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高校の日本史をまとめていて、墳丘と古墳にどのような違いがあるのか、表現が曖昧で困っています。

同等の質問では、
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一、墳丘がひとりの首長のために造成されていること、複数の埋葬があるものは古墳に含めない。
二、前方後円墳(または前方後方墳)という形でもって、一定の政治的意味が付与されていると考えられること。

吉野ヶ里の墳丘墓、山陰地方の四隅突出墓などは複数の埋葬があるので古墳としない。
岡山の楯築遺跡は、ひとりのものだが、前方後円墳でないから古墳と認めない。
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という回答を得ていますが、古墳には円墳や方墳があり、これらの政治的意味が楯築遺跡の双方中円墳よりも薄いこともあって、矛盾しているように思い、この回答は参考になりませんでした。


また、wikipediaを見ると、3世紀後半を境に呼び方を変え、区別していると説明されていますが、そもそも区別する必要性がどこにあるのかもわかりません。

古墳の形や発展、社会の動きを見ても(教科書やネットに載っている範囲)、墳丘と古墳にそこまで明確なラインはないと思うのですが、実際にははっきりと分かれているようです。

どのような基準で区別されているのかを教えて下さい。

A 回答 (3件)

墳丘ではなくて問題なのは墳丘墓のようですね。


墳丘は古墳を構成するパーツの一つで土盛そのものです。

>墳丘(墓)と古墳にそこまで明確なラインはないと思うのですが、

そのとおりでいいと思います。

>実際にははっきりと分かれているようです。

初現期については諸説あり、意見が割れているのが普通です。
極論してしまえば、古墳時代に作られたのが古墳で弥生時代以前に作られたものが墳丘墓。

楯築や四隅突出型などは誰もが弥生時代と認めるので墳丘墓。

纏向にある箸墓以外の5つの墳丘を持つ墓は3世紀代を古墳時代に含めるか、箸墓以降を古墳時代とするかの見解が割れているので、人によっては古墳と言い、人によっては墳丘墓と呼んでいます。

ただし、教科書的には従来からの箸墓以降を古墳時代とするという見解を取っていると思いますので、箸墓よりも古いものは墳丘墓、箸墓より新しいものは古墳にしていると思います。

古墳であるか否かの基準としては「定型化」ということがあげられますが、この条件をいろいろ調べていくと古墳時代でも小さい古墳や地方の古墳だと合わないものがぞろぞろ出てくるはずで、こういう基準・定義だけから古墳と墳丘墓を厳格に峻別するのは事実上無理だと思います。

>岡山の楯築遺跡は、ひとりのものだが、前方後円墳でないから古墳と認めない。

これは明らかに間違いです。

>そもそも区別する必要性がどこにあるのかもわかりません。

「古墳」というものが王権の象徴なので、弥生時代とは全く異なる社会的な意味がある物なのだということを強調し明確化するために用語が変えられているのでしょう。
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この回答へのお礼

素早いご回答ありがとうございます。
ご回答には専門的な感じを受けました。


とりあえず
弥生時代→墳丘墓
古墳時代→古墳
という形で認識することにします。

皆さん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2011/09/13 18:45

区別する必要というのは考古学上の話であって、数学的に捉えるなら



古墳⊆墳丘

になると思います。

個人的にはある一部の時代(奈良とか飛鳥辺り)に作られた特徴のある形状を持つ墓のことという感じでしょうか。
ざっくり書くと墳丘は盛り土をした普通のお墓、古墳は豪華なお墓みたいな捉え方です。
楯築遺跡については弥生墳丘墓というカテゴリにあるので古墳にはならないのでしょう。
政治的な意味が付与されるのは当然だと思います、ピラミッドもそうですが権力があったからこそ形として現在まで残ったわけですから。

この辺りの記述が曖昧だと感じるのはそもそも昔のことを正確に捉えることは難しいからではないでしょうか。
なので時期や形状によって「この時代はこういう特徴」という区分けをしないと研究的に全て同じというのは問題だと思います。
先ほど奈良時代や飛鳥時代について少し書きましたが、そもそもそれも「○月○日から奈良時代」と決まっているわけではないわけで、後世の人の人が研究した結果として「この辺りから奈良時代」ということになったはずです。
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この回答へのお礼

素早いご回答ありがとうございます。


>ざっくり書くと墳丘は盛り土をした普通のお墓、古墳は豪華なお墓みたいな捉え方です
>楯築遺跡については弥生墳丘墓というカテゴリにあるので古墳にはならない
>政治的な意味が付与されるのは当然だと思います、ピラミッドもそうですが権力があったからこそ形として現在まで残った

墳丘墓にも豪華で巨大なものがある一方、古墳にも小規模で円形や方形といった小規模のものがあり、どのような基準で墳丘墓・古墳にカテゴライズされるのか?というのが質問の趣旨でした。

拙い文章で真意が伝わらず、申し訳ありませんでした。

お礼日時:2011/09/13 18:37

作成された時代が違うだけです。

弥生時代に作成されたものを墳丘と呼び、古墳時代に作成されたものを古墳と呼ぶのです。弥生時代に作成された古墳と古墳時代に作成された古墳にはいくつかの特徴の違いがあります。ただし特徴の違いで呼び分けているわけではないということなのです。どうして呼び分ける必要があるのかというと歴史学者の便宜という以外にありません。それはどうして弥生時代と古墳時代を区分する必要があるの?という問いに対する答えと同じなのです。ただし弥生時代と古墳時代の境界はやや曖昧であることにも注意してください。誰かが今日からは古墳時代ですよーと号令をかけたわけでもないのです。地域によっても違いはあります。ある地域では先進的に古墳時代に移行していたが、ある地域では、まだ弥生時代のままだったということは当然にして起こりえるのです。古墳が作られたから古墳時代と呼ぶのでもありません。古墳は弥生時代末期にも作られていた。しかし明らかに特徴の違いがあり、それが歴史的に大きな意味を持つ。だから墳丘と古墳に呼び分けましょうという話なのです。表現が曖昧だのといった表層的な瑣末な問題に捉われてはなりません。歴史の本質に迫ってください。
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この回答へのお礼

素早く詳細なご回答ありがとうございます。

もう少し回答を待って、総合的に判断することにします。

お礼日時:2011/09/13 18:35

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