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「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM

(1)これは旧厚生省の資料が一番参考になるのでしょうか。財団法人千鳥ヶ渕戦没者墓苑奉仕会ホームページとの違いは何なんでしょう。

(2)長年の疑問だったのでよろしくお願いします。ドイツ人は帝国臣民より多く死んでいたのですか。それが感覚的に納得できないものがあります。多くの日本人は、日本の特攻や空襲や原爆や兵たん不足による病死などの印象が強く、やたら死んでしまったと認識しているように思います。ドイツの方は日本軍よりははるかに弾薬等も充実しており、弾が尽きれば玉砕などせず、白旗を振っていたように思われます。それなのに死者がドイツ兵が350万人、日本兵130万人。ドイツ兵はどのような形でこんなに死んだのでしょうか。日本軍のように突撃して米軍の連発銃のマトになったり、集団自決したりしなかったと思います。ソ連軍にそんなに殺傷力があったのでしょうか。さっぱりイメージできません。
さらに日本人はシベリア抑留などを大きく取り上げますが、ドイツ人の強制移住による死者は約240万人とあります。桁違いです。どうして強制移住でこんなに死んだのでしょうか。
民間人の死傷者もドイツの方が多く、総死者数ではドイツは日本の2倍以上死んでいます。
これはユダヤ人虐殺の数が含まれているのでしょうか
ドイツ軍は日本軍よりも規模が大きかったのでしょうか。捕虜の数も死者数も多いのです。

(3)これも一般常識になっていないように思うのですが、フィリピンの犠牲者は非常に多いですよね。中国戦線についで2番目に多く、ほぼ同じ数だけ死んでいると言えますよね。フィリピンの方は非常に短期間にそれだけ死んだのですよね。ものすごく簡単に次々と死んだ事になると思います。非常に胸が締め付けられます。しかしながら、この情況も具体的にイメージできませんので、なぜそうなったのか、その様子を教えて下さい。ちなみに中国でもフィリピンでも約50万人死んだと把握しておいて宜しいでしょうか。

(4)これは意外なのですが、沖縄戦で米兵の死者・行方不明者は12,520人。結構死んでいますよね。どうやってこんなに死んだのでしょうか。同士撃ちでしょうか。日本側がどうやってそんなに殺せたのかイメージできません。

(5)データ上はドイツ人の方が悲惨だったように思いますが、実際ドイツは日本より悲惨だったのでしょうか。ナチスに対しては反省しているでしょうが、日本のような国民全体に戦争反対や大戦の悲劇化がないのではないでしょうか。

改めていい資料等ございましたら、ご紹介下さい。

以上、長くなりましたが、どうかよろしくお願いします。

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A 回答 (6件)

#2です。



ええっとね、どうもまだよく戦史をご存じないみたいだからいくつか書いてみますね。
まず太平洋戦線の有名な戦い、主に地上戦のものをあげてみましょうか。
タラワ島の戦いが、日本軍約5千で、米軍が1万6千。
ペリリュー島の戦いが、日本軍約1万で、米軍が約5万。
硫黄島の戦いが、日本軍約1万3千で、米軍が約11万。
大規模な戦いとなると、
サイパン島の戦いが、日本軍約3万で、米軍約6万6千。
フィリピンの戦いが、日本軍約30万で、米軍が約40万。
沖縄戦が、日本軍約12万で、米軍が55万です。

それに対して独ソ戦をあげてみましょう。
開戦のバルバロッサ作戦で、独軍は300万の兵力となっています。ソ連軍は信用できる資料が残っていないらしくよく分りません。
キエフ攻防戦では、ソ連軍は独軍に包囲されなんと65万人もの捕虜を出しています。秋口にはヴァジマ・ブリャンスクで50万人包囲されました。
モスクワ攻防戦が、独軍100万に対して、ソ連軍は125万か、それ以上。
スターリングラードの戦いにもなったブラウ作戦が、前回回答したように独軍130万で、ソ連軍はそれ以上。そのスターリングラードがソ連軍によって包囲されたのが、ウラヌス作戦でソ連軍は少なくとも114万以上。独軍にいたっては負け戦のせいもありどの程度の兵力か不明です。
独軍最後の大反撃、クルスク作戦が独軍80万、ソ連軍130万です。
ソ連軍の大反撃、バグラチオン作戦となると独軍85万に対してソ連軍は125万になります。
最後のベルリン攻防戦では、独軍は100万をなんとか集めますが、ソ連軍は200万を超える将兵が参加しています。

ソ連軍のすごさをイメージしたければ、昔のソ連の戦争映画を見るといいんですけどね。多分にデフォルメされていますけど、見渡す限りの大平原を戦車が埋め尽くす光景(CGナシ)はスケールありまっせ。とにかく独ソ戦は鋼鉄と鋼鉄の激しいぶつかり合いです。まさにヘビー級ボクシングの壮絶な打ち合いですね。

さて、そんな戦場で最も恐れられているのが臼砲も含む大砲です。臼砲と大砲による死傷者は全体の2/3にもなります。つまり大砲がいちばん怖いんですね。その後に軽機関銃がきます。空襲されるなら、爆弾による死傷もあります。つまりまあだいたい戦場の負傷か戦死は大砲か爆弾か軽機関銃によるものでほとんどだというわけです。
この砲撃の威力と技術の双方が第二次大戦参加国中最も優れていたのが米軍です。実はこれは独軍もかなわない。大砲も弾も質が良かったし、無線機を中心とした通信網が優れていました。観測兵の無線で臨機応変な砲撃ができたのです。
一方、最も貧弱だったのが我らが日本軍。砲も弾も質が悪く(同じ口径なら独ソ米の大砲に比べて射程距離が短い)、数も不十分で、しかも通信技術が遅れていたので効果的な支援砲撃ができませんでした。

だから日本軍が善戦したケースは、タラワやペリリュー、硫黄島のように要塞化されていた陣地に篭ったときでした。まあ戦国時代の昔から、篭城する相手に正面から攻撃するのは損害が多く出ますからね。
しかし篭城戦でも、水際防御戦術に固執したサイパン島の戦いでは戦艦の上陸支援砲撃に水際陣地がやられてしまい有効な戦いができませんでした。その戦訓を取り入れてペリリューでは戦艦が支援砲撃しづらいやや内陸に陣地を構えたので米軍は大変な出血を強いられました。沖縄戦でも、南部は要塞化されていた上内陸の戦いになり戦艦の支援砲撃を受けられなくなったので苦戦しました。

日本軍の病死者が多いのは、逃げられないのですから当たり前です。米軍の兵士が負傷したら、後送され応急手当を受け、重傷ならさらに後方の病院に送られて治療が受けられます。病気のときも同じで、後方の救護所で手当てを受けられますし、重病ならさらに後方に送られます。ついでに連合軍にはペニシリンもあります。
しかし島に立て篭もる日本軍では、負傷しても手持ちの薬が尽きたら終わりです。重傷だからといって後方の病院には送られない。病気も同じで、病気にかかったら極端な話自分で治すか死ぬかどちらかです。
フィリピンでは大軍を送ったものの、それを維持するだけの食料が確保できず、将兵は飢えと病気でばたばたと倒れていきました。
ガダルカナル島が飢島と呼ばれた話はご存知でしょうが、日本軍の上陸地点であったルンガ岬にはかなり食料があったそうです。しかし、それをジャングルの奥にいる前線に送る術がなかった。例えば前線とルンガ岬との中間に兵站基地を置いてそこに食料や弾薬を集め、そこから前線に配るというようなロジスティクスの思想もノウハウもなかったので食料が後方で山積みになった挙句に腐らせてしまっていたそうです。
先日の東関東大震災のときは、ヤマト運輸が素早く動き、全国各地から野放図に送られるボランティアの支援物資を速やかに拠点倉庫で中身を仕分けして、必要なところに必要なものが送れるように構築されたそうです。そもそもこのロジスティクスという考え方は第二次大戦中にアメリカによって開発されたものでした。

あと最後に空襲による民間人の死者は、日本が66万8千人、ドイツが59万3千人といわれています。家屋の損害はドイツが25万5千に対して日本は225万となっています。ただし、家屋の損害はダントツトップがやはりソ連で、最も控えめな数字でも300万を超える家屋が損害を受け、民間人の死者は1700万人かそれ以上(日本は67万、ドイツ245万。ところでソ連にはまともな統計がないので損害はすべて推測となっています)となっています。ちなみに民間人の死者が最も多いのは実はソ連ではなくて中国だそうです。2000万人を超えるともいわれていますね。

この回答への補足

No.2のお礼でも質問しましたが、小隊同士なら日米戦力が変わらないというお話ですが、サバイバルゲームみたいにガンファイトをしたらという意味ですか。市街地やジャングルでの歩兵銃の差がなかったということでしょうか。擲弾筒があれば日本軍の小隊の方が火力が多いというのはどういうことでしょうか。


各戦闘における兵の規模は分かるのですが、私の質問は、
ドイツ軍人の総戦死者数です。

またフィリピンでの短期間における死亡原因です。仮に30万人の日本兵のうち20万人が餓死しても、10万人います。相当効率よく殺されているような気がするのですが。

また沖縄における米兵の死者です。陸上部隊が7千500人ぐらい死んでいるのでしょうかね。
激戦(アメリカ軍の被害が大きかった)と言われる安里五二高地の戦いでは死傷者2662名。死者の数が分かりません。6分1ぐらいと考えると、500人いません。7千500人まで、あと7千人の米兵を殺さないといけません。

沖縄戦。
日本。
死者・行方不明者 94,136人
民間人死者 94,000人

米国。
死者・行方不明者 12,520人
戦傷者        72,012人

軍人の犠牲者という総計で考えると、日本軍はほぼ同じ数の米兵に傷を負わせていることになります。どうやってそんなことができたのでしょうか。

補足日時:2011/08/12 22:04
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ご紹介のデータもそうですが、ソ連の物量は私にとっては昔から謎なのでまた質問投稿などするかもしれません。
しかしご紹介の中国の犠牲者も謎ですね。日本軍が原因ということもないと思うのですが。白髪三千丈ですかね。そもそも死亡率が高い国なのでしょうかね。数が多すぎますね。

まだ納得できない点もあるのですが締切りをしまして自分なりに整理したいと思います。
皆様、今後ともよろしくお願い申し上げます。

お礼日時:2011/09/16 11:22

空襲による死者数


日本 調査団体によってばらつきがあり、23万-55万人程度と考えられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …

ドイツ 60万人
http://www.msz.co.jp/book/detail/07551.html

イギリス 4万程度
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Blitz

この回答への補足

No.3補足では、人口と経済と兵力について質問しました。

ご紹介の空襲は、民間人の死者であり、戦場の兵士が空爆で死んだ数ではありませんよね。

民間人の空爆による死は日独であまり変わらないと考えていいのでしょうか。そうなると日本は空爆に関してはドイツより酷かった訳ではないという認識に変えなければなりません。つまり日本はダメだっとは言えない。

ご紹介の幅のある統計は役所の出している数字の方が随分少ないですよね。どうなんでしょう。出回っている数字を7掛けくらいで考えるべきなのでしょうか。言われているほど数字が大きくない事が多いのでしょうか。


引用1(我が家のホームページ)
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM
の「第二次世界大戦における人的損害(ブリタニカ国際大百科事典)」
によると、

一般人の死者数は
ドイツ・78万人、
日本 ・67万人。

11万人ほどの差です。本領土における陸上戦が甚大な被害を及ぼした言えるでしょうか。
地上戦は悲惨なのではなく、抑留が悲惨なのではないでしょうか。つまり地上戦は悲惨ではなく、(社会主義国に)降伏するのが悲惨。


★地上”戦”をすると、大被害が出るという話は言われすぎのように思えてきました。


★戦争の結果、人がたくさん死んだと言う知識は、かなり、いい加減な話になります。
やはり、何で、死んだのかを究明する事が、史実を知ることになりますね。スターリングラードも含めて。

補足日時:2011/08/12 21:20
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/03 02:15

既に適切な回答がありますので、私は補足になりますが、


(1)旧厚生省の数字は軍人・軍属戦没者数で、
   千鳥ヶ渕戦没者墓苑の数字は民間人も含むものです。
   本土(空襲や原爆)、沖縄、満州移民の戦没者を差し引くと
   ほぼ同程度の数字になります。
(2)ドイツの地上戦については回答がありますが、その他として
   日本では、原爆や東京大空襲がよく知られていますが、
   ドイツでもハンブルク、ドレスデン、ベルリンなどが大規模な空襲を受け、
   多くの民間人が犠牲になっています。
(3)フィリピンでは、レイテ島、ルソン島で
   指揮命令系統が失われ、補給を絶たれ、
   ジャングルに逃げ込んだ30万を越す兵士が取り残されて、
   その大半が、マラリヤなどの風土病や餓死で亡くなっています。

この回答への補足

回答ありがとうございます。まだイメージできませんので、補足というよりも遠慮なく、概要を、具体的に、ご説明して戴ければ大いに助かります。

(1)私は詳しくないのでが、通信施設や軍事施設で働いていたら軍属ですよね。商売人が戦況が悪くなっても非難しなかったのは何故なんでしょう。軍や政府は内地に戻るように勧めなかったのでしょうか。この民間人の死は自殺が9割ぐらいでしょうか。

(2)日本は沖縄のぞけば、ほぼ空爆による死だと思いますが、空爆の死亡者数の比較でもドイツの方が多いのでしょうか。私は日本の方が多いと思います。つまりドイツに空爆がなくても日本よりはるかに多くの人が死んでいたと思います。その上、空爆も無視できないほど大勢死んでいる。日本の空爆で殺された以上の人が空爆以外で殺されているのではないでしょうか。

(3)15万人~30万人が病死ということでしょうか。戦闘死は、やはり突撃で蜂の巣でしょうか。
この自殺的な突撃死は、戦闘死の何割くらいになると思いますか。

回答者さんは、50万人死んだと言われて、イメージできていますか。米兵も沖縄で1万人死んだなんてイメージできますか。大変だと思いますよ。物資も兵器もある軍隊を1万人殺すのは。

補足日時:2011/08/10 22:58
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この回答へのお礼

P_hydraさんの的確な回答は参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/27 23:52

http://www5b.biglobe.ne.jp/~morimo/taisa.room/ar …

死因の考察
近代戦以前では銃創者(弓も含む)が比率が高いのですが、近代戦では塹壕戦が多くなり、破片創が高まります。

地上戦の場合、戦闘力の喪失というのが参考になります。
ざっくりいえば、死傷者+行方不明が 10%~30%程度になると、軍隊として戦闘継続できなくなる。
逆に言えば そのくらいの損失までは戦闘継続するのです。

この回答への補足

皆様、回答ありがとうございます。

兵士の減少率には、捕虜も加わりますよね。ドイツ軍は捕虜になったはずですので、日本軍ほど死者が増える前に、戦闘継続できなくなるのではないでしょうか。さらに戦闘が終われば捕虜はさらに増えるので、次の戦闘に回らなくなります。つまり戦死者は増えにくいのでは?その増えにくい戦死者が日本軍とほぼ同じくらいの割合でいると思うのですが、なぜでしょう。

日本軍は全滅するまで戦う事が多かったのではないでしょうか。ドイツと戦死者率が変わらないのを、どう説明したらいいのですか。


「2- 2 年齢各歳,男女別人口(明治17年~平成12年)(エクセル:170KB)」(総務省統計局)
ホーム > 統計データ > 日本の長期統計系列 > 第2章 人口・世帯
http://www.stat.go.jp/data/chouki/02.htm

を見ると、

昭和15年における20歳から29歳までの男は490万人弱で、500万人いません。30代の男は470万人弱です。どの年齢層が動員兵力の対象になるか分かりませんが、年齢別の人口構成が似ているのであれば、ドイツの方は30代以上の兵士が多かったということはありませんかね。工業力と兵動員力の関係を教えて欲しいです。ドイツは900万人ぐらい最大兵力があったようですので。

補足日時:2011/08/12 20:46
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この回答へのお礼

たしかに砲撃や爆撃を無視してはいけませんね。その殺傷力はイメージしにくいですが。

お礼日時:2011/08/27 23:50

ドイツについては#1さんが素晴らしい回答がされているので。


蛇足すれば、スケールが全然違うってことです。太平洋戦線ではガダルカナル戦に投入された地上兵力は米軍が海兵隊1個師団、日本軍が1個師団と旅団程度の兵力を持つ川口支隊ともっと小型の一木支隊です。それぞれ2万人くらいかな。
一方、同じ頃に同じように「ターニングポイントの戦い」になったといわれた独ソ戦のスターリングラードの戦いではドイツ軍のA軍集団が100万人くらい、B軍集団が30万人くらい参加しています。もうね、何個師団あったのか数えるのが面倒くさいくらい。数が勝負のソ連軍となるともう何個師団なんだかもう。たぶん、100個師団はくだらないと思います。

さて、沖縄戦での米軍の損害ですが、米軍は沖縄の中西部に上陸し、そこから南北に分かれました。北部戦線はもう比較的静かで米軍の視線から見れば順調に占領が進んだのですが、南部での戦いは激しいものになりました。こっちはもう米軍も日本軍も凄惨の一言。
シュガーローフの戦いが有名ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5% …

文献で知りたければ、ユージン・スレッジの「ペリリュー・沖縄戦記」を読むといいですよ。
ところで意外に思うところですが、実は日本軍と米軍(海兵隊)を比べると、小隊レベルでの火力はほぼ同等となります。米軍の圧倒的な火力ってイメージがありますが、小隊なら変わらないんですね。むしろ、日本軍に擲弾筒があれば日本軍が若干火力が上回ります。
日米の差が出てくるのが迫撃砲が加わってくる中隊以上になり、大砲の支援がくる連隊以上となるとその差がぐんぐん開いてきます。
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この回答へのお礼

お話は大変参考になりました。私が求めていた回答スタイルです。ご解説の内容がイメージできるものでした。他にも一般人の想像が及んでいない実戦の実態があれば教えて下さい。
(小銃レベルということでしょうか)小隊レベルの激突は拮抗しているというのはなるほどと思いました。それすらピンと来ていない人が多いのではないかと思います。

擲弾筒があれば日本軍の小隊の方が火力が多いというのは、どういうことでしょうか。
八九式重擲弾筒の方が、M7ライフルグレネードより強力だからでしょうか。
意外な意見に感じたので、教えて下さい。
日本軍はそれを活かした戦い方を可能ならすべきでしたね。八九式重擲弾筒が少なかったのでしょうかね。
八九式重擲弾筒の攻撃で直接殺される兵士も多いのでしょうか。そうした死因に関心があります。

平坦な沖縄で苦戦させらたのに、どうしてフィリピンの方ではそれが出来なかったのでしょうか。

スターリンググラードは同名の狙撃手を描いた映画を見ましたが、そうではなくて同都市の攻防戦自体をしっかり描いた作品はないものでしょうか。そのくらい壮大な戦いのはずですよね。
ドイツ軍は結構、降伏しているはずなので、それでも戦死者が多いというのは、なんか納得できないものが残ります。どっちにせよドイツ軍の兵力は、どんどんなくなるわけですからね。兵の数が日本軍の2倍あったとしても、同じ比で、戦死者が日本の2倍ならば、日本と消耗率は同じになり、つまり降伏しない日本軍と同じくらい死傷しないといけないようにおもうのです。ドイツ兵の方は捕虜になりますから、どんどん戦死できる候補者が減りますよね。そうなるとドイツ兵の方が悲惨な闘いをしたことになって、日本軍ほど壊滅的な闘い方をした軍隊はいないという私のイメージとは食い違ってきます。日本軍は悲惨だったが海上輸送の問題もあって実際、前線に投入された兵数が、ドイツとは比較にならないほど少なかったのですかね。客観的には、ドイツほど多くの兵士が闘ったわけではないと。日本兵がみんな激戦地に送られたようなイメージは間違いなのですかね。

お礼日時:2011/08/11 23:49

1)ベタに金の話をすると


恩給などでカネを払うべき対象者をカウントするのが厚生省
恩給などで金を支払うべきだと主張する団体が上記の財団法人などの構成員と近い人々

2)ドイツは本土で地上戦が行われた。
これが大きな違いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF% …
ここだけで、80万以上の損害が出ています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB% …
ひとつの会戦で100万単位での激突です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83% …
ミッドウェイの海戦では10万単位の激突。
陸戦と海戦では、動員兵力が違います。
ミッドウェイで日本軍が全滅しても10万人の戦死者ですが、クルスクの戦いでは10%の戦死者でドイツ側の戦死者は8万人になります。
スターリングラードの戦いでは、最終的にドイツに帰還できたのは数千人レベルです。

強制移住も母数が違います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4% …
1650万人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E% …
ざっくり100万人強程度と推定されます。


ドイツ軍は日本軍よりも規模が大きかったのでしょうか。捕虜の数も死者数も多いのです。

前に計算したことがあるが、徴兵率が日独で二倍程度違った。
人口自体は日独で7000万人程度と同程度だったが、産業化の進展の違いが出ていたようです。
※ 日本は5%強で、この数字は戦国時代と同程度。基本的に農業生産が主力で、戦場に人間を抽出できる限界が5%程度。日本の工業生産は日中戦争の段階でもうテンパっています。労働者不足で。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/war- …
ドイツは1944年まで生産量は増えていたそうです。

3)フィリピンも地上戦が行われたからです。
日本本土への被害という視点で考えると、マリアナ→硫黄島→空襲 という目線で見てしまい、マリアナにしても硫黄島にしても、小さな島への上陸戦とそれに付随する海戦がメインなので、作戦参加人数が、地上戦と比較すると極端に少ない。

4)これも地上戦だったからとなります。
旧陸軍の方が書かれた本に書いてあったが、海軍が主力で戦っていた太平洋戦線に、陸軍が呼び出されてびっくりしたのが、塹壕が作られていなかったこと。
陸軍の行動パターンは、機動戦と塹壕戦の二つです。陸軍関係の映像を見ると、「スコップの使い方」なんてのを延々とする場合がある。
2)のドイツ地上戦の数値や沖縄戦の経験値から、日本本土での米軍損害は100万人とも推定されたそうです。

この回答への補足

No.1さん、No.2さん、ご回答くださりありがとうございます。

今回の質問は、イメージできるように、というのが目的です。

地上戦をすれば損害増えるという図式は私も聞いた事があります。

各項目で、それだけの数の人が死ぬのはイメージしにくいという事なんです。海戦で船隊が全滅すればその搭乗員の数だけは死者がいてもイメージできます。一般の認識としては、戦艦大和の撃沈は、すなわち乗組員全員死亡で把握されていると思います。実際は意外なほど助かっています。つまり海戦の死者数は納得がいきやすいと思います。船が沈めば、とイメージできますから。陸戦の場合も、ある程度は把握できるのですが、質問している死者数は、私にはイメージしがたいケースなのです。
たとえば10万人死んだ場合、艦砲射撃や空爆で何人死んだのか、機関銃や歩兵銃で何人撃ち殺されたのか、手榴弾や火炎放射器で何人命を奪われたのか……
ヨーロッパの東部戦線では死体がゴロゴロしていたのでしょうか。大会戦の地では、第一次大戦の思わせるような死体の山だったのでしょうか。
日本兵の方は、持久戦をすれば、いいものを、数日善戦するのですが(この時に攻め込んできた海兵隊の小隊規模を50%殺傷しているようですね)、結局、夜中の斬り込みをして、照明弾の下、機関銃で全目いつです。この夜襲では米兵は死にません。
沖縄戦でよくも米兵が死んだものだと思うのですが、米兵の方も、海兵隊が、中隊規模で、早急な進撃をして日本軍の機関銃の餌食になっているようですね。そういう最前線の先兵隊の無謀さの総和が1万人ぐらいになるのでしょうか。1割以上は味方の砲撃だったりするのでしょうかね。砲撃は同士討ちがわかりやすいでしょうから。中隊で100人死んだとすると、のべ100の中隊が同様の無謀な戦闘をして、1万人です。
強制移住は餓死したなどともかかれていますが、そんなに死ぬもんなんでしょうか。鉄条網に囲まれた収容所に入れられたのではないのですよね。
いずれもイメージがその数に至らないのです。


恩給は兵隊には支給されましたよね。
兵隊の数が厚生省で、もう一方は何を加えているのでしょう。

総玉砕とか言っていたのに、5%なんですよね。掛け声で終わりましたね。その掛け声の方が真実のイメージになって、戦争否定主義になっていると思います。もっともっと戦争を学ばなければいけない、と悲惨な情報ばかり収集します。しかし5%すら認識されていないので、先に情報を増やしています。だからものすごく死んだイメージになっていますが、東欧、ロシアと比べると、日本の悲劇への感想も改めるべきところがあると思います。
南京大虐殺があったとか無かったとか、これもイメージできるかの問題があります。今回の質問も南京虐殺の検証に似ていることです。マニラでそんなに死んだのか。米兵は沖縄で、ドイツ人は東欧で、そんなに、どうやって死ねたのだ、【殺害方法を】説明して欲しい、みたいな感じです。数字だけ出されて、はいそうですか、戦争反対。これは無責任だと思います。

補足日時:2011/08/09 21:53
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この回答へのお礼

いつも回答ありがとうございます。

>「旧陸軍の方が書かれた本に書いてあったが、海軍が主力で戦っていた太平洋戦線に、陸軍が呼び出されてびっくりしたのが、塹壕が作られていなかったこと。」

そういう些細な非常識が参考になりますね。

日本軍は米海兵隊に対して勇猛な闘いをしたのですが、それらの戦闘の多くは、典型的な地上戦らしい地上戦ではなかったということでしょうかね。認識を改めなければなりませんね。南方の島の防衛戦争は、一般的な戦争というよりも、異常な闘いだっという事になりますね。そこでの悲劇を短絡的に戦争の悲惨さに加えてはいけませんね。やはり戦争の否定よりもダメ作戦の否定に替えるべきでしょう。

フィリピンでは、(判りませんが)30万人ぐらいの日本兵が、ほとんど射的のマト状態で死んだのでしょうか。

★自決率(自殺率)が知りたいですね。
死んだ総数ではドイツ軍でしょうが、死ぬ早さでは、日本軍のような気がします。
単に何万人死んだからどうだではなくて、
死に方の議論が大事だと思います。戦争を議論する全ての人にとって。

お礼日時:2011/08/11 13:55

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Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Qアメリカに戦争で最も人的被害を与えた国はどこ?

少し前ですが、テレビ特番の「世界サミット たけしJAPAN 2009日本を考えるTV」にて
町山智浩氏が、アメリカが戦争によって最も人的被害(死傷者の数)を出した国は日本であると発言していたのですが、
これは本当なのでしょうか?

なんとなく、一番は第二次世界大戦でのドイツだと思っていたので、日本というのは少し意外でした。
実際のところはどうなのでしょうか。
(南北戦争が最も死者は多いとは思いますが、内戦なので回答はアメリカ以外の国でお願いします。)

ソース元なども含めて教えて頂ければ幸いですが、大体でも教えていただければありがたいです。

Aベストアンサー

おいみんな、「第二次大戦 戦死者」とか「欧州戦線 戦死者」と検索すりゃ一発で出てくるじゃないか。

欧州戦線における米軍の戦死者が約18万人、太平洋戦線における米軍の戦死者が約10万人、合わせて約29万人です。ただし、欧州戦線ではドイツ軍の他にイタリア軍だって(一応)いたわけですから単純に対ドイツ戦のみというわけではありませんが。
投入した物資の量となると、イギリスやソ連への武器貸与分を含めると圧倒的に欧州戦線となります。アメリカがどのくらいソ連を支援したのかというと、ソ連軍が使ったトラックの約9割がアメリカ製だったくらいです。アメリカがトラックや弾薬、燃料をソ連に送ったので、ソ連はほとんど戦車とか戦闘機だけ作っていれば良かったのです。そもそもアングロサクソン人国家であるアメリカにとって大西洋と太平洋では圧倒的に大西洋のほうが重要であり(ワシントンDCは東海岸であることをお忘れなく)、太平洋戦線なんて言葉は悪いですが片手間でやっていたようなものです。

どうしても私たちは日本人なので自分たちを買いかぶってしまいますが、そもそもアメリカは対ドイツ戦に勝利してから太平洋戦線で反撃しようと考えていました。けれど、(欧州戦線でメインの)陸軍が反撃しているのに(太平洋戦線でメインの)海軍は反撃しないのでは国民への体裁も悪いことから主に米海軍が強く主張して太平洋戦線でも反撃することにしました(あとは国民的人気が高かったマッカーサーも主に自分の体裁から強く主張した)。だから、1943年まで太平洋戦線に投入された主な地上部隊というのは海兵隊一個師団程度です。

おいみんな、「第二次大戦 戦死者」とか「欧州戦線 戦死者」と検索すりゃ一発で出てくるじゃないか。

欧州戦線における米軍の戦死者が約18万人、太平洋戦線における米軍の戦死者が約10万人、合わせて約29万人です。ただし、欧州戦線ではドイツ軍の他にイタリア軍だって(一応)いたわけですから単純に対ドイツ戦のみというわけではありませんが。
投入した物資の量となると、イギリスやソ連への武器貸与分を含めると圧倒的に欧州戦線となります。アメリカがどのくらいソ連を支援したのかというと、ソ連軍が...続きを読む

Q空襲(無差別爆撃)による死傷者数

こんにちは
先月報道で、終戦60周年の今年、ドイツのドレスデンで
空襲について抗議する極右勢力の集会があった
というのを読み、初めてそういうことが昔あったのだとしりました。
このドレスデン大空襲では3万5千人死者が出たらしいですが、
3月10日の東京大空襲では10万人以上で
日本全体では40万人以上亡くなったとききました。
ドイツで空襲で亡くなった方はどれくらいおられるのでしょうか?
またひとつの都市で亡くなった人の数という意味では
人類史上、広島で起きた事が過去最悪ということになるんでしょうか?

Aベストアンサー

広島への原爆投下によって十四万以上の犠牲者、
東京大空襲で十万人以上の犠牲者、
長崎への原爆投下によって七万人以上の犠牲者というのが
都市への一回の無差別爆撃での犠牲者数のトップ3です。
ただし広島と長崎の犠牲者は放射能の後遺症でその後も増え続け、
最終的には二十数万と十四万人以上に達しました。

ドイツで空襲でなくなった人は累計では六十万人以上と言われています。

アメリカが呉や佐世保を攻撃しなかったのは、
攻撃対象をいまだ大きな被害を受けていない都市に
限定していたからです。
軍港はすでに空爆を受けていてこの条件を満たしていませんでしたし、
日本海軍は事実上壊滅して脅威ではなかったので攻撃の必要はあまりありませんでした。
原爆投下は政治的および科学的な目的の空爆で
原爆の都市への威力を実際に実験し、
かつその威力を見せ付けることで日本政府に無条件降伏を迫るというものでした。
よって民間人の殺害を前提にしており、
軍事施設への攻撃は意図してません。

アメリカは自分の非を認めない国ですし、
退役者団体の政治的な影響力が強いので
過去の戦争を見直すということは全くしませんが、
日本政府が原爆投下や東京大空襲に対して
アメリカに強くいえないのは、
まず第一に戦後一貫して、アメリカ政府の核の傘の下に守られてきたということ、
第二に当初、暗黙の了解で抑止されていた無差別爆撃を
戦争で解禁させたのは日本自身だったということがあります。
日本が1932年に上海事変で行った爆撃がアジアでは初めての行為でした。
また日本の右翼政治家のなかには日本の核武装や再軍備などを夢見るものもいるので、核兵器非難や空爆非難の矛先は弱く、左派系のほうが却って強くなっています。

ちなみにこの非人道性の問題では、
太平洋戦争には完全に日本に非があると全く受け付けないアメリカの右派と、
原爆など非人道的兵器の使用の非は認めるアメリカのリベラル派、
アメリカの行為にも非人道的行為があった他社非難する日本の右派と、
他社非難よりも核放棄・平和維持を目指す左派
といった具合に奇妙な構図になってます。

広島への原爆投下によって十四万以上の犠牲者、
東京大空襲で十万人以上の犠牲者、
長崎への原爆投下によって七万人以上の犠牲者というのが
都市への一回の無差別爆撃での犠牲者数のトップ3です。
ただし広島と長崎の犠牲者は放射能の後遺症でその後も増え続け、
最終的には二十数万と十四万人以上に達しました。

ドイツで空襲でなくなった人は累計では六十万人以上と言われています。

アメリカが呉や佐世保を攻撃しなかったのは、
攻撃対象をいまだ大きな被害を受けていない都市に
限定していたか...続きを読む

Q太平洋戦争でのフィリピンにおける戦死者

最近太平洋戦争での日本兵・軍属の戦死者がほぼ50万人と、中国本土での戦死者45万人と較べても突出して多いことを知りました。 なぜ、フィリピンでこれほど多くの日本兵が亡くなったのでしょうか? 南方での戦死者は、戦闘による死者よりも、病死・餓死が圧倒的に多かったと言う話は聞いたことがありますが、実際50万人も戦死した原因は何か教えてください。

Aベストアンサー

アメリカ軍の進攻の軍事上の価値が高い地域だからです。しらみつぶしに攻撃したわけではありません。
 グアム、サイパンでは、アメリカはグアムは必要とせずグアムの死者が少ないのに、サイパンを必要としたのでサイパンでは多数の日本兵の死者がでています。
「バンザイクリフ」にいってきましたが、崖から飛び降りたのはどんな思いだったのかと暗然たる気持ちになりました。
 南硫黄島では、爆撃と艦砲射撃で守備隊は全滅しています。

Q第二次世界大戦の日本兵の死亡率

あの戦争で何人の日本兵が戦地に赴き、そのうち何パーセントぐらいが帰還したのでしょうか。ご存知の方、宜しくご教授ください。
(出典も教えて頂ければ幸いです〉

Aベストアンサー

戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。これこそ無謀な戦争といえる現実でした。

NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫)
>アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。これはガダルカナルに上陸した総人員3万1358人のおよそ三分の一であった。戦死・行方不明は合わせて2万1138人、そのうち戦闘で死亡した兵士は5000人ほどと推定され、残りの1万5000人以上が飢えと病に倒れたのであった。
 
 精神論だけで勝とうとする日本軍の指導者について以下のように記載してあります。
 >またアルビン・クックス教授は、このノモンハン事件(死傷率70%)の失敗が太平洋戦争でも繰り返されたもう一つの大きな点は、事件の指導者(辻正信、服部卓四郎)が責任も取らずに再び太平洋戦争も指揮したことにあるとしている。

インパール作戦でも半数は補給作戦もなく、飢えと病で死んでいます。NHK取材班「責任なき戦場 インパール」(角川文庫)

 
 

戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。これこそ無謀な戦争といえる現実でした。

NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫)
>アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。これはガダルカナルに上陸した総人員3...続きを読む

Qフィリピンのマニラ市街戦で市民の死者が10万人も出たとはどうしてですか?

第二次世界大戦中、フィリピンのマニラ市街戦での死者は日本軍1万6555人、米軍1010人、マニラ市民10万人だそうです。
どうして一般市民がこんなに多く犠牲になったのでしょうか?
普通市街戦が始れば、戦闘地域から逃げると思います。
この場合、アメリカ側に逃げればよいわけで、逃げ遅れたにしても10万人は多すぎます。(東京大空襲と同じ)
逃げることのできない理由があったのでしょうか?
スターリングラードの戦いの場合は、ソ連軍が市民が逃げることを禁じていたと記憶しています。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>フィリピンのマニラ市街戦で~どうして一般市民がこんなに多く犠牲になったのでしょうか?
 
 まず、マニラ市民の死者は、1945年2月の市街戦だけで発生したのではありません。それ以前の44年9月21日から始まったアメリカ軍の空襲からすでに生じていました。

>普通市街戦が始れば、戦闘地域から逃げると思います。

 つぎに、さかのぼって42年の日本軍進攻の時にマッカーサーがオープンシティ宣言をしたため、日本軍は平和進駐を行いました。そのマッカーサーが今度はマニラを徹底的に破壊するなどとよもや市民たちは思いもよらなかったので、疎開しなかったのでした。
 
 さらに、マニラ防衛の日本軍は、陸海軍とも寄せ集めの兵と歩兵火器中心の武装でしたから、よもや頑強に抵抗するようにもみえなかったでしょう。当初日本軍も、一定の抵抗をしたのちに東部の山中へ退却する予定でしたから、一方から歯磨きのチューブのように押し出せばどちらの側にも多くの犠牲者が出なかった可能性があります。しかし、実際には米軍は包囲作戦を採ったため、日本軍の退路は限られてしまい、また、日本軍自ら橋梁を破壊してしまったため孤立化したので多くの市民を巻き込んでしまった、というのが実情でした。

 大岡昇平は『レイテ戦記・下』(中公文庫版)にこう記しています。

 彼(註・マッカーサー)はフィリピン解放を十分に果たした。~軍事的拠点の徹底的砲爆撃という戦闘方式の結果、フィリピン人は家を焼かれ、多くの非戦闘員が死傷した。~マニラは徹底的に破壊された。~ニミッツによれば、彼は自分の赴くところ、常に激戦地にならなければ気がすまなかった男だ。この処置には、日本軍に強要された形式的なものであるとはいえ、対米戦争状態宣言をしたラウレル政権に対する懲戒の意味が含まれていよう。~そのためにマッカーサーは破壊的攻撃をしなければならなかった。破壊と放火はこれらの日本の部隊が行なったものだ、ということになっている。そのため実際には責任がなかった山下大将が、不法な手続きによって絞首刑になったのだが、これは実際は米軍の行なったマニラ破壊を日本軍に転嫁するするためであった。(同書308・309頁

 昨年8月、NHKBSで『ハイビジョン特集 証言記録 マニラ市街戦』という長編ドキュメンタリーが放映されましたが、この中で赤十字のマークを掲げた病院を米軍が爆撃して多くの市民が殺されたとか、米軍がガソリンを流し込んだため地下に潜んだ市民が焼き殺されたという生存者の証言でも明らかです。

 日本軍によるマニラ市民殺害について。基本的に軍事基地の所在をシビリアンが敵軍に通報するのはスパイ行為に当たり、これは処刑の対象となります。米軍のフィリピン攻略は、殆どのフィリピン人の協力があったので、マッカーサーは「これほど楽な戦いはない」といったそうですが、マニラにおいても、住民が日本兵の潜むのを見付けるとすぐに米軍に知らせ、すぐに猛烈な砲撃が始まり、日本兵は逃げ場もなく物陰に隠れるだけだった、と当時の日本陸戦隊将校が回想しています。(峰尾静彦「マニラ海軍防衛部隊の悲劇」による)

 さきに回答のなかに「日本軍がマニラ市民を攻撃した」という表現がありますが、陸戦隊将校の回想を見る限り、市街戦で圧倒されるなか、個別の例はあっても組織的な余裕はなかったようです。こういう追い詰められた状況にあって、日本兵は市民の誰もが通敵者に見えたというのも無理がない部分があります。しかし、それで市民殺害が正当化されるわけではありませんが。

 日本兵の戦死が約1万6千に対して米兵はわずかに千名。市民が10万名。その数字を見ると米軍に協力して日本兵に殺され、米軍の無差別攻撃に殺され、また何の関係もない無辜のマニラ市民がさまざまな理不尽な理由で殺された、というのが事実に近い、と思います。
 


 

>フィリピンのマニラ市街戦で~どうして一般市民がこんなに多く犠牲になったのでしょうか?
 
 まず、マニラ市民の死者は、1945年2月の市街戦だけで発生したのではありません。それ以前の44年9月21日から始まったアメリカ軍の空襲からすでに生じていました。

>普通市街戦が始れば、戦闘地域から逃げると思います。

 つぎに、さかのぼって42年の日本軍進攻の時にマッカーサーがオープンシティ宣言をしたため、日本軍は平和進駐を行いました。そのマッカーサーが今度はマニラを徹底的に破...続きを読む

Q有史以来、アメリカ軍に最も多くの死傷者数を出させたのは、日本なのは本当ですか?

ww2のアメリカの死傷者は約100万人ぐらいだと思いますが、有史以来、アメリカ軍に最も多くの死傷者数を出させたのは、日本なのは本当なのでしょうか?

誰か教えてください。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「約100万人」というのは「第二次世界大戦」での死傷者数であり、「太平洋戦争」での死傷者ではありません。つまり、この数字にはドイツ軍など他の枢軸国による損害も含まれているのをお忘れなく。
で、ある資料によりますと太平洋戦線での戦死は107,903、負傷171,898、その他(事故などで)死亡48,380。これに対しヨーロッパ戦線ではそれぞれ185,179/498,948/66,805 となり、日本軍による損害を上回ります。よって、アメリカに最も多くの死傷者を出させたのは(イタリアなどはロクに戦ってないので)ドイツであって、日本軍というのは間違いです。

あと、当時建国200年にも至っていなかったアメリカに「有史以来」ってのも妙な表現だと思いますが。

参考URL:http://www.kyowva.com/bbacks/nationalmisfortune.htm

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q白人世界でアジア人を差別しない国はありません、それが現実ですがどう思いますか?

一年以上白人国家を旅行した人なら理解できると思いますが、最低でも1度や2度必ず差別を受けた経験があると思います、その時必ず中国人か日本人か聞かれます、ある店でボッタクリが嫌なので嘘をついて中国人と言ったらその後無視され出て行けと言われました、その後冗談で実は日本人と言うと180度態度が変わりました。白人は正直露骨です。
そして肌の色でもアジア人を美的感覚から見下します。
ロスで仲良くなった白人が言ってました、表面では言わないが
アジア人や黒人は現実に今も差別されている「日本人の君はまだマシな方だ」と。
日本でも差別問題はありますが白人国家は現在でもアジア人を差別しています、中国人とか韓国人と言うととんでもない嫌な思いをさせられます、皆さんこの現実をどう思いますか?

Aベストアンサー

アジア人という定義の仕方に白人目線を感じます。つい近年まで白人は有色人種を人間とは見ていませんでした。「奴隷、当時のヨーロッパでは『黒人が白人と同じ人間である』という考え方はなかったのである。
『法の精神』で知られるモンテスキュー。
社会学の父と讃えられるフランスの哲学者でさえ「黒人が人間だと考えるのは不可能である 彼らを人間と考えるなら 我々がキリスト教徒でないと認めざるをえなくなる」と語っている。」
http://www.fujitv.co.jp/ainori/st/st361.html

有色人種を人間と認めざるをえなくなったのは、後の方の世界的な大戦のあとではないかと考えます。第一次世界大戦ののちある有色人種の国家が提案した人権平等条項の提案は英米によって葬り去られました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog053.html

「ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボイスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然とした態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感させた。

 「母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、われわれ1200万人のアメリカ黒人が「同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」ことを、心から理解してくれているのだ。」
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/964059/


人間は好き嫌いのほかに生理的嫌悪ということもあります。戦後は戦争の被害ということも理由に付け加わりました。

オバマ大統領はなぜ黒人なのか。ハーフではないのか。白人男性の主人と黒人女性奴隷の間に生まれた子どもは、生まれながらにして奴隷であり、色が白いほど高く売れたと聞きます。人種差別に法的に最終的な決着がついたのは1964年(昭和39年)かともいわれます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95

>日本人の君はまだマシな方だ
そんなわけで、白人にすれば納得ずくというより、無理やり人種平等を誓わされたわけで、本人からみた多層な差別意識があるのはある面いたし方がないと考えます。

武力ということではないにしても、要は実力で認めさせるほかはないと考えます。

アジア人という定義の仕方に白人目線を感じます。つい近年まで白人は有色人種を人間とは見ていませんでした。「奴隷、当時のヨーロッパでは『黒人が白人と同じ人間である』という考え方はなかったのである。
『法の精神』で知られるモンテスキュー。
社会学の父と讃えられるフランスの哲学者でさえ「黒人が人間だと考えるのは不可能である 彼らを人間と考えるなら 我々がキリスト教徒でないと認めざるをえなくなる」と語っている。」
http://www.fujitv.co.jp/ainori/st/st361.html

有色人種を人間と認めざ...続きを読む

Qゲルマン民族の大移動となったフン族はなぜ・・

歴史の勉強していくと何故?何故?と疑問がわいてきます。またそれを知った時
すっきりします。ゲルマン民族が移動することによって、ヨーロッパに変化が起きましたが、ではそのフン族がいきなり西方へ移動してきたのは何故でしょうか?
いろいろ調べてみましたが・・ゲルマン民族大移動の原因で出てくる程度、しかも
それまでおとなしくしていたのに、いきなり移動したようなニュアンスです・・
どなたか、ご存知のかた教えてください。

Aベストアンサー

フン族についてはアジア系遊牧騎馬民族という位の情報しか正確なものが乏しい民族です。

「きょう奴」が分裂して一部が西進し中央アジアキルギス高原に達して定着した部族の子孫という説があり彼らは多数の家畜を抱え遊牧し、乗馬に巧みで当然騎射に長けていました。
農耕を知らなかったので自然に生える草を家畜の餌にし殆ど生の獣肉などを食べていたといいます。
従って草がなくなれば当然移動して新しい草原を探さねばなりません。
東方は彼らが既に同様な生活習慣で暮らしてきたので草はないことを知っていますから西進するしかなかったのです。  こうしてヴォルガ川にたっし、さらに西進しました。  これには気候の変化説、疫病説など諸説もありますが正確なところは不明です。  この時代の移動速度は緩やかなものでした。

そこには既に東ゴート族が居住していましたから彼らを略奪、抵抗する者を殺しました。
この情報はすぐに東、西ゴート族に伝わり、かれらフン族の残酷さ、騎馬戦術の脅威が過大に誇張されて伝わったため、パニックが起こりゴート族の西方への大移動が起こって次々とゲルマン民族などの大移動が伝播したのです。  この頃は草原の確保より略奪が目的に変化していてフン族の移動は迅速で警報が間に合わない事もよく起こりました。

アッチラというフン族の王が出現し部族をまとめてから、その攻撃力はすさまじいものとなり現在のフランス、イタリアまで侵略された位です。

フン族についてはアジア系遊牧騎馬民族という位の情報しか正確なものが乏しい民族です。

「きょう奴」が分裂して一部が西進し中央アジアキルギス高原に達して定着した部族の子孫という説があり彼らは多数の家畜を抱え遊牧し、乗馬に巧みで当然騎射に長けていました。
農耕を知らなかったので自然に生える草を家畜の餌にし殆ど生の獣肉などを食べていたといいます。
従って草がなくなれば当然移動して新しい草原を探さねばなりません。
東方は彼らが既に同様な生活習慣で暮らしてきたので草はないことを知っ...続きを読む


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