAX10年というところでしょうか。

飛脚という言葉をご存知ですか?現在の佐川急便がロゴで使っています。
おそらくは忍者並みだと思うんですが大阪から東京までを4日間で書状を運んでいました。
飛脚の言葉通り、「走って」届けたのです。
いまでいう速達扱いですが現在の貨幣に換算するとおよそ20万程度になります。
約550kmを4日間ですからフルマラソンで考えても一日6時間をマラソン選手並みに走らなければ着きません。

忍者の仕事でもっとも重要な「情報伝達」です。定期的な伝令ならいざ知らず緊急事態なら一人で駆け抜けなければならないでしょう。
そう考えるとかなり過酷な仕事で寿命も短かったんじゃ・・?という気がします。
抜ける云々と考えるより先に倒れるか殺害される人の方が圧倒的に多かったのではないでしょうか。

またプライドの問題が出てきます。

いまの政治家見てればわかると思いますがエライ人はなかなか非を認めません。
お家一族というものがいま以上に誇りだった時代に自家から抜け忍を出したなんて面目丸つぶれでしょう。
絶対に隠し通す=文献が無い
という図式でしょうね。
ちなみに間者(スパイ)に入られた側も家にそんなものが入ったなんて恥どころでは無いので別の理由を付けて処分していたでしょうね。

そういう文献が残っているとすれば家司(家の中の事を取り仕切る人、家令とも言います)といったごく一部の人がこっそり残している分しか無いと思われますが。

と、私見をつらつらと書き綴りましたが、ちゃんと回答を。

・『抜け忍は処罰される』というのは本当ですか?
→もし文献があれば国会図書館に必ずあります。(日本で発行された書籍や論文は全て収録されているので)おそらくは報告書形式で一文のみ「始末した」程度でしょうね。武将のように名がある訳でもないですから。
という訳で蔵書検索のページ http://opac.ndl.go.jp/index.html

・どうも戦国時代頃を調べていると、そんな逃げた人を追っかけまわして処罰するなんてことは
できるように思えません。
→上記の根拠(寿命)により追いかける労力のが惜しいと思われます。


・忍者集団においてよく聞かれる「掟」なるものについても知ってる方が
いらっしゃったら是非教えて下さい。
→文献では無く調べるのであれば美術骨董品にあるかもしれませんね。額縁に掛けて飾っていたものが時代で市場に出ているかもしれませんし。口承の場合は無いでしょうが。

色々書きましたが歴史に絶対は無いです。
それゆえにロマンもありおもしろいんですけどね。

戦国時代に信長が人生50年と詠った敦盛が有名ですが、一般人はそこまで生きませんでした。

松尾芭蕉が翁(お年寄り)と呼んだ人はなんと40歳です。

実は近代、それも明治初期頃まで40歳を超える事は難しかったのです。
現代の医者が書いていた記事を読んだのですが肉の摂取以外は完璧な食生活だったそうです。
そこに明治に肉を食べる習慣が入り(牛なべとか教科書で見てるはず)戦後更に肉を口にする機会が増えて一気に長寿国家になったのが実情です。
もちろん医学の発展もありますが。

話を元に戻すと戦国時...続きを読む

Q創価学会の人かどうかの見分け方を教えてください。

事情で、創価学会の人とできるだけ関わりたくありません。
(詳しくは書きませんが、かなり迷惑を被っています。)
これからいろいろな人と知り合いになると思いますが、
創価学会の人かどうか見分け方がありましたら、
知っておきたいです。

ちなみに自分なりに考えたのが、
・どこの新聞をとっているか聞く
・どんなスタイルの結婚式を挙げたかを聞く
(神式、キリスト教式だと大丈夫かも)  です。
最近知り合った人には、さりげなく聞いてみて一安心でした。

たまたま私の知り合った人が熱心すぎる人だっただけで、
学会の人全てを否定しているわけではありませんが、
この事にかなりナーバスになっていますので、
学会の方はお気を悪くされないで下さいませ。
あと、学会の批判ではなくて、見分け方のみご回答願います。

Aベストアンサー

学会会員です。比較的簡単な見分け方は.

1.死者がいないのに(紙製の)仏壇を持っている
2.木製の仏壇の場合は.つくりが派手(他の宗派の場合には.分家したときに作った仏壇をいつまでも使いつづけるので.結構古い物が転がっています)。
3.お守り.破魔矢.熊手.達磨等の縁起物を持たない・買わない(私のような例外もいますが)
4.命日など家族で遠距離の墓参りに行く。(近所の宗派の方は.命日の近くの都合のよい日に出かけます。)
5.若い人のばあいには.「宗教の話をする」。今の若い方々は.宗教関係に興味を持たないのが大多数ですから。
6.夕方特定の遊びまわるわけでもないのに集まる(勉強買いです)。若い方の場合には.酒飲んでカラオケで騒ぐのが普通ですが.これをしない場合です。
7.宗教(日蓮)関係のわけのわからない本がある。

Q「御中」の使い方

「御中」の使い方について教えてください。

送り先に「○○係」までと書いてある場合、「御中」に直しますよね?この場合の「御中」の使い方は、
1.「○○係 御中」
2.「○○ 御中」
のどちらなんでしょう?こんな質問をするのは恥ずかしいのですが、いつも迷って困っているので教えてください。

Aベストアンサー

○○係 御中  です。
御中とは、会社など、直接誰宛かわからないが、「その中のどなたか」に出すときに使います。

だから、その係の誰に出すかがわかっている場合は、
「○○係 △△様」となるのです。

Q「輩(やから)」ってどういう意味ですか?

テレビやラジオで関西の芸人さんが「ヤカラや」って言ってるのを聞いたことがあるのですが

意味が分かる方、教えてください。

関西方面の言葉(大阪弁)なのでしょうか?

Aベストアンサー

大阪出身のものです.
疑問に思われたということは,一般に使われている「・・・する人たち」というような意味ではなく,いきなり一つの名詞のようにして「やから」が出てきたのではないですか?
もしそうなら,それは「やくざや不良など,理不尽な言い分を押し付ける人」という意味に使われているものです.特にやくざ限定というわけではなく,街のおっさんでも,変な因縁をつけてきたら,やからです.
また,「やかられる」(=因縁をつけられる,からまれる)などという言葉もあります.

Q昔の武士の男の子の、○丸という名前

森蘭丸とか牛若丸とか、昔の武士の男の子には「何とか丸」のような名前が多いと思います。
世阿弥が藤若とか鬼夜叉…とか、源義経が遮那王とか牛若丸とか、
その時によって呼び名が変わったと読んだことがあるのですが、
こういう幼名のあった男の子は、武士に多いのでしょうか?
身分の低いお百姓や職人、商人の子には、こうした幼名は付きませんでしたか?

また、この「何とか丸」という名前ですが、今、牛若丸と蘭丸くらいしか思い出せません。
他にどんな「○丸」がありましたか?
有名な人の名前でなくても結構ですので、こうした幼名のバリエーションを教えてください。

Aベストアンサー

昔の子供や船に、何々丸とつけたのは鬼(災い事)にもっていかれないためにです。昔は今ほど栄養状態もよくなく医学も進んでいませんから子供が立派に元服まで成長するのは大変だったのですね。

ではなぜ、「~丸」とつけるのか?
丸とは、おまるのこと、つまりトイレのことです。
鬼は、臭い匂いを嫌い近づいて来ないので、魔除けとしての意味があった、という説があります。


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